特集 2024年3月27日

お冷研究家に「お冷」のことをたっぷり聞く

外でご飯を食べようと、飲食店に入る。席に着き、お冷が運ばれてきて、注文をする。

ちょっと待って。その「お冷」、どんなグラスにどんな氷で提供されているだろうか。

普段、当たり前のようにサービスされているお冷。でも、その「お冷」にはさまざまな“おもてなし”が詰まっているという。10年ほど飲食店のお冷を収集している「お冷研究家」に、その極意を聞きました。
 

1975年宮城県生まれ。元SEでフリーライターというインドア経歴だが、人前でしゃべる場面で緊張しない生態を持つ。主な賞罰はケータイ大喜利レジェンド。路線図が好き。(動画インタビュー)

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「今の見ました!?」

「お冷研究家」を名乗るのは、ライターのつるたちかこさん。

飲食店や喫茶店のお冷を撮りためており、その数は1000杯近くにもなるという。その一部はInstagramにもアップされている。

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スクロールしてもスクロールしてもお冷が出てくる、つるたさんのインスタ

つるたさんとはイベントでご一緒したことがあって、雑談の中で「お冷を研究している」と聞いたのだけど、そのときは「お冷を……研究……?」と、オウム返しをするに留まったのだった。

だってお冷ってお冷でしょう? 水の入ったグラスでしょう? と不思議だったのだけど、つるたさんのインスタを見て納得した。確かにお店によっていろいろ違う。グラスとか氷とか。緑茶もあるな。

これはもう、ちゃんと本人から話を聞こう。

というわけで、つるたさんが「オススメのお冷」と語るコメダ珈琲で待ち合わせ。席に案内され、それではお話を……と思ったら、つるたさんが「今の見ました!?」と興奮しているではないか。

つるたさん さっきの店員さん、わざわざグラスのロゴをこっちに向けて置いてくれたんですよ! 他のコメダ珈琲では見たことないです。いや、めちゃくちゃ嬉しいですねこれは……。

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”お冷研究家”のつるたちかこさん。「写真を撮りたいので、ちょっと待ってください!」。どうぞどうぞ!

正直に言うと、このときグラスの向きどころか、お冷が運ばれてきたことすら、あまり意識になかった。つるたさんに言われて「えっ!」ってなったくらい。

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上の写真を拡大すると、確かにロゴが客側に向けて置かれている。

当たり前にそこにあるお冷。でも、つるたさんには「お冷」が見えている。つるたさんにしか見えていない景色があるということだ。

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100を越えたところで「これはヤバい」

つるたさんがお冷を集め始めたのは2015年のこと。有楽町にあるスープカレーのお店で、レモンが入ったお冷が出てきた。

つるたさん すごく美味しくて。「これ集めよう」と思ったんです。お冷って、お店にとって最初のおもてなしじゃないですか。東京オリンピックを誘致したときの「お・も・て・な・し」も頭にあったので、お冷から日本のおもてなし文化を発信したらいいんじゃないかって。

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「これがそのときのお冷です!」

お冷研究家の歴史はここから始まった。

とはいえ、最初はちょっとしたウケ狙いで、「#お冷研究家」というタグも冗談でつけたそう。

ところが、お冷の数が100を越えたあたりで、つるたさんの心境に変化が生まれ始める。

つるたさん 集めていくうちに、だんだん収拾がつかなくなってきて……。「これちゃんとやろう」と、お冷だけのインスタにしたんです。

カフェチェーンひとつとってもお冷の形は全然違うと、つるたさんは言う。

たとえば、ルノアールや椿屋珈琲店は、店員が席までお冷を提供するフルサービス。

ドトールコーヒーやサンマルクカフェは、ピッチャーやウォーターディスペンサーが置かれたセルフサービス。

スターバックスにはお冷そのものがないが、その代わり水がペットボトルで売られている。

さらに、どんなグラスを使うか、どんな氷を入れるか、どんな“おもてなし”をするか……と要素を分類していくと、それこそ収拾がつかなくなってしまうのだ。大変だ……!

