栗林さんが、「クリビジョン」でとらえた昆虫の世界
もう、このビジュアルの時点でとてもシビれてしまう。栗林さんが手にしているのはライフルではなく、みずから開発したカメラ「クリビジョン」。いったいどんな昆虫の世界を写し出すのか、さっそく見てみよう。
まるで虫の息づかいが聴こえてきそうなダイナミックさだ。「虫の息」という言葉の意味を一瞬忘れそうになる。
そして、この昆虫たちのメカメカしさよ。さまざまな特撮作品やアニメがオマージュしているように、メカデザインの源流は昆虫にあるのかもしれない。身に着けてみたいし、乗ってみたい。けれど、絶対に等身大で対峙したくない。
ところで、拝見していて「ん?」と思ったのがこちらの写真だ。
昆虫と人物、そして風景すべてに綺麗にピントが合っている!
いったいナゼ、こんな写真が撮れてしまうの? 教えてください栗林さーん!
カメラレンズ100台以上を分解し辿り着いたオリジナルカメラ
細長いレンズがついた、一風変わったビジュアルのカメラは、栗林さんが開発した『クリビジョン』。まるで自分が昆虫と対等にいるかのように昆虫を巨大に撮影し、しかも、遠くの海や空といった風景にまでピントをくっきりと合わせることができる。
栗林さん自身、昆虫を大きく撮影するためにはマクロレンズなどの接写専用レンズを使って撮影していた。
もちろん昆虫の姿はガツンと綺麗に写る。背景はボケてしまうけれど、彼らの迫力を強調するものにはなる。
しかし、どうしても美しい背景と巨大な昆虫を同時にフレームに収めたかった彼は、「ないなら自分で作る!」と、クリビジョン開発に踏み切ったのだ。
1974年、38歳の頃だった。完成までには約3年の月日を要したという。
「とにかく僕は、昆虫たちの生きざま――現実の昆虫たちの世界にこだわりました。アリの視点で見るリアルな風景を表現するには、既存のレンズはどれも不適格だったんです」
試行錯誤のすえ、ビデオ用のCCDレンズを利用しようと思い立ったという。店舗の防犯用などに設置されているものだそうだ。
焦点距離が短いため、顔を近づけても像がぼやけず、遠景もクリアに映るその特徴をカメラに応用した。ビデオ用のレンズを写真に。カメラ素人のわたしはまったく頭が追いつかないけど、とてもすごいことだというのは分かった。
ただ、ビデオ用のCCDレンズを取り付けただけの状態では何も映らない。映る工夫をしても、像は小さく、鍵穴を覗いているような形にしかならないのだ。
「僕は写真家だから、綺麗な写真を大きく引き伸ばして皆さんに見てもらいたい。だから、35mmのフルサイズにすることだけは、妥協できなかったんです」
どのようにしてフルサイズを実現するか、また、昆虫たちに警戒されないように撮影するにはどうすればいいかの試行錯誤が始まった。そこで、以前研究していた映画用カメラ(シネカメラ)からヒントを得たそうだ。
確かに、これなら昆虫と人との間に一定の距離ができる。けど、これを一人でやるって……。
リレーするレンズは約8枚。市販されているカメラ用レンズを解体し、リレーできるかを一枚一枚チェックして並べ変えていく。
組み合わせだけでも、失神して宇宙の彼方にすっ飛んでいきそうな数だろう。
解体したカメラレンズの数は100台以上に及んだ。アトリエにこもり、1日中レンズ開発に時間を費やす日々は、夢にまでレンズの大群が押し寄せてうなされてしまうこともしばしばだったという。
「まさに“寝食を忘れる状態”。なぜ人は眠り、食べなければならないのかと思ってしまうほどでした。1日が30時間以上あったらいいのにと本気で考えました」
開発も二年目に差し掛かろうとしていたある日、ようやく“超被写界深度カメラ”とも呼ばれる『クリビジョン』が完成した。本当に、聞いているだけでクラッとくる制作秘話である。実際はもっともっと、悲喜こもごもがあると思うのだけど。
いったい、そのすさまじい探求心はどこから来ているのだろう。時は50数年前、栗林さんの少年時代に遡る。
「工作博士」と呼ばれた少年心に火がついた
栗林さんは、当時まだ戦時中だった1939年、中国東北部の奉天にて生まれた。日本軍の技師として働いていた父が体を悪くし、故郷である田平町に移り住むこととなった。
