首里劇場
まずは改めて首里劇場の歴史を。
首里劇場が建設されたのは1950年なので約70年前である。
当時の首里市にはじめて建設された劇場だった。
もともとはうちな~芝居(沖縄芝居)や時代劇の小屋としてスタートし、並行して邦画や洋画も上映していたそう。
劇場は芝居の上演のために地方から来た一座がそのまま寝泊まりできるようになっていて、舞台裏には今でもその頃のかまどや炊事場の跡が残っている(記事の後半に出てきます)。
以前は成人映画のポスターがあった掲示板には、復活に向け館長直筆の次回映画の告知が貼ってあった。
館長の味のある字が首里劇場に合っていてとてもいい。
成人映画時代には一律800円表示だった入場料金も、名画座になるので女性やこども料金も堂々と設定したとのこと(以前から値段は設定されていたとか)。ちなみに男性よりも女性が安い理由はトイレが使いにくいからだそう。
今後トイレを工事をする予定があるけれど、工事後も様式自体は変わらないのでやっぱり女性は使いにくいとのこと。
何度かトイレは見に行ったことがあるが、わたしはあそこで用を足せる勇気はないので、女性やこどもは公共の施設で済ましてからがいいと思う。
館内入り口には健全な映画のチラシが置かれていた。
こちらが名画座になってはじめての首里劇場のチラシ。
吉永小百合主演の「あゝひめゆりの塔」とマリリンモンローの「ナイアガラ」が上映される。
壁の端っこには成人映画時代の痕跡も。巨乳女優総選挙大会の投票結果。
誰も存じ上げなくて結果に対しては感想が出ないが、「全106回開催」されたことは素直にすごいと思った。
手前が金城館長と、奥に広報担当でありシネマラボ 突貫小僧の平良竜次さん。
復活までのあれこれを忙しそうに準備されておられた。
平良さんには前回に引き続き今回も取材を取り次いでいただいたことを、ここでお礼申し上げます。
お話を伺った
なぜ成人映画から名画座に路線を変更することになったのか、金城館長にお話を伺った。
- 約50年続けてきた成人映画をやめようと思われたのはなぜですか?
ニーズに合わなくなってきたというのが大きいですね。ビデオテープが出始めてからだんだんお客さんは少なくなりました。今まではTVで見られないのを映画館で見ていたけど、TVで見られるようになったから。
- なぜ名画座に?
第一は自分がやりたかったから。成人映画でも人は来ないんだから。自分がやりたい名画座にしようと。
でも成人映画のときもタイトルはエロおじさんたちを惹きつけようとして過激だったけど、成人映画は成人映画でストーリーも内容もちゃんとしていてよかったんだよ。
お客さんは1日15人程度。密集しない、建物が古くてすきま風、接客もしないからNO密だよ。
- 名画座になっての第一弾映画が「あゝひめゆりの塔」の理由は?
「あゝ」と思って。
- え?
(笑)
やっぱりクラシックで沖縄の映画ということもあっていいかなと。
1968年にひめゆりが最初に上映はされたときは他の沖縄の映画館では上映されたけれど、首里劇場ではやっていないと思う。
- 今まで首里劇場に興味があっても成人映画館だったから来られなかった人も楽しみにしていると思います
旧作を首里劇場で観てみた時に思ったんだよ。映画館と映画が一緒だって。
だから張り出しているけど
「ようこそ昭和の時代へ / 昭和の匂いがする劇場で / 昭和の映画観て / 昭和にタイムスリップ / 昭和を旅しよう」
がキャッチコピーになった。
旅しているようなもんだなと。昭和の匂いもするし、昭和の映画を見ながら昭和を感じられたらいいでしょう。
だから建物は修繕する必要はないなと。
雨が降れば傘をさして映画を観たらいいじゃない(笑)
- 今後が楽しみですね
まだ蓋を開けていないからどうなるかはわからないよ。1週間で潰れるかも!
- いやいやいや!!
劇場内や裏側に入らせてもらった
首里劇場内。コンクリートをひいたままの床に、古い跳ね上げ式の座席と比較的新しいベンチ席がずらりと並んでいる。
築70年なのでもちろん痛みや汚れはあるが、ゴミや埃などはない。
聞くと毎日金城館長が汲み上げ式の井戸水で!(上下水道がきていないそう)掃除をされているとか。
名画座になることで新しく導入された消火設備。
水が来ていないからスプリンクラーなどはつけられず、めっちゃ大きな消火器の様なものになったそう。
非常灯。小さいが設備的には合格したらしい。
舞台裏に
普段は入れないスクリーン奥にも入らせてもらった。
これはフィルム映画時代のフィルム巻き上げ装置だとか。
他にもこれまで使ってきたという、いろんな機械が雑多に置かれていた。
これも無造作に置かれた黒板。
よく見ると「千秋楽 千鳥節」と書いてある。
かつて映画上映と並行して沖縄芝居や琉球舞踊の公演をやっていた時代のものか。
この後に新たに書き直されていないということは芝居時代の最後のものかもしれない。
どんちょう。
はっきりしないが、この色合いや首里劇場が完成した時代背景から鑑みたら、もしかすると元は米軍テントだったのかもしれない。
見ている我々は「館長!これって!」と興奮してしまうが、当の館長は「うーん、どうかな。そうかもしれんけどわからんね」とどこ吹く風。
舞台裏の壁には年代物の広告。
沖縄にニュース専門の映画館があったのでは?と一同湧いたが、やはり館長はわからんねと言っていた。
まさに現役の沖縄の歴史博物館。
たぶん見る人が見たら宝の山だと思う。
永遠に不滅だぁ!
こうして改めて見てみる首里劇場の歴史的、文化的価値ってやっぱりすごい。
全国的にも同じだろうが沖縄でもここ10年で、多くの戦後すぐに建てられた建築物が取り壊されている。
中にはどうにか残そうという運動があった場所もあるが、残すのはものすごく大変で、ほとんどが実現せずに取り壊されてしまった。
でも首里劇場はなくならない。むしろ全然なくなりそうではない。
10年前に聞いた時も館長は「俺の命ある限り続ける!」とおっしゃっていた。
維持することの方が大変だろう。なぜ首里劇場を守り続けるのか。
「館長、何が金城館長を突き動かしているのですか?」
「広島のコイやね!」
....
.......え?恋?来い?鯉?
本当に私としても「なるほど!」と大きな声で言いたかったのだが、申し訳ないけれど全然わからなかった。
平良さんから補足が入り、金城館長は休館中に映画『鯉のはなシアター』を観たそうで、経営難で閉館しそうな映画館をアイデアと努力で復興させる物語に、首里劇場と同じものを感じたのではないかということだった。
いや、それってつまり首里劇場は映画と同じことを現実でやっているということでは。
こんな簡単な言葉で言っていいのかわからないが、もう、やっぱりすごいわ。
復活した当日に映画を見てきた
そしてついに5月1日、復活の日。
「あゝひめゆりの塔」の冒頭のシーンは1968年。
映画の光でぼんやりと照らされる古い天井や椅子が、その時代と相まって、映画を見ているというより映画に入っているような気になった。
館長も言っていたがまさに「映画館と映画が一緒」だった。
さすがに傘をさしながらというのは冗談だと思うが、外の雨音を聞きながら、うちわを仰ぎながら、沖縄の古い映画館で古い映画を見る。
沖縄の新たな楽しみ方が生まれた瞬間だと思った。
その後も、さすがに満席にはならないらしいがコンスタントに若者から老夫婦までいろんな人が首里劇場を訪れているらしい。
館長、よかったですね!