もじゃもじゃとは?
まずは筆者が過去に生み出した「もじゃもじゃ」の写真を見てほしい。
3Dプリンタの出力に失敗したとき、そこに「もじゃもじゃ」が生まれる。
厳密には積層式という方式の3Dプリンタに特有の現象で、この方式ではベッド(土台)に樹脂で一筆書きのように2Dの絵を描き、それを何層も重ねることで立体をつくっていく。
このとき樹脂は、ノズルから、溶けた状態でところてんのように押し出されてくる。
これをベッド、あるいは一つ下の層の樹脂に押し付けて、絵を描くわけだ。
しかしなんらかの理由でノズルがベッドから離れてしまったり、下の層がなくなってしまったりすると…
樹脂だけがどんどん押し出され、糸状のまま固まり、やがて絡みあい、もじゃもじゃが生まれる。
トラブルから生まれる「実体」
つまりもじゃもじゃは、普通のプリンタでいう紙詰まりみたいなトラブルなのだ。しかし単に出力できないのではなく、想定外の「もの」がそこに出現してしまうところがおもしろい。
そんなもじゃもじゃの存在に目をつけたコンテストが開催されている。
それが株式会社メルタ主催の「もじゃコン」である。
「大惨事に、大賛辞を。」をキャッチフレーズに、全国の3Dプリンタユーザより自慢の作品(=もじゃもじゃ)を集め、その造形を愛でるというコンテストだ。今年で2回目を迎える。
今回はそんなもじゃコンの審査会にお邪魔した。
コンテストは写真応募のSNS部門と、現物を郵送する実物部門に分かれている。ここにあるのは実物部門の全応募作品である。
応募作品にはたとえばこんなものがある。(以下、カッコ書きは応募者名)
髪の毛が混じっているようにも見えるが、黒い樹脂がひっぱられて長く伸びたものである。気がつくとこういうのが3Dプリンタの奥にたまっていがちで、ユーザーなら誰しも親近感が湧いてしまう作品。
途中までちゃんとできているのに、急にダイナミックに波打ち始める作品。静と動をあわせもつ、水墨画的な美しさがある。
天使像を作ろうとして生み出されたもじゃもじゃ。
プリンタの紙詰まりと異なり、3Dプリンタは失敗しても途中で止まってくれない。そのため、トラブル発生が序盤であればあるほど大きなもじゃもじゃが生まれる。
額縁になるはずだった作品。注目は、写真手前の樹脂塊。
ところてんのように押し出された樹脂は、空いたスペースにうまく逃げれば通常のもじゃもじゃになるが、ノズル周辺にたまってしまうとノズルの温度で再び溶かされ、塊になる。出品作品にはこのようなタイプも多くみられた。
一見するとただのもじゃもじゃだが、よく見るとホイールの断片など、そこかしこにバイクであろうとした名残が……。
会場の審査員の間では「ピノコ」と呼ばれていた。
エモこそが「もじゃもじゃ」の滋味
ざっと見ていただいたように、一口に「もじゃもじゃ」といってもいろいろな方向性がある。多様なすがたは、それぞれ造形単体で彫刻作品として「ふーむ」と鑑賞することも可能だ。
しかし、「もじゃもじゃ」を語るうえで忘れてはいけないのは、これらが全て失敗作であるという点だ。
3Dプリンタの出力には時間がかかる。一晩かけて出力して「よーしできたかな~」と思って見に行くと、そこにあるのはただのもじゃもじゃ。この拍子抜け感、がっかり感といったエモの部分まで含めて味わうのが、もじゃもじゃの味わい方である。
かた焼きそばに例えると、もじゃもじゃの造形が揚げ麺、そこに人の落胆という「あん」がのっかって初めて、もじゃもじゃが完成するのだ。
朝でかけるまえにロボット用パーツの出力をセットし、一日働いて家に帰ったらこれができていた、その瞬間の悲しみが想像できるだろうか。
おまけにこの作品、材料費が3000円だそうである。泣ける…。
さっきは完全にもじゃもじゃだった天使像が、こんどは途中までうまくいっている。そこから一瞬のもじゃ期を経て、ずれた位置で出力が再開している。もうちょっとだったのに…。という口惜しさもまた味である。
後ろ半身はうまくいっているのに顔だけ失敗。他の場所であれば後加工でカバーできたかもしれないのに、よりにもよって造形の細かい顔が……という切なさ。
※白い部分はサポート材といって、出力のために必要な支柱。あとで除去する。
もじゃもじゃを彩るエピソードの数々
