空あり
いろんな駐車場を見ているとき、つい目が行ってしまうのは「空あり」である。もともとは みうらじゅん氏の影響を受けてのことだが、つまりはこういう話である。
「仏教の教えでは、『空(クウ)』は固定的な実体がない状態を指す。それなのに『空がある』という。難解だ」
こういうのを見るたび、駐車場に空(クウ)を見いだした みうらじゅん氏に驚嘆するとともに、「空がある」ことの意味をつらつらと考えてしまうのである。
世の中には無数の駐車場がある。その大半はよく見慣れたオーソドックスな作りなのだが、なかには「停めにくい系」の駐車場なんてものが存在している。
駐車してもらうためにあるのが駐車場なのに、停めにくいとはこれいかに。そんな禅問答のような駐車場を観察してみよう。
ここにアスファルトで舗装された土地があるとする。これは何か? と問われれば、「ただの空き地だ」と答えるだろう。
じゃあそこに直線的な白線が引かれたらどうか。きっと「駐車場だ」と思う人が多数を占めるに違いない。
これから分かるのは、駐車場の本質は「白線」にあるということだ。なにもなかった土地に意味を生むのは白線である。逆に考えると、白線には強い意味が与えられてしまうので、一本たりとも気の抜けない存在だといえる。
次の写真を見てほしい。
本当に些細な違い、白線一本あるかないか、それだけなのだ。この駐車場は、そこに白線を引くことを選択した。結果として停めにくいヘンテコな駐車場が誕生してしまったのである。
駐車エリアが6ヶ所あるけど、停められるのは実質4ヶ所だけだろう。このアスファルトで舗装された無機質な平地を眺めるだけで、「無茶しやがって……」って感情が芽生える。これも白線の持つ力である。
こんな風に、白線の引き方の微妙な差によって「停めにくい駐車場」は誕生している。あんまり見たことないかもしれないが、実は人知れず誕生しているのだ。ほら、この瞬間にも。
クレオパトラの鼻のごとく、紙一重のバランスで生み出されたそんな駐車場たちを一挙紹介していきたい。選手権と銘打っているものの別に優劣をつけたいわけではなく、気持ちとしては選手紹介である。全国津々浦々から集まってきた(というか集めた)猛者たちの勇姿をご覧いただきたいと思うのだ。
駐車困難な状況にもいくつかパターンがある。一番分かりやすいのは「駐車スペースに障害物がある」タイプだ。
停めにくい。でもタイヤの跡があるので、写真の左斜め下の方から突っ込んで使用しているのだろう。一台でも多く駐車スペースを確保したいというオーナーの執念が感じられる。
白線と同じくらい大事なものがあった。それは「番号」。番号が振られることで、駐車場に生命の灯がともる。白線が肉体だとすると、番号は魂である。
番号があることで、ここは駐車場なんだ、という強い確信を持つことができる。
駐車禁止エリアのある駐車場。一休さんのトンチみたいになってきた。ここに駐車する方法をだれか編み出して欲しい。
駐車スペースは、おおよそ幅2.5m、奥行き5m前後が必要らしい。それ以下だと停めにくい駐車場と言えるだろう。そんな駐車場なんて……あった。
こういう白線を見ていると、妙に人間みを感じてしまう(もちろん白線を引くのは人間だから当然ではあるのだが)。
駐車に適さないような狭いスペースにも、どうにかして駐車させたい。勿体ない精神というか、そういう人間くさい部分が白線の引き方に現れていて良いなと感じる。思いのほか味わい深い世界である。
駐車場は、駐車スペースのほかに通りやすい通路が必要だ。でもそうじゃない駐車場も結構見つかった。
こういうのって、営業車の駐車場では普通に見られる。番号が振られていないところを見ると、上の写真もその可能性はある。とすると、これは停めにくい駐車場とは違うかなあ。後ろにも出口があって、ギリギリ出られそうな感じもするし。
なんて思っていたら、こんなのを見つけた。
奥の4番と5番で契約したらどうなるのだろうか。モルカーみたいな柔軟性のある車の登場が待たれる。
こういうのを見ていると、駐車場ってパズルみたいなものだなと思う。「このような形状の土地が与えられたとき、一番多くの車が無理なく駐車できる白線のレイアウトを考えよ」っていう配置問題である。
なので問題を解く人によって個性が出るし、前提となる土地の形状も多様なので、ひとつとして同じ駐車場はないのである。
ところで、前々からこの題材ってゲームになるんじゃないかなあ? と考えてるのだけど、まだ実現していない。誰か作りましょう。駐車場の白線をいい具合に配置するパズルゲーム。
文字通り、やたらと長い駐車場である。
ひとつのスペースに何台も連なって駐車できるけど、そうなると奥の車は出られない。一種の詰め込み型とも言える。
ここで休憩がてら、駐車スペースの「番号」の多様性について見ていきたい。
いろんな駐車場を見てきたが、そのほとんどは1、2、3という風にアラビア数字が振られていた。体感としては99%がアラビア数字である。
でも残りの1%、ここに異端児がいる。個人的には、アラビア数字以外を見つけたらラッキー! という気持ちで探し歩いている。以前に出現確率1.4%の「右目室外機」を紹介したけれど、それと同じような街のレアキャラだ。散歩のお供に覚えておくと、楽しみが増えて面白いよ。
だからなんだと言われればそれまでだが、こういう人の手によって生み出された多様な無機物を「生態系」と捉えて探索するのは楽しいのでオススメである。
日本中で大多数を占める種は「アラビア数字」で、他にわずかながら観測例があるのが「アルファベット順」や「いろは順」。そして、八甲田山の奥地で探検隊が発見した超希少種の「あいうえお順」(これはウソだが)……みたいな妄想がはかどる。
話は戻って、停めにくい駐車場である。
少し見方を変えて、「停められるんだけど、なんだか心理的に駐車しづらい」、そんな駐車場たちを見ていきたい。
猫よけの意味を込めて置いてあるのはよく見かけるが、領域を主張するためのペットボトルは珍しい。なんにでも使える便利な道具、ペットボトルである。
ただの個人駐車場のような気もするが、それにしても5番である。このメソッドを使えば、自宅の駐車スペースに番号を書いて月極駐車場風にすることが可能だろう。メリットはあるのか? ないな。
だんだん観念的になっていくのを許して欲しい。最後はついに白線がなくなった。
プログラムに例えると、if文におけるelseみたいな存在、それが1番のスペースである。停めにくいかと言われると普通に停められるのだが、変に生み出されてしまった余分なスペースがあって、そこは物理的に停められない領域として残ってしまう。
白線に忠実に従うなら、他の車の出口をふさぐ形で駐車することも可能である。でも実質的には停められない。よって停めにくい駐車場の亜種ということにしたい。
このように、停めにくい駐車場にもいろんなタイプがあることが明らかになってきた。ここで紹介した選手(そういえば選手権だった)以外にも、日本にはまだまだ停めにくい駐車場があるはずだ。そう、あなたの街にも……。
いろんな駐車場を見ているとき、つい目が行ってしまうのは「空あり」である。もともとは みうらじゅん氏の影響を受けてのことだが、つまりはこういう話である。
「仏教の教えでは、『空(クウ)』は固定的な実体がない状態を指す。それなのに『空がある』という。難解だ」
こういうのを見るたび、駐車場に空(クウ)を見いだした みうらじゅん氏に驚嘆するとともに、「空がある」ことの意味をつらつらと考えてしまうのである。
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