田平町は長崎県の北部に位置。雄大な海と緑深い山々に囲まれた自然豊かな場所だ。「昆虫の里」と謳う通り、現在は約4,000種類の昆虫が田平町で棲息しているといわれている。
晴れた日には野山を駆け回り、自分で遊びを見つける。幼い頃から大自然とふれあう生活のなかで、「ほしいものは自分で作る」環境はしっかりと整っていた。子どもたちはそれぞれ自前の小型ナイフで、木工や竹細工に明け暮れたという。
自然遊びの1つに、チョウを追いかけたりセミを素手で捕まえたり。昆虫たちもまた、栗林さんの良き遊び相手だった。サナギから孵ったチョウ、セミの幼虫の脱皮、空を飛ぶバッタ……田平で過ごした少年時代には、こうした昆虫たちの不思議な生態にとことん魅了された。
父親が亡くなったことをきっかけに、小学三年生のときに上京することになった栗林さん。
住むことになった江戸川区の家の裏には荒川があり、当時は草原になっていた。田平の自然に慣れ親しんだ彼は早速そこを新しい遊び場とした。
もちろん遊びで欠かせなかったのが工作。田舎では当たり前だった遊びが都会では珍しかったようで、皆に「すごいね!」と褒められたことが嬉しくて、いろいろな遊び道具を披露した、と振り返る。
「とにかく物を作ることが好きだった。友人たちからは“博士”と呼ばれるほど、のめり込んでいましたよ」
国語、算数、社会、体育も苦手。得意なのは図工と理科ぐらいだった。
そんな自分を「博士」として認めてもらえることはとても嬉しく、ますます、工作のオリジナリティに磨きがかかる。
もはや、趣味は「機械いじり」となっていた。
小学校を卒業するころ、ウォルト・ディズニーの映画『砂漠は生きている』にとてつもない衝撃を受けた。タイトル通り、厳しい砂漠の環境下で生きるいきものたちのドキュメンタリーなのだが、鑑賞後しばらくのあいだ呆然としてしまうほどだったそうだ。
その経験と、かつて慣れ親しんだ田平の光景とがリンクする。「いつかこういう映像を撮りたい」と、はっきりとした夢を抱くのに時間はかからなかった。
中学校を出てからは、近所の木工所や酒屋で小僧として働いた。その間もカメラのことは忘れられず、仕事の合間を縫ってカメラ屋に走り、店頭のウィンドウから一眼レフカメラをひたすら見つめていたという。とても買える額ではなかったとのことで、それはたいそう、もどかしかっただろうなぁと想像する。
――そしてその後、転職して自衛隊に入隊したんですね!
「体力にあまり自信が無かったので、自分を鍛えてみたいと思ったんです。あと、団体行動にちょっとした憧れもあって」
配属されたのは、富士山のすそ野にある駐屯地。高原の植物が一面に広がる光景に、故郷とカメラへの思いがより一層強くなった。
そして、とうとう念願の一眼レフカメラを購入。当時の月給は6千円。カメラの価格は3万5千円で、月賦でようやく買えることができたという。
趣味で撮影を楽しんだものの、やはりプロカメラマンへの夢は捨てきれなかった。
自衛隊に転属願を出し、防衛庁で働きながら夜は写真の専門学校へ。授業だけでは満足せず、図書室に通って本を読みふけり、カメラの技術をどん欲に学んだ。
自衛隊を除隊後、好きなカメラを続けるために選んだのは保険会社の仕事。安定した休日を得て、それを全て写真の時間に充てるためだった。
これまで読んできたカメラ関連の本は数知れず。しかしその中で異彩を放つ愛読書が「ファーブル昆虫記」だった。
“生態観察の天才”と呼ばれたファーブルが書いた昆虫の世界を撮りたい。「ミクロの世界を写すカメラマンになる」。道筋がはっきりと見えた。
そのためなら、寝るのも食べるのも惜しまない。写真家でありながら発明家でもある栗林さんの、すべからくして歩んできた道のりだ。
大自然に囲まれた工房へお邪魔する
幾重にも積み重なり、30代にして爆誕した栗林さんの好奇心の塊――実物の『クリビジョン』を見せていただくため、事務所から少し離れた場所にあるアトリエにお邪魔した。
中へ入ると、アトリエというよりはまさに「実験室」。
まずは、昆虫の生態を観察するための水槽がどどんと鎮座しているのが目に入った。
屋外だけでなく、屋内でも、じっくりと時間を掛けて撮影することも多いらしい。例えば、卵が孵化したり、幼虫が成虫になるシーンを撮影したり、といった具合だ。
