特集 2013年12月17日

飛行機用の防空壕、「掩体壕(えんたいごう)」のたたずまい

田んぼの中にポツンとたたずむ、カマボコ型のコンクリート
田んぼの中にポツンとたたずむ、カマボコ型のコンクリート
「掩体壕(えんたいごう)」、というものがある。第二次世界大戦中に作られた、空襲から飛行機を守る為の施設。いわば飛行機用の防空壕である。

その形状は、カマボコ型のコンクリートにぽっかりと穴が開いたような、なんとも不思議な建造物なのだ。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

前の記事:ボコボコ道路に見る情緒

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フェンスでガチガチガード、調布飛行場に残る掩体壕

東京都心から程近く、調布市、三鷹市、府中市にまたがる調布飛行場には、全部で四基の掩体壕が現存する。

そのうち、飛行場の北側に広がる武蔵野の森公園には二基の掩体壕が残っており、見学する事が可能だと聞く。よし、それなら見に行ってみようじゃないか。
京王線の飛田給駅から歩き、味の素スタジアムを横切る
京王線の飛田給駅から歩き、味の素スタジアムを横切る
真っ直ぐな道を北上していくと――
真っ直ぐな道を北上していくと――
武蔵野の森公園に到着。ここに掩体壕があるらしい
武蔵野の森公園に到着。ここに掩体壕があるらしい
ちょうど、飛行機が着陸する所であった
ちょうど、飛行機が着陸する所であった
調布飛行場は、セスナやヘリコプターの飛行場として現役だ
調布飛行場は、セスナやヘリコプターの飛行場として現役だ
案内板にも掩体壕としっかり明記で分かりやすい
案内板にも掩体壕としっかり明記で分かりやすい
園内を歩いていくと……なにやら黒っぽいコンクリートの塊が
園内を歩いていくと……なにやら黒っぽいコンクリートの塊が
これこそが、掩体壕なのである
これこそが、掩体壕なのである
平べったいカマボコ型の不思議な建造物。見つけた時には思わずテンションが上がったが、フェンスに囲まれて近づけないのが残念だ。

案内板によると、調布飛行場の掩体壕は昭和19年(1944年)頃から作られたそうだ。戦況が悪化する中、乏しい資材で作られたという事もあって、コンクリート建造物としてあまり上質なものでない。

しかも築造から既に70年近くが経っており、あちらこちらがボロボロである。倒壊する可能性もあるとの事で、このようにフェンスで覆う措置も、まぁ、致し方ない。
しかし、これでは内部がほとんど見えない
しかし、これでは内部がほとんど見えない
せいぜい、フェンス越しに外観の写真を撮るくらいだ
せいぜい、フェンス越しに外観の写真を撮るくらいだ
裏側はすぼんでおり、タコの口みたいでなんだか可愛らしい
裏側はすぼんでおり、タコの口みたいでなんだか可愛らしい
遠目に見ると、土中に埋められた壺みたいである
遠目に見ると、土中に埋められた壺みたいである
かつて調布飛行場の周囲には、このようなコンクリート製の掩体壕が30基、土塁の掩体壕(土をコの字型に盛った、屋根のない掩体壕)が30基、計60基の掩体壕があったそうだ。

今に残るのはそのうちの四基だけだが、周囲の宅地化具合を見るに、四基残っただけでも大したものであろう。

もっとも、このようなコンクリートの塊を壊すのはかなり大変だろうし、撤去したくてもできないまま、今に残っただけかもしれない。
すぐ近くに、もう一基の掩体壕があった
すぐ近くに、もう一基の掩体壕があった
こちらは完全に塞がれており、内部が全く見えない
こちらは完全に塞がれており、内部が全く見えない
そのコンクリートは、やはりボロボロだ
そのコンクリートは、やはりボロボロだ
特に正面は崩れかかっており、砂利や鉄筋が露出している
特に正面は崩れかかっており、砂利や鉄筋が露出している
先程のものは割とほったらかしの状態であったのに対し、こちらは戦争遺構の文化財として保護される方針なのか、内側を新しいコンクリートで覆うなど補強の手が加わっていた。

かなり風化してはいるものの、それが独特の風情を生み出しており悪くない。……が、やはり内部を見れないのは残念だ。
こういう感じで戦闘機が格納されていたようだ
こういう感じで戦闘機が格納されていたようだ
ざらっとした、粗いコンクリートの質感が素晴らしい
ざらっとした、粗いコンクリートの質感が素晴らしい
植物も生え、なんとも不思議なたたずまいである
植物も生え、なんとも不思議なたたずまいである
この二基のほか、調布飛行場界隈では西側の府中市朝日町と白糸台にそれぞれ一基ずつ掩体壕が現存する。