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「同じ店でも知らない間にグラスや中身が変わってることもあるから、チェックするの大変なんですよ~」と、つるたさん。店頭に「お冷変わりました」って出してくれないですもんね。
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お冷を見るだけで、すかいらーくグループが分かる

じゃぁここ、コメダ珈琲のお冷はどうなっているかというと、「フルサービス」で「ロゴ入りのガラスのグラス」で「クラッシュ氷」である。

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おじさんのロゴでおなじみコメダ珈琲のお冷グラス。

つるたさんによると、喫茶店ではブロック氷が使われることが多いそう。「ブロック氷は溶けにくいので『どうぞ長居してください』というアピールにつながると思うんですね」という。

一方、コメダ珈琲は溶けるのが早いクラッシュ氷。でもつるたさんは、そこにコメダ珈琲ならではの“おもてなし”を感じ取る。

つるたさん クラッシュ氷は溶けやすいんですが、水が早く冷えます。さらにコメダ珈琲は、頻繁に店員さんが注ぎに来てくれるので、冷たい水をずっと保てるんですよ。

これは完全に私の考察なんですが……コメダ珈琲がクラッシュ氷なのは「いつでも注ぎに行きますよ」という、ある種のメッセージなのではないかと……(笑)。

一方、ラーメン屋や立ち食い蕎麦は「セルフ」で「プラコップ」で「氷なしorクラッシュ」だったりする。

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こういう感じでカウンターにピッチャーが置いてあったりしますよね(大阪の油そば屋で撮影)

店内が狭いので店員が注いで回るのは大変だし、コップは縦に積めるプラがいい。これも、つるたさんに言わせると「好きなだけ冷たい水を飲んでくださいね」という“おもてなし”の形になる。

そしてグラス。コメダ珈琲のようなロゴ入りグラスは、製造元のロット数が決まっているので、ある程度数がないと作れない。おもてなしの心と、チェーン店の資本力があってこそなせるものである。

つるたさん 意外と知らない方が多いんですけど、すかいらーくグループの店舗は、コカコーラのロゴ入りグラスを使いがちなんですよ。ジョナサンもバーミヤンもガストもそうですね。

ジョナサンのお冷グラスと……

 バーミヤンのお冷グラス。一緒なの全然気が付かなかった!

つるたさん ただ、同じすかいらーくグループでも、ハワイアンダイニングの「La Ohana」は丸みを帯びた違うグラスだったんですよね。お店のコンセプトによって、グラスをちゃんと選んでいるってことだと思います。

 La Ohanaのお冷グラス。ハワイだからコカコーラも似合いそうだけど違うグラス。

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僕も気になって確認したんですが、すかいらーくグループの「むさしの森珈琲」もLa Ohanaと同じグラス&氷でした。「あっ」って声が出た。
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つるたさんの「お冷の定義」

そういえば、つるたさんのインスタには「緑茶」や「ほうじ茶」の写真もある。お冷研究家としては、お茶でもいいんですか……?

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つるたさん「お茶でもいいんです。今日はちゃんと定義を書いてきました」。前のめりで取材に臨んでいただきありがたい……!
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というわけで、つるたさんの「お冷の定義」がこちら。

緑茶でもほうじ茶でも蕎麦茶でもルイボスティーでも、お店に入って最初に出てくるサービス品であり、おかわりができるものなら「お冷」という整理である。

もともと“おもてなし”に着目して始めたことなので、温かろうが冷たかろうが関係ないのだ。

逆に、居酒屋のお通し(サービス品ではない)や、ルノアールのお茶(あとから出てくる)は「お冷」ではない。なるほど。

つるたさん 石川県に旅行したとき、洋食屋さんに入ったらセルフのお冷が加賀棒茶だったことがありますよ。ちゃんとしたブランドのお茶なのに飲み放題なんだ!って感激しました。岩手県のお蕎麦屋さんではお冷が井戸水だったことも。お蕎麦も美味しかったですね……。

金沢で遭遇したという加賀棒茶のお冷。セルフで飲み放題。

岩手で出会った地下水のお冷は、宮澤賢治も飲んだという「賢治清水」だそう。そんなスゴい水がお冷に!