部屋じゅう見渡してみると、ここにもやはり栗林さんの開発魂が炸裂しているものがあった。
「これは、知人のお医者さんからいただいたレントゲンの機械を改造したものです」
なんと、レントゲンの機械を改造し、可動式のカメラスタンドにしてしまったのだ。
生き物を撮影するため、当然エアコンはガンガンかけられない。となると、夏は暑く冬は寒い。本当に体力勝負だ。
ちなみに、昆虫撮影のシーズンは4、5、6、7、10月頃とのことだ。「8月9月は暑さのため、僕と昆虫の活動が減ります」とのこと。
やはり冬はオフシーズンなのだけど、その間栗林さんが何をしているかというと、カメラの開発だ。
「シーズン中、撮影をしながら『次はこんな写真を撮ってみたいな』って考えて、それを実現させるために、ひたすらこもってカメラと向き合っています」
そんな、冬シーズンのおこもり部屋がこちら。
「より小さく、を目指してらっしゃる感じですか」と超素人質問をしてしまったところ、「画質の高さと、昆虫撮影に適したフォルムとのバランスを追求していく」とのことだった。
『クリビジョン』の進化に終わりはない。現状に満足せず、改造&改造のアップデートを繰り返す。ところで、これほどの部品、いったいどこから調達しているのだろう。
「佐世保ではなかなか欲しい部品が手に入らないから、福岡の『カホパーツセンター』まで行くこともあります」
うおお、電子工作の超頼もしい味方、九州随一の品揃えと言われる「カホパーツセンター」。わたしも一度だけ行ったことがあるが、異世界に迷い込んだかのような不思議な雰囲気だった(あまりに分からないものが多すぎて)。
昆虫撮影のコツ
――ところで、このカメラ(クリビジョン)って、一般人にも扱えるものなんでしょうか。
「それは、たぶん難しいです。僕にしかできない設定とかあるので」
――素人でも昆虫を上手に撮るテクニックを教えてくださると嬉しいです。
「動きが素早いチョウなどは、『次にこの花に来た時に撮るぞ』と、ある程度の目星を付けて準備しとくのが良いですね」
――「来てくれ」と念じながら、ひたすら息をひそめてカメラを構える感じですね。
「あと、雨上がりは意外とシャッターチャンスがあるんですよ。雨の翌日に晴れた時なんかは、昆虫たちが一斉に出てくるから。」
――おぉー。
「経験を積むと、『今、この子はお腹が空いているな』とか、撮らせてくれるかそうでないかの区別もつくようになります」
――長年、生態観察をやっていないと身に付かない技ですね!
実際に撮ってみた(まとめ)
取材後、「たびら昆虫自然園」にお邪魔して、昆虫の撮影(スマホで)にトライ。
“九州随一”と呼ばれるその規模は、4.1ヘクタールの敷地に昆虫標本などが鑑賞できる「昆虫館」と、池・水辺、畑・花壇、草地・裸地、林地の4つの昆虫観察ゾーンからなっている。
ガイドさんとともに園内を回りながら撮影を試みるも……。
やはりそんな簡単にダイナミックな写真が撮れるはずもなかった。ミクロの世界にはほど遠いけど、昆虫たちとの距離はやや縮まった気がするぞ!
83歳、まだまだチャレンジは続きます
失礼ながらも、栗林さんの御年齢をお聞きして驚いてしまった。83歳にはとても見えないほどに若々しいのだ。そこには、やはり尽きることのないチャレンジ精神が全細胞をみなぎらせているように思えるのだ。
栗林さんは新型クリビジョンによる映像撮影に励んでいる。なんでも、“アリの目”での撮影を去年から試みているらしい。
また、もうひとつ。
現在、ドイツのカッセルで5年に1度開かれている国際芸術展「documenta fifteen」にて映像作品を提供しているという。
栗林慧さんの息子である、現代美術家の隆さんが同芸術祭に招待された縁で叶ったというコラボレーションだ。
現地では「CINEMA CARAVAN」によるDJ と栗林さんの映像のアートパフォーマンスが行われたそうで、それはもう躍動感みなぎる光景だっただろう。
昆虫にバイブスを託し、虫の目線で盛り上がる。現地での映像がここからも見られます!
【取材協力】
栗林慧さん(KURIKEN 栗林自然科学写真研究所)
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