情報お待ちしています。
引き続き孤独なライオンの調査を続けます。もし孤独なライオンについて何かご存知の方は、この記事のTwitterシェアまたははてなブックマークにて情報提供をお願いします。調査に進展あれば報告します。
多摩川の河川敷を歩いていると、ぽつんとライオンの遊具が埋まっているのを見つけた。かわいいけどちょっとさみしい。このライオンの生い立ちに迫った。
場所は多摩川の第三京浜の橋の近く。二子玉川駅と上野毛駅と等々力駅のちょうど真ん中ぐらいにある。
Google Mapにも載っている。
「孤独なライオン」という場所がある。(2022年11月時点のGoogle Mapだと2つあるように見えますが、実際は1つしかありません。)
私はこのライオンを見て胸を打たれた。ちょっと歩けば河川敷では多くの人々が楽しそうに遊んでいるのだ。しかしこのライオン付近は整備されておらず、ただライオンが埋まっている。ああさみしい。でも良い…。
もうライオンのことが気になってしょうがない。ひとまずインターネットで調べると、このライオンは孤独なライオンや埋まったライオンと呼ばれているようだ。地域の人による紹介記事が何件か出てくる。
しかしいつからこのような姿になったのか、前はどうなっていたのかについての言及はなく、ぼんやりと謎に包まれているようだ。おそらく以前は他の遊具もあったのだろうが、誰も深掘りしていなかった。
そこで、もう少しがんばって調べてみることにした。
まずGoogle Mapのストリートビューを見る。ストリートビューには過去の撮影にさかのぼって表示する機能がある。最も古い撮影である2009年の写真に孤独なライオンは存在する。
あぁ、13年前からお前はそこにひとりでいるのか。泣けてくる…。
早くもインターネットの限界を感じたので図書館で調べることにした。
この図書館には川崎市高津区の地図が1990年版から2021年版までそろっている。孤独なライオンの位置は東京都世田谷区であるが、高津区の地図のすみっこにギリ載っていた。
そしてそこに書かれていたのは、多摩川遊園という文字。Google Mapではわからなかった情報である。孤独なライオンや野球グラウンドを含む河川敷一帯が巨大な公園なのだ。
そして、1990年版にも2021年版にも多摩川遊園の文字は存在した。
多摩川遊園というキーワードを手に入れたことで、一気に調べやすくなった。たすかる…。
つづきは孤独なライオンのホームタウンである世田谷区の図書館で調べることにした。
やけに小ぶりな施設だと思ったら、ここは本の取り寄せなど窓口業務に特化した施設のようだ。(カウンターってそういうことか…。)
ここには本は置いていないが、調べものの相談は受け付けている。司書さんに「つかぬことをおうかがいしますが…」と切り出し、多摩川遊園がいつできたのか、孤独なライオンがどういう経緯で孤独になったのかについて調べてもらうことになった。世田谷区民でもなければ都民でもないのに優しく対応していただきありがたい。
5日後、世田谷区図書館カウンター二子玉川から電話が来た。
さっそく、玉川公園管理事務所にも電話で問い合わせてみた。
「多摩川遊園のライオンの遊具について調べているんですが…」と切り出すと「あの遊具でしたら~」という感じですぐに返答された。孤独なライオンは管理事務所にも認知されているのだと知り、うれしくなった。
意外にも埋まったのは最近だった。3年前の台風以前は埋まっていなかったのだ。それより前は孤独なライオンではあったが埋まったライオンではなかった。しかし、それ以上の情報は得られなかった。
そうか台風か。ここは堤防の内側なので、多摩川が増水したらまっさきにダメージを受ける場所である。ということは、ライオンが孤独になった原因も増水かもしれない。増水で他の遊具が流されてライオンだけになったという説だ。
そこで「孤独なライオン 多摩川 洪水」で検索すると、いままで見つけられなかった日記記事にたどり着いた。
ビンゴ!伝聞調ということもありこの日記だけで「ライオンが孤独になった原因は台風」と断定するのはやや乱暴だが、台風の線を深掘りするのはよさそうだ。
いま気になっているのは、
①ライオンが孤独になった原因は本当に台風なのか
②本当だとしたらいつの台風か
の2点である。
ここで推理。もし遊具を流失させるような洪水が本当にあったとしたら、ライオン付近の地形にも影響をおよぼすのではないだろうか。だとすれば、航空写真でそれを判別できそうだ。…ていうか、なんで最初から気がつかなかったのだろう。航空写真を見ればいいじゃん!
