ドンキ藤沢店で湘南観光を
私が大好きなドンキに「ドンキ藤沢駅南口店」がある。
店構えは普通だが、中に入ってみると、
なぜビーチ感満載なのか。
それは、藤沢という街に想いを馳せればすぐわかる。つまり、藤沢は海水浴で有名な湘南の入り口なのだ。鎌倉や湘南を走る結ぶ江ノ電は藤沢が始発点である。
ドンキの店内は、このようにご当地色が強い場合がある。藤沢店が私のお気に入りなのも、この壁画が結構凝っているからである。
どうだろう。
ドンキで街を想うことの一端がお分かりいただけただろうか。このような「ご当地ドンキ」は、他にも多くある。
旅行のついでに、現地のドンキに立ち寄ってみよう。そこには思いもかけぬ「ご当地」が広がっていることがある。
何気ないご当地感
これらの例は、ご当地ドンキでも分かりやすい例である。しかしご当地感がもっとひっそり現れている場合もある。
例えば、次の写真を見て欲しい。とあるドンキのエレベーターである。
エレベーターの上に貼られた2つの写真は、東京スカイツリー、それから、かつて浅草にあった塔・凌雲閣だ。今昔のタワー2つが描かれている。このドンキ、どこのドンキかお分かりだろうか?
凌雲閣は別名「浅草十二階」という。つまり、浅草にあった塔で、演芸の聖地「浅草六区」の近くに建っていた。そしてこの浅草ドンキ、その浅草六区のど真ん中にあるのだ。よく出店したな、と思う。
そんなわけで、浅草ドンキのエレベーターには凌雲閣の写真が貼られているわけだが、実は凌雲閣とエレベーターはもっと深い結びつきがある。実は、日本で初めて電動式エレベーターが導入されたのが、他ならぬこの凌雲閣なのである。
エレベーターのもう一方に貼られた「東京スカイツリー」も浅草の近くに建っている。そして、現在日本で最も昇降工程が長い業務用エレベーターと、日本で最も早いエレベーターの2機が稼働しているのも、他ならぬ東京スカイツリーなのだ。
凌雲閣とスカイツリー。それらは日本の新旧のエレベーターの歴史そのものである。ドンキ浅草店のエレベーターは、そんなエレベーターの歴史に想いを馳せることができるエレベーターなのだ。
こんなスーパー、他にあるだろうか?
ドンキから歴史を感じる
もう少しドンキ浅草店の話をしたい。
ドンキ浅草店の店内にはこのような壁画がある。
店内にはこのように映画のフィルムがたくさん描かれている。
これはなぜだろう?
浅草六区には、かつてより映画館や劇場が立ち並んでいた。そしてあろうことか、このドンキ浅草店も、かつては「大勝館」という映画館だったのだ。
大勝館の場所は、映画館からボウリング場、ストリップ小屋といくつかの変貌を遂げ、最終的にはドンキがこの土地を買収し、ドンキ浅草店ができたというわけだ。そんな、この土地の記憶がこのドンキにはひっそりと刻まれている。
ちなみに、ドンキ浅草店はその外観も他のドンキと比べると特徴的だ。もう一度、その外装を見てみよう。
このように、ドンキ浅草店には浅草6区の歴史が凝縮されている。ドンキからは歴史の匂いも感じることができるのだ
居抜きが街を反映する
浅草ドンキの例からも分かるように、ドンキの外装は時として、その街の過ぎ去りし歴史を映し出すことがある。次に見るドンキもまた、そんなある時代の刻印を帯びたドンキである。場所は、山梨の名湯、石和温泉を有する石和にある「ドンキ石和店」だ。
すごい外装である。一見するとモスクに見えなくもない。しかし、これはモスクではなく、ドンキである。これは一体なんだろう? 謎を解くためのヒントが次の画像にある。
そう、これは元秘宝館なのである。秘宝館といえば性に関する物品を陳列した「性の博物館」のようなものだが、時代と共に徐々にその数を減らし、今では数館しか営業していない。
温泉街として栄えた石和には、そんな秘宝館がかつて多く存在していた。その中の一つ、「元祖国際秘宝館甲府石和館」がドンキに変貌したのである。
ドンキの経営戦略の柱には「居抜き戦略」がある。元あった建物をそのまま活かして別の業態に変化させる手法のことだ。什器や設備を再利用して出店コストを抑えることができるため、ドンキは居抜き戦略で多くの店舗を作ってきた。
大胆な居抜き戦略ができるのは、ドンキが元々「何でもアリ」な店舗外装や内装を行っていたために、どんな建物でも居抜けたということも大きいだろう。
この「居抜き」の極北にあるのがドンキ石和店なのである。ドンキはコストの面から居抜きを行ったわけだが、それが意図せずして「秘宝館」というある時代の娯楽施設の面影を石和という街に残すことになった。
先ほどまでの店舗では、ドンキは意図して周りの街の名物や名所、歴史などをその店舗に反映していたのだろうが、ここにくると、もはや意図せずしてその土地の歴史を店舗に反映させてしまう。
なんとも奇妙な話である。
ヤギの記憶
居抜きの話でいえば、ドンキ立川店も面白い。
ドンキといえば、棚にあふれんばかりに積まれた圧縮陳列でお馴染みだ。
しかし、ドンキ立川店は一味違う。
