入日の読み方問題はどうなのか
さて、日本一県境に近いということが判明した、入日の洗い越し。
「入日」の読み方はどうなのか? という問題を忘れてはいけない。
さきほど農地の情報を確認した農地ナビをみてみると、茨城県常陸大宮市野田の西端、栃木県と接する部分の小字に「入日」と「入日渡」という地名があることがわかった。ただし、読み方はわからない。
野田の全体像と入日と入日渡のだいたいの場所
洗い越しから帰る途中に、どこかで作業してるような地元の人がいれば、その人にちょっと話を聞いてみようと、ゆっくり野田の集落を引き返す。
人が居ないですね
ちょっと考えればわかるのだけど、このくそ暑い日中、しかも土曜日に、わざわざ外で農作業するような奇特な人は、居ない。まともな思考能力を持っている大人であれば家で静かにしているのが当たり前である。
鶴瓶の家族に乾杯とか、笑ってコラえてみたいに、都合よく住人の人が見つかる事はない。
しかし、わざわざ家に押しかけて話を聞くほどでもないので、最初のパーキングの向かいにあったパン屋さんで、店番をしているおばちゃんに話を聞いてみた。
パンの工場直売所で話を聞く
―すみません、伺いたいことがありまして……この近くにある洗い越しはご存知ですか?
女性「洗い越し?」
―(しまった、洗い越しを説明してなかった……)道の上を川が流れているところなんですけど……(「入日」と書いたメモを見せる)あの、こういう地名があるらしいんですけど……読み方をご存知だったりしますか?
女性「いやー、わからないですね……」
―この近くにお住まいではない?
女性「そうなんですよ、栃木の方のちょっと離れたところなんで……」
―そうですか、突然すみませんでした。
結局、なにもわからずである。
しかし、このまま手ぶらで帰るわけにもいかない。今度は人が居そうなところ、パン屋の斜向かいにあるガソリンスタンドで給油がてら話を聞いてみる。
対応してくれたお兄さんも、この辺に住んでいるわけじゃないらしい
ガソリンスタンドでは、若いお兄さんが話を聞いてくれたものの、やはりこのお兄さんも近くに住んでいるわけではないので「入日」及び「入日渡」の読み方はわからないという。
まあ、仕方ないだろう。ふだん使われることのない小字の読みなんてよっぽどじゃないとわからないだろう。
しかし、困った。
やはり野田の集落でだれかを探して話を聞いてみたい。そう思いつつ、走っていると、自宅の庭で作業されている方が居たのを発見。この機を逃すなと、バイクを停め、話を聞きに行く。
人がいる!
話を聞いてくれたのは年配の女性だ。
―すみません、ちょっとこの辺の地名について調べてて……この辺に(「入日」と「入日渡」のメモを見せる)こういう地名があるらしいんですけど、読み方ご存知ですか?
女性「うーん、このへんではきかないねぇー……」
―そうですか……。さっき、この先の洗い越しに行ったんですけど。
女性「洗い越し?」
―洗い越しは、道の上を川の水が流れるようになっているところなんですけど……。
女性「あ、この奥―の方の? 堰になってるところ?」
―はい、そうです、その洗い越しのことって地元の方はなんて呼ばれてるんですか?
女性「あそこはねー……多分子供たちは「堰に釣りに行く」って言ってると思うんだ」
―なるほど、みなさん「堰」って仰ってるんですね。
女性「この辺は野田っていうんだけど、堰のところは、栃木県との県境になってるところでしょう?」
―そうです、そうです。一応、ネットで調べたところ「入日(ひわたし)の洗い越し」と読むという説というか、そういう話もあって。ただ、正しい読み方がわかんなくて、地元のひとはなんて呼んでるのかなと思ったんです。
女性「普通なら、イリヒワタシですよね……ちょっと、おじいちゃんに話聞いてみるね」
(おじいちゃんに話を聞いている女性)
女性「おじいちゃんに話を聞いてみたら、堰のあるあたりの字はツナガワっていうらしいんだよね」
―ツナガワですか?
女性「綱に川って書いて、綱川」
―地元のひとは綱川の堰と言っている?
女性「そうみたいですね」
―じゃあ、この「入日」と「入日渡」という地名については読み方もわからない?
