特集 2022年7月7日

工作博士は写真家になり、「虫の目」を手に入れた 昆虫写真家・栗林慧さん

長崎県平戸市田平町在住、昆虫写真家の栗林慧さん。

みずから開発したカメラで昆虫をダイナミックに撮影した作品の数々やユニークな人柄は、NHKなど全国的なメディアでも数多く取り上げられている。

そんな栗林さんを訪問したのは、写真家でもあり「発明家」でもある側面に強く惹かれたからだった。

1986年生まれ佐世保在住ライター。おもに地元の文化や歴史、老舗や人物などについての取材撮影執筆、紙媒体のお手伝いなど。演劇するのも観るのも好き。猫とトムヤンクンも好きです。

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栗林さんが、「クリビジョン」でとらえた昆虫の世界

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栗林慧(さとし)さん:昆虫写真家。1939年中国大陸生まれ。長崎県田平町の自然育ち。69年ごろに独自で昆虫スナップカメラを開発し、昆虫を中心とした生態写真の接写撮影を始める。超深度接写レンズを組み合わせた虫の目カメラ「クリビジョン」の開発を続け、現在は映像を中心に小さな自然界の一瞬を記録している。2006年にはレナート・ニルソン賞(科学写真のノーベル賞)を日本人として初受賞、08年に紫綬褒章を受ける。

もう、このビジュアルの時点でとてもシビれてしまう。栗林さんが手にしているのはライフルではなく、みずから開発したカメラ「クリビジョン」。いったいどんな昆虫の世界を写し出すのか、さっそく見てみよう。

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木枝の上で休むカミキリムシ【画像提供:栗林慧さん(KURIKEN 栗林自然科学写真研究所)】
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巣に飛び込んでいくミツバチ【画像提供:栗林慧さん(KURIKEN 栗林自然科学写真研究所)】
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カブトムシ二匹【画像提供:栗林慧さん(KURIKEN 栗林自然科学写真研究所)】

 

まるで虫の息づかいが聴こえてきそうなダイナミックさだ。「虫の息」という言葉の意味を一瞬忘れそうになる。

そして、この昆虫たちのメカメカしさよ。さまざまな特撮作品やアニメがオマージュしているように、メカデザインの源流は昆虫にあるのかもしれない。身に着けてみたいし、乗ってみたい。けれど、絶対に等身大で対峙したくない。

ところで、拝見していて「ん?」と思ったのがこちらの写真だ。

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栗林さんの著書「アリになったカメラマン 昆虫写真家・栗林慧(講談社)」の表紙にもなっている【画像提供:栗林慧さん(KURIKEN 栗林自然科学写真研究所)】

昆虫と人物、そして風景すべてに綺麗にピントが合っている!

いったいナゼ、こんな写真が撮れてしまうの? 教えてください栗林さーん!

カメラレンズ100台以上を分解し辿り着いたオリジナルカメラ

細長いレンズがついた、一風変わったビジュアルのカメラは、栗林さんが開発した『クリビジョン』。まるで自分が昆虫と対等にいるかのように昆虫を巨大に撮影し、しかも、遠くの海や空といった風景にまでピントをくっきりと合わせることができる。

栗林さん自身、昆虫を大きく撮影するためにはマクロレンズなどの接写専用レンズを使って撮影していた。

もちろん昆虫の姿はガツンと綺麗に写る。背景はボケてしまうけれど、彼らの迫力を強調するものにはなる。

しかし、どうしても美しい背景と巨大な昆虫を同時にフレームに収めたかった彼は、「ないなら自分で作る!」と、クリビジョン開発に踏み切ったのだ。

1974年、38歳の頃だった。完成までには約3年の月日を要したという。

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電子工作や機械工作を専門的に学んだ経験がなかった栗林さんの開発の原動力は、とにかくカメラが好きでたまらない、という至ってシンプルな理由だ【画像提供:栗林慧さん(KURIKEN 栗林自然科学写真研究所)】

「とにかく僕は、昆虫たちの生きざま――現実の昆虫たちの世界にこだわりました。アリの視点で見るリアルな風景を表現するには、既存のレンズはどれも不適格だったんです」

試行錯誤のすえ、ビデオ用のCCDレンズを利用しようと思い立ったという。店舗の防犯用などに設置されているものだそうだ。

焦点距離が短いため、顔を近づけても像がぼやけず、遠景もクリアに映るその特徴をカメラに応用した。ビデオ用のレンズを写真に。カメラ素人のわたしはまったく頭が追いつかないけど、とてもすごいことだというのは分かった。

