暗峠、登っている最中はしんど過ぎてクラクラしたが、「峠の茶屋 すえひろ」でとてもいい時間を過ごせたおかげで、振り返ればとてもいい思い出になった。
名物の「野菜カレー」を今度こそ食べたいし、近いうちにまた行ってみようと思う。やっぱり茶屋って最高です!
――このお店はどれぐらいやられているんですか?
山田末広さん(以下、末広さん):
28年になるんやけどな。この辺では一番年寄りやから、ここ始めて、その後にピザ屋とか、スリランカのカレーやってるラッキーガーデンゆうとこも近くにできたし、15、16軒ぐらい店ができた。残ってるとこと営業をやめたとことあるけどな
――そうなんですね。ここが先駆けというか。
末広さん:
お兄ちゃんのやってるライターゆうんは、何かあちこち、見つけて、書くんか
――そうですそうです。見つけて、いいところがあったら書いたりして。
山田三佐子さん(以下、三佐子さん):
好奇心がなかったらあかんわな
――そうですね。でもこうやってお話を聞かせてもらったりするのが楽しいです。
末広さん:
おっちゃん、昭和9年生まれや
――昭和9年!えーと、1934年だから、あれ、89歳ですか!
末広さん:
そうやで
――お店もやって、あと、さっきちらっと聞こえたのですが、野菜も育てていらっしゃるとか。
三佐子さん:
とにかく百姓好きで、年取ったらゆっくり百姓しようゆうてきた人やからね
――たとえばカレーに入っていたじゃがいもとかもご自分で育てて?
三佐子さん:
そうそう。カレーうどんは少しダシの味付けにしてるけど、カレーは『野菜カレー』と同じです
――手作りの野菜だと聞くと、さらにありがたみが増します。
末広さん:
おっちゃんら、昔のことやからな、百姓しながら土木の仕事してたら食べて行けるか思っててんや。ところがそうはいかんわな。お金いるもの(笑)
――なるほど、それでお店をこうして今もされていて。
末広さん:
そやからな、おっちゃん、今でもな、今日の朝も話しとったんやけどな、人間やっぱり勉強好きで賢く生まれてこんならあかんわゆうてな。賢かったら、自信がついたら、前へ前へ行けるやん。おっちゃんら、口で理屈理論は、文句は言えるけど、基礎勉強ができてないもの。自信がないから、控えめ控えめになるやろ。まあ、口はやかましいけどな(笑)
――ははは。いやいや、やかましくないです。ここを始めて28年というのは、もともと誰かがここで茶屋をやっていたとかではなく?
三佐子さん:
28年前に二人で始めたんです。(末広さんが)退職してから何かしようなっていうんでやり出してるから。ここは大阪からお伊勢さんまで行く近道の、歴史街道やし、日本の道100選にも選ばれてるし
末広さん:
ここにな、江戸期には20~30軒の旅籠があったらしい。お伊勢参りでもブームがあるやんか。大阪の玉造神社から、お伊勢さんに参らはる。多い時は200~300人やったけど、今はもう70~80人。昼頃になったらここに来て、その晩は奈良泊まり。お伊勢さんまで170㎞あんねん。それを4日間かけて、1日10時間、だいたい40㎞な。4㎞、一里、1時間かかるからな。あそこに伊勢購ゆうの、かけてあるわ
――ああ、途中で:おいせまいりって書いた札を見て:なんでこんなところに?と思っていたんです。
――ここを歩いてお伊勢さんまで行く人がいるんですね。すごいな。
末広さん:
そういう歴史も面白いんよ。まあ、昔は昔や、今は今なりに面白おかしくやってるわ
三佐子さん:
ここ始めてしばらくしたとき、山と渓谷社が『やっとここ(暗峠)で何かしてくれる人が出てくれましたね』ゆうて、すぐに載せたいゆうて本に載せてくれはった。そこからだんだん人が来てね。それと、奈良の平城京の何年祭かの時に、NHKの『ひるどき日本列島』で小林綾子さんが来てくれはったわ。それでテレビに初めて映って、人が増えてな。そうでなかったら、『こんなとこで、あの年寄りなにしよんねん』って、最初はほんまに相手にされへんかったね。そらそやろ。土日祭日だけで初めはやってたけどね、私も体が弱かったからね、人に手伝ってもらいながらやったけど、最初はお客さん、一日に3人とか5人とか、“正”の字を書いてね、今日は3人やなとか
――でもさっきはだいぶ混んでましたよね。お昼時だったからかな。
三佐子さん:
今日は珍しく急に人が来てくれはったな
末広さん:
なぁ
三佐子さん:
まあ昼時はね。少し来てくれはるんやけど、年寄り営業やから、平日はね、10時過ぎぐらいから15時ぐらいまで、その時間を過ぎたら人も通らないからね。山の中は足が早いから
――なるほど、じゃあ今日はこうして来れて幸運だったんだな。
末広さん:
そら、色々あったで、28年の間に
三佐子さん:
ほんまや
――奥様は、ここでお店をやろうというのは反対ではなかったですか?