つるたさんは「お冷が美味しいお店は料理も美味しい」という持論を持っている。確かに、お冷にこだわるお店なら、料理までそのこだわりが行き届いていそう。

逆に、料理が美味しいのにグラスが臭かったりするともったいない。ポテンシャルがあるのにファーストインパクトが最悪である。イケメンなのに鼻毛が出ている感じだ。

では、つるたさんにとって「お気に入りのお冷を出す店」ってどこですか?

つるたさん 有楽町に十一房珈琲という喫茶店があって、そこは夏場だとグラスをキンキンに冷やしておいて、そこにお冷を注いでくれるんですよ。ビールでやることじゃないですか(笑)。サービスにそこまでしてくれるのって、すごいですよね。

十一房珈琲のお冷。この日は取材場所が有楽町だったため、つるたさんは「念のため」と取材前に十一房珈琲のお冷を確認してきたとのこと……! さすがに冬場はグラスを冷やしていなかったそうです。

つるたさん あと個人的に好きなのは「餃子の王将」ですね。YAZAWAのような、AC/DCのような感じで「OHSHO」ってロゴが入ってる。

ロゴがかっこいい!Tシャツにしたい、と思ったら3年前にJOURNAL STANDARDのコラボで既に実現していたらしい。

ただ、王将のお冷は店舗によって違いがあるのだという。そうなんですか!?

つるたさん フランチャイズだからか、お店によっては中身がお茶だったり、普通のグラスだったりすることがあるんです。「OHSHO」は当たり前じゃないんですよ……! こういう驚きを提供してくれるのも魅力なんですよね。

ラーメン屋の天下一品でも、「お冷が真水のみ店」と「最初に提供されるお冷は真水で、テーブルに置いてあるピッチャーはレモン入りお冷の店」という差分があったらしい。王将現象がここにも。

一方で個人店では、お冷へのこだわりを好きなだけ爆発させている店もある。

つるたさん たまたま入った銀座の喫茶店が、オリジナルのお冷グラスを作っていたことがあります。ふちを楕円にして飲み口を大きくしたり、指がすべらないようくぼみがついていたり、すごくこだわってて。販売もしていたので買っちゃいました(笑)

神保町に本店を置く壹眞珈琲店、そのこだわりのオリジナルお冷グラス。 側面が丸くくぼんでいる。

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知ってほしいけど知られたくない

つるたさんがお冷を集め始めたのが2015年なので、まもなく10周年である。近ごろ、満を持してお冷のZINEを作ったそう。

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関係者へのインタビューや、約130名から回答を得た「お冷アンケート」などを収録。

コロナ禍を経て、「今のお冷文化を記録しなくては」という思いが高まったのだと、つるたさんは話す。

つるやさん 最近、お冷がどんどんセルフになっていることに気がついたんです。私の中ではセルフでもフルサービスでも同じ「お冷」なんですけど、フルサービスという文化がなくなってしまうのはやっぱり寂しくて。

コロナ禍で密を接触を避けたり、経費を削減したりで、お冷に「セルフ化の波」が来ているのだそうだ。

仕方ないことだけど、かつてあった“おもてなし”がなくなると考えるとさみしい。 

そしてもうひとつ、つるたさんを戦々恐々とさせた出来事が……

つるたさん 迷惑YouTuberが醤油差しを舐めて炎上したじゃないですか。お冷のピッチャーに醤油を入れられたらと思うと、もう怖くて……。

ぞっとする光景である。そんなことされたらお冷自体なくなっちゃうかもしれない。いやだなぁ。

ここで一旦、水面が美しいボートレース大村のお冷をご覧ください。 

つるたさんの話を聞いていると、「お冷」という存在が当たり前ではないのだと改めて感じる。

そもそも、安価で安全な水が潤沢にあるから、お冷がサービスとして成り立っているのだ。環境問題や水道民営化だって関わってくるぞ。

これはひとつの文化の危機ではないですか。しっかり保護していかないといけませんね!と、鼻息荒く反応していたところ、「確かに皆さんに知ってほしい気持ちはあるんですけど……」と、つるたさんが急にトーンダウンした。なんですか。声高く訴えていきましょうよ。

