よく見ると、道路はボコボコだらけである
普段はあまり気に留める事もない道路のボコボコであるが、けつまづいたりして一度意識がそちらにいくと、途端に気になり出してくる。
そうして改めて見てみると、世の中の道路は、実にボコボコに満ち溢れているのである。
何の変哲も無い、その辺の道路である
アスファルトがツギハギだったり、ひび割れていたりするのが気になる
当然ながら、ひび割れている方が古いアスファルトなのだろう
古いアスファルトは砂利の目地が洗い出され、意外にカラフルだ
アスファルトの道路は、どろどろとした石油の絞りカスに砂利を混ぜたものを敷き、それを突き固めたものである。
道路が敷かれてから時間が経つ事で、油分が減ってひび割れやすくなるのだろう。そのひびの入り方も、千差万別でなかなか面白い。
住宅街では、下水などの整備で直線に切られた道路をよく見かける
その工事の痕が、新たなひびの呼び水となるようだ
またアスファルトは、交差点やその前後でもよくひび割れている。おそらくは、車が曲がる際、あるいは停車や発車の際、路面に大きな負荷がかかるのだろう。
もれなくひび割れボコボコな交差点
一応補修はされているが、それでもなおボコボコである
国道や県道といった大きな道路であれば、当然ながら定期的に補修の手が入る(それでも隠しきれていなかったりするが)。
しかし市道や私道のような小さな道路では予算が足りないのか、ボコボコが放置されたままである事が多い。
特に畑や林などに通る道では、手つかずのボコボコ道路を目にする事ができる。
田畑の風景にマッチするボコボコ道路
こちらはボコボコを通り越して、もはや崩壊気味
両脇にアスファルトを止めるものがない野良道路
当然のごとく、両脇からボロボロと崩れ落ちていた
さて、再び市街地に戻ろう。道路のひび割れは、マンホールの周囲でも起きやすいようだ。
マンホールの蓋が、まるで窓に撃ち込まれた弾丸のように、道路にひび割れを作るのである。
マンホールの側にもひび割れは多い
フラットなものの中に、異質が混じると歪みが生じるのだろうか
マンホールのひび割れを見ていたところ、ふと、色の付いた道路はよりひび割れが目立つ事に気が付いた
グリーンゾーンもレッドゾーンも、無残なまでにボコボコである
塗装がひび割れを浮き彫りにしているのだ
さらにマンホールも加わり、ひび割れの盆踊り状態である
歩道に多い、ザリザリとしたアスファルト
最初にも少し言及した事であるが、経年劣化によって生じるのはひび割れだけではない。アスファルトの油分が減り、砂利が砥ぎ出される場合もある。
これはアスファルトの質や突き固めの具合などにもよるのだろう、古ければ必ず生じるというワケではないようだ。むしろ、部分的に補修された部分がザリザリになっていたりもする。
一見しただけで、ザリザリとした質感が分かる
砂浜に対し、荒磯のようなアスファルトだ
このタイプの劣化は、歩道に多いようである
車道はその名の通り車が走る道だ。タイヤは路面の凹凸に敏感であり、ボコボコであろうと、ザリザリであろうと、行き過ぎた道路は補修される。
だがしかし、歩道は多少の凹凸も許されると考えられているのか、あるいは歩道まで補修する費用が回らないのか、歩道は車道よりも荒れている事が多い。
この部分だけ、まるでおろし金のようである
実際、大根を擦ったらおろしになるだろう
見ている分には楽しいが、転んだら膝がえらい事になりそうだ
独特の荒れた風情が漂い、個人的には大好きだが
ザリザリ状態になると表面積が増し、土が積もる
故に、植物や苔が生える。そして根がアスファルトをさらに割り、土へと還す。風化のプロセスがここにある
結局は、自然に還りゆく“廃”の心なのだろう
廃墟や廃道というものは、人が作り上げたものが自然へと還りゆく、その過程を楽しむものである。私が道路のボコボコやザリザリに惹かれるのも、突きつめてみればそれと同じ、そこに“廃”を感じるからなのだ。
ひび割れに同じものは一つもない。また道路によって、アスファルトに含まれる砂利の種類や色も違う。その場所ならではのボコボコ具合を楽しみながら、下を向いて歩くのも一興であろう。
こんなピカピカな新品道路も、いずれはボコボコになるのだ