朝日町のものは個人宅の敷地内にあり、遠目から見る事しかできないが、白糸台のものは府中市によって整備されており、なんと内部を見学する事もできるようだ。

当然ながら、私もその白糸台の掩体壕を見に行ったのだが、詳細な場所を把握していなかったのが災いし、見つける事ができなかった。
この辺にあるはずなのだが……見当たらない
この辺にあるはずなのだが……見当たらない
昔の地図によると、白糸台の掩体壕は甲州街道の北側に描かれてた。しかし、現在の甲州街道(国道20号線)はそれよりも北側を通っており、お目当ての掩体壕は国道20号線沿いの南側に存在したのだ。

前を向いて探していた物が、実は自分の背後にあった。国道20号線の北側をずっと探していた私は途方に暮れ、結局、掩体壕を見つける事ができないまま帰宅の途についた。

調布飛行場の訪問が不完全燃焼に終わった為か、私の“掩体壕の内部見たい欲”はぶくぶくと膨れ上がり、いてもたってもいられなくなっていた。その滾りをどこで発散させたのかというと、それは千葉県である。

戦時中、数多くの飛行場が存在していた千葉県には、たくさんの掩体壕が残っているのである。
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田畑の中にポツポツ存在、香取飛行場跡に残る掩体壕

というワケで、千葉県にまでやってきた。犬吠埼がある銚子市の程近く、旭市と匝瑳市の境に香取飛行場跡が存在する。

現在は工業地帯となっているその界隈には、全部で五基の掩体壕が現存するというのだ。今回はそのうちの三基を見る事ができた。
最寄駅は、JR総武本線の干潟駅
最寄駅は、JR総武本線の干潟駅
江戸時代、「椿の海」という湖を干拓してできた土地だそうだ
江戸時代、「椿の海」という湖を干拓してできた土地だそうだ
駅から20分程歩き、伊勢大神宮という神社に到着
駅から20分程歩き、伊勢大神宮という神社に到着
なかなか雰囲気のある神社である
なかなか雰囲気のある神社である
この神社西側の駐車場側に、掩体壕があるらしい
この神社西側の駐車場側に、掩体壕があるらしい
周囲をキョロキョロ見渡しながら探していると……ん? あれは!?
周囲をキョロキョロ見渡しながら探していると……ん? あれは!?
おぉー、やはり掩体壕であった
おぉー、やはり掩体壕であった
調布飛行場のものより、しっかりとした感じの作りである
調布飛行場のものより、しっかりとした感じの作りである
正面はこんな感じ。かなり大型でびっくりした
正面はこんな感じ。かなり大型でびっくりした
敷地にお邪魔させて頂き、近くで拝見する
敷地にお邪魔させて頂き、近くで拝見する
現在は農業用倉庫として使われているこの掩体壕。その上部は土によって覆われており、裏から見るとまるで古墳のようだが、これは上空から見て分からなくする為のカモフラージュである。

入口上部のコンクリートは多少欠けて鉄筋が露出してはいるものの、全体的に保存状態は良く、コンクリートの表面には枠板の痕をくっきり確認する事ができる。内部の空間は思っていた以上に広く、私は「すげー、すげー」と連呼しながら見入っていた。

さて、ひとしきり満足した私は、次なる掩体壕を求めて歩き出した。今の掩体壕は香取飛行場跡の南東端に位置しているのだが、北西端にも別の掩体壕が存在するのである。
香取飛行場跡の敷地沿い、真っ直ぐな道を進む
香取飛行場跡の敷地沿い、真っ直ぐな道を進む
30分ほど歩いていくと、掩体壕が二基、見えてきた
30分ほど歩いていくと、掩体壕が二基、見えてきた
田んぼの中にたたずむ風情がまた素晴らしい
田んぼの中にたたずむ風情がまた素晴らしい
匝瑳市によって説明板も設置され、立派な文化財扱いである
匝瑳市によって説明板も設置され、立派な文化財扱いである
ここに並ぶ二基の掩体壕のうち、一つはやはり農業用の倉庫兼作業場として使われているようで、その入口はトタン板で塞がれていた。

一方、もう一つの掩体壕は特に何かに使われているという事もなく、内部が開放された状態であった。
なんとなく、『風の谷のナウシカ』の王蟲を思い出した
なんとなく、『風の谷のナウシカ』の王蟲を思い出した
こちらもまたしっかり残っている
こちらもまたしっかり残っている
少々歪みのある曲線が、手作りっぽさを醸している
少々歪みのある曲線が、手作りっぽさを醸している
内部は外から見るより明るく、開放的な印象だ
内部は外から見るより明るく、開放的な印象だ
資材不足の為か、木材が使われている部分もあった
資材不足の為か、木材が使われている部分もあった
周囲が至って普通の田んぼなだけに、なんとも不思議な感じ光景だ
周囲が至って普通の田んぼなだけに、なんとも不思議な感じ光景だ
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人々の生活の中にある、茂原飛行場跡に残る掩体壕

