都会の運河〈カナル〉を捜索せよ!!
今回のターゲットであるノーザンパイク(単に『パイク』とも)とは体長1メートルを超える、淡水魚としてはかなり大型の肉食魚である。シルエットや体色といったビジュアルの要素ひとつひとつもイカす。
しかも相当な悪食というか健啖な魚で口に入るものなら、いや入らない大きさのものまで手当たり次第に食いつく激しい一面も知られている。
一言でいうなら「かなりイイ魚」なのだ(個人の感想です)。
しかしそんな魚がよりにもよってロンドンに?
だってイギリスの首都だぜ?大自然の正反対、文化流行の発信都市だぜ?
フランスで仕事(別の魚を採ってた)を終え、ユーロスター(国際列車)でロンドンへ降り立った。その瞬間、不安に襲われる。
覚悟していたつもりだったが、街並みや人は想像以上に洒落ていて洗練されている。それでいて、ところどころに粗さと俗っぽさが見え隠れする。
ああ、本当の都会だなこりゃ。こういう第一次産業の匂いを感じない空気の中で釣竿を構えるのはかなり勇気がいるにちがいない。
それもそのはず。ここロンドンはヨーロッパ最大の都市であり、文化&芸術&学問の発信地なのだ。
ゆえに長い歴史の上で常に開発されまくり発展しまくりなわけであるから、当然大きな森やら深い沼などは存在しない。どう見ても巨大魚とは縁遠そうだが…。
そもそもこんな街中に水辺なんてあるのかね?という話であるが、その点は心配無用。
ロンドン市街には“カナル”と呼ばれる細い運河が密に張り巡らされているのだ。
カナルは古くは運輸と交通の要であったが、現在では観光産業を支えている。今も昔もロンドンになくてはならない水辺なのだ、ある意味ではこの街も水郷、水の都と言えるのかもしれない。
カナルは人の都合に沿って作られた極めて人工的な水辺である。細く、護岸が整備され、周囲は深夜から明け方を除けば常に人の気配が絶えない。
魚からしてみれば落ち着かない環境のように思えるが、たしかにノーザンパイクはここに棲んでいるのだそうだ。
案ずるより産むが易し。ともかく釣りを始めてみよう。
与えられた捜索時間は…2日間だ。
地元の人はノーザンパイクを釣らない?
そもそも、常に人通りのあるカナル周りで釣りをすること自体許されるのか?と不安だったが、フィッシングライセンスを取得した上で場所を選べば問題ないとのことであった。
実際に釣りをしている人もちらほら見かける。
しかし不思議なことに釣りを楽しんでいるのは皆おじさんばかり。
さらにそのほとんどが狙うのは『パーチ』や『ローチ』などの小型魚ばかり。ノーザンパイクを釣ろうとしている人は三日の滞在で一度も見かけなかった。
彼らに話を聞いてみるとノーザンパイクの存在についてはよく知っていた。
だが「小魚を釣る方がゲーム性が高くて面白い」「ノーザンパイク釣ると仕掛け切られるじゃん…ルアー壊れるじゃん…」とどうも乗り気ではなさそう。もちろん、大きなパイクを求める者もいるようだが少数派らしい。
釣りに対して、魚に対して、ロンドンの釣り人は繊細な駆け引きを求める傾向が強いようだ。
なんとも言えぬ気まずさ
ノーザンパイクは悪食である。仕掛けは目立てば目立つほど良いであろうという考えから、手のひらサイズの大きなルアーを釣竿に結ぶ。
…しかし、いざ釣竿を携えてカナルを練り歩くとなんとも気まずい。
悪目立ちしているというか、明らかに自身が街並みの中で浮いている気がしてくるのだ。
…地元の釣り人は溶け込めていた。彼らと何が違う?
釣竿が異様にぶっといのがいけないのか?そこにルアーが大きすぎるからか?アジア人だからか?
いや、そうじゃない。この違和感はきっとあれだ。
通りにあふれているカルチャーだとかアートだとかグルメだとか歴史だとか…そういうものを視界に入れる余裕なく、魚のことばかり考えていることに起因しているのだろう。
要は洗練されたひなた者の集まりにオタクが入り込んでしまった時の…あのえもいわれぬアレが生じてしまっているのだ。
気分を変えて、景色を楽しみながら探索することにした。
パンクファッションの若者、川辺に並ぶ出店、壁を塗りつぶすグラフィティアート。
日本で釣りをしながら目にする光景とはかけ離れている。
あっ、魚ぬきにしても面白いなここ。
ようやく、この街に、運河に馴染めてきた気がした。
そう。奇異の目もストリートフィッシングの醍醐味よ。
見てろよ見てろよ、ジロジロ見てろよ?
注目度最高潮にでっかいパイク釣って沸かせてやるからな?LONDON沸かせてやるからな?
…が、そう甘くはないんだなぁ。
なっかなか釣れないが、それもまた良し。
こういう時はお茶でも飲んで、飯でも食って休むべし。備えるべし。
それにほら。やっぱイギリス来たならアレ、食べとかなきゃいけないでしょう。F&C、食べとかなきゃいけないでしょう。
と、ここへ来て想定外の事態である。ふらっと入った店のフィッシュアンドチップスがデカすぎる。
標準的な日本人男性では食べきるのが困難なほど盛りが凄まじい。
フィッシュだけでもすでにニンテンドースイッチくらいのボリュームがあるが、その下に敷かれた大量のフライドポテトがまた大変だ。
おそらく魚の揚げ油を吸わせる役割も兼ねているのだろう。
ご丁寧にたっぷりとマヨネーズ&ケチャップをも添えられたそれは、もはや食べる暴力。フライドテロリズム。
しかし、美味い。
塩と炭水化物と脂質のゴリ押しで、脳が「う、美味いですゥ!!」と自白を強要される。
…美味いんだが、やはり食べきるのがしんどい。腹はパンパン、口腔はパサパサ。コーラが売れるのも納得。
しかし、スリムでおしゃれなロンドン小僧たちも澄まし顔で巨大フィッシュ&チップスを頬張りながら歩いているではないか。その細いお腹のどこにそんな量が入るんだ。
よしんば入ったとしても、消化できるのがすごい。
僕はというとどうにか完食こそできたが、その後は胃袋全力投球。まともに動けなくなり、そのまま初日が終了した。
歯がすごい!パワーはしょぼい!