三佐子さん:
二人で話して決めたことやったけど、ちょうど(末広さんが)退職しはった時に、私、C型肝炎やって、どうしようかゆうぐらいしんどかった時やから、ほんまにできんのかって言われて、一旦決心して頑張ってきたけど、このしんどさで持ちこたえられるんかなって思った。でも一旦腹を決めた限りは、やって、あかんかったらその時考えたらええわと思って、やると思って
――大変でしたね。
三佐子さん:
ほんで、そこの座敷にね、開けっ放しにして、長椅子置いてね、あんまり見えんようにして、鏡を置いとって、横になっててんね。とにかく寝転びたい。体がだるいんよね。で、ここから(お客さんが入ってくるのが鏡越しに)見えるでしょう?そやけど、来ても一日3人か5人やから、いっそ誰も入らん方がいいぐらい(笑)最初はお抹茶だけでやってんな。ちょっと一息ゆう感じで、値段も安いから、知り合いに『そんな値段やったらずっと寝とけ!』って言われたりね(笑)
――ご主人は、このお店をやる前は別のお仕事をされてたんですか?
三佐子さん:
色々やって、最後の仕事はね、東大阪の病院の調理師してたんよ。年いっても勉強して調理師の免許とって。そやからここの飲食店の許可もすぐ取れたんよ。その仕事が最後で、ここ始めたんが、主人が62の時や
末広さん:
それが89や。お兄ちゃんらのおじいちゃんみたいな歳やろ。お兄ちゃんはいくつや
――40代です。44歳になります
末広さん:
もう40代か、へー。若う見えるな。まだ20歳ぐらいに見えるのに昼間っからビール飲んではるから、向こう気の強い兄ちゃんやなと思ってな(笑)おっちゃんら、中学出て、もう若い時から飲んどったからな。仕事終わったら夕方には、どんちゃんな
三佐子さん:
私ら戦時中に国民小学校に入ったような年齢の人は色んな体験してるやんか。私はヘレンケラーにも会ったしな
――え!ヘレンケラー!すごい。それはいつですか!
三佐子さん:
子どもの時に、大阪で見たんよ。昭和天皇も見たよ。行幸の時に。MPやら警察やら、ぐわー来てな、『頭上げたらあかん!』言われながら、ちろっとだけ見てん(笑)
――すごいな。
末広さん:
色々あったで。(お客さんが入って来たのを見て)いらっしゃい
――あ、お話しありがとうございました!また今度はカレーライスを食べに来ます!
末広さん:
どっち側、生駒側に行くか?ああ、そっちの方がええわ。棚田もあるし。景色がええ。また上がって来ぃ。へこたれんよう、がんばりや
――お二人もお元気でいてくださいね。
末広さん:
これ、わけぎや、持っていき
――えー!ありがとうございます。いいんでしょうか。
末広さん:
仕事、くじけんで、がんばりや
店を出て、生駒側へと下っていく。
常連さんや末広さんに教わった通り、生駒側へ下る道はなだらかで、棚田が広がっている。天気もよくて、なんだかずいぶん遠くまでやってきたような気分だ。
なんとものどかな風景。行きの急さが嘘のよう。あれはあれで今思えば楽しかったが。
手にはさっきいただいた、末広さんが畑で育てたわけぎがある。
花束に鼻先を近づけるみたいに、わけぎの中に顔をうずめたら、めちゃくちゃいいネギの香りと土の匂いがした。
その後、途中の無人販売所で売られているいかにも美味しそうな卵を買ったり、教えてもらったラッキーガーデンで休憩したり、暗峠を満喫して生駒山のケーブル駅まで歩いた。
暗峠、登っている最中はしんど過ぎてクラクラしたが、「峠の茶屋 すえひろ」でとてもいい時間を過ごせたおかげで、振り返ればとてもいい思い出になった。
名物の「野菜カレー」を今度こそ食べたいし、近いうちにまた行ってみようと思う。やっぱり茶屋って最高です!
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