新型コロナウィルスが世界をを席巻する中、国会は検察庁法改正案で揺れていた。
問題となったのは内閣の裁量によって検察官の定年延長を可能とするというもので、人事への介入による捜査への影響や司法の独立性の脆弱化を危惧した検察庁OBによって改正に反対する意見書が提出された。
文中では現職の検事長の定年延長の際、国会での手続きを経ずに内閣で法律の解釈運用を変更したとする安倍首相に対し「朕は国家なり」で有名なフランスの絶対王政の君主、ルイ14世を引き合いにして警告が発せられた。
これに対し首相は「私はルイ16世と同じではない」と答弁。「いやいやいやいや」「そこ間違えちゃダメでしょ」「いやくだらない揚げ足取りすんな」などネットを中心に話題は沸騰した。
この喧騒を見て私はふと思った。「間にいるルイ15世は何なのだ」と。
絶対王政を確固たるものとした「太陽王」ルイ14世、フランス革命によりその終わりの象徴としてギロチン台に立ったルイ16世、16世紀末〜18世紀末にかけてフランスを統治したブルボン朝の2大メジャーに挟まれていまいち印象がうすいルイ15世。(個人の感想です)
気の毒な15世、このまま挟まれていてよいのか、もっと彼を知りたくなった。
ベルばらでは「色気じじい」
フランス史に関して高校の授業で少しかじった程度の教養しかない私がルイ15世と聞いてまず思い浮かべるのは中学生の頃に読んだ不朽の名作漫画「ベルサイユのばら」である。
え、あれってフランス革命の話だからマリー・アントワネットとかでしょ、ルイ16世じゃないの?てきとうな事言うと増税するよと思われるかもしれないが、物語の始まり、アントワネットがフランスへ嫁ぐ場面ではまだルイ15世の治世であり、晩年のルイ15世が彼のめかけとして宮廷で権威をふるうデュ・バリー夫人と共に登場していた。
あまりいい描かれ方ではなくて、バラは気高く咲いて美しく散るというアニメのテーマソングとは裏腹にけっこうエグい死に様だったはずだ。
再読してみるとやはり厳しい言われようだった。
オーストリアの女帝マリア・テレジアは「娘のアントワネットをフランスの王太子(ルイ16世)に嫁がせてはどうか」という配下の提案をルイ15世との婚姻と勘違いしてこう言い放っている。
男装の麗人オスカルやアントワネット、スウェーデンの青年貴族フェルゼンなど主要キャラがその生き様から死に様まで徹底的に美しいのに比べ、ルイ15世は史実とはいえ天然痘で身体中が腐敗して苦しみながら死んでいく様がかなりグロテスクに描写されている。
ルイ15世逝去の際の民衆の声を拾ってみた。
死してなおすけべと言い捨てられてなんか同情を禁じ得ないが、前述のようにベルばらで描かれているのはあくまでも晩年で、その死はマリー・アントワネットらの物語の新しい展開のきっかけとなるので旧時代の象徴のような扱いは致し方ないところ。
ならばルイ15世のフォロワー目線で彼の人生をトータルに見た上で推しポイントを挙げていきたい。
ひ孫&三男で王位継承!運がすごい!
当たり前だがルイ15世はルイ14世の次の王である。だから嫡男かそれに近い感じだろうと思ったらまさかのひ孫、しかも三男だった。
先代のルイ14世が当時としてはだいぶ長く健在だった事もあるが、彼の前にルイ15世になる可能性があった人が7人(スペイン国王となったフィリップを含めると8人)いたのだ。
このポジションからあれよあれよと王位継承を勝ち取るとはなんたる引きの強さよ、「朕はラッキーマンなり」
めっちゃイケメン「最愛王」
1715年、ひいおじいちゃんが逝去し、ルイ15世が国王となったのはわずか5歳。ヴェルサイユ宮殿から宮廷をパリに移し、養育係のヴァンタドール夫人に教育を受ける。
まさに玉の肌といった感じで愛らしさがすばらしいが実際容姿端麗で、歴代のフランス王で一番と讃えられる程であったという。
後年ついたニックネームが「最愛王」だったというからその人気ぶりがうかがえる。すごくないだろうか、「最愛王」ですよ。ホストクラブ経営したらぜったい店名にしよう。
その勢いで強いイニシアチブを取り、ルイ14世よろしく「絶対最愛王政」かと思いきやそうはいかなかった。
政治は人任せ、そこがうらやましい
幼くして即位したルイ15世、成人するまでは摂政が代わって国政の舵取りを行う。
1723年、ルイ15世は成人を迎えオルレアン公は摂政を返上するが、成人といってもまだ13歳、私で言ったらヤンキーの先輩に赤べこのように頭を下げながら中学校に通っていた年である。そんななのでまだ直接統治とはいかず、宰相のポストを設けて政務にあたらせる。
1726年にはその宰相も廃止、いよいよ最愛王政のはじまりかと思いきや、元家庭教師のフルリーを宰相みたいなポストに任命し、政務を預ける。
結局、王が32歳になるまでフルリーは君臨し、ルイ15世は国政よりも趣味の狩りにのめりこんだ。
先代のルイ14世と比べるとどうも政治は他人事で遊び人、放蕩人的な評価をされているが、私から見たら共感しかない。だって一国の浮沈を預かる責任なんていやじゃないか。摂政や宰相は有能でおおむねいい感じで運営できてるし、狩りとかポケモンしながらお気に入りのハーブに水でもあげていたいじゃないか。ここまでの半生でどの王になりたいですかと言われたら迷わずルイ15世を選ぶ、万歳。
めっちゃ好色!
