さて、冒頭の問題、答えは以下のとおりだ。
1. 落ちてきたドリアン→開いた口へぼた餅(棚からぼた餅)
2. 月桂冠の上で眠らない→勝って兜の緒を締めよ
3. 10か所に話を持ちかけ1か所で結納→下手な鉄砲数打ちゃ当たる
偶然見つけて購入した岩波書店『世界ことわざ比較辞典』からの出題なのだけど、その国の様々な文化が垣間みえてとても興味深かった。
今回はこの辞典の著者の一人である時田先生に直接お話をお伺いすることができた。それこそ目から鱗の話ばかりだったのだ。
10年で刊行までこぎつけたことわざ辞典
時田昌瑞先生は40年以上にわたりことわざを研究され、『岩波ことわざ辞典』や『絵で楽しむ江戸のことわざ』など著書も多く持つことわざ研究の第一人者である。
ことわざの辞書は様々あるが、小学3・4年生の国語の教科書に導入されたこともあり最近では小学生向けの方が多いそうだ。そういえば子どもの頃よく読んでいたなあ、ことわざの本。
さて、この記事でお話をお聞きしたいのは岩波書店から今年3月に発刊された『世界ことわざ比較辞典』について。
北向:この辞書は、時田先生と山口政信先生の監修のもと「日本ことわざ文化学会」のメンバーで編集されたとお聞きしています。
時田:そうですね、世界の言語ではどのようなことわざがあるのか、という目的をもって「日本ことわざ文化学会」の最初のプロジェクトとして立ち上げました。大学の教員が現役含めて半分くらいのメンバーで、研究会が月1で開かれました。
各言語・文化に詳しい専門家が集まって開かれた研究会。この辞書では実に全世界、25の言語にまで及んでことわざの比較がされているのだ。これがどれほどまで大変な作業かは見当もつかないが、先生曰く「10年前からはじまって、山あり谷あり一波乱もふた波乱もあった」とのこと。
さっそくこの辞典を道案内役に、世界のことわざについてお伺いしていこう。
ヤギとキャベツの両方を気づかう?
北向:先生の特に好きな世界のことわざなどありますか?
時田:ええ、例えば【八方美人】とかですかねぇ。
八方美人:相手に迎合して誰に対しても愛想よさげに振る舞うこと
※今回のことわざの解説はすべて『世界ことわざ比較辞典』より引用
時田:フランスでは【ヤギとキャベツの両方を気づかう】なんて言うんです。ヤギとキャベツという相対するものに気づかう様子が、どれにも良い顔をするイメージが湧きますよね。
時田:韓国だと同じ【八方美人】という言葉で「なんでもできる人」という良い意味になるんですよ。
日本では本来”どこから見ても欠点のない美人”の意だったものが、転じて現在の非難の意味合いになったらしい。韓国では元の意味のまま定着したのだろうか。
時田:面白いもの、という点では【蛙の面に水】なんかもありますね。
時田:もともと語源は中国なんですけど、古典ギリシャに【カエルに水】という言葉が出てきたんです。意味は微妙に違うところもあるんですけど、同じような言葉がある、ということはこの辞典を作ることになってわかった新発見でした。
【船頭多くして船山上る】なんかはスワヒリ語でもほぼ同じ(スワヒリ語では「船頭多くして船陸に上がる」)だそうだ。
船頭多くして船山登る:指図する人が多いとかえって物事がうまく行かぬという譬え
時田:これが偶然なのかどうなのか。スワヒリ語は言葉としては比較的新しいですからね。
北向:そうなんですか!
時田:いろんな言語を集めて新しく作られた人工言語ですから。元になったものが何かあるとすれば、それが関係しているかどうか。…そこまでいくと(研究範囲として)手に負えないですけど笑
時田先生から溢れ出る言葉の数々に我々は序盤から頷きっぱなしだ。
知らない間に使っている”外来種”のことわざたち
出所が断定できないまま世界に広まったことわざもある一方で、ある程度起源が判明しているものたちもある。
時田:【火に油を注ぐ】と言う言葉は古い例がないなあ、なんて探しているうちにラテン語から来ていることがわかった。しかもヨーロッパではかなり広まっていたんですね。
時田:日本語としても自然で、すぐ意味がわかるじゃない。なのでどこから来た言葉かなんて考えることもなく広まった。
林:スッと入ってきますね。
時田:西洋から入ってきたものが従来のことわざを駆逐していく傾向なんかもありますね。
林:外来種が。
時田:外来種が笑
北向:【目から鱗】なんかも外来種…聖書由来なんですね。
目から鱗:急に物事が理解できるようになったり、自体が認識できるようになったりする譬え −新約聖書に基づくことば
時田:そうなんですよ、ほとんど皆さん意識してないと思いますけどね、辿ってみると聖書だった、と。
ちなみに【豚に真珠】も聖書由来のことわざ。気づかないうちに日常に入り込んでる!
