サケ好きの心を動かしたホームラン
球場のフェンスの事を「野球のふち」と呼んでいたくらい野球にはうとい私だが、2020年9月に飛び込んできたニュースに注目しないわけにはいかなかった。
「トラウトがサーモン超え、エンゼルス史上最多300本塁打達成」
https://www.afpbb.com/articles/-/3303143
米大リーグ、ロサンゼルス・エンゼルスのマイク・トラウト選手が球団史上最多となる通算300号本塁打を放ち、ティム・サーモン氏の記録を更新した。
トラウトは魚のマス、サーモンはサケという事で日本のスポーツ紙などは保守でもリベラルでもなく、魚種寄りの論調でこのトピックスを報じた。
「マスがシャケを超えた!トラウト2ランで通算300号 サーモン氏超えエンゼルス最年少記録「破られる運命」(東京中日スポーツ)
https://www.chunichi.co.jp/article/116434
そこで、ほのかな疑問が生じた。
「野球でトラウトがサーモンを超えたのはわかった。じゃあ魚ではどうなんだ」と。
サケマイスター2級の私がわからない事はマスターに頼るのがサーモンジェダイの掟だ。早速電子メールをしたためた。
「トラウトがサーモンを超えるなんて事が、あるのでしょうか?」
サケのプロに聞いてみた
サケマイスターの取得や各種取材でお世話になっている北海道、標津サーモン科学館の館長、市村さんと副館長の西尾さんにオンライン取材を敢行した。
いや.......超える超えないの前にまず基本的な事なんですが、英語のサーモン(salmon)はそもそも、タイセイヨウサケの事でした。英名でアトランティックサーモンというやつです。
一方、トラウト(trout)はもともとブラウントラウトに付けられていた呼称です。この2種は大西洋域に生息している魚種です。
そこからヨーロッパの人達は北米で、初めて出会ったサケの仲間たちにサーモンやトラウトという呼称をつけていきました。
タイセイヨウサケや我々になじみの深いシロザケのように、一度海へ降りていくものはサーモン。ブラウントラウトのように川や湖沼など淡水で過ごすものはトラウト。
ただ、そう簡単に割り切れないのがサーモン・トラウトなんです。
そもそもこれは生物学的な分類に基づいた名前の付け方ではないんですね。元々のサーモンとトラウト、つまりタイセイヨウサケとブラウントラウトは「サルモ属(タイセイヨウサケ属)」ですがその後北米でサーモンやトラウトと付けられた魚は主に「タイヘイヨウサケ属」なんです。
分類上で属が違うのもサーモンとかトラウトになっているわけですね。具体的にはどのような種がいるんでしょう。
シロザケやギンザケ、ベニザケがサーモン、トラウトはニジマス、カットスロートトラウトなどですね。
なるほど、でもサケとマスがちゃんと分けられているような気がしますが......。
いや、ここからややこしくなります。まずタイヘイヨウサケ属のマスノスケという魚、これはマスなのに英名だとキング・サーモンになります。
さらにカラフトマスはピンク・サーモン、サクラマスにいたってはマス・サーモンです
うわー、ごちゃごちゃしてきた。ちょっと待ってください。さっきの基準だと海に降りるのがサーモン、淡水にいるのがトラウトでしょ、この3種は全部海に降りますよね。だとしたら英名のサーモンが正しくて、和名はみんなサケノスケとかカラフトザケ、サクラザケになるべきじゃないんですか?
(海に降りるかどうかという)生活史を優先すればそうとも言えますね。しかし英名もですが和名では特に歴史的な背景や食文化が絡んでくるのでそうもいきません。
日本ではシロザケ以外マスだった
ヨーロッパではサーモン(サケ)はタイセイヨウサケでトラウト(マス)はブラウントラウトと言いましたが、日本ではそもそも、サケはシロザケでマスはサクラマスでした。
その後、開拓や遠洋漁業などで出会ったサケやマスっぽい魚にはすべてマスと名付けていたんです。
日本では海に降りるのもマスだったんですね。でもベニザケとかギンザケというサケがいますよね?