たいへんありがたいことに国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスでは過去に撮影された航空写真を無料で閲覧することができる。
ちなみに、青色の丸で囲んだエリアは二子玉川園という遊園地である。ジェットコースターが見える。大正時代からの遊園地で1985年に閉園した。いまとなっては信じられない。
さて、この写真をぐっと拡大してみる。
現在の孤独なライオンがある場所に小さい四角の領域がある。砂場になっているのだろうか。
この後の年代の航空写真でもこの砂場のような領域は見られる。
1963年の写真で初めて観測された砂場は約40年後の2004年の写真でも観測された。しかし、この2004年の写真が最後であった。
2009年の写真でついに砂場が無くなっているのだ。残念なことに2004年の次の写真が2009年なので、この5年の間のいつ無くなったのかはわからない。
もし2004年から2009年の間に大きい台風や洪水があったとしたら、それがあやしい。そんな都合よくあるものだろうか。
……調べたところ、あった。筆者は当時この辺りに住んでおらず記憶にないのだが、国土交通省の記録によると、2007年9月の台風9号で「爆風や大雨が長く続き、小河内観測所では雨量が観測史上最大の710mmを記録石原で計画高水位を超過」とある。猛烈な台風だ。
当時の映像も見つかった。多摩川が増水で大変なことになっている。
となると、かつて砂場にはライオン以外の遊具もあったが、2007年の台風9号によってライオン以外の遊具が流失したと推測できるのではないだろうか。もちろん断定はできませんが。
ここまでわかったことを図にまとめてみた。
2007年の台風9号で多摩川が増水したことと、2009年以降に孤独なライオンが存在することは紛れもない事実である。
しかし、2007年以前にライオン以外の遊具があったことを裏付ける決定的な証拠は見つかっていない。また、ライオン以外の遊具があったとして、本当に2007年の台風で流失したのかもわからない。工事で人為的に取り除かれた可能性だってある。
そこで、2007年の台風9号をてがかりにもう少し調べてみた。
すると、近くの別の公園で2007年の台風9号によって遊具が流失したような記述が見つかった。
少なくとも2007年の台風は遊具を流失させるような威力であったことは確かだ。しかし、これ以上の情報は得られなかった。
正直、行き詰まってきた。それでも毎日少しずつ調査を続けていた。
ある日、2007年の台風ということで「"2007年" "多摩川遊園"」と検索すると、多摩川遊園は2007年放送のドラマ「オトコの子育て」のロケ地であることが判明した。高橋克典が子育てに奮闘するホームコメディだ。
このドラマの第5話にタイムカプセルを掘り起こすシーンがあり、そのロケ地が多摩川遊園らしい。
第5話の放送日は2007年11月23日であり、台風9号(9月6日)の後である。しかし、撮影はその何か月も前のはずだ。ということは台風9号の被害を受ける直前のライオンやライオン以外の遊具が映っているかもしれない。
ここまで十分調べてきた。うまくいってもいかなくても、これで調査は一区切りにしよう。
Google Mapのストリートビューを使って場所を特定する。
鉄塔、橋、木が一致している。ストリートビューに映っている木は、先のシーンの奥の方に映っている木である。
たしかにロケ地は多摩川遊園ではあるが、孤独なライオンとは離れた場所である。結局、遊具は映っていなかった。
ということで、残念ながら今回の調査はここまで。最後にここまでの調査結果をまとめておく。
引き続き孤独なライオンの調査を続けます。もし孤独なライオンについて何かご存知の方は、この記事のTwitterシェアまたははてなブックマークにて情報提供をお願いします。調査に進展あれば報告します。
情報提供してくださった皆さま、ありがとうございました。
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