自動車専用の高架道路「土浦ニューウェイ」
「未来都市のイメージ」としてまず浮かぶのが、曲線を多用した変な形のビルと、高架道路ではないだろうか。
さすがに、こんなに入り組んだ高架道路はなかなか実在しないけれども、それに近いのは東京やら大阪といった大都市に行けばいくつかみることができる。
現在、こういった都市を貫くように走る高架道路が存在するのはかなりの規模の大都市に限られ、地方都市で高架道路を見かけることはなかなかない。
が、しかし、茨城県の土浦市には「土浦ニューウェイ」と呼ばれる自動車専用の高架道路が街の中を貫いて走っているという。
まずはその様子を見てほしい。
土浦ニューウェイは、1985(昭和60)年3月に開通した、自動車専用の高架道路で、土浦駅東口と、学園大橋までの約3キロを結んでいる。
土浦駅周辺の高層建築が建ち並ぶエリアを走るのは全体の3分の1ほどで、それ以外は土浦の住宅街を見下ろすように走る真っ直ぐな高架道路となっている。
せっかくなので、レンタカーを借りて、実際に高架道路を走ってみた。
入口から出口まで3キロ、およそ4分ほどで完走できるが、確かに駅周辺をぐるっと通過するあたりでは、首都高のような風景がちょっとだけ見られる。
土浦の市街地にスーッと伸びる高架道路は、建設からすでに40年ちかく経過しており、もはやある種の枯淡とした趣もある。
都市の景色にこういった表現が合うのかどうかわからないけれど「いぶし銀」の都市景観といっていいかもしれない。
土浦ニューウェイにあるバス停留所
土浦ニューウェイは、自動車専用道となっており、歩行者、自転車、すべての二輪車は通行ができない。
歩行者がニューウェイ内に入ることができるのは、ニューウェイ内に設けられた川口町、桜町四丁目、田中町の三箇所のバス停留所のみとなっている。
土浦ニューウェイを使って運行しているバス路線はいくつかあるが、いずれも非常に本数が少なく、平日1便とか、夕方に3便といった、免許維持路線なみの運行頻度になっており、普段この停留所はほぼ使われていないのだろう。
ただ、この土浦ニューウェイの下にある道路にもバス停留所とバス路線はあり、そちらの方は1時間に3本というかなりの高頻度でバスが運行されている。
ニューウェイを通行するバスは数が少なくなっているものの、土浦市内を走るバスは普通に本数が多い。
これは、停車できるバス停が限定されるニューウェイはバス路線として使いにくいという理由があるかもしれない。
土浦ニューウェイ横の「モール505」
土浦駅の西側に伸びる土浦ニューウェイのすぐ脇に「モール505」というショッピングモールがあるが、このモール505の景観もなかなか「いぶし銀」の見ごたえがあるショッピングモールとなっている。
モール505も1985(昭和60)年3月2日、土浦ニューウェイの開通に合わせて開業したショッピングモールで、高架道路に沿う形で東西に505メートルある三階建の施設だ。
モール505は3階あるうちの2階、3階部分はほとんどシャッターの閉まった仕舞屋(しもたや)となっているが、1階部分には、美容院、フラワーショップ、観光案内所、カフェ、ベトナム料理店などが入っている。
モール505の横の高架下は遊歩道となっており、噴水的なものや野外ステージなどが整備されている。
モール505は、高架道路や三階建の細長いショッピングモールなど、他にはないユニークな建築物の見ごたえはなかなかのものがある。
夜に行くとかっこいい
土浦ニューウェイも、モール505も、夜に行くとそれはそれでちょっとかっこいい感じになっている。
土浦ニューウェイとモール505、率直に言ってかなりおもしろい景観だと思う。
純粋に「高架道路とモール505の建物を見る」という目的で来ても十分楽しめる施設ではないかと思うがどうだろうか。
新交通システムを構想していた
土浦ニューウェイとモール505が完成した1985年3月といえば、土浦のすぐ近くのつくば市(当時は谷田部町)で、つくば博が開かれた年だ。
3月17日に万博が開幕すると、2週間ほど前に完成したばかりの土浦ニューウェイを、土浦駅と万博会場を結ぶシャトルバスが行き交った。
土浦ニューウェイが完成した1985年3月2日の『常陽新聞』をみてみる。
「待望の土浦高架橋が完成」の記事によると、土浦ニューウェイは、茨城県と土浦市が昭和58年から工事を進め、昭和60年の3月2日に完成している。その期間なんとわずか2年足らず。たった3キロほどの高架道路とはいえ、これほどの短期間で完成させるとは、ものすごいパワーを感じてしまう。
