特集 2020年9月23日

わらじを履いて箱根の石畳を歩く

昔は誰もが履いていたわらじで、箱根旧街道の石畳を歩いてみました

突然だが「わらじ」を履いたことはあるだろうか。私はない。

明治時代に洋靴が普及するまでは、誰もが身に着けていた日本の伝統的な履物である。現在は名前こそ知っていても、実際に履いたことのある人はごくわずかなのではないだろうか。

そんな折、なぜか自宅でわらじを発見した。せっかくなので、古来から日本人が履き続けてきたわらじとはどのようなものなのか、実際に履いて試してみようと思った。箱根旧街道の石畳で。

1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

前の記事:「オロポ」というサウナドリンクについて考えた

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自宅にあった父親のわらじを貰う

ある日のことである。私は家の空気を入れ替えようと、現在は倉庫として使われている部屋へと立ち入った。そこで、棚の上に見慣れない物体が置いてあることに気が付いたのだ。

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年季の入ったアウトドア用品と一緒に、こんなものが置いてあった
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なんだろうと思って袋から出してみたら……あっ、コレわらじか!

この部屋に置いてあるものの大部分は父親の所持品である。これもまた父親のものなのだろうが、それにしてもイマドキわらじなんて、いったいどこから手に入れてきたのだろう。

不思議に思って聞いてみると、なんでも3年くらい前に沢登り用として買ったものだという。

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私の父はかなりアクティブな人だ(写真は過去記事「津軽弁が分からない」より)

山の沢を遡る「沢登り」では現在もわらじを使うことがあり、神奈川県西部の丹沢山麓にある沢登りの訓練所でわらじを購入することが可能なのだそうだ。

今はもう不要とのことなので、ならばくれと私はこのわらじを譲り受けることにした。古代から近代にいたるまで日本人が連綿と履き続けてきたわらじとは一体どのようなものなのか、実際に体験してみたいと思ったからだ。

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まずはわらじを観察しよう

なんでも、わらじが使われるようになったのは平安時代だそうだ(それ以前の庶民は裸足であったという)。稲作の副産物である稲わらを使って編み込まれたわらじは、長きに渡り人々の足を支えてきた。

私はこれまで民俗資料館とか古民家とかに展示されているわらじを目にしたことはあるが、こうして実際に手に取ってみるのは初めてだ。とりあえず、その構造をじっくり観察してみよう。

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それにしても、コレ、どうやって履くのだろう

改めてまじまじ見ると、なんていうか、実に不思議な形状である。なにも知らない外国人に見せたら、履物だとすら思われないのではないだろうか。

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やたらと長い二本の縄を伸ばしてみると、サンダルっぽい見た目になった
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なるほど、この二手に分かれている部分が草履や下駄の「鼻緒」にあたるのだろう
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となると、反対側のこの部分にかかとがくるのか

よく見ると窪みが作られており、ここにかかとを当ててくれと言わんばかりである。付け根からぴょこんと耳のように飛び出た二つの輪っかは、かかとを左右から覆って固定するためのものだろう。

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両サイドには縄を通す穴が二つずつ設けられている

わらじは長距離移動の際に使われる履物であり、簡単に脱げたりしないよう、がっちり足に固定する機能が求められる。

なので脱ぎ履きしやすい草履や下駄よりもやや複雑な構造ではあるが、足に固定するに十分な機能を備えつつも編み易いよう必要最小限の作りになっているのだろう。

まさに長い年月を経て洗練され尽くした、稲作文化における履物の完成型なのである。

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わらじを履いてみよう

それでは実際にわらじを装着してみたいところであるが、やはりその履き方が分からない。特に長く伸びた縄をどう扱えば良いのかサッパリである。

幸いにも現在はYoutube等にわらじの履き方の動画がたくさん投稿されている。私はそれらを手当たり次第にあさり、履き方を学んだ。

どうやら形状の差異や縄の長さ等の条件によって履き方が微妙に異なるようではあるが、いくつかの方法を試してみて、一番良さそうなやり方で履いてみることにした。

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素足は色々と見苦しいので、足の保護も兼ねて軍足を履かせて頂きます
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まずは草履と同じ要領で、親指と人差し指の間に鼻緒を掛ける
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かかとの輪っかに通した縄を、足首の前に持ってきてクロスさせる
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続いて縄を両サイドの穴と穴の間に通す
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後ろにもっていってクロスさせ、ぎゅっと締めてかかとを固定する
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前で結んで出来上がり。思いのほか簡単に履けるものである
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わらじが足にしっかり固定され、いくら振り回しても脱げることはない
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底はこんな感じ。指ははみ出るのが仕様である
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それにしても、わら屑が凄まじい。少し試行錯誤しただけでこれである
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わらじで近所を歩いてみる