なんといっても最愛王、ルイ15世は多くの女性と浮名を流したことで知られている。
15歳になり、世継ぎが必要じゃと迎えられた年上の王妃マリー・レクザンスカとの間に10年間で10人の子供を授かり、しまいには「いやもういいでしょ」と床を共にする事を拒まれてしまう。(ちなみに彼女の前にかなり年下のスペイン王の娘と婚約を交わしていたが、幼すぎて子作りができないとの理由でスペインに帰している)
宇多田ヒカルが15歳でデビューした時、10年後はまだ25歳かすごいなと思ったがルイ15世も10年で10人子供を作った時点でまだ27歳、もっとも妻に拒否される前から愛人とちょくちょくアレしていたらしいが拒否られた後は公然と愛人を寵姫として宮廷に囲うようになる。
数々の寵姫の中でもっとも有名なのが「ポンパドール夫人」だ。
美貌だけではなく、機知や教養にもすぐれたポンパドール夫人は1745年に寵姫の座に着くと、フルリー枢機卿亡き後の国政にも強い影響力を発揮、ヴォルテーユやモンテスキューなど知識人の活動を保護したりと文化の発展・洗練にも大きく貢献した。
掘ろうぜ!愛の井戸
ポンパドール夫人への愛を込めてルイ15世が作らせたといわれる菓子がある。
その名も「ピュイ・ダムール」、「愛の井戸」という意味である。
「愛の井戸」いったいどんだけ汲み上げる気なんだと言いたくなるルイ15世のパッションを食感で感じてみたい、作ってみよう。生まれて初めて作る洋菓子がまさかピュイ・ダムールになるとは。
実はこのジャムがすごい。「お菓子でたどるフランス史」(池上俊一・岩波ジュニア新書)によると元のレシピはルイ15世とポンパドール夫人に仕えた料理人が書いたものでスグリのジャムが使われていたらしいが、なんと、当時のレシピを忠実に再現したというジャムが存在した。見よ、このエレガント極まるたたずまい。
カリッとした外殻をやぶるとカスタードクリームのしっとりとしたやさしい甘みの後に濃厚なカシスの酸味とスミレのエレガントな風味が広がる、こりゃポンパドールでなくとも宮殿を目指すにいられないわ。
こうして最愛王が後世に遺した愛の一端に触れる事ができた。将来私が何かの間違いで為政者になったら、ピュイ・ダムール ばかり作って「ルイ15世のようだ」と指摘されたい。朕はダムールなり。
ポンパドール夫人は事実上の宰相としてオーストリアと同盟を組みイギリスに宣戦布告、「7年戦争」を引き起こし多くの植民地を失った。間も無く42歳の若さで亡くなるとルイ15世は性懲りもなくデュ・バリー夫人を寵姫に迎え、老いてますます最愛王たる精気を見せるが司法機関とも揉めて強権を発動したりして「なんなのこいつ」と民衆の支持も失っていった。1774年に病で倒れ64歳で崩御、59年という治世を終え、冒頭で紹介したベルばらの「すけべじじい」につながっていくのだ。
駆け足で「最愛王」ルイ15世の栄枯盛衰を振り返ったが、人生とは結局愛の井戸をいくつ掘れるかという事なのだと学んだ。ありがとう、もうすぐ夏がやって来る。
■参考文献:ベルサイユのばら1〜9巻(池田里代子・フェアベルコミックス)/ブルボン朝 フランス王朝史3(佐藤賢一・講談社現代新書)/聖なる王権ブルボン家(長谷川輝夫・講談社選書メチエ)/図説ブルボン王朝(長谷川輝夫・河出書房新社)/お菓子でたどるフランス史(池上俊一・岩波ジュニア新書)