スーパーにある冷蔵棚などが並び、普通のスーパーみたい。実は、これも居抜きの力である。なんとここ、元「ダイエー」なのである。ダイエーを居抜いているのでこんな風に設備がスーパーっぽいのだ。
ダイエーがドンキに変わったのは2016年。ダイエーがオープンしたのは1970年だから、建物ベースで見るならすでにこの建物には50年の歴史が流れている。昔からこの周辺に住んでいる住民なら、かつてのダイエーも記憶に新しいだろう。什器や設備がそのまま使われているなら尚更だ。ここには立川の記憶が詰まっている。
ドンキ立川店にはそんな記憶の痕跡が至る所にある。例えばこれだ。
なぜ、ヤギなのか。立川やその周辺にお住まいの方ならわかるかもしれない。
実は、立川には、かつてヤギたちがいたのだ。
それは、ドンキ立川店から歩いて5分ほどの場所、現在「グリーンスプリングス」という商業施設になっているところ。
この商業施設が建つ前、ここは「立川飛行場」という名前の飛行場であり、広大な草地が広がっていた。そこに再開発の話が持ち上がり、工事のための除草係として、ヤギがこの土地に放たれていたのだ。
「立川 ヤギ」などで調べてみると、その珍しい様子が当時ニュースになっていたことがわかる。ヤギたちは2015年から2018年までの4年間、この土地の除草係として働いていたのだが、その間にドンキ立川店は誕生した。
メディアで話題になっていたこともあったのか、だからこそドンキは立川店の店内壁画にヤギをこっそりと書き込ませたのではないだろうか。
結局、本物のヤギは2018年に役目を終えて立川から姿を消してしまったわけだが、ドンキにはその時書き込まれたヤギの壁画が今でも残っている。立川にわずか4年間出現した歴史が、ドンキ立川店にはこっそり刻まれているのだ。
ドンキのヤギ壁画は、立川に4年の間、確かにヤギがそこにいたことを証明する、記念碑だとさえいえる。
ドンキは、その街の決して有名とはいえない歴史を図らずも残してしまうことがあるのだ。
私は、このドンキ立川店に行くまで立川の歴史にヤギが現れることなんて知らなかった。なぜか、ドンキ立川店を訪れたことが、私に立川の歴史を教えてくれたのである。そう考えると、ドンキは知られざる歴史の教科書みたいなものかもしれない。
海の記憶
終わりになるにつれてだんだん小見出しが壮大になっているが、最後は海の記憶である。
2020年6月1日、五反田にドンキ五反田東口店が誕生した。
繁華街である五反田遊楽街のど真ん中にあることもあって、このドンキ、かなりすごいことになっている。
圧縮陳列の派手さや、店内装飾のわけのわからなさは都内でも随一だと思うので、ぜひ訪れてみてほしい。しかし、中でも気になるのはこれ。
海である。ドンペンとドンコが海の中にいる。なぜだかよくわからないのだが、店内は、このように海をモチーフとした店内壁画で埋め尽くされている。
見渡す限り一面海なのである。いったいこれはどうしてなのだろう。
ここで、私の妄想として、一つの仮説を聞いて欲しい。
実は五反田、かつて漁師や海女さんだった人々が多く移住していたというのだ。
五反田近郊在住のライターである星野博美さんが書いた『コンニャク屋漂流記』によれば、五反田の目黒川周辺はかつて小さな町工場が密集しており、同書の著者である星野さんの祖父も、漁師村だった千葉の岩和田からこの目黒川沿いに移り住んだのだという。
かつての五反田には、この岩和田から移り住んだ人が多くおり、「五反田の岩和田村」ともいえる区画があったらしい。
つまり、ドンキ五反田店にある海の内装は、この千葉・岩和田村の漁師や海女たちの記憶が顕れているのではないか……?
もちろん、先ほども述べたとおり、これは私の妄想にも近い仮説である。五反田には全国から町工場に勤める人がやってきていたのだし、ましてドンキがそれを意図してそのような壁画を入れたとは考えにくい。だから、ノーエビデンスだ。あるのは、ひたすらに海が描かれたドンキの壁画だけである。
しかし、今まで私たちは歴史遺産をみるようにドンキを見てきた。だとしたら、今度は推理小説を読むように、あるいは、文学を読むようにドンキを解釈しても良いのではないだろうか。
少なくとも、そのように面白おかしくドンキを見つめてもいいのではないか、と思うのだ。
観光はドンキから
……と半ば虚妄にも近い推測も交えながら、ドンキで街に思いを馳せてみた。
まあ、五反田店の妄想は行き過ぎにしても、立川店や石和店、あるいは浅草店などからはかなりその街に想いを馳せることができたのではないだろうか。
「チェーン」というと、「全部同じ」だと思われることが多いし、特にドンキの場合は、あの圧縮陳列や派手な看板が全国各地どこでも同じように広がっていると思われがちだ。しかし、よくドンキを見つめると決してそんなことはない。実は、それぞれの街の特徴や歴史を反映している場合もある。
これからは、街の観光ルートにドンキが入る時代が来るかもしれない。来ないか。