なんとかわらじを履くことができたので、試しに外を歩いてみることにした。とりあえず、これで土を踏み締めてみたくなったのだ。

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というワケで、近所の公園に来ました
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しばらくの間、芝生の上をうろうろして歩き心地を確かめる

うむむ、薄々分かっていたことではあるが、鼻緒が指の間に食い込んで痛い。でも、まぁ、これは慣れだろう。

子供のころ、下ろしたてのビーチサンダルを履いた直後は指の皮が剥けたりして痛かったが、夏の終わりにはすっかり気にならなくなっていた。これもまたそんな感じで履いているうちに慣れるのだと思う。

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ちょっとした起伏を登ってみる。うん、なかなか良い感じだ

わらじは足の裏に合わせて形が変わり、また弾力があまりないのでダイレクトに土を踏んでいるような感触がする。クッション性のないサンダルに近い感じだろうか。

しかしサンダルと違って足に密着しているので、しっかり踏み込むことができ、安定感がある。想像していたよりも、ずっと歩きやすい印象だ。

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では、砂利道ではどうだろう
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これもまた問題なさそう……と思いきや!

しばらくは普通に歩けていたのだが、突然、かかとの下にガリっとした痛みが走り、「あいてっ!」 と声に出してしまった。やや大き目の石が、かかとに食い込んだのである。

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こういう石が意外と厄介だ

粒の小さな砂利ならば問題ないのだが、このくらいの大きさの石になると、稲わらを押し上げて足裏に食い込んでくるのである。それも体重が乗るかかとの部分で踏んでしまうと強烈な痛さだ。どうやら砂利道はわらじで歩くのにあまり適していないらしい。

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畑の中を通る土の道はどうだろう
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おぉ、全然滑らない、頼もしいグリップ感だ

靴でもズルっと滑りやすい関東ローム層の土壌であるが、わらじは安定感が物凄く、まったくもって滑らない。足とわらじが密着し、わらじと土もまた密着している感触だ。

稲わらで編まれたわらじは、要するに繊維の束である。それらの繊維の一本一本が土をがっしり掴んでいるのだろう。

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お次は現代の道の代表格、アスファルト舗装路である

やはり舗装路となると、地面の固さが気になってくる。クッション性に乏しいわらじでは踏み締める度にズンとした衝撃が足の裏にあり、長距離歩くことは厳しいだろう。

またアスファルトは摩擦力が強いので、わらじの底が擦り切れやすいという難点もある。わらじからはみ出た足の指が、アスファルトにこすれるのも問題だ。舗装路はわらじで歩くのに向いていない。

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飛脚をまねて走ってみたりもしたが、ダイレクトな衝撃ですぐに膝を壊しそうだった

……とまぁ、わらじを履いて近所をうろうろしてみたのだが、いずれの道も現代に作られたものであり、実際にわらじを履いて生活をしていた人々の追体験ができているとはいい難いだろう。

それではどうするべきか。誰もがわらじを履いていたその当時に築かれた道、すなわち江戸時代の古道を歩くのである。

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箱根旧街道の石畳をわらじで歩く

というワケで、私は江戸時代から残る道を求めて箱根へと赴いた。神奈川県から静岡県へと抜ける箱根はかつての国境に位置しており、江戸時代には東海道の要衝として関所が置かれていた。

東海道の宿場である小田原宿から箱根宿を経て三原宿へと至るそのルートは箱根八里と称され、現在もこの区間には江戸時代に整備された石畳が部分的に残っている。そこをわらじで歩くことで、江戸時代の人々の追体験をしようという試みだ。