同じ日の別ページには完成当時の空撮写真が掲載されている。
「受け入れ体制整った土浦市」の記事を読むと、土浦市はもともと桜村(現在のつくば市)から土浦までを結ぶ新交通システム(ゆりかもめや舎人ライナーのような交通機関)を導入しようと目論んでいたようだが、当時の人口集積では新交通システムの経営が成り立たないと県が判断し、その計画は流れたとある。
「土浦ニューウェイは、新交通システム用の高架を道路用に転用した」と言われることもあるが、それは正確ではなく、土浦ニューウェイは当初から道路用の高架として設計され建設された。
ただ、将来的に新交通システムが作られるということになれば、その高架を新交通システム用に転用できるよう配慮して作られたようだ。
現在、誰も使ってないのでは? と思われる土浦ニューウェイの三箇所のバス停留所は、新交通システムを導入した場合の駅にするつもりだった所だと思われる。
箱根宏土浦市長(当時)は「(新交通システムは)研究学園都市(現在のつくば市)との一体化を目指す上では、是非必要な交通機関」であるとし「事業主体さえ形成できれば新交通システムは現実のものとなると、今でも意欲を燃やして」いた。
万博終了後、箱根氏は市長に三選されるものの1987(昭和62)年、在任中に死去する。
その後、バブル崩壊やら失われた20年やらで、なんやかんやあり、土浦市とつくば市を結ぶ新交通システムの話は沙汰止みとなっていた。
……のだが、今年(2023年)6月、つくばエクスプレスが、つくば駅から土浦駅まで延伸する方向で検討することが決まった。
(※つくばエクスプレス(TX)県内延伸に係る方面決定について)
さすがに、土浦ニューウェイの上に、つくばエクスプレスを走らせるのは無理だろうが、土浦市長が40年近く前から構想していた桜村と土浦市を結ぶ交通機関が、将来つくばエクスプレスによって完成するかもしれない。
モール505開業当時の賑わいはいかほどだったのか
モール505開業当時はどれほど賑わったのだろうか。
当時の新聞を見てみると、これがなかなか結構な賑わいがあったようだ。
モール505の完成に合わせて行われたイベントの広告をみると、高架道路下の広場を利用してのイベントが様々に行われたことがわかる。
ポップコーン、わたあめ、風船の無料プレゼントから、カラオケ大会、アマチュアバンドのコンサート、らくがきコーナー、エアロビクス、キン肉マンショーなどは良いとしても、自動車分解コーナーというよくわからないイベントも行われており、地元商店街の力の入れようが伝わってくる。
4日後の6日の紙面にはイベントの様子が写真入りで報告されている。
「エキサイティングニュー土浦」のイベントは大盛況だったようだが、左上の写真のキャプションをみると、モール505のすぐ横に西友があり、そこからの客も多く来ていたとある。
高架道路のすぐ横に完成したモール505は、高架道路の建設に伴い移転した旧祇園町の商店街の店舗が集合し、テナントとして入ったショッピングモールだった。そしてそのすぐ近くには、西友、イトーヨーカドーといった大規模小売店も存在していた。
1985年、隣町の研究学園都市(現つくば市)で科学万博が開催され、町としての開発が進むなか、そこに「クレオ」という大型商業施設が開業した。
それに対抗するため、土浦市内の大規模店とモール505が一体となって行ったイベントが「エキサイティングニュー土浦」だった。
当時、土浦にはイトーヨーカドー、西友の他にも、京成百貨店、丸井、小網屋といった商業施設が存在しており。茨城県南部の中心的な商業都市として賑わっていた。
しかし、上記の大規模小売店は現在、いずれも閉店、撤退しており、残っているショッピングモールはモール505のみとなった。
わびさびを感じさせる土浦ニューウエイとモール505
土浦ニューウエイとモール505があったあたりは、江戸時代は川口川という川であり、土浦の特産だった醤油などを、船で江戸に出荷するための河岸があったという。
そんな川口川は、大正時代から昭和時代にかけて埋め立てられ、高架道路が完成し、自動車が行き交う道となった。
高架道路と同時に完成したショッピングモールは、紆余曲折あり、テナントを減らしつつも、かろうじて建物は残っている。
21世紀もすでに23年経ち、まもなく四半世紀が過ぎようとしている現在おいては、高架道路や三階建のショッピングモールに未来都市のようなきらびやかなイメージはもはやない。
土浦ニューウェイやモール505から感じられるのは、わびさびのような気がする。