門松の歴史
お正月は終わってしまった。小正月もすでに終わっている。しかし、この記事ではお正月をひきずりたいと思う。門松のお話なのだ。今年のお正月、私は門松の写真をたくさん撮っていた。
最近は門松を家の前に飾るということは減ってきたように思える。とは言え、どこかのビルの前を通ると門松が飾られていることもある。門松を見るとクリスマスが終わり、年の瀬がやってきたのだと感じる。
門松の歴史は古い。平安時代後期の祭礼行事を描いた「年中行事絵巻」を見ると門松を確認することができる。
もっとも今の門松とは随分と異なる。より松を感じることができるのだ。というか、松なのだ。
門松は「松」と「竹」がセットのように考えてしまうが、年中行事絵巻を見るに「松」だけなのだ。松は常緑樹なので一年を通して緑色なことが尊ばれたのだろう。竹が使われるようになったのは鎌倉時代になってからだ。
門松には梅を添えることもある。これは江戸時代になってからだと考えられる。江戸時代後期に描かれた「江戸名所図会」にも門松は登場するが、現代のものとは少し異なる。
随分と立派だ。同時にシンプルとも言える。現在よく見かける門松とは異なるけれど、台東区の甚内神社で似たようなものを見た。鳥居に葉のついた竹と松が括り付けてあるのだ。
門松の今
私の住む東京・狛江市ではまだ多くの家が門松を飾っている。と言っても簡略化した門松だ。そこには竹はなく松のみが使われる。門松は時代によって様々な形になる、ということではないだろうか。
竹も使った簡略化したものも見かけた。竹の上部を斜めに切るということはなく、竹と松を束ねただけのもの。先の甚内神社のように竹が長いということもない。
簡略化はしているけれど、地域によって門松は残っている。そして、「松」は必須で使われていることになる。竹がなくても松は使われているわけだ。門松という名前だから松だけでも全然納得できる。
だが、府中の門松は松を使ってないという。
府中の門松
東京の府中市にやってきた。「大國魂神社」がある街だ。大國魂神社は起源が111年というからその歴史の長さに驚く。今は2024年だ。随分過ぎるくらい昔だ。大國魂大神を祀り、明神様と呼ばれている。
私が大國魂神社を訪れてのはまだ松の内の頃だった。なぜ来たかというと、松を使わない門松を見るためだ。先に紹介した門松はどれも「松」が必ず使われていた。しかし、府中の門松は松を使わないと言うのだ。
1986年に出版された「府中の口伝え集」に門松に松を使わないという話が出てくる。明神様が八幡様に待たされて、待つのが嫌になったから「松」も嫌いになったというのがその理由だ。本当に松を使わない門松が2024年にもあるのだろうか。
門松を見つけた。確かに松は使われていなかった。松がある場所にスギが使われている。実は全国的に見ると松の代わりに「シキミ」や「サカキ」を使う場所もある。ただスギを使ったものを私は知らない。サカキは私の住む狛江市にある伊豆美神社がそうだった。
もっとも伊豆美神社は大國魂神社から分霊を勧請したものなので、松を使わないのかもしれない。その代わりに「サカキ」なのだ。ちなみに伊豆美神社の周りの家々の門松には「松」が使われている。
しかし、府中ではスギなのだ。少し詳しく書くと、明神様と八幡様が武蔵野野原へ散歩に行き、陽が暮れて宿屋を探すことになり、八幡様が明神様に「待っていろ、宿を探してくるから」と言ったらしい。しかし、八幡様は自分だけ宿を取り、明神様は待ちぼうけをくらい、待つのは大嫌い、松も嫌いになったそうだ。ダジャレだ。
大國魂神社の周辺を歩く。見かける門松は松ではなくスギだった。このような地域差を見ることができるのが楽しい。時代が進み全国的に平均化される中でこのような差がでるのが実に面白く感じるのだ。
松を使わない
先に簡略化された門松として松だけを門に飾ると書いた。似たようなことが大國魂神社周辺にもある。竹だけを使うのだ。ちなみに「府中の口伝え集」には、府中では松を植えることもダメだとあった。明神様は徹底して松を嫌ったようだ。
竹だけを立てる。この文化を知らない人は随分とシンプルな門松と思うかもしれない。いや、門松とさえ思わないかもしれないけれど、この地域では正当な門松と言える。葉のついた長いものをそのまま使うのが特徴の一つだ。
いろいろと歩いたけれど、松を飾る門松に私は出会わなかった。一般家庭でも竹だけの門松だった。府中の特徴の一つに出会えたことに感動した。
府中の門松が全て松を使わないかと言えばそうではない。1974年に出版された「府中市史下巻」を読むと、「中河原・四谷・小野宮」は竹だけではなく松を使ったと書いてある。それを確認しようと中河原駅にやってきた。
歩いてみる。古い家々も見受けられるが、門松自体を見ることがなかった。竹だけの門松がないという話ではなく、門松自体がもうないのだ。神社も訪れたけれど、そこには何もなかった。
ただ同じ府中でも四谷には「荒神松」というものがある。大晦日だけではなく毎月の晦日に松を取ってきて荒神に備えるというものだ。「府中の口伝え集」には府中には松を植えちゃいけないとあるので、同じ府中でも文化が異なるということになる。
随分と歩いて、やっと門松を見つけた。その門松は松だけのものだった。「府中市史下巻」にあるように、この辺りは同じ府中でも松を使わない門松の文化はないようだ。府中と一括りにしてしまうけれど、細かく見れば異なる文化があるのだ。それが地域の面白いところだと門松を見ながら感じた。
今年もよろしくお願いいたします
私の住む街から府中は歩いてもいける距離にある。それなのに異なる文化を持っている。私の家の周りは松を普通に使うのだ。神社だけがサカキを使っている。そのようなことを面白く感じる。ということで、もう19日だけれど、今年もよろしくお願いします!
参考文献
「府中の口伝え集」府中市立郷土館 府中市教育委員会 1986
「府中市史下巻」府中市史編纂委員会 東京都府中市 1974
「絵巻物に見る日本庶民生活誌」宮本常一 中央公論新社 1981
「歳時習俗事典」宮本常一 八坂書房 2011
「図説日本民俗学」福田アジオ,上野和男,倉石忠彦,古家信平,高桑守史 吉川弘文館 2009