とはいえ、履き慣れていないわらじで箱根八里の全区間を歩き通すのはさすがに厳しいので、スタートは小田原宿と箱根宿の中間地点である「畑宿」、ゴールは「箱根関所」の約5kmを歩くことにした。

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スタート地点の「畑宿(はたじゅく)」にやってきた
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集落を出た所には一里塚(今でいうキロポスト)があり、そこから石畳が始まる
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実に良い感じの、風情がただよう古道である

早速わらじを履いて石畳の道を歩き始めたのだが、その瞬間、なぜ現在もわらじが沢登りで使い続けられているのか理解できた。苔むした石の上に足を置いても、まったくもって滑らないのである。

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苔むした石畳であっても、ビックリするほど滑らず、歩くことができる
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思っていたより険しい坂道であるが、すいすい上ることができた
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なるほど! これがわらじを履くメリットなのか!

これまでの私は、苔むした石畳は歩きにくいというイメージがあった。確かに普通の靴ならはズルっと滑りやすく、かなり気を遣って歩みを進める必要がある。しかしながら、わらじであれば苔むした石畳でも滑りにくく、むしろ歩きやすい道だといえるのだ。

石畳は雨が降っても道が崩れないようにする土留めや、水はけの悪い箇所の排水のために築かれるものだと心得ていたのだが、それだけではなく、わらじで歩きやすい道に改良する効果もあったのだ。石畳というのは、誰もがわらじを履いていた頃にはメリットしかない舗装の手段だったのである。これは目から鱗であった。

さてはて、やや興奮気味に石畳を進んで行ったものの、箱根旧街道は近代以降の道路建設によって寸断されている箇所も少なくない。

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旧街道が失われている区間では、代わりに歩道が設けられている

この歩道の坂道で、わらじならではの問題が頭をもたげてきた。長い上り坂を歩いていると、徐々に足首が締められてくるのである。

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足首の部分がぎゅうぎゅうに締まって少し痛い
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一方、鼻緒は緩くなり、指の間に隙間ができていた

これはどういうことかというと、だらだらと長く続く上り坂を歩き続けているうちにかかとが後ろへ下がり、それによって足首の縄が引っ張られ、締め付けられているのである。

石畳を歩くときは比較的水平の部分を選んで足を置くことが多く、かかとがズレることも少なかった。均一な傾斜が長く続く、舗装路ならではの問題である。このような点でも、やはりわらじは舗装路を歩くのに適していないのだ。

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長い坂道の先には階段が待ち構えていた
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斜面ではなく水平なので坂道よりはマシであるが、やはり石畳の方が良い
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階段を上り切ると 再び石畳の道になり、思わずニンマリである
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うん、やっぱりわらじだと石畳の方が歩きやすい

ここで、ふと、なんでわらじだと石畳の方が歩きやすいのだろうと考えた。石畳は舗装路と同じくらい固い道であるが、それでも石畳の方が舗装路より格段に歩きやすく感じるのだ。

不思議に思ったので足元をよく意識しながら歩いてみると、おぼろげながらもわらじならではのポイントが見えてきた。

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わらじは石の表面に合わせてたわみ、フィットする
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指の付け根で石を押さえ、踏み込むことで、体を前に押しやすいのだ

石畳が舗装路と決定的に違うのは、石ごとに凹凸があるという点である。石畳の滑らかに膨らんだ部分が足掛かりとなり、体を前に出す推進力を生みだしやすいのだ。

これは石の形に合わせてフィットするわらじだからこそであり、底が変形しない靴では不可能な芸当である。

この辺、少し分かりにくいかもしれないが、例えばロッククライミングジムの壁を思い浮かべて頂きたい。あのように手掛かりになる突起がたくさんあるのが石畳、突起が全くなく平べったい壁が舗装路。そう表現すれば、わらじによる石畳の歩きやすさが伝わるだろうか。

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階段と違ってあまり足を上げる必要がないことも、より歩きやすく感じさせるのだろう
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平坦な道をわらじで歩く二つの問題点

