なぜ似せるのだろうか
街角で、本物の代わりにニセモノを使う場面がたまにある。たとえばセブンイレブンの壁。
レンガのようにも見えるが、凹凸はまったくない。レンガ風に印刷されたシートである。
または、この柱。
ちゃんと凹凸がありそれなりにレンガっぽいが、
横にまわると無惨に壊れており、ニセモノだったことがわかる。モルタルなどで造形したのだろうか。こういう事例にふれると、これはなんなんだろうと思う。
なんでそこまでしてレンガに似せたいんだろうか。
ここには二つの問いがある。なぜレンガに似せたいのか。なぜニセモノを使うのか。後者はなんとなく想像がつく。ニセモノのほうが便利だったり安かったりするのだろう。
こういうのもある。
木に似せたプラスチックの柵。擬木である。
プラスチックは天然の木よりも耐久性があって便利なのだろう。問題は、なぜ木に似せるのかだ。
コンクリートの車止め。じつは擬石ボラードという名前がついていて、石を模したものだ。おそらく花崗岩(御影石)に似せたいのだと思う。

街には何かに似せたニセモノがあふれている。そのたびに、こんなのがあるのか、こう来たか、と感心している。
レンガと、レンガに似せたものは違う
たとえばレンガで言うと、レンガを使うのとレンガに似せるのでは事情がまったく違う。

昔のレンガの建物では、それが構造を支えている。レンガを使うのは丈夫で火に強く石にくらべて便利だからだろう。

一方レンガに似せているほうでは、構造は別のもの、たとえばコンクリートが支えている。レンガは表面に貼り付けているだけで、いわば化粧である。
結局のところ、ぼくたちは街の表面を見ているのだ。表面の質感から、素朴な親しみやすさとか、逆に堅固な信頼感などを感じとっている。構造は鉄やコンクリートが支えている以上、表面にどんな機能を持たせたいか、どんな印象を与えたいかに応じて、木やガラスや石、それらに似せたものなどを使い分けるのだろう。一般論はたぶんそんなところだ。
しかし街角の表面にあるニセモノたちは多様であり、想像もしない角度で現れるのだ。それを愛でていきたい。
木に似せるものたち
最近見た擬木ですごかったのはこれだ。
日陰でこんな色になった木の板をよく見る気がする。
近くで見ると木目がちゃんと描かれているが、表面はおそらくモルタル(セメント+砂)だろう。
足元にはコケが生えている。このダイダイ色のやつは街中だとコンクリートや岩の上によく生えているのを見る。木のふりをしてもコケにはばれているのかもしれない。
このガードレールもすごい。木目調だ。
木目調のフィルムを貼り付けたのかなと思って近づくと凹凸がある。触ってみると塗料の質感。描いたんだ。
景観配慮型のガードレールが茶色くなっているのはたまにみるが、ここまで手がこんでいるのは初めてみた。
この東屋(あずまや)もすごい。擬木と木がコラボレーションしている。
東屋じたいはおそらくモルタル造形の擬木。そこに明らかに質感の違う、枯れた木が絡みついている。
木だと思ってるほうも実は手作りだったりするのかと疑心暗鬼になる。だとすると枝っぷりのディテールがすごすぎる。これをつくった左官は誰なのか。
いっぽう、唐突なこんなのもある。
木に似せていることはわかるが、そもそもこれはなんなのだろうか。
あっ、なるほど・・シャワーか。
ここは天橋立の砂州だ。海で遊んだりした観光客が体を洗うのだろう。