さて、最後は千葉県の中でも特に掩体壕の現存数が多い、茂原飛行場跡へ行ってみた。

茂原市は地中から天然ガスが湧き出る驚きの土地で、当サイトライターの西村さんがその様子を先月レポートされていた(参考「自宅の庭にガス田がある生活」)。

しかしその一方で、茂原市は天然ガスの町であると共に、掩体壕の町でもあるのだ。
JR外房線の新茂原駅からスタート
JR外房線の新茂原駅からスタート
歩き始めて早々、ぽっかりと口を開けた掩体壕が姿を見せた
歩き始めて早々、ぽっかりと口を開けた掩体壕が姿を見せた
あまりにあっけなく最初の掩体壕を見つけてしまい、思わず我が目を疑った。木々がもっさり生えていて自然物のように見えるし、あれは掩体壕の入口風に山を掘った、横穴なのではないかと思った程だ。

しかしそれは正真正銘、コンクリート製の掩体壕であった。茂原ではさも当たり前のように、掩体壕が生活の中に溶け込んでいる。

最初の掩体壕を見つけた後も、数多くの掩体壕を確認する事ができた。
こちらは倉庫として使われているようだ
こちらは倉庫として使われているようだ
基本的な作りは香取飛行場跡のものと同じか
基本的な作りは香取飛行場跡のものと同じか
基本的に個人所有なので、その使用方法、管理状況は様々だ
基本的に個人所有なので、その使用方法、管理状況は様々だ
県道293号線沿いには、案内板も立っている
県道293号線沿いには、案内板も立っている
水路が湾曲し、暗渠となっている理由は……
水路が湾曲し、暗渠となっている理由は……
そこに、掩体壕がある為だ
そこに、掩体壕がある為だ
茂原に残る掩体壕でも特に立派なものとして、保存されるっぽい
茂原に残る掩体壕でも特に立派なものとして、保存されるっぽい
やはり一部は欠けたりしてるが、表面は綺麗なものだ
やはり一部は欠けたりしてるが、表面は綺麗なものだ
内側には、ムシロの痕がくっきり残っている
内側には、ムシロの痕がくっきり残っている
掩体壕の作成方法は、まず土をカマボコ状の形に盛り、その上にムシロを敷いて鉄筋を組んでセメントを流す。セメントが固まったら中の土を掘り出して完成、という手順らしい。

掩体壕の内側には、その作成行程の中で敷かれたムシロの痕が見られ、ザラザラとした質感がそっくりそのままコンクリートに転写されている。

コンクリートの打ちっぱなしなのにどこか有機的な、今のコンクリート建築には無い、味のある建造物に仕上がっている。
その近くにあった、ハリネズミのような掩体壕
その近くにあった、ハリネズミのような掩体壕
個人宅の敷地奥に、さりげなくある掩体壕
個人宅の敷地奥に、さりげなくある掩体壕
夕暮れの中、鳥が飛び交う掩体壕
夕暮れの中、鳥が飛び交う掩体壕
別アングルを探して歩いていたら、さらに発見した掩体壕
別アングルを探して歩いていたら、さらに発見した掩体壕
夕日を浴びて光り輝く掩体壕
夕日を浴びて光り輝く掩体壕
セメントに混ぜられた赤い石が妙にかわいい掩体壕
セメントに混ぜられた赤い石が妙にかわいい掩体壕
きめ細やかに残るムシロの痕。見れば見る程おもしろい掩体壕
きめ細やかに残るムシロの痕。見れば見る程おもしろい掩体壕

掩体壕の見学は、稲が刈り取られ、木の葉が落ちる冬季がベスト

戦時中に築かれ、終戦と共に役目を終えた。普通の公園、田畑、住宅街の中にポツンと残る掩体壕は、見慣れた光景の中にある遺物。日常の中の異常である。

そのギャップが掩体壕を味わい深いものとし、また何ともいえぬ寂寥感を際立たせているのだろう。

掩体壕は割とあっちこっちにあるようだが、やはり千葉県には群を抜いて多い。掩体壕は田畑の中にあるものが多く、またカモフラージュの名残か草木が生えているものも多いので、見学するなら全体像が把握しやすい今の季節がベストですな。
茂原に残る掩体壕群の南に伸びる真っ直ぐな道路。これは滑走路の跡らしい
茂原に残る掩体壕群の南に伸びる真っ直ぐな道路。これは滑走路の跡らしい
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