玄米をはじめて食べる
それでは、朝ご飯に炊きたての玄米を食べてみよう。
たぶん生まれてから一度も食べたことがないが、ボソボソしてマズイというイメージだけはある。
……うまくは、ない!
米が穀物であることを思い出させるような食感、におい。白米が娯楽の食だとすれば玄米は生活の食。もごもごして喉に引っかかるので、ちゃんと噛まないと飲み込めない。皮が歯間につまる。
玄米は圧倒的に地に足のついた食べ物。だが、それがいい。
うまくはないが、日常の食べ物が必ずしもうまくある必要はないのだ。たぶん宮沢賢治が言いたいのはそういうことで、通じあえた喜びにしょっぱなから泣きそうです。
玄米を3食食べる
おにぎりと味噌と野菜を保冷バッグに入れて出社した。
朝昼晩の三食で4合もの米を食べるのはしんどそうなので、合間合間の休憩時間を利用して減らしていく作戦である。
玄米と比較して味噌は娯楽的ともいえる塩味と甘みがある。うまい。うまいが、日常と地続きのうまさなので感動はしない。その代わりに生活をしているという実感はある。食事に感動は要らないのかもしれないと思う。
玄米の咀嚼に顎の筋肉と時間を使うので、野菜に構うのが少し面倒くさい。むしろ玄米を食べすすめる推進力になると思っていたので意外である。野菜は別になくていいかも。
生で食べるピーマンは種に辛味があっておいしかった。ぜったい捨てずに食べたほうがいい。
玄米はうまいわけじゃないので、その分飽きがこずにバクバク食べられる。白米と比べて食後の血糖値上昇もゆるやかなので、身体的にも精神的にも一定な状態がつづく。
朝から夕方までの間に玄米おにぎりを5個食べた。残りは6個、2合ぶんくらいだろうか。ぜんぜんいけそうだ。いけそうですよ。賢治さん。
夜、玄米に飽きていた
退社したあとは職場の面々とテニスをした。テニスは玄米食より遥かにおもしろい。
2時間ぶっ続けで動いて帰ってきた。ビールでも飲んで意識を飛ばしたいところだが、今から玄米おにぎりを6個食べなければならない。テニスで感情の起伏を取り戻したのでなおのことつらく感じる。
味噌だけで玄米2合はしんどい。もっと計画的に食べていればよかった。
玄米をチンしたあと丼に盛って、現実に向き合うのがつらくて一旦寝ることにした。完食のプレッシャーを感じてよく眠れなかった。
動いてお腹は空いているはずなのに箸が進まない。
む、むりだ。すみません。ここからは「味噌=好きな調味料」という解釈でいかせてください。
玄米が咀嚼を要求してくるので、食べるのがしんどくなってきた。あと絶望的にマヨネーズと合わない。僕も4合の米を食べられない側の人間なのかしら。
調味料の力で米を半分くらい減らして(1合分!)、また寝た。玄米は現実の象徴なので、目を背けるためには夢の世界に逃げ込むしかないのである。

