楽譜があるお経(声明)がこの世にあると思っていなかったので「おもしろい話だな〜」と思っていたら、取材が終わった後に編集の石川さんからこんなメッセージが送られてきた。
確かに文字と一緒に上げ下げを表しているところが似てる。
なにかを読み上げるときにイントネーションをつけたくなるのは、お経に限ったことではないのかもしれない。お経とイントネーション、想像以上におもしろくて奥が深い世界だった。
棒読みで文章を読んでいると「お経みたいだ」と言われることがある。
しかし、改めて考えてみるとお経はなぜあんな独特のイントネーションで読むのだろうか。
あれはどうやって練習するのか。お経にもうまいへたがあったりするのか。
あふれ出るお経への疑問をぶつけるために、(かなり偉い)お坊さんに素朴な疑問をぶつけてみた。
北川真寛先生 高野山大学の准教授として、お坊さんになりたい学生の指導をされている。宗派は弘法大師空海が開いた真言宗。お寺の副住職さんでもある。
まいしろ デイリーポータルZのライター。「舎利礼文」というお経の最初の5フレーズだけ暗唱できる。
石川 デイリーポータルZ編集部。伝統音楽が好きで、お経のイントネーションがどう決まっているのかを常々疑問に思っていた。
まい 根本的な質問なんですが、そもそもお経ってなんなのでしょうか?
北川 ひとことでいうと、お釈迦さまなどの仏さまの言葉や教えをまとめたものです。お釈迦さまが入滅したあと(=亡くなったあと)、お弟子さんたちが集まって文章にしてまとめたものがお経ですね。
まい どういう内容が載っているんでしょうか?
北川 『法華経』や『華厳経(入法界品)』のように、ストーリー仕立てのものもありますよ!現代語で読んでみるとおもしろいお経も多いです。
まい そうなんだ!北川先生が特に推しているお経はありますか?
北川 はっはっは!
北川 ないですよ
まい ないんだ!
北川 すべて仏のお言葉ですから、好き嫌いはありません。「このお経、長いなー」と思うことがあるぐらいです。
まい 「最近トレンドのお経」とかもあるんですか?
北川 はっはっは!
北川 ないですよ
まい ないんだ
北川 お経にトレンドはないですね。人気があるお経は昔から決まっていて、『般若心経』などがポピュラーです。
まい 「お坊さんなら全員これが好き!」みたいなアンセム的お経はないんでしょうか?
北川 それがですね。日本に限って言えば、すべての(仏教の)宗派に共通するお経はないんですよ。だから「全国からお坊さんを集めて、すべての宗派合同で法要をしよう!」となってもお唱えするものがないんですね。
まい 宗派によってそんなに違いが!
北川 お経についてよく言われるのが、「八万四千の法門」という言葉です。八万四千というのは数が多いことのたとえですが、要は仏教(の宗派)によっていろんな違いがあり、たくさんの教えがあるということです。
まい お経って、全部でどれくらいあるんですか?
北川 これは難しいですね。一応「大蔵経」という、いろんなお経を集めた全集のようなものがあるんです。
大蔵経は、漢文のものや、チベット語のものなど何種類かあるんですが、日本だと大正時代に編纂されたものがメジャーです。
そこには、お経の註釈書やそれ以外の仏教解説書なども含めて、2920点が収められています。
まい まとまっているものだけで約3000点...!「今日はどれを読もうかな〜?」とか迷ったりしないんでしょうか?
北川 いつどのお経を読むかは、宗派それぞれである程度決まっています。私たち真言宗に限っていうと、朝勤行(=朝のお勤め)でもお葬儀でも、だいたい『理趣経』というお経をお唱えしますね。
まい TPOに合わせて読むべきお経が決まってるんですね!
まい お経って独特の読み方をすると思うんですけど、あのお経のイントネーションはどう決まっているのでしょうか?
北川 宗派によって基本になる読み方や節があって、基本的にはそれを耳で聞いて覚えます。何百年、宗派によっては千年以上も口伝で伝わってきたものを身につけていくんですね。
それから、高野山だと「雨だれが落ちるが如く」お唱えするのがよいとされています。
まい お坊さんどうしで聞いたときに、「この人はお経を読むのがうまいな」「この人のお経はもう一息だな」ってわかったりするものなんですか?