そうやって想像で感情移入するだけでもグッとくるものがあるが、応募作品には具体的なエピソードが書かれていることがあり、それがさらなるエモの花を添えてくれる。一部を引用しながら紹介していこう。
「(出力をはじめて)約3時間後にビルドシートを見ると、目当てのものは跡形もなく、この『もじゃ』がコテンと産み落とされていました。」
3時間待って得られたものがこれというがっかり感にくわえ、できるはずだったのは「金ピカの名刺ケース」で、そのギャップも滋味深い。
「(出力に時間がかかり)業を煮やした社長が出力スピードを速くするためにノズルを0.4→0.5→0.8mmと付け替えたところ、2台のプリンターが大破するという大惨事が起こりました。そのうちの1台が生み出した奇跡の作品を出品します。」
2台のプリンターを大破させた問題作。もじゃもじゃがダイナミックなら物語もダイナミック。ホビーユーザーの筆者は「さすが業務用はスケールが違うな」と感嘆させられた。
自然物であるバナナを、3Dスキャナと3Dプリンタで複製しようとしたところ生まれてきてしまった作品。
「人が神の領域に踏み込もうとした罰として、しっかりと受け止めて、向き合っていきたいと思います。」
創造行為とその倫理について踏み込んだ一作である。
学校の3Dプリンタから生まれたもじゃを寄せ集めたものだそうだ。
これまでの悲哀に満ちた作品とは違って、生徒や先生たちの日々の積み重ねという感じでぐっとくる。「校長室」と書かれたプレートなど、彼らの生活が垣間見られるものが残っているのも良い。卒業シーズンの今見るとなおさらである。
ボトム部分の数cmを出力したのち、いったんもじゃもじゃ化、その後なぜか持ち直して角の上半分が完成、という奇跡の作品。
「最初は順風だった人生がトラブルが原因で挫折してしまい、何もかもぐちゃぐちゃにしてしまって投げ出してしまったが、次第に心を取り戻し、徐々に前向きに生きていく...という文学性すら感じさせる奇跡のもじゃでした。」
プリントは大失敗にもかかわらず、現象としてレアすぎて、本人もがっかりどころか感動してしまっている。
このように、もじゃもじゃは造形の失敗でありながら、単なる「がっかり」ではくくれないいろいろな想いが詰まっているのだ。
もじゃもじゃの7分類
さて、この日は審査会ということで、会場には応募作のほか、4人の審査員の方々が来場していた。
もじゃもじゃを愛でるにふさわしい錚々たるメンバーがそろったわけだが、この審査会中に明和電機・土佐さんによるもじゃもじゃの分類が提唱された。仏教になぞらえて命名されたそれが大変興味深かったので、引用させていただこう。
以上の6分類に加え、今回は該当作品がなかったが下記のカテゴリを加えて7分類となる。
⑦「脱輪廻」。モーターの脱輪などで周期的な造形が生まれるパターン
この7分類、および「渓流からの土竜」といったような組み合わせによって、もじゃもじゃはできているという分析である。
この発表により審査に一定の指針が与えられつつも、最終的にはおのおのが自分の好みで作品を選んでいく、いい温度感の審査が行われた。
審査結果についてはコンテストの公式noteのほか、4/5(火)までミカン下北で開催されている「もじゃもじゃコンテスト展」にて発表されている。
展示ではこの記事に掲載できなかった作品も含め、実物部門の全応募作を見ることができる。お近くの方はぜひ足を運んでみてほしい。
「もじゃもじゃコンテスト展」
会期:2022年3月30日(水) - 2022年4月5日(火) 12:00-20:00 ※ 4月2日(土), 4月3日(日) のみ10:00 - 20:00
会場:東京都世田谷区北沢 2-296-4 ミカン下北E街区 202
入場料:無料
主催:株式会社メルタ、協力:京王電鉄株式会社
※ 予約不要。感染症予防の観点から、同時に入れる入場者数の制限を行う可能性があります。
※ 入場時の手指消毒の徹底や会場内の換気など、感染症対策を実施します
「もじゃもじゃ」とは一体何なのか
最後に、コンテストの主催者のみなさんにお話をうかがった。彼らはもじゃもじゃのどこに魅力を感じ、そしてなぜ集めているのか。
―― 初めて「もじゃもじゃ」が魅力的であると気付いたのはいつですか?