わらじは石畳を歩くのに適している。むしろ今やわらじは石畳を歩くために存在するといっても過言ではないほど、わらじと石畳の相性はピッタリだ。

一方で、昔ながらの街道であっても、わらじで歩くには微妙な区間も存在する。それは平坦な部分の古道だ。

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石畳の区間が終わると、旧街道は再び車道沿いの歩道を進んで行く――
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その先に続いていたのは、石畳のない比較的緩やかな古道であった

先ほども述べた通り、石畳は雨が降ると崩れやすい斜面や、ぬかるみやすい場所に築かれるものである。すなわち石畳が築かれていないということは、本来は歩きやすい道であるはずだ。……が、この区間をわらじで歩くには二つの問題点があった。一つ目は、砂利である。

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平らな道には、小石がやたらと多いのである
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わらじを踏み締める度に、小石が足裏に食い込んで痛い

近所の砂利道を歩いた時にも感じたことではあるが、昔の人々はこの小石の問題をどうやって克服していたのだろう。

おそらく当時の人々は、生まれてからずっと足を靴で保護されている現代人よりもずっと足の皮が厚く、このくらいの小石ならものともしなかったのだろう。

今でも東南アジアやインドの田舎を旅行していると、裸足で歩き回る子供たち(場合によっては大人も)の姿を目にすることができる。そうやって生活してきた人々の足裏は、総じて頼もしいものである。日本人もかつてはそうであったはずだ。

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平坦な道における二つ目の問題点は、水を含んだ土である
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土は柔らかく足への負担は少ないのだが、水が染み出してくる

土は水分を含んでいる。特にこの日は前日に雨が降ったこともあってなおさらだ。足と密着しているわらじで土を踏み締めると、じゅわっと水が染み出してくるのが足の裏で感じられる。

ゴム底の靴とは違い、繊維の束であるわらじは無条件で水を通す。いや、むしろ、水を吸い上げているのではないかと思うくらいだ。故に、土の上をわらじで歩いていると、足の裏が泥水で濡れてしまう。

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わらじで湿った 土を歩くと、足の裏がびしょびしょになる

わらじでは当たり前のことなのだろうが、普通の靴しか履いてこなかった身からすると、湿った土を踏み締める感触は慣れないもので、「うわぁ……」という感じであった。

ボロボロになったわらじで最後の石畳を登る

さらに旧街道を進んでいくと、やがて茅葺屋根の建物に差し掛かった。江戸時代から道行く人々に甘酒を提供してきた茶屋だそうだ。街道が廃れた現在も車で訪れる客が多く、なかなかの盛況ぶりである。

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この甘酒茶屋が最後の休憩ポイントである

甘酒茶屋を通り過ぎると、旧街道は急な上り坂となる。この峠を越えさえすれば箱根関所がある芦ノ湖へとたどり着くのだが、ここがかなりの難所であった。

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箱根旧街道の中でも石畳と並木の状態が特に良い区間ではあるのだが……
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道の険しさもまた、指折りの区間なのだ
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汗だくになりながら、えっちらほっちらと登る

畑宿から2時間半以上歩き続け、さすがに疲労が出てきたということもあるのだが、それ以上に気になり出したのがわらじの状態である。この辺りにまで来た頃には、既にボロボロになりつつあったのだ。

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特に前の部分は登る際に力を籠めるので痛みがひどい
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もはやクッション性は皆無であり、衝撃がダイレクトに伝わってくる

足の裏で石畳の固さを感じながら、これ以上擦り減らないよう、できるだけ大きく平らな石を選んで足を運んでいく。ここを越えればゴールだと自分に言い聞かせつつ、気力を振り絞る。

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石畳の道の風景は美しく、精神的に助けられた
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中には巨大な石を使ったものもあって、目を見張ったりもした

こうしてモチベーションを保ちつつ、ボロボロになりかけたわらじでだましだまし歩き、なんとか峠を越えることができた。あとは芦ノ湖まで下っていくだけである。

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上り坂が終わると平坦になり石畳が途切れた
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小石も嫌だが、地面に転がる木の枝も地味に危ない

足全体を覆う靴とは違い、わらじが保護するのはあくまで足の裏だけである。なのでこのような木の枝が転がっていると、足の指にぶつけるなど痛い目に遭いそうで気が抜けない。