二日目、最終日。
フィッシュアンドチップスによる胃もたれをバーガーアンドポテトで塗りつぶして出動する。
カナルに着くとなんとなく「大型魚とはいえ、これだけ人通りが多いと物陰に隠れていたいだろうなあ」と思い立ち、ゴミが水面を埋め尽くすポイントへ。
橋脚の陰にルアーを投げ込むと、竿を握る手元に「ゴリッ!」という手応えが!
「やった!来た!」
と、叫び終わるかどうかという間に、足元には立派なノーザンパイクがビチビチと跳ね回っているのだった。格闘時間、実に3秒。
えっ…。あっけなさすぎない…?抵抗弱くない…?
いまさら暴れるノーザンパイクを優しく押さえ込み、観察する。
まるで森林性の爬虫類を思わせるオリーブ色に淡いまだら模様の魚体。
この体色は水草の茂るカナルで保護色となり、幼魚のうちは外敵から身を守り、成魚になれば身を隠して獲物を待ち伏せするのに役立っているに違いない。
体型は細長い円筒型で、ロケットのようにヒレが魚体の後方にかたまって付いている。
これは「ダッシュ」的な短距離直線遊泳に特化した魚の体型だと言えるかもしれない。やはり水草や障害物の側で獲物を待ち伏せて急襲するのだろう。だが、それ以外の動きはめっぽう不得手と見える。釣り針にかかってからの体たらくを思い出しても間違いないだろう。スタミナとか小回りとは無縁な、攻撃特化の魚ということなのかもしれない。
体型からの生態推測が正しいとすると、カナルは人工的ながらも彼らにとって都合が良い環境であると言えるかもしれない。
水深は浅く日が差しやすく、それでいて浚渫や除草作業が定期的に入るので常に適度な量の水草が茂りやすいと考えられる。そうした場所には小魚やエビ、水生昆虫など獲物となる小動物が集まりやすいのだ。
つまり、ひょっとすると彼らは「人口的な環境なのに」ではなく「人口的な環境だからこそ」栄えた魚であると言えるのかもしれない。
※ノーザンパイクは北米からユーラシア大陸北部に広く分布しているが、本来ロンドンには自然分布していなかった。現在、カナルを跋扈しているパイクたちは人の手によって持ち込まれたものの末裔だと考えられる。
そして何より特筆すべきはアヒルのくちばしのように広く、長く突き出たその大口!
しかもそこに生えた歯ときたらどうだ。下顎に並んだ歯は獲物を仕留め、拘束するために鋭く、厚く、太い。もはや牙と呼んでも差し支えのないであろう凶度である。
さらに上顎にはびっしりと、獲物を決して逃すまいという執念が具現がしたように何列にも渡って鋭い小歯が敷き詰められている。さながら邪悪なマジックテープといった様相だ。
…絶対に噛まれたくない。
パイクは極めて貪食な魚で、目についた生物に手当たり次第に食いつく獰猛さを見せる。
口に入りきらない獲物であっても、自身よりも弱い動物だと認識した瞬間に飛びかかるのだ。
時に同種同士で共食いもするし、水鳥や哺乳類さえもその牙にかける。事実、取材中にも地元のマダムから「パイクらしき魚が子犬を水中へ引きずり込む現場を目撃した」というショッキングな証言も飛び出した。
…本当か?Youtubeの衝撃映像特集で見たとかじゃなくてか?
物陰で待ち伏せ、通りかかった獲物を無差別に襲う…。
そう言えばノーザンパイクには『ジャックフィッシュ』なる別名がある。ロンドンつながりで言えば、さながら水中の切り裂きジャックである。
ちなみに先の1匹を皮切りに、立て続けに5匹のノーザンパイクが釣れたのだがそのうちの一匹、70センチほどの個体に奇妙な傷があった。
背中にざっくり三本、深く切り裂かれて治癒した痕跡…。
これはひょっとすると自身よりはるかに大きな同種に襲われた際に負ったものかもしれない。
じゃあこいつは切り裂かれジャックか…。
穏やかそうなカナルでも弱肉強食のドラマは起きているのだなぁ。
※食べませんでした
なお、ノーザンパイクは小骨こそ多いが味はまずまず良いとされる。ぜひ食べて見たかったのだが、このカナルにおける遊漁規則で(外来種ではあるが)スポーツフィッシングの対象魚としてリリースが義務付けられていたため叶わぬ夢となった。まあ分布は広い魚だし、いずれまたどこかで。
ちなみにノーザンパイクは北米から北ユーラシアの広い範囲に分布するが、本来このロンドンには生息していなかった魚である。日本におけるブラックバスと同じく、スポーツフィッシングのターゲットとして他地域から持ち込まれたと言われている。外来魚というものは人の文化ありきの存在なのである。ならば世界の中心であるロンドンにパイクがいることはとても自然な不自然と言えるかもしれない。
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