ただ、ビデオ用のCCDレンズを取り付けただけの状態では何も映らない。映る工夫をしても、像は小さく、鍵穴を覗いているような形にしかならないのだ。

「僕は写真家だから、綺麗な写真を大きく引き伸ばして皆さんに見てもらいたい。だから、35mmのフルサイズにすることだけは、妥協できなかったんです」

どのようにしてフルサイズを実現するか、また、昆虫たちに警戒されないように撮影するにはどうすればいいかの試行錯誤が始まった。そこで、以前研究していた映画用カメラ(シネカメラ)からヒントを得たそうだ。

確かに、これなら昆虫と人との間に一定の距離ができる。けど、これを一人でやるって……。

リレーするレンズは約8枚。市販されているカメラ用レンズを解体し、リレーできるかを一枚一枚チェックして並べ変えていく。

組み合わせだけでも、失神して宇宙の彼方にすっ飛んでいきそうな数だろう。

解体したカメラレンズの数は100台以上に及んだ。アトリエにこもり、1日中レンズ開発に時間を費やす日々は、夢にまでレンズの大群が押し寄せてうなされてしまうこともしばしばだったという。

 

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新しいカメラが手に入れば解体される運命だった。これぞ研究(「アリになったカメラマン 昆虫写真家・栗林慧(講談社)」P146より)

「まさに“寝食を忘れる状態”。なぜ人は眠り、食べなければならないのかと思ってしまうほどでした。1日が30時間以上あったらいいのにと本気で考えました」

開発も二年目に差し掛かろうとしていたある日、ようやく“超被写界深度カメラ”とも呼ばれる『クリビジョン』が完成した。本当に、聞いているだけでクラッとくる制作秘話である。実際はもっともっと、悲喜こもごもがあると思うのだけど。

いったい、そのすさまじい探求心はどこから来ているのだろう。時は50数年前、栗林さんの少年時代に遡る。

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「工作博士」と呼ばれた少年心に火がついた

栗林さんは、当時まだ戦時中だった1939年、中国東北部の奉天にて生まれた。日本軍の技師として働いていた父が体を悪くし、故郷である田平町に移り住むこととなった。

田平町は長崎県の北部に位置。雄大な海と緑深い山々に囲まれた自然豊かな場所だ。「昆虫の里」と謳う通り、現在は約4,000種類の昆虫が田平町で棲息しているといわれている。

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「昆虫の里」として町おこしも行う田平町では、道の駅でこんな巨大なカブトムシのモニュメントが見られたりもする
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MRたびら平戸口駅には、巨大カマキリのモニュメントも(現在は撤去中のようですが復活してほしい……)

晴れた日には野山を駆け回り、自分で遊びを見つける。幼い頃から大自然とふれあう生活のなかで、「ほしいものは自分で作る」環境はしっかりと整っていた。子どもたちはそれぞれ自前の小型ナイフで、木工や竹細工に明け暮れたという。

自然遊びの1つに、チョウを追いかけたりセミを素手で捕まえたり。昆虫たちもまた、栗林さんの良き遊び相手だった。サナギから孵ったチョウ、セミの幼虫の脱皮、空を飛ぶバッタ……田平で過ごした少年時代には、こうした昆虫たちの不思議な生態にとことん魅了された。

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栗林さん中学生のとき(「アリになったカメラマン 昆虫写真家・栗林慧(講談社)」P28にも掲載)【画像提供:栗林慧さん(KURIKEN 栗林自然科学写真研究所)】

 

父親が亡くなったことをきっかけに、小学三年生のときに上京することになった栗林さん。

住むことになった江戸川区の家の裏には荒川があり、当時は草原になっていた。田平の自然に慣れ親しんだ彼は早速そこを新しい遊び場とした。

もちろん遊びで欠かせなかったのが工作。田舎では当たり前だった遊びが都会では珍しかったようで、皆に「すごいね!」と褒められたことが嬉しくて、いろいろな遊び道具を披露した、と振り返る。

「とにかく物を作ることが好きだった。友人たちからは“博士”と呼ばれるほど、のめり込んでいましたよ」

国語、算数、社会、体育も苦手。得意なのは図工と理科ぐらいだった。

そんな自分を「博士」として認めてもらえることはとても嬉しく、ますます、工作のオリジナリティに磨きがかかる。

もはや、趣味は「機械いじり」となっていた。

小学校を卒業するころ、ウォルト・ディズニーの映画『砂漠は生きている』にとてつもない衝撃を受けた。タイトル通り、厳しい砂漠の環境下で生きるいきものたちのドキュメンタリーなのだが、鑑賞後しばらくのあいだ呆然としてしまうほどだったそうだ。