そうか、”逃げ恥”もことわざだ
林:そう考えると、この辞典に載っている海外のことわざがいつか日本でも広がるのかもしれないですね。
時田:…最近ドラマで有名になった【逃げるは恥だが役に立つ】なんかはハンガリーのことわざですね。
北向:ああ!
時田:ふふ、【三十六計逃げるに如かず】は中国由来のことわざですけど、意味的にはかなり近いですよね。
そうだった、逃げ恥!そういえばドラマの中でも(たぶん平匡さんが)海外のことわざだと言っていた覚えがある。
ことわざには一種のキャッチフレーズ的な要素がある。手垢がつく前、かつ状況をうまく例えるような言葉であれば、作家が海外のことわざを作品に取り込むと言うようなパターンもあるそうだ。
”逃げ恥”に限らず、今回の辞書をひいてみるとハンガリーのことわざはビジネスライクというか、カッチリした印象があっておもしろい。
五人囃子の前でサランギをタリャンタリャン
時田:例えば【傷口に塩】なんてのも海外から来た言葉です。
北向:へぇー!
林:ネパールの【切り傷にヌンチュク】って面白いですよね。
ヌンチュクは塩とレモン汁を混ぜたネパールの調味料らしい。想像しただけでも塩よりさらに痛そうだ…。
先ほどの【火に油を注ぐ】もネパールでは【火にギウを入れる】。ギウは南アジアで作られるバターオイルの一種。調味料が丸々置き換わるのが愉快だ。
時田:ヨーロッパの文化があまり入ってこなかったわけですね。土着性というか、文化圏の違いがわかるのはいいですね。
ネパールは宗教に関する言葉も多く、筆者は【五人囃子の前でサランギをタリャンタリャン】がとても好きだった。
サランギとはネパールの民族楽器で、タリャンタリャンはそれを弾く擬音(三味線を「べんべん」と弾くような)。五人囃子といえば音楽のプロなわけで、それはつまり日本でいう【釈迦に説法】ということだ。はー、五人囃子の前でサランギをタリャンタリャン…!どうにか会話で使いたい。
上記のような風土性が見られるのはわかりやすく楽しい。そういった意味で取らぬ狸の皮算用のバリエーションも良かった。
時田:動物も面白いですね、歴史文化の違いみたいなものが現れて。ことわざの特性として動物は多いです。
時田:【カボチャをかぶって豚小屋に入る】というのが韓国にあって、最初よく意味がわからなくて問い合わせたことがあるんだけど。
林:ハロウィン的な話ですかね。
時田:笑
北向:ハロウィンっぽいですよね、かぼちゃかぶるの。(辞書を引いて)あった、【飛んで火にいる夏の虫】だ。
北向:”豚の好物がカボチャであること”から。へー!小屋に入ると頭を食われるぞ、ってことですね
時田:最初聞いたときは「なぁんでカボチャなんだろう」って全然わからなくてね。好物って言われたらわかるわけですね。
もっとも世界中で広がりのあることわざは【朱に交われば赤くなる】
林:そもそもの質問ですが、ことわざの定義というのは…?
時田:難しい問題ですね、誰かが「これはことわざです」と決めて作られるものではないので…
条件として、言葉が短い、リズムがある、一定の批評性・教訓がある、ある程度これらを満たしたものはことわざと言っていいだろうと言われています。
北向:一番世界で多く使われていることわざは何になるんでしょうか?
時田:【朱に交われば赤くなる】が一番多かったでしたかね。
朱に交われば赤くなる:つきあう人や環境によって人は影響されるという譬え
「環境によって人は影響されるよなあ」という発想が世界中、人間に共通する感覚ということだなあ。【取らぬ狸の皮算用】や【三つ子の魂百まで】も世界に広まることわざとのことだ。
時田:意外だったのは【鬼に金棒】なんかは日本ではかなり有名で子どもの辞典では必ず入るようなことわざですけれども、世界では本当に少ないんですよね。
林:面白いですね、なんでですかね?