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下り坂に差し掛かると石畳が復活した
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わらじの劣化に加え、疲労で膝がかくかく笑っているので、慎重に下りていく
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最後の石段を下り切ったら――

 

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芦ノ湖畔の元箱根に出た! 結構な観光客で賑わっている!
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……さすがに、汗だく&ボロボロのわらじという身なりは少し恥ずかしかった

もうだいぶしんどい感じであるが、ここまで来ればあとは関所まで湖畔を1kmほど歩くだけだ。平坦な道のりなので楽勝かと思いきや、最後の最後に思わぬ刺客が私を待ち構えていた。

関所の前に立ちはだかった並木の砂利道

元箱根の市街地から関所までは杉並木が続いている。普段ならばたいしたことのない距離ではあるものの、ぺしゃんこになったわらじで歩くのは結構しんどい。

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元箱根から少しの間だけ国道1号線を歩く――
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やがて国道は反れて歩行者専用路となる……が、これが曲者だった
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なんと、粗めの砂利が敷き詰められている のである
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ずっと足ツボマッサージされている状態で物凄く痛い

昔ながらの風情を残す並木道は私の大好物であり、この湖畔の道も何度か歩いたことがあるのだが、その時には砂利敷きだったことなど全く意識していなかった。完全なる不意打ちである。

砂利は安価かつ水はけが良いので歩道の整備には便利なのかもしれないが、わらじにとっては不都合極まりない存在だ。できれば石畳、それが無理ならば土のままにしておいてほしいものである。

いやはや、ゴールを目前にしてこのようなトラップが仕掛けられているとは。この並木の砂利道は、まさに最後の試練であった。

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杉並木が途切れると、そこには巨大な駐車場が広がっている
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そして、その先に見えたのは――!
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箱根の関所である! 畑宿から約4時間、わらじで歩き通すことができた!
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かつては厳重な検査が行われていた番所の前をそそくさと通り抜けて――
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京都側に抜けた! これにてゴール! お疲れさまでした!

約5kmの山道でわらじはどうなった?

さて、畑宿から箱根の関所まで約5kmの道のりを歩いてきたワケだが、肝心のわらじはどうなったのだろう。改めて、その状態をチェックしてみようではないか。

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少々お見苦しくて恐縮だが、わらじは土で汚れるものなのだ
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土からの水が染み込み、表面まで達している(もちろん軍足も泥だらけだ)
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裏面は稲わらの繊維が踏み潰され、もはや編み目は見る影もない
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特に踏み込む力が加わる指の付け根の部分はペラペラになっていた
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かかとの部分も体重がかかるので、やはりボロボロだ

最初はそれなりに厚みがあったわらじも、すっかりぺしゃんこである。これではクッション性もへったくれもない。なるほど、これが「履き潰す」ということなのか。

わらじは完全なる消耗品であり、平地でも一日歩けばダメになるという。山道ではより消耗が激しく、現に小田原宿と箱根宿の中間点である畑宿から箱根関所まで歩いただけでもこの有様なのだから、少なくとも一日二足や三足は必要だったことだろう。江戸時代の旅行ではわらじ代がバカにならないと聞いたことあるが、確かに納得である。


昔の人はたくましい

わらじで箱根旧街道を歩いてみて、わらじと石畳の相性の良さに驚かされたり、わらじの消耗性を身をもって知ることができたりと、非常に良い経験になった。

稲作をする上で大量に手に入る稲わらという素材で編まれたわらじは、日本文化を語る上で欠かせない履物だとは思う。……が、さすがにより機能的な靴が手に入る現在では、あえて使用するメリットは少ないだろう。それこそお祭りの衣装とか、水に塗れた岩場を歩く沢登り、あとは苔むした石畳を歩く時くらいであろう。

それにしても、昔の人はこのわらじで旅行をしていたのだから凄いものだ。他に選択肢がなかったとはいえ、わらじで江戸から伊勢まで歩いたり、四国遍路を周るなどと考えると、なかなかに気が遠くなる。ホント、昔の人はたくましいものだ!

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改めて、ウォーキングシューズは素晴らしいと思いました

 

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