その経験と、かつて慣れ親しんだ田平の光景とがリンクする。「いつかこういう映像を撮りたい」と、はっきりとした夢を抱くのに時間はかからなかった。

中学校を出てからは、近所の木工所や酒屋で小僧として働いた。その間もカメラのことは忘れられず、仕事の合間を縫ってカメラ屋に走り、店頭のウィンドウから一眼レフカメラをひたすら見つめていたという。とても買える額ではなかったとのことで、それはたいそう、もどかしかっただろうなぁと想像する。

――そしてその後、転職して自衛隊に入隊したんですね!

「体力にあまり自信が無かったので、自分を鍛えてみたいと思ったんです。あと、団体行動にちょっとした憧れもあって」

 

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自衛隊時代の栗林さん(「アリになったカメラマン 昆虫写真家・栗林慧(講談社)」P30にも掲載)【画像提供:栗林慧さん(KURIKEN 栗林自然科学写真研究所)】

配属されたのは、富士山のすそ野にある駐屯地。高原の植物が一面に広がる光景に、故郷とカメラへの思いがより一層強くなった。

そして、とうとう念願の一眼レフカメラを購入。当時の月給は6千円。カメラの価格は3万5千円で、月賦でようやく買えることができたという。

趣味で撮影を楽しんだものの、やはりプロカメラマンへの夢は捨てきれなかった。

自衛隊に転属願を出し、防衛庁で働きながら夜は写真の専門学校へ。授業だけでは満足せず、図書室に通って本を読みふけり、カメラの技術をどん欲に学んだ。

自衛隊を除隊後、好きなカメラを続けるために選んだのは保険会社の仕事。安定した休日を得て、それを全て写真の時間に充てるためだった。

これまで読んできたカメラ関連の本は数知れず。しかしその中で異彩を放つ愛読書が「ファーブル昆虫記」だった。

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事務所には昆虫の資料や本がたくさん
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ふと、「キテレツ大百科」を発見し、興奮して「これはこれは!?」と尋ねたが、お孫さんの愛読書とのこと

“生態観察の天才”と呼ばれたファーブルが書いた昆虫の世界を撮りたい。「ミクロの世界を写すカメラマンになる」。道筋がはっきりと見えた。

そのためなら、寝るのも食べるのも惜しまない。写真家でありながら発明家でもある栗林さんの、すべからくして歩んできた道のりだ。

大自然に囲まれた工房へお邪魔する

幾重にも積み重なり、30代にして爆誕した栗林さんの好奇心の塊――実物の『クリビジョン』を見せていただくため、事務所から少し離れた場所にあるアトリエにお邪魔した。

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足取りも軽く、「身長高いですね!」などと雑談をしながら歩く
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ガレージだった建物を半DIYして作ったアトリエだ
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入口のドアには、「KURIKEN(栗林自然科学写真研究所)のステッカーが

中へ入ると、アトリエというよりはまさに「実験室」。

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カメラを構えてぎょっとしたが、写真右手にいるクモは作り物だ。しかし、栗林さんなら実際に飼えそうである

まずは、昆虫の生態を観察するための水槽がどどんと鎮座しているのが目に入った。

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カブトムシの生態を撮影するために、リアルな土壌を再現したものだった

屋外だけでなく、屋内でも、じっくりと時間を掛けて撮影することも多いらしい。例えば、卵が孵化したり、幼虫が成虫になるシーンを撮影したり、といった具合だ。

部屋じゅう見渡してみると、ここにもやはり栗林さんの開発魂が炸裂しているものがあった。

「これは、知人のお医者さんからいただいたレントゲンの機械を改造したものです」

なんと、レントゲンの機械を改造し、可動式のカメラスタンドにしてしまったのだ。

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ものすごく見たことがある機械だ。まさか医療用のものまであるとは思わなかったのでびっくり