つるたさん いや……。お冷について知られることで、お店側に「こういうお冷がいいんですね」って対応されるのはちょっと嫌なんですよ……(笑)。お冷は多様であってほしいから、意図的にお冷に手を加えられたくなくて……。

レモン入りのお冷が好まれるからといって、すべての店舗がレモン入りのお冷になっちゃうのは本望ではないのだ。

グラスのロゴをこっちに向けて置かれるのは嬉しいけど、みんな真似しなくたっていい。みんなそれぞれのやり方があるから……。

一言で言うと「気にしないで!」である。

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「知られたいけど知られたくないんですよ……!」と、己が生み出したジレンマに苦しむつるたさん

お冷研究家として活動するほど事象が変わっちゃうかもしれないジレンマ。シュレディンガーのお冷状態である。あれだけお冷の写真を撮っているのに「お店に感づかれたくない」というし、どうしたらいいのか。

そういうわけで、この記事を読んでいるお店側の方々は、明日からも気にせず今のままのお冷を続けていただけますと幸いです。

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先生、夜鳴きそばはお冷に入りますか?

ここまでつるたさんの話を聞いて、すっかりお冷を見る目が変わってしまった。「お冷アイ」がインストールされたと言ってもいいだろう。今度から飲食店に入ったらお冷を見ちゃうなぁ。

しかしここで、つるたさんから「お冷」の概念を揺るがしかねない発言が飛び出す。

つるたさん 「どこまでお冷にするか」という問題がちょっとありまして……。私はドーミーインの夜鳴きそばが好きなんですけど、あれも「お冷」だと思うんですよ。

説明しよう。「ドーミーインの夜鳴きそば」とは、ビジネスホテル「ドーミーイン」の宿泊客向けサービスのひとつであり、夜21:30からレストランで「夜鳴きそば」という醤油ラーメンが無料で振る舞われるというものである。

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ドーミーインの「夜鳴きそば」(「ドーミーインの無料「夜鳴きそば」開発秘話」より)

いやいや、さすがにそれはお冷じゃないでしょう。

夜鳴きそばですよ。ラーメンですよ。さっきお冷の定義だってちゃんと決めていたじゃないですか。もう1回見てみましょうよ。

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ほら、この4つの条件に……。あれ? 「飲料であること」とは書いてないな……。

つるたさん 夜鳴きそばは無料の「サービス品」ですし、「おかわり」が自由なんですよ。もちろんドーミーインの「おもてなし」じゃないですか。あとは、21:30にチェックインして、部屋に荷物をおき、レストランに直行して「最初」に口にすれば……。

最後の条件だけ法の抜け穴みたいになっているが、いちおう「お冷」の定義に含まれることになる。冷たいお水じゃなくて、あったかいラーメンだけど。

つるたさん これを認めると、「お冷」の概念が格段に広がるんですよ。最近は、サウナやマッサージでもお水を振る舞うお店もありますし……。どこまで広げていくかは今後の課題ですね。

「お冷」とは“おもてなし”の気持ちであり、その気持ちをいただくもの。

そう考えれば、水でもお茶でもラーメンでも、それは「お冷」と呼んでいい……のかもしれない。


お冷の起源がわからない

お冷研究家として活動するつるたさんであるが、現在困っているのが「お冷の起源」がわからないことだという。

つるたさん「誰が最初にお冷を始めたのか知りたいんです。民族博物館とか、老舗のお茶屋さんとか、お冷のグラスを作るメーカーなどに問い合わせたんですけど、有力な情報を得られなくて……」

海外はお冷を出すところと出さないところがあるけど、日本はもうお冷があることが当たり前になっている。それって誰が初めて、どう広まっていったのか……? 謎は深まるばかり。

ご存じの方は、ぜひつるたさんに教えてあげてください。くれぐれもお店側に悟られないように、こっそりお願いします。

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取材から数日後、別のコメダ珈琲で仕事をしていたら「お冷変えますね」と2杯目のお冷が運ばれてきて……って、これブロック氷じゃないですか! 1杯目はクラッシュ氷だったのに、そういうパターンもあるのか……。お冷の道は深い……。


取材協力:つるたちかこさん

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