ザ・ひょうちゃんヒストリー
さて崎陽軒といえば、「昔ながらのシウマイ」と「特製シウマイ」に入っている磁器のしょう油入れもお馴染みである。その名を「ひょうちゃん」という。
崎陽軒では、シウマイが誕生した1928年当時からしょう油入れを同封しており、当時は小さなガラス瓶だった。戦後にひょうたん型の白い磁器になったけど、まだ顔はないまま。
初代「ひょうちゃん」が誕生したのは、1955年のこと。漫画家・横山隆一氏が「目鼻をつけてあげよう」と表情をつけた。その数、48種類!
時は流れて1988年。崎陽軒創業80周年を記念して2代目「ひょうちゃん」が誕生する。
絵柄の担当はイラストレーターの原田治氏で、80種類×4色×2サイズ(大小)の640種類で展開された。ひょうちゃん、いきなりの大家族化である。
そして現在の3代目。2003年の横浜工場リニューアルに合わせて、初代の絵柄が復活。もちろん48種類ある。
2015年に「ひょうちゃん」は還暦を迎え、期間限定の「還暦記念ひょうちゃん」が作られた。
期間中は通常の48種類に加え、還暦記念14種類、そしてスーパーレアの「金色の還暦記念14種」のどれかが入っていたという。
そうそう、企業などとの「コラボひょうちゃん」もたくさんあるんですよ。
駅弁なので鉄道関連のコラボはもちろん、横浜Fマリノスとコラボした「トリコロールひょうちゃん」や、創業110周年のときには110番とかけた「神奈川県警ひょうちゃん」、劇団四季の横浜公演に合わせた「キャッツひょうちゃん」「オペラ座の怪人ひょうちゃん」までさまざま。
山本さん お客さまに楽しんでいただくために、今後もコラボを続けたいですね。ただ、どことでもコラボをするわけではなく、「地域を盛り上げる」という目的が一致することを大事にしています。同じ思いの方がいらっしゃいましたら、ぜひお願いします!
「東京産」と「横浜産」のシウマイ弁当
工場見学はまだまだ終わらない。なんと次は「シウマイ弁当」の製造工程である。
いま興奮のあまり「なんと」って付けちゃったけど、みんなついてきてくれているだろうか。
シウマイ弁当の売り上げは、1日に約2万7000個。年末年始など多いときは3万を越える。
真空パックや冷凍保存ができるシウマイと違い、お弁当は長期保存がきかないので、工場は365日フル稼働だそう。
山本さん GWや年末年始はやっぱり忙しいですね。他には、運動会や選挙でも、たくさん発注をいただいています。横浜市内の小中学校では、入学式や卒業式などで、行事の一環としてシウマイ弁当を食べるところもあるんです。
べつやくさんは過去に横浜の会社で働いていた時期があるらしく、「確かに花見のときはシウマイ弁当買ってた」とのこと。
そういえば横浜スタジアムにも崎陽軒の売店があり、限定の「ハマスタ☆応援弁当」があったりする。もはや「横浜のイベント=崎陽軒」が浸透しているといっていい。
しかし、まだシウマイ弁当は完成ではない。最後に“かけ紙”をかぶせて紐で十字に縛る「紐かけ」の作業があるのだ。
すごいスピードで次々とシウマイ弁当に紐が結ばれていく。古新聞だってまともに縛れない我々は唖然とするばかり。
駅弁屋である崎陽軒にとって、この「紐かけ」は駅弁のアイデンティティのひとつ。
崎陽軒の新入社員は、新人研修で必ず「紐かけ」を習うので、社員全員がシウマイ弁当に紐を結べるらしい。ということは、山本さんも?
山本さん すごく遅いですけど、なんとか合格して……(笑)。十字の部分を中央に持ってくるのが難しいんですよ。自分でやってみると、現場の方のすごさがわかりますね。
ただ、横浜工場より後にできた東京工場では「紐かけ職人がいない」という理由で、別に作られた “フタ”をかぶせる形になっているそう。
つまり、シウマイ弁当をひと目見れば、それが東京工場で作られたものか、横浜工場で作られたものかわかるのだ……!
これさえ知っていれば、「あなたは新横浜から東海道新幹線に乗ったはずです。なぜなら、シウマイ弁当にかけ紙がしてあるのだから……!」みたいな名探偵ごっこもできる。シウマイ探偵である。