時田:【地獄で仏】も少ないですね。調べ方なのか、本当にないのか…
地獄で仏:困ったときに思いがけない助けに会うことの譬え
ちなみに【地獄で仏】に近いものとしては【砂漠のオアシスのように(スペイン・メキシコ)】という言葉があった。これはかなりイメージしやすい、というか既に日本でも定着しつつある表現だ。
下ネタも多いぞ世界のことわざ
時田:面白いものでいうと辞書の前書きにも書いたんですが、フランスには【自分の親に子供の作り方を教える】なんていうことわざもあります。
北向:あ〜、だいぶ恥ずかしいですね。
時田:性的なものは多いですね。(表現としては間接的でも)ウラの意味としてのものが多い。そういうのを含んでいるから面白いわけですけどね。素養のある方だとニヤリとするんだけど、気づかない人は気づかない、という。
【歯に衣着せぬ】をラテン語では【イチジクをイチジク、鋤を鋤と呼ぶ】という話も聞いた。意味はここには書かないので、ニヤリとしたい方はぜひ辞書を買ってください。
時田:あとは新しいという意味で【竜頭蛇尾】は英語で【ロケットみたいに昇り 棒切れみたいに降りる】なんて。ロケットなんてねえ笑
林:これはすごいですね。
時田:ことわざには森羅万象ありますけど、どうしたって近代的なものはやっぱり少ないわけですね。なのでこれには驚きましたね。「えっ!」「ホントかよ!?笑」って思いましたねえ笑
日本で最も日常的に使われることわざは、一石二鳥(時田先生の膨大な用例採集調べ)
林:言葉の常用度、というものがありますが、どういうところから採集されているんですか?
このことわざ辞典には世界のことわざが載っているだけでなく、見出しとして300の日本のことわざがあり、「そのことわざが日常的にどれだけ使われているか」という5点満点の指標がある。
ちなみに常用度トップ3は【一石二鳥】【寝耳に水】【三度目の正直】。確かによく使うイメージあるなー。
時田:全部私が調査してるんですよ、文書では古事記からはじまって現代の新聞12紙と週刊誌まで、総数で約12万、戦後からだとざっと4万例くらい。
北向:4万例!
時田:あとはテレビを流しているので、ことわざっぽい言葉が聞こえるとパッとメモして。街を歩いて耳に入ったことば、広告の文句。
前はテニスのサークルに入っていたんですけど、けっこうプレイ中なんかも出てくるんですよ笑 そこに出てきた言葉をリストにして
林:へー…!この1ページに大変な労力がかかっているんですね…!
時田:あのー、ええ、大変ですよ笑 ある意味酔狂なものですけどね笑
林:「このページは注目」って書いておいた方がいいですよ。
北向:ほんとですね!右上に星印つけておきますね。
「よく使われることわざ、なんてまとめはあるけど、根拠が必要だろう」ということで常日頃から採集をされているそうだけど、頭の下がる思いというか、とにかく先生の滾るエネルギーを感じる。
ことわざは無限の世界だ
北向:先生はどういったきっかけでことわざを研究することになったのですか?
時田:世界ことわざ辞典(東京堂出版)という辞典を大学で同期の者が出すことになった時に手伝ったことです。
時田:それでやっているうちに楽しくなって、お手伝いの領域から自分なりに踏み込んだのが契機ですかねぇ。ことわざの研究をしていると毎日のように新しいことがわかるんですね笑
それが面白くなって。
時田:ことわざはもう無限の世界ですよね。それこそ歴史的に言えば約5000年前のシュメール文化、くさび形の文字でもことわざがザッと100いくつ以上残ってる。
世界には相当の言語があって、おそらくどの言語にもことわざらしきものがあるだろうと。
時田:…というようなことを考えるともう気が遠くなる笑 私がやっているのは、ほーーーんのちょっと!
北向:そっか、世界中の言語にそれぞれ歴史があるんですもんね。
時田:で、新しい言葉も生まれてくるわけでしょ笑
北向:わー!無限の世界だ!
時田:全く無限ですよ。そう考えるとこれだけ間口、奥行きの広いジャンルはそうはないんじゃないですかね。新発見がどんどん出るから面白いわけですよ。
時田:人間は変わってない、感情に関する部分では共通するところはかなりある。どんなところにも親子はいるし、夫婦はいるしね。
世界各国という広さがあって、それぞれの歴史という深さもあって。「研究は気が遠くなる」と言いながら先生はとても楽しそうだった。
ことわざで人間のかわいげに触れる
この他にも、コロナ休みで時間ができたから30年前に読んだ北一輝の書物を改めて読んだら前は気づかなかったことわざに気づいた、という話や、先生宅のことわざ資料が膨大すぎて、大学へ3500冊程度、ダンボールにして100箱を寄贈したということなど様々語っていただいた。「大学に送ったらスペースが空いたからまた増やす」とのこと。無限のエネルギーだ…。
世界のことわざを眺めて、壮大な人間たちの「あるある」に触れたというか、どの時代、どの国の人々にも弱い部分があったり、うっかりしたり、かわいげがあるのだなあというようなことを感じられて嬉しかった。
まあ、先生の前でこんな知ったようなことを言うなんて、五人囃子の前でサランギをタリャンタリャンするようなものだけど…
先生曰く「ことわざというのは大衆的なものだと思っていますから、みなさんが楽しめるものにしていきたい。ということは値段的にもあまり高くしたくない。岩波としては相当頑張った値段だと思いますよ笑」とのことで、辞典としては求めやすい価格になっているのでぜひ。