北川 ははははは
北川 私の口からは言えないですね(笑)
まい 慎み深いリアクションに、北川先生の徳の高さを感じました
北川 ただ、わかりやすい基準として「眠たくなる読経は上手な読経」というのがあるかもしれません
まい そうなんですか?!
北川 もちろん、元々のお声が良いという方もおられますが、お経というのは、一定のリズムを刻んでお唱えするのが上手なんです。
電車に乗っているとき「ガタン、ゴトン」という音で眠くなるように、人間は、一定のリズムを聞いていると眠くなります。なので、「今日のお経は眠くなりました」というのは褒め言葉なんです
まい 確かに、お経のときに叩いている木魚も「ポクポクポク」って同じリズムで叩かれることが多いですよね
北川 木魚は比較的新しいものなので、(歴史が長い)高野山では本来使わないんです。ただ、他の宗派だとメトロノームのようにリズムを取るために木魚を使っていると思います。眠気覚ましの意味もあるといわれていますね
まい 想像以上に実用的な理由でした...!木魚と一緒によく置いてある、お椀のような形の鐘はなんなのでしょうか?
北川 磬子(けいす)または鏧子(きんす)ですね。あれは、お経の始めや終わりの合図に使います。
その他にも「この真言(サンスクリット語の短い呪文)を7回お唱えします」といったときに、7回終わったら磬子を鳴らしてみんなに合図することもあります。
まい すごい!普段なんとなく聞いていたことがどんどんわかっておもしろいです!
まい お経のイントネーションの話に戻ると、「楽譜のように音の上げ下げを書いたお経がある」とお聞きしたのですが....
北川 真言宗や天台宗を中心に伝わる「声明(しょうみょう)」ですね。これがその楽譜です。
まい この、文字の左にあるナナメの線が楽譜になっているんですね
北川 声明は、東洋の音楽をもとにしてお唱えします。西洋の音楽は「ドレミファソラシ」で7個の音がありますが、声明のもとになっている東洋の音楽は「宮商角徴羽(きゅう/しょう/かく/ち/う)」の5個なんです。
それを、文字の横に記された線の角度で表しているんですね。
まい へえぇ〜!実際に読み上げるとどんな感じになるのでしょうか?
北川 たとえば、『理趣経』を声明として唱えるときは、歩きながらこのようにお唱えします
一方、声明の「讃」と呼ばれる、仏教における一種の賛美歌は、こうやって節をつけてお唱えします。シンバルのような楽器も使いますね。
まい すごい!迫力がありますね
北川 それから、厳密には異なりますが、東洋音楽にも西洋音楽でいう「メジャーコード」「マイナーコード」的なものがあります。
東洋の音楽では「呂律(りょりつ)」といいます。この呂律が上手くできないところから、「呂律(ろれつ)が回らない」という言葉が生まれました。
まい 呂律ってそういう意味だったんだ!
北川 高野山の声明は、横笛(おうてき)に音をあわせて音取りをしてきたそうですよ。
まい 音楽だと「歌いにくい歌」がありますが、声明も「お唱えしにくいお経」があるんでしょうか?
北川 難しいものもありますね。音の高低があるし、どうしても音痴な方というのはいらっしゃるので。ここは、どれだけご本人が練習を重ねるかにもよりますね
まい 声明とお経はまったく別のものなんでしょうか?
北川 いえ、たとえば(真言宗でよくお唱えする)『理趣経』は、最初は淡々と読むんですけど最後の方は声明のようになっていきます
まい 途中から声明に切り換わることもあるんですね!
北川 ただ、『理趣経』の最後は楽譜になっていないので、耳で覚えないといけないです。おそらく、お唱えするのが上手な方がいて、その人たちのやり方が少しずつ積み重なっていったのだと思います
まい 聞けば聞くほど奥が深くておもしろいです!