生き物を撮影するため、当然エアコンはガンガンかけられない。となると、夏は暑く冬は寒い。本当に体力勝負だ。

ちなみに、昆虫撮影のシーズンは4、5、6、7、10月頃とのことだ。「8月9月は暑さのため、僕と昆虫の活動が減ります」とのこと。

やはり冬はオフシーズンなのだけど、その間栗林さんが何をしているかというと、カメラの開発だ。

「シーズン中、撮影をしながら『次はこんな写真を撮ってみたいな』って考えて、それを実現させるために、ひたすらこもってカメラと向き合っています」

そんな、冬シーズンのおこもり部屋がこちら。

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ひたすら、大量のカメラとレンズと部品に囲まれて過ごします
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めちゃくちゃ小さいレンズ!カメラ用のレンズなんだけど、小さいから顕微鏡を見ながら改造したもの、とのこと

「より小さく、を目指してらっしゃる感じですか」と超素人質問をしてしまったところ、「画質の高さと、昆虫撮影に適したフォルムとのバランスを追求していく」とのことだった。

『クリビジョン』の進化に終わりはない。現状に満足せず、改造&改造のアップデートを繰り返す。ところで、これほどの部品、いったいどこから調達しているのだろう。

「佐世保ではなかなか欲しい部品が手に入らないから、福岡の『カホパーツセンター』まで行くこともあります」

うおお、電子工作の超頼もしい味方、九州随一の品揃えと言われる「カホパーツセンター」。わたしも一度だけ行ったことがあるが、異世界に迷い込んだかのような不思議な雰囲気だった(あまりに分からないものが多すぎて)。

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一見ごちゃごちゃしているように見えるけど、物の場所はきっちり記憶しているし、何かの拍子に役に立つものもあるとのこと
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1967年にZenza Bronica S2を改造して作った昆虫スナップカメラ。当時、世に出たばかりの小型ストロボを徹底的に研究し応用した
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昆虫撮影のコツ

――ところで、このカメラ(クリビジョン)って、一般人にも扱えるものなんでしょうか。

「それは、たぶん難しいです。僕にしかできない設定とかあるので」

――素人でも昆虫を上手に撮るテクニックを教えてくださると嬉しいです。

「動きが素早いチョウなどは、『次にこの花に来た時に撮るぞ』と、ある程度の目星を付けて準備しとくのが良いですね」

――「来てくれ」と念じながら、ひたすら息をひそめてカメラを構える感じですね。

「あと、雨上がりは意外とシャッターチャンスがあるんですよ。雨の翌日に晴れた時なんかは、昆虫たちが一斉に出てくるから。」

――おぉー。

「経験を積むと、『今、この子はお腹が空いているな』とか、撮らせてくれるかそうでないかの区別もつくようになります」

――長年、生態観察をやっていないと身に付かない技ですね!

実際に撮ってみた(まとめ)

取材後、「たびら昆虫自然園」にお邪魔して、昆虫の撮影(スマホで)にトライ。

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栗林さん撮影のスズメバチとショウリョウバッタの顔はめパネルもあるぞ

“九州随一”と呼ばれるその規模は、4.1ヘクタールの敷地に昆虫標本などが鑑賞できる「昆虫館」と、池・水辺、畑・花壇、草地・裸地、林地の4つの昆虫観察ゾーンからなっている。

ガイドさんとともに園内を回りながら撮影を試みるも……。

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そろ~り近づいて撮ったイナゴ。「前から撮れた!」と喜んでいたが、ピントが足にしか合っていないうえ、若干警戒されているような気がする
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オオミズアオの幼虫がどこかにいます。成虫はとても綺麗なので実物を見てみたかった

やはりそんな簡単にダイナミックな写真が撮れるはずもなかった。ミクロの世界にはほど遠いけど、昆虫たちとの距離はやや縮まった気がするぞ!


83歳、まだまだチャレンジは続きます

失礼ながらも、栗林さんの御年齢をお聞きして驚いてしまった。83歳にはとても見えないほどに若々しいのだ。そこには、やはり尽きることのないチャレンジ精神が全細胞をみなぎらせているように思えるのだ。

栗林さんは新型クリビジョンによる映像撮影に励んでいる。なんでも、“アリの目”での撮影を去年から試みているらしい。

また、もうひとつ。

現在、ドイツのカッセルで5年に1度開かれている国際芸術展「documenta fifteen」にて映像作品を提供しているという。

栗林慧さんの息子である、現代美術家の隆さんが同芸術祭に招待された縁で叶ったというコラボレーションだ。

現地では「CINEMA CARAVAN」によるDJ と栗林さんの映像のアートパフォーマンスが行われたそうで、それはもう躍動感みなぎる光景だっただろう。

昆虫にバイブスを託し、虫の目線で盛り上がる。現地での映像がここからも見られます!

 

【取材協力】

栗林慧さん(KURIKEN 栗林自然科学写真研究所)

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