もっと気軽にケーキを送り合う世になればいい
バレンタインデーにチョコレートを送ったり、節分に恵方巻を食べる風習はそれほど古いものではない。誰かがやり始めたことをなんとなくみんなが真似して、そうして広まっていったものだ。
つまり、風習は作っていいものなのだ。
耳無芳一みたいに文字ばっかりの詫びケーキ、どうでしょうか?
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ケーキの上にメッセージの書かれたプレートがのっていることがある。
バースデーケーキで使われることが多いけれど、もっといろいろなメッセージをケーキにこめていいのではないだろうか。
そのためには、プレートを大きくして複雑な長いメッセージを書けるようにする必要があるだろう。
ケーキの上に好き勝手書き散らしてやろうというアイデアには前例がある。過去をさかのぼればデイリーポータルZライターのべつやくさんや藤原さんが挑戦しているのだ。
今回は少し趣向を変えて、チョコプレートという限られたスペースに可能な限りの文字を詰め込んでやろうと思う。
手始めに近所のスーパーでチョコプレートとチョコペンを買ってきた。
売り場にあったチョコプレートは2種類、その両方に「Happy Birthday」と印字されていた(片方は版権物のキャラクターがついていたので買うのはやめた)
やはり、チョコプレートといえばバースデーケーキなのだ。誰かを祝おうとする人が買うべきものなのだ。
レジに持っていくのがなんだか後ろめたい気分になった。
チョコプレートは一番上に「Happy Birthday」の文字が入り、その下にウサギとライオン、さらに(たぶん)リンゴの絵が配されている。
目を離したらライオンがウサギを食ってしまいそうだと思った。いや、ライオンだけではない。ウサギだってリンゴを食うし、ライオンはいずれ土に戻ってリンゴの木の養分になる。誕生日のプレート上で食物連鎖を暗示するとは、なかなかやるな。
ところでこれ、この大きさだと名前の長い人はうまく書けないんじゃないだろうか?
たとえば
愛称ドルジ。元横綱・朝青龍の名前である。
これを書いたのは9月27日だったのだが、誕生日が9月27日の有名人をウィキペディアで調べたら一番名前が長くて、なおかつテレビで見たことのある人物だったので書かせてもらった。
誕生日おめでとうございます。
一応板の中に名前がおさまったとはいえ、尻すぼみになってしまいごめんなさい。
探せば業務用の大きなチョコプレートもあるのだろうが、裏側からみない限りほとんど変わらないので今回はこれを使う。
チョコプレートのプレートは板のことなので、チョコプレートと板チョコの意味するところは本来まったく同じなはずなのだが、実際には両者は区別されている。
言葉って面白いものだ。
久々に買った板チョコは、以前より少し小さくなった気がし手少し寂しかった。それでも、「Happy Birthday」のチョコプレートに比べれば格段に自由度が高くなったことは間違いない。
さっそく書いてみよう。
とりあえず長い人命といえばこれだろう。
漢字で書こうとしたら、四苦八苦した挙句茶色いシミが出来上がったので全て平仮名だ。
書き上がったチョコプレートをケーキにのせてみよう。
イチゴは売っていなかった。少し華やかさに欠けるけれど、このあと特大のチョコプレートをのせるのだからむしろ空きスペースは多い方がいいだろう。
やはり素のケーキに小さなチョコをのせただけだと少し寂しい。
箱を開けてこれが出てきたら「イチゴを盗み食いした人がいるのかな?」といぶかしんでしまうに違いない。
それと、会ったこともない人のバースデーケーキが部屋にあるというのは不思議な気分だ。
一方、こちらはそもそも実在しない人のバースデーケーキだ。
この文字の多さといったらどうだろう!もう寂しいなどとは言わせない。いや、アンバランスなメッセージの重さにクラクラするくらいだ。自宅の前に長文の書かれた看板を掲げた民家に遭遇した時のように、心がざわついた。
ともあれ、これで寿限無の落語に誕生会のシーンが追加されても大丈夫。ただ、バースデーソングを歌い終わる前にローソクが燃え尽きて困惑した空気が流れるだろうけれど。
チョコプレートに長文が書けるようになったところでバースデーケーキ以外の用途を考えてみよう。
どうせならケーキにのせる利点を活かせるものがいい。
名刺なんてどうだろう?自分のプロフィールをケーキに託して渡せば初回のインパクトは抜群、相手の記憶に焼きつけられること間違いなしだ。
思えば、住所や名前以外の文字を手書きする機会がめっきり少なくなったような気がする。
作ってから気が付いたのだが、名刺(プロフィール)ケーキにはたいへんな欠点があった。
ケーキは、食べたらなくなってしまうのだ。
初回のインパクトがいくら強くても、後から見返すことができなければ名刺としては役立たずだ。
ひととおり読み終わったらなくなっても構わない文書で、なにかケーキにのせるのがふさわしいものはないだろうか?
謝罪にはお詫びの品がつきもの。
相手への誠意を示すための贈り物に、謝罪のメッセージそのものを抱き合わせようという寸法である。
謝罪メッセージを直にのせた甘い詫びケーキを貰えば、相手の怒りも自然と鎮まろうというものだ。
そしてそして、名刺では短所だった「食べたらなくなる」というところが謝罪文では「水に流す」に通じるところも良い。
早速、詫びケーキを作っていこう。
これは自分で自分に詫びているわけだから許すとかそういう問題ではないのだろうが、仮に同居人が些細なミスを詫びるために謝罪文入りのケーキを差し入れてきたら、一瞬で水に流すだろう。
何なら、ケーキをもらうためにまたミスをしてくれないかと期待してしまうくらいだ。それくらいの力がケーキにはあるんである。
どっちもやるべきことを忘れてほったらかしていたタイプの失敗談であることはご愛嬌。
これを書いてひと段落した後、オーブンレンジを開けたら3日前にトーストしてそのまま忘れたパンが出てきた。
詫びケーキはこのあと切り分けて2日かけて食べきった。
チョコレートが多すぎて若干胃がもたれたが、やはり甘いものをたっぷりと食べて幸せな気分になり、ケーキに何と書かれていたかは忘れてしまった。
糖分は人の思考力を奪うのだなと思った。
バレンタインデーにチョコレートを送ったり、節分に恵方巻を食べる風習はそれほど古いものではない。誰かがやり始めたことをなんとなくみんなが真似して、そうして広まっていったものだ。
つまり、風習は作っていいものなのだ。
耳無芳一みたいに文字ばっかりの詫びケーキ、どうでしょうか?
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