まい お寺でお経を聞いていると、「ここからは皆さんもお読みください」と急に参加を求められることがありますが、我々はあのとき何を読んでいるのでしょうか?
北川 真言宗のお葬式や法事、ご祈願の場合は、『理趣経』だけでなく『般若心経』をお唱えするパターンのときがあります。
そのとき、『般若心経』は(メジャーなお経のため)一般の方でもお唱えできる方がおられるので「ここは一緒に読みましょう」となることがありますね
まい 「参列者が読めそうであれば、一緒に読んでもらおう」という心遣いなんですね
北川 そうですね。こちらから「読みましょう」と言わなくても、(参列者の中でお唱えできる方がいれば)自然とお唱えされることが多いです
まい なるほど。同じくご焼香についてもお聞きしたいのですが、ご焼香のタイミングってどう決まっているのでしょうか?
北川 お坊さんには決まりがありますが、在家さん(出家していない人)のご焼香のタイミングは決まっていません。なので、真言宗の場合は、『理趣経』をお唱えしているときが多いですね
まい なるほど!もうひとつ疑問で、お坊さんが何名かいたとき、お坊さんがソロでお唱えするところと、全員でお唱えするところがあると思うのですが、あれはどう決まっているのでしょうか?
北川 皆でお唱えするときは、頭助(とうじょ)といって、まずひとりが最初の音を出すんです。これはお経に「ここまで一人で読んで、ここから一斉にお唱えする」というのが書いてあります
まい そうなんだ!それは何のためなんですか?
北川 お経や声明の音の高さやリズムを決めるんですね。「今日はこれぐらいの音で、これぐらいのリズムでいきますよ」というのを、音を出す最初の人が決めるんです。
まい 音楽でも、演奏前にみんなで音を合わせたり、拍子を取ってから始めたりしますが、お経にも似たような文化があるんですね!
まい ここまでお経の読み方についてお聞きしてきましたが、お経ってなぜそもそも唱えるんでしょうか?
北川 お経を唱えると、聞き手や自分に教えを説くことに繋がるからです。あとは、昔は文字を読める人が少ないので、読み上げた方が多くの人に触れてもらえたというのもあると思います。
まい 恥ずかしながら、何回お経を聞いても何を言っているのかわからないのですが...
北川 いまは確かに、お経を聞いても中身がわからない人が多いですよね。ただ、お経が翻訳された当時は、聴いたり読んだりすれば中身がわかる人もいたんですよ。
まい えっ、昔は普通の人でもお経がわかったんですか?
北川 たとえば真言宗のお経は、中国の漢文とインドのサンスクリット語が混ざっています。
一般庶民の方々には難しかったかもしれませんが、当時、僧侶や貴族などの知識人たちにとっては漢文を読めることは必須だったので、聴いたり読んだりすればだいたい中身がわかったんですよ。
まい いつも聴きながら「明らかに日本語じゃなさそうな発音があるな」と思ってましたが、お経ってガッツリ外国語だったんですね
北川 お経には二つの表現が混ざってるんです。ひとつは「音写」といってサンスクリット語をそのまま漢字にしたもの、もうひとつは中国語として漢文に訳したものです。
まい なぜ二つの表現が混ぜてあるのでしょうか?
北川 言霊という言葉があるように、言葉には神秘的な力が宿るとされます。意味は分からなくても、まずはその言葉に触れることに意味があるのではないでしょうか。真言宗でお唱えする「真言」も、あえて翻訳せずサンスクリット語そのままでお唱えします。それは「真言」が仏さまの「ことば」そのものだからですね。
まい なるほど!サンスクリット語そのままのところと、漢文にするところを決めるのはかなり大変そうですが、これはどなたが決めたのでしょうか?
