奈良県を拠点に活動している妖怪文化研究家・木下昌美さんという方がいる。木下さんはライターとしても活躍されており、ある時、同じイベントを取材したことをきっかけに知り合った。
先日、その木下さんに奈良を案内していただく機会があったのだが、その道中で「鹿だまり」のことを聞いた。なんでも、夏の暑いさかり、7月から8月にかけての夕方、奈良公園の敷地内にある奈良国立博物館の前に鹿たちが集まってくるんだという。その現象は「鹿だまり」と呼ばれていて、奈良の夏の風物詩のひとつでもあるが、鹿たちがなぜ集まってくるのか、はっきりとした理由は不明なのだそうだ。とにかく、多い時は200頭近くの鹿が集まるそうで、木下さんはよくその様子を見に行っているという。
「夕方に奈良国立博物館の前に行けば見られますよ」と教わった私は、後日、その様子を見に行ってみることにした。
7月の終わりの夕方、18時半頃に奈良公園へやって来た。いつもならたくさんの鹿の姿が見られる場所なはずだが、鹿が全然いない。
いくら「鹿が集まってくる」と言ってもきっとそれは自然現象のようなものなのだろうから、ひょっとして今日はそれの発生しない日なのかもしれない。不安に思いながらとりあえず、奈良国立博物館の方へ向かってみる。
建物に近づいていくと、鹿たちが見えてホッとした。なるほどたしかに、集まっている。
でも、この時点では「まあ、このぐらいだよな」と思っていた。いや、すでにかなりの鹿がたまっていたが、まだ気持ちに余裕があるというか、「なるほどねー」ぐらいの感じ。が、木下さんが言っていた奈良国立博物館前まで来ると様子が違った。
博物館の向かいの芝生あたりに鹿たちがやけに集まっている。その様子は、さっき遭遇した鹿たちとは違い、芝生に横になったりして、のんびり、くつろいでいる風なのだ。
そしてさらに、あちこちから、その場所を目がけて鹿たちが集まってくるようである。
私がこの場所に到着して10分ほどの間にもどんどん参加者(鹿のことです)が増え、気づけばずいぶんな「鹿だまり」状態が生まれている。
「鹿だまり」のまわりには、どうやらいつもこの時期を楽しみにしているらしき方たちが集まっていて、大きなカメラを構えてその様子を撮影したりしている。「今日はこの前より多そうですね!」と嬉しそうに話している人もいる。
そしてそうしている間にも鹿が集まり続けている。19時頃になると、かなり迫力のある「鹿だまり」に。
私同様、「鹿だまり」の写真を撮っている人が周囲にたくさんいるのだが、その姿を後ろから見ていると、まるで大勢のオーディエンス(鹿)を前に歌っているミュージシャンのように見える。もはやこれはフェスだ!「鹿フェス」だ!
まだまだ集まってくる鹿が絶えず、「これ、このままどこまでいくの!?」と思った。ざっと数えた感じ、120頭ぐらいはいるようである。
しかしである、なんの前ぶれもなく、何かきっかけがあったわけでもなく、鹿たちがふと、その場を去り始めるではないか。時計を見ると時刻は19時15分を過ぎたあたりだった。
まさにフェスが終わって、みんな散り散りになっていく時みたいだ。「いやぁ、今日も楽しかったね」「また来ようね」というような声が聞こえてきそうな雰囲気。
フェスが終わったかのように鹿たちが去り始めてからたった10分ほどで、博物館前ステージはご覧の通り。
「鹿だまり、見ることができました!」と木下さんに写真を送って報告すると、「ちょうどいいタイミングでしたね。ものすごい時は気味が悪いほどなので」と返事があった。8月になると、さらにオーディエンスが増えていくそうだ。
この「鹿だまり」、雨の日は集まりが悪いそうで、天気がよく、暑い日の夕方に規模が大きくなるとのことだ。鹿たちが一番集まっていた芝生の下には地下通路があり、他の場所よりも少し涼しいから集まるのではないかという説があるらしい。
圧巻の光景を見てみたい方は天気のいい日の夕方を狙って奈良公園に行ってみて欲しい。一点、奈良公園の鹿たちは人間に慣れてはいるが、とはいえ野生動物である。思いがけない動きをすることもある。また、体の表面にマダニがついているケースも多いので、くれぐれも触らず、不用意に近づき過ぎず、鹿たちを脅かさぬように距離を保って観察するように注意して欲しい。