1970年以前くらいまではベニマス・ギンマスだったんですよ。
商品価値ですかねえ。サケのほうが特別で高級感もあったのでベニザケ・ギンザケとなってそっちが定着したんでしょうね。
そのノリであればカラフトマスなんかもやっぱりカラフトザケにすりゃいいじゃんとか思ってしまいますが......。
サケ缶ってあるじゃないですか。有名なマルハニチロのサケ缶の原料はカラフトマスです。
おお、PINKっていうのは英名のピンクサーモンからですね。
あと、最近人気の回転寿司や刺身のサーモンもシロザケではなくて、ノルウェーやチリ産の養殖されたアトランティックサーモンやニジマス(レインボートラウト)だったりします。
サーモンがニジマスの可能性もあるのか......。
それどころかニジマスの商品名は「サーモントラウト」ですからねえ......。
最近は国内で養殖されたニジマスやギンサケなどを「ご当地サーモン」として売り出しているケースも多いですね。青森の深浦サーモン(ニジマス)とかみやぎサーモン(ギンザケ)とか。
最初にお話したように「サーモン」という呼称は昔からありましたが、日本で一般的にサーモンという言葉が浸透したのは回転寿司のネタで養殖のサーモンが使われてからというのが大きいんじゃないかと思っています。
ノルウェーなど海外から養殖でアトランティックサーモンが輸入され始めたのが1980年代の半ばですが、一般に広く浸透したのは1990年前後ぐらいではないでしょうか。
意外に最近なんですね。もっと昔からある印象でしたが......。
シブがき隊の「スシ食いネェ!」って歌があるでしょ。歌に出てくる寿司ネタを書き出してみた事があるんですが、サーモンは出てきませんでした。リリースされたのは1986年なのでやはりサーモンが浸透してきたのはその後かと思いますね。
しかしなんでニジマス、とかトラウトってはっきり言わないんですかね。
そもそもニジマスもサケ属ですし、やはり商品のイメージとしてサーモンのほうがいいからでしょうね。
ベニマス・ギンマスがサケに変わったのと似たような感じなんですね。
先ほど話題になったサケ缶のカラフトマスもオホーツクエリア(網走・斜里など)では、「オホーツクサーモン」というブランド名で呼ばれていますね。
そのトラウト、サーモンかもしれないよ
ニジマスといいカラフトマスといい、これだけサーモンを名乗っているという事は、やはりトラウトはサーモンを超えたと言っていいんでしょうか。
それは結論?が早すぎます。分類上、「マス科」という区分は存在しません。マスの仲間という区分はなくて、全部サケ科なんです。大躍進してるニジマスは分類上はシロザケなどと同じタイヘイヨウサケ属になります。つまり”結局はサケの仲間”なんですね。
資源の規模(養殖)でいうと、ニジマス約80万トンに比べ、アトランティックサーモンは約200万トンとかなり大きいです。こういった視点だとまだまだトラウトは超えてないかな、サーモンを。
野球界のトラウトのように明確にサーモンを超えてはいないんですね。
「そのトラウトだってサーモンかもしれないよ」という話ですね。
おお、なんかかっこいい!
今回は野球の話がきっかけになりましたけど、ふつうにマスとサケって何が違うの?っていう質問は来そうだなと思ったんですが。
サーモン科学館へ来るお客さんにもよく聞かれますが、これまでお話したようにだいぶ複雑なんですね。
マスもサケ科の魚なので、一般の方に簡潔に説明する場合は、
「サクラマス、ニジマスなど"マス”とつく魚はいろいろいますがマスの仲間という区分はなく、すべてはサケの仲間になります」といった感じです。
もうちょっと突っ込むなら「英語圏ではおおまかに海に降りる魚を『サーモン(サケ)』と呼び、淡水で一生を送る魚を『トラウト(マス)』と呼んできましたが例外もあります。
日本ではシロザケ以外は全部マスと呼ばれていましたが、近年は英語圏のように呼び分けられる傾向にあるものの統一はされていなかったり、各地の食文化や歴史も絡むので非常に複雑(ここ大事!)なんです」となりますかね。いずれにせよ一言では言い表せない。
だから言ってるじゃないですか(笑)。この状況を以前釣り雑誌に「鮭鱒錯綜(さけますさくそう)」というタイトルで寄稿した事がありますがまさに錯綜なんです。
報道によれば、トラウト選手に本塁打記録を抜かれたサーモン氏は大変気さくなナイスガイで、日本の報道陣に「ワタシハ シャケデース」と陽気に声をかけた事もあったという。記録は更新されたものの、その偉大なトラウトもシャケのナカマナノデースといつか陽気に声をかけてあげたい。
■取材協力:標津サーモン科学館
http://s-salmon.com