北川 最初に翻訳した方が決めました。たくさんの翻訳家がいるのですが、特に有名な翻訳家が4名いるんです。さっき紹介した『般若心経』であれば、「西遊記」に出てくる三蔵法師のモデルになった玄奘三蔵が翻訳したお経がよく使われます。
まい 西遊記と聞いて、急に『般若心経』に親近感がわいてきました
北川 お経の翻訳というのは、中国語とサンスクリット語のどちらもわからないといけないんです。なので、中国・インドの人や、その二つの国どちらにも近い中央アジアの人が中心になってお経を訳していたようですね。
ちなみに、「あいうえお」の五十音表ってありますよね。あの五十音の横列の「あかさたな」は、インドのサンスクリット語をもとにしていると言われています
まい こんなところにサンスクリット語の影響が!
北川 私たちは、知らず知らずのうちに仏教からの影響を受けていることがあるんですよ
まい 最後に、仏教についての素朴な疑問もお聞きしていきたいです。ひとつめは「悟りを開くのはどれくらい難しいことなのでしょうか?」
北川 (真言宗の祖師である)弘法大師の教えでは、人はみな仏なんです。だけどそれに気付くのが難しい。気付きさえすれば、あとは早くてどんどん進むんですよ。
これは弘法大師の師匠に当たる方もおっしゃっていますが、悟るのが難しいのではなく、教えに出会うのが難しいということなんです。
まい あの、「悟り」がなにかつかめないのですが......
北川 つかんでいただいたら、それはもう成仏ですよ
まい そう簡単にわかるものではないってことですね。ちなみに、悟りって「いま自分は悟った!」と自分で感じるものなのか、周りから「おめでとう、悟ったね!」と言ってもらうものかどちらなのでしょうか?
北川 これも宗派によります。たとえば臨済宗という宗派だと、師匠が弟子に対して一対一で質問をします。弟子の答えを聞いて、悟りの深さを知るんですね。
まい どんな質問をするんですか?
北川 たとえば、両手を叩いて「どちらの手が鳴ったのか?」、「片手ではどんな音がするのか?」とか聞いたりします
まい ぜ、禅問答だ...
北川 まさに禅問答ですよね。これをただ「左手が鳴った」「右手が鳴った」「両手が鳴った」と答えているようではいけないということです
まい とりあえず自分が全然悟れていないことはわかりました
北川 日常的な思考や、理屈だけで悟りに至るのは難しいですね
まい 精進します。続いての質問は「お坊さんの服はどこで買えるのでしょうか?」
北川 うーん、Amazonや楽天では買わないです(笑)
まい ポチッとしないんだ!
北川 法衣店という専門のお店があるんです。高野山にもありますが、特に京都に多いですね。ネットにも一応あるのですが、衣や袈裟は、宗派ごとにちょっとずつ違うので、どこで買うにせよ専門のところに頼んでいます
まい 何着ぐらい持たれているんですか?
北川 何着...?
数えたことはないですが、普段使いするもの、礼服用のもの、夏用・冬用などがあるので、10着以上はあると思います
まい お坊さんの服って、見た目にきれいなものも多いですよね
北川 もともとインドだと、袈裟(けさ)という長い布きれを1枚だけ身体に巻き付けるように着ていたんです。ただ、中国や日本はインドより寒いし、特に高野山だと1枚では凍え死んでしまいます(笑)。
まい 山奥ですもんね!
北川 あとは、中国や日本では歴史的に(お坊さんが)皇帝や天皇陛下の前に出ることがありました。なので、官僚たちが着ていた服をもとにした衣を、袈裟の下に着るようになったんです。そのため、さまざまな色の豪華なものがありますね
まい なるほど、大変おもしろいです!最後の質問は「お坊さんに向いているのはどういう方でしょうか」
北川 私からすればどんな方でも大丈夫ですが、一番大事なのは健康ですね。
まい 重みのあるお言葉ですね
北川 健康じゃないとお勤めも修行もできませんから。やっぱり心身の健康は一番大事ですよ。
楽譜があるお経(声明)がこの世にあると思っていなかったので「おもしろい話だな〜」と思っていたら、取材が終わった後に編集の石川さんからこんなメッセージが送られてきた。
確かに文字と一緒に上げ下げを表しているところが似てる。
なにかを読み上げるときにイントネーションをつけたくなるのは、お経に限ったことではないのかもしれない。お経とイントネーション、想像以上におもしろくて奥が深い世界だった。
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