女性「そうね、ちょっとこの辺では聞いたことがないですね」
というわけで、地元の人の話によると、入日、入日渡は、どちらも読み方云々のまえに、存在が知られていない小字名であることがわかった。
おじいちゃんの言っていた綱川という地名も、農地ナビで調べてみたところ、確かに存在している小字名だったが、入日の手前の集落の小字名だった。
入日も入日渡も、民家は無く、川か田んぼか山しかない。地元の人も知らない、というのは確かに仕方のないことかもしれない。
おじいちゃんが「あのあたりは綱川」といったのは、入日や入日渡にいちばん近い人が住んでいる小字名だったからだろう。
綱川は、入日の手前にある小字名だった
で、結局。入日、入日渡。なんと読むのかはわからず。ひとまず「いりひ」「いりひわたし」と呼んでいるものの、それが正しいのかどうか分からず。帰途についた。
奥の手を使う
さて、このまま「読みはわかりませんでした」だとさすがにつまらないので、奥の手を使うことにした。「図書館に行く」である。
小字名に詳しい人は、ここまで読みながら「まず『角川日本地名大辞典 茨城』の小字一覧を調べろよ」とイライラしていたかもしれない。
『角川日本地名大辞典』とは、角川書店が昭和時代に、地名を各都道府県ごとにまとめた大辞典であり、地名について調べる場合は、まず最初に調べる辞典である。
特にこの地名大辞典は、巻末に小字一覧が載っており(ない県もあるが)小字名について調べる場合はまず最初にこれにあたるのが常識といわれる。
ただし、普通に購入すると古本でも一冊5000円ぐらいはする上に、でかくてくっそ重いので、必要があるときは図書館に出向いて調べなければならない。
というわけで、家からいちばん近い図書館にやってきた。
図書館に来ました(以前に撮った写真です)
書架に並んでいる全47都道府県分の辞典のなかから、茨城県を探し出し、巻末の小字一覧を調べる……さあ、入日渡、入日は、なんと載っているのか……。
じゃーん、イリヒワタシ、だそうです
なんと、入日渡は、そのままイリヒワタシで良いらしく、入日という小字名は載ってなかった。
『角川日本地名大辞典』の小字一覧も完璧なものではないらしいので、入日が漏れてしまっていると思われるが、入日渡についてはその読みがイリヒワタシであることが判明した。ということは、入日もそのままイリヒと読んで正解なのではないだろうか。
※9月20日追記
……などと、偉そうなことを書いておりますが、記事公開後に「入日渡」と「綱川」の間に「日渡(ヒワタシ)」という字があるというご指摘をツイッターで頂きました。
入日渡は、日渡より奥に“入ったところ”という意味で「“入”日渡」という可能性が出てきました。つまり、入日“渡”ではなく、“入”日渡ということですね。
ということは「入日」なんて地名はそもそも存在してない、ということになりそうです……だから、角川の地名大辞典の小字一覧に「入日」は載ってなかったんですね。
ネット上にあふれる俗称「入日の洗い越し」は、もともとの地名「入日渡」の“渡”の部分が“洗い越し”とごっちゃになって“入日の洗い越し”と呼ばれるようになった……ということでは無いか? というわけです。
なるほど! ご指摘ありがとうございます! こっちの説のほうが面白いですね。
というわけで、まとめに書いた語源説は、おそらく間違っていますが、今から直すのもなんなので、そのままにしておきます。よろしくお願いいたします。
最初から図書館行けよというツッコミは野暮というものだ。ぼくは、実際にそこに行って、洗い越しを見たかった、地元の人に話を聞きたかった。それだけなのだ。
おそらく、西側にあるから入日?
『民族地名語彙辞典』(ちくま学芸文庫)によると、入日(イリヒ)はその文字通り、日の沈む方、西側を指す言葉だという。(西表島の西(イリ)もこのことだろう)そして、ワタシもその文字通り、川や海などを渡る場所のことを指すらしい。
つまり入日渡は、野田の集落のいちばん西側にある、川を渡る場所ということになるのではないか、そう考えるとまさにあの洗い越しのことを指す小字名だったのかもしれない。
地元の図書館で調べれば1時間で済むことを、くそ暑い夏の日一日をかけて調べたわけだけれど、不思議と充実感はある。無駄足だったという気はまったくしない。