まとめ
へんな区境をめぐってみると、その現場にはやはり何かがあった。でも、ない場合もあった。
ケース1や3のように、水にまつわる境界線は、現場でもその痕跡がわかりやすい。でも、ケース2やケース3の後半のように何か人為で境界を決めたと思われるような場合は、そこにあるのはただの道で、経緯はなんとく想像するしかない。
区境をめぐるとかいってほとんど暗渠めぐりみたいになってしまった今回の記事。取材中、やっぱり川跡はいいな!ということを考えてました。
ぼくらが普段まちを歩くとき、市や区の境についてあんまり意識したりはしない。
それらは目に見えないし、街を歩く限りにおいてほとんど重要じゃないからだ。実際グーグルマップでもそういう境界線はすごく控えめに書いてあって、目立たないようになってる。
でもひとたび意識を向けてみると、いったいなんでこんなヘンな境界線になってるの?と思わずにいられないケースがあることに気がついた。なので、実際にその場所にいき、そこに何があるのか?を見てくることにしました。
※2011年2月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
へんな形の境界線を紹介しようという今回の試みであるのだが、なにぶん市区町村の境界線はこういうのがスタンダードだよねっていう認識は特に共有されてないと思うので、まず触れておきたい。
ふつうの境界線ていうのはだいたいこんな感じだ。
カクカクまっすぐのほうは、道路にそって直線に近い線を引くとまあだいたいこうなるよね、ということがなんとなく分かる引き方だ。
一方、ぐねぐねのほうはようするに川の形だ。市区町村の境界は周知のとおり川によってばっちり分かれることが多い(川の向こうは違う町)ため、川の流路がそのまま境界線となるのだ。
この2つについては、まあふつうそうだよねということを了解してもらえると思う。そのうえで、ぼくが今回変だと感じた境界線について紹介したい。
最初に見てもらいたいのはこちらの境界線だ。
神田川が、都電荒川線に沿って走っているあたり。上が豊島区で、下が新宿区だ。
境界線は、ぐねぐねパターンで見たとおり、おおむね神田川の真ん中をとおっているのだけど、ところどころ不自然に新宿区が豊島区側に食い込んでいるのだ。こりゃいったい何だろう?
この境界線については理由がはっきりしているので先に答えを書いてしまうと、この境界線こそがかつての神田川の流路だったのだ。
川の流れを変えてしまうなんてのは一般市民の選択肢にない行為なので想像しづらいけど、かつてはあちこちで行われていた。あんましぐねぐねしてると洪水が起きやすいので、流れやすいようまっすぐにしまうのだ。
ひとまず事情はわかった。
わかったが、やはり現場に行ってみたい。現場にいってはじめて感じることもあるかもしれないし、また、かつて川だったということが分かる痕跡をそこに見つけられないか?ということにも興味がある。
やってきたのがこちら、まさに事件の起きている現場である。
なんの変哲もない、ただの神田川のように見える。しかしそうではない。
優秀な刑事は現場を大切にするという。現場に残された微妙な違和感、不自然な痕跡をその嗅覚で探し出すのだ。
いったい、そこに何があるというのか?刑事になった気分で探してみたい。
境界線が神田川をはなれ、旧流路に入り込むのはこのあたりだ。
境界の入り込む先は民間企業の敷地になっていて、立ち入ることができない。そこで、裏の路地から回り込んでみることにした。
お!と、川跡に関するぼくの嗅覚が反応した。地面が妙に「しめっぽい」。地面が赤くなってるところだ。
まあおそらく偶然と思い込みだろうけど、こういうふうに川跡を思わせる雰囲気を見つけられるとうれしい。で、この先に進んでみる。
ここで「お!」と思う気持ちに共感してくれる人はどれくらいいるだろうか。全国で10人くらいかもしれない。でも10人でもうれしい。誰かに共感して欲しい。ここ、川跡っぽいよね!
ぼくの暗渠(川にフタをした跡の道)好きとしての勘と経験が、ここが間違いなく川跡であることを告げている。
そして地図上の位置もまさに区境だった。いまぼくは、新宿区と豊島区の境界に立っているのだ。
境界はこの向こうにつづいている。回り込みつつ辿っていくと、周辺には印刷関係の会社や工場がいくつかあることが分かった。
出版と水辺は関係が深い。護国寺に出版社が多いのも、かつてそこを流れていた水窪川と弦巻川で紙をすいていたからだ。
まあここはふつうに神田川が近いので旧流路とはたぶん無関係なのだが、それでもこういう状況証拠っぽいものは無理やりカウントにいれておきたいところだ。
そして、この先に衝撃が待っていた。
この一画だけ、明らかに昭和が押し進まっている。
唐突に立ち現れる昭和感は、川跡をめぐっていて見かける風景のひとつだ。間違いなく、ここは行政界の示すとおり、神田川の旧流路なのだ。
さっきから境界をめぐるとかいって川跡めぐりの記事にしかなってないが、そもそも行政界というのは自然界の一部なのだ。と上手いことをいったようだがもちろん適当だ。
・目に見えない行政界が、たしかに見えた気がする
・ただし思い込みがかなりの部分を占める
次の現場はこちらだ。
左の三鷹市が、右の世田谷区にあからさまにめりこんでいる。
なんだこりゃ?