3Dプリンターのヘッド周辺でモリモリとフィラメントが膨れ上がり、機械に寄生する宇宙生物のようになったときの存在感に感銘を受けました。(事務局・淺野さん)
3Dプリンタに慣れてきたころです。油断したときに、喝を入れるようにもじゃは顔を見せてくれます。旧友に思いがけず会ったような感覚で初心に帰らさせてくれるし、毎回違った表情を見せ驚きを与えてくれます。(もじゃコン発案者・都さん)
―― 2回のコンテストを経て、現在感じているもじゃもじゃの魅力は?
悲しみと喜びの二面性を持つ点です。人は同じ経験を悲しみにも喜びにも変えられるのだよ、と励まされる気持ちになります。(株式会社メルタ・岡本さん)
―― コンテストを通して伝えたいことはありますか?
僕たちは失敗は挑戦の証として、「失敗は恥ずかしくない、悲しくない、讃えられるべきものだ!」という文化を作っていきたいと思っています。盛大にもじゃもじゃを作って失敗してしまったときの複雑な感情。そのような人達の涙を拭うキッカケになればと思っています。(株式会社メルタ 取締役社長・内野さん)
誰かの想い
「失敗は恥ずかしくない、悲しくない、讃えられるべきもの」と語る内野さん。
最後の最後で我田引水のようで恐縮だが、僕も「技術力の低い人限定ロボコン(通称:ヘボコン)」というイベントを主催していて、「うまくいかなかったことを楽しむ」というコンセプトを掲げている。だからもじゃコンには非常に親近感を感じているのだ。
ロボットを作る技術のない人が、おもちゃを改造してかろうじて作ってきた「自称:ロボット」を無理やり戦わせるイベント
もじゃコン発案者の都さんは、こんなことも言っていた。
「(もじゃもじゃの良さは)人を介さずにその背景にある失敗や物語の想像を膨らまさせてくれる点です。一体何を作ろうとしたのか、どの段階で失敗したのか、何故こんなことになるまで放置されていたのか、この後は無事成功したのか……もじゃはたくさんの想像の余白を持つ存在であり、全てのもじゃの裏には必ず誰かの想いがあります。」
誰かの想い。そう、創作物の裏には必ず「想い」があって、たとえ失敗作であっても……いや、失敗作だからこそより鮮明な形で、それが作品を通して透けて見える。そこがおもしろいのだ。
ヘボコンも、うまく動かないロボットを通して、制作者がここで妥協したなとか、ここであきらめたなとか、ロボットそのものよりも人間性を楽しむイベントだと思っている。
しかしヘボコンと、もじゃコンのあいだにはひとつ決定的な違いがある。
人間がロボットを作るとき妥協やあきらめは創作の終了を意味するのに対して、3Dプリンタは途中で出力に失敗しても、止まらず(想定外の形で)最後までやりきってしまうところだ。
だからこそ、もじゃもじゃは制作者自身にとっても大きなハプニングとなり、「がっかり」だったり「驚き」だったり、ときに「感動」や「笑い」であったりと、いろんな感情を呼び起こす。そしてその感情が、もじゃもじゃというかた焼きそばの「あん」であり、鑑賞者の感情移入のよりしろとなるのである。