ようやく到着、アメーバ飛び地
加茂駅を出発して早一時間。ようやく私は笠置町のアメーバ飛び地近辺にまでたどり着いた。とりあえず、印刷してきた詳細地図を手に、その境界を探ってみる。
ついにアメーバ飛び地に到着だ。そこには、特に境を示す標識とかがあるわけでもなく、至って普通の山の中。これじゃ知らなきゃ飛び地と分からないだろう。
……いや、そもそも、飛び地と知っている人じゃなければこんな妙な場所に入ってこないか。この道も農業用の作業道路みたいなモンだし。この狭さじゃ、せいぜいトラクターがギリギリ通れるくらいだろうし。
いやぁ、さすがはアメーバ飛び地ですなぁ。あぁ、素晴らしい、やれ、素晴らしい。……などということは無く、そこはまぁ、これまで通ってきた茶畑地帯と大して変わらない茶畑だった。
しかしだ、そこがどんな場所であれ、飛び地に入ったという事実に変わりは無い。飛び地、あぁなんて心惹かれる言葉なのだろう。飛び地、飛び地、飛び地。
……私は飛び地に入った。そう、私は飛び地に入ったのだ。
そのぐにゃぐにゃな形状ゆえ、きちんと道に沿って歩いていても、何度も飛び地に入っては出て、入っては出てを繰り返す。まったくもって妙なものだ。
しかしここまで何度も出たり入ったりを繰り返す中、一つ気が付いたことがある。飛び地に入ると、必ず耕作地が姿を現すのだ。茶畑とか、田んぼとか、この飛び地には必ずそういったものが含まれている。
疑問に思った私は、飛び地の範囲を周囲の風景を見比べてみた。すると……
お分かりになられただろうか。そう、この笠置町飛び地は、全て谷間に沿って広がっているのだ。逆に、山の部分は総じて飛び地からは外れており、木津川市となっている。
谷間というのは水が流れる場所であり、そのような場所は農業に適している。ゆえに、そこには水田やら茶畑やらが広がることになる。つまりこの飛び地は、この一帯における谷間の耕作地を網羅しているものだったんだよ!な、なんだって――!
おそらくは、この辺りを一番初めに開墾したのは笠置の人だったのだろう。その人は、谷間に田んぼを開き、山の上の方には手をつけなかった。その後、その人に土地の所有権とかうんぬんが発生し、さらにその後、行政区分とかうんぬんが行われる際に、笠置の方へと編入されることになったのだ。
とまぁ、その辺は私の想像だが、当たらずとも遠からずといったところではないだろうか。それにしても、結果的に飛び地に入らなかった山の上の方はどうなっているのだろうか。最後に、それだけを確認しようと思ったのだが……
茶畑は素晴らしい
いやぁ、期せずして凄い場所に出てしまった。なんだこの壮観な茶畑は。びっくりだ。あぁ、びっくりだ。しかし茶畑とはこうも美しいものだったのか。変な形の飛び地に行くつもりだったのが、うっかり茶畑の素晴らしさに目覚めてしまった。まぁ、そんな日もあるだろう。
実は後日、この辺りの山を管理している加茂笠置組合さんに電話で話を聞く事ができた。それによると――
・山の高所は木津川市、低い所は笠置町の飛び地となっている
・山の高所はかつて芝を取る場所だったが、今は茶畑か荒地
・なんでこの形状になったのかは、正確には分からない
ということだ。ここが管理されるようになったのが明治26年からだそうなので、この範囲が成立したのはおそらくそれより前なのだろう。まぁ、全てが明らかになるより、ちょっとぐらい謎のままであった方が良いこともあるさ。
加茂の北にあるこの飛び地も気になる