どう考えても川の流路跡とかじゃない。人の意思が働いて、だれかがこの線を決めたのだ。でもなぜこんな形に?
地図をながめて悶々としていてもしょうがない。実物大の地図は現場にあるんだぜ。行こう、若者よ、現場へ。
京王井の頭線の三鷹台駅から徒歩15分ほど。現場の三鷹市北野にやってきた。
まわりは農地のひろがる閑静な住宅街だ。とくに変わった点は見当たらない。
兼業農家の多いこの地域の特色のようだ。びっくりしたが、境界線とはとくに関係のないコネタだったようだ。
この、正面の住宅群のある一角だけが三鷹市となっている。まるでここにある重要な財産を杉並区から守るかのようだ。いったいこの区画になにがあるというのか?
しばらく進むと、驚愕の事実が明らかとなった。
そう、ここではきっと、畑で取れる農作物をめぐって、二つの行政区で壮絶なつばせりあいが行われているのだ。もちろん、世田谷区もだまってはいない。
両者互角といったところである。
もちろん上記の推測は適当である。
この区境をさらに辿ってみたが、理由らしきものは地形や現場の条件からは見当たらなかった。正確なところは当事者に聞いてみるしかないだろう。と思って、三鷹市役所に電話してみた。
-なんでこんなふうに食い込んでるのでしょう?
担当者:「じつは私も気になっているんですが・・」
-やっぱり気になりますよね?
担当者:「ええ。ただ、デジタルデータでの記録に残っている限り、昔からにょきっと伸びてる形なんですよ。」
つまり、経緯が辿れる範囲についてはずっとこの形のままなので、三鷹市が左から生えてきたのか、それとももともとあった杉並区が削られたといったことは分からないのだ。
次の区境はこちらだ。
境界の下側が杉並区、上側が練馬区だ。
なかなか共感を得づらいかもしれないが、川もないのにこんなふうに境界がまるーくなっているのはかなり珍しい。気になるポイントは、右側で、主要な街道である青梅街道から微妙に左にずれてすすんでいることだ。
素直に街道を境界にすればいいのに。ここにはきっと何かあるに違いない。
丸い境界部分の東の端、上井草4丁目から北西方向を眺めてみた。
こんなふうに、なかなか不自然に境界線は青梅街道の西側に食い込んでいる。なんだなんだ、いったいそこに何があるの?
突き当たりを右へ伸びる道のあたりがちょうど区境のようだ。そこへ行ってみると、こうなっていた。
これは怪しい。
この裏手感。伸びる雑草。これは川跡なんじゃないの?
先へ進んでみた。
大きな写真をつづけて載せたのは、実際にその道を歩いているような臨場感を感じていただきたかったからです。
ぼくはこのへんで、もう絶対に川跡だろうと確信していた。
さて、区境が青梅街道から本格的に西へ外れていくあたりには、竹下稲荷神社がある。
この先はどう続いていくのかな、と境内の奥のほうを歩いていると、隣の民家の方から、どうしたの?と声をかけられた。確かにカメラ下げて地図を見ながらうろうろしてたら怪しいかと思い、素直に区境の形が面白くて調べてますというと、
「いや、ぼくもつねづねそう思ってたんだよ」
といって勝手口から下りてきてくれた。
ここに家を構えたのは50年前ごろで、そのころ、このブロック塀の手前には、U字型に掘られた溝があったものの、水は流れてなかったという。
すると奥様も下りてきて、水は、さっきみた裏手感満載の道の辺りまでは流れていたという。そして神社をまっすぐ突っ切るような形で、つまりいまの区境が丸く西へそれるのとは違って、もっと青梅街道に並行するようにまっすぐ進んでいたという。
どういうことだろう?
この竹下稲荷神社は、江戸時代にこの辺りにつくられた竹下新田という田んぼの鎮守となっている。そして田んぼに水をひくために、このすぐ北にある千川上水から青梅街道沿いに水を引いていたという記録が残っている。
つまり、奥さんが見た、そしてぼくもさっきみた裏手っぽい道はかつての分水の水路だ。
じゃあ区境が分水から西に丸くそれているのはなぜなんだろう?旦那さんが見たという溝はなんだったんだろう?さらに先に進んでみた。
手がかりがなくなってしまった。田んぼに沿った水路がまるーくなってたんだろうか?
念のため杉並区にも問い合わせてみたが、区ができるまえから村の境界はこの形だったらしく、理由は分からないということだった。
へんな区境をめぐってみると、その現場にはやはり何かがあった。でも、ない場合もあった。
ケース1や3のように、水にまつわる境界線は、現場でもその痕跡がわかりやすい。でも、ケース2やケース3の後半のように何か人為で境界を決めたと思われるような場合は、そこにあるのはただの道で、経緯はなんとく想像するしかない。
区境をめぐるとかいってほとんど暗渠めぐりみたいになってしまった今回の記事。取材中、やっぱり川跡はいいな!ということを考えてました。
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