特集 2018年11月16日

専門家と行くダム見学会に参加した

専門家の方々に混じってダム見学してきました

およそ20年前からダムの魅力にはまり、ダムめぐりを続けている。いつもは1人だったり、同好の知り合いとあーだこーだ好き勝手にダムを見てまわっているけれど、本職の専門家はどういうところを見ているのか。

専門家向けの見学会に潜入して調べてきた。

1974年東京生まれ。最近、史上初と思う「ダムライター」を名乗りはじめましたが特になにも変化はありません。著書に写真集「ダム」「車両基地」など。
(動画インタビュー)

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入っててよかったダム工学会

今回の見学会を主催したのは、ダムの技術的な研究や開発をしている一般社団法人ダム工学会の九州支部。宮崎県に設置されている九州電力の発電用ダムを5ヶ所見学するという濃密なツアーだ。

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「現場見学会」というまったく遊びのないツアータイトル

これまで一般向けの見学会に参加したり引率役をしたことはあるけれど、専門家向けに参加するのは初めてだ。参加者は建設会社や建設コンサルタント会社の方、そして大学の先生などで総勢およそ25名。

ダム工学会会員でなくても参加できるようだけど、見渡す限り単なるダム好き、というような人は僕を除いていなかった。スーツ姿の人も多い。場違い感を出さないように、なるべく存在感を消してバスの席に座った。

しかし、実は僕も数年前からダム工学会の会員になっている(ので見学会のお知らせが送られてきた)。というわけで、ホームなんだかアウェーなんだかよく分からない気持ちのまま、バスは出発した。

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車内ではもちろん今日行くダムの解説VTRが流れる

いまの基準だと造れないかも

険しい九州山地の道を2時間ほど走って、宮崎県を流れる耳川の上流部に造られた岩屋戸ダムに到着。ここが今日最初の見学ポイントだ。

耳川には、上流から下流まで多くの発電用ダムが造られ、全国のダム好き垂涎のエリアとなっている。そこを専門家が見学するのだ。いったい彼らはどう見るのか、僕らと同じように垂涎するのか知りたい、というのがこのツアーに参加した理由だ。

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現地の職員さんの説明を聞く一行

バスを降り、ダムの職員さんから概要説明があった。耳川の水力発電ダム群は、大正時代に住友財閥が計画を立てたもので、岩屋戸ダムは1942年(昭和17年)に造られた。ダム好きから見たポイントとしては、完成から70年以上経っているが、外観は当時のままほぼ手を加えられていない貴重な存在、というところが萌えポイントである。

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時間の都合上この日は下流側から眺められなかったので以前に撮った写真を

ふだんはダムの上を通る道は立入禁止だけど、今回はオフィシャルな見学会なのでもちろん通れる。ふだんは遠くから眺めるしかなかった細かい部分もじっくり見ることができる。

「これ、もしかして完成当時からのものですか?」

最初に質問を投げかけたのは、なんと僕だった(すみません)。ダムの上には水門を開け閉めするためワイヤーを巻き取るモーターやギアなどが設置されている。このダムが完成したのは昭和17年なので、もしかして戦時中の機械がいまも現役!?これは確認せずにいられないだろう。

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そうですよ、とのこと。零戦とか大和とかと同じ時代の機械!


 

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水門の開度を示す目盛りが時代を感じさせて良い

岩屋戸ダムは完成当時のままほぼ手を加えられていない、と書いたけど、この下流にあるダムのいくつかは新しい水門に付け替えたり、改造して外観が変わったりしている(このあと見に行きます)。岩屋戸ダムの水門も更新に向けて検討中、とのことなので、この歴史的な機械が見られなくなるのも時間の問題かも知れない。

そのままダムの上を渡り反対岸へ。そこで、参加者のひとりがこんなことを言った。

「この法面急だなあ。いまの基準だと造れないかも」

法面(のりめん)とは人工的な斜面のこと。突き当たりの、ダムの堤体が当たっている部分の斜面が急で、この処理だといまの建築基準法では許可が下りないのでは、ということらしい。なるほど、処理方法を法律と照らし合わせているのはいかにも専門家という感じだ。

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法面の処理が建築基準法的にどうかなんてふつう考えない

「この処理すごい、こんなのいまできないよ」

との声で振り向くと、数人がダム本体の上流側に見入っていた。

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上流側の壁が上に向かって湾曲している

コンクリートは、枠を作ってその中に流し込んで固める、というのはダムでも同じ。つまり直線的な形の方が作りやすい。この湾曲を出すためには型枠もこの形に作らなければならないわけで、そんな手間かけられない、という意味だと思う。

これは構造的にはまったく必要のない処理のはずで、おそらく、見た目の美しさにこだわった結果だと思う。この時代に作られたダムは、こういう細かい部分も抜かりなく仕上げられていることが多いのだ。もちろん最近のダムでもこだわりが感じられるところもあるけれど。

そういえば、

「このへん河川勾配どのくらいですか」
「だいたい300から400分の1です」
「けっこう急ですね」

というやりとりもあった。河川勾配(河床勾配)とは、川が流れ下る傾きを表す用語で、300分の1とは、300m進むと標高が1m下がる、ということ。

…ということは知っていたのだけど、それが「けっこう急」かどうかなんて分からない。さすが専門家である。あと、即答できる職員さんもすごい。

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夢中であちこち見たり写真撮ったりして気がつくとみんなが先に進んでるパターンが多かった

最初のダムからかなり濃い内容である。どれだけの読者がついて来られるのだろうかと不安になりながらバスに乗り込み、次のダムへ向かった。

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専門家も「うおー」

バスは耳川を上流に遡り、ダム群の中でもっとも上流に造られた上椎葉ダムに到着。

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さすがの巨大ダム、専門家も見とれていた

上椎葉ダムは1955年(昭和30年)に完成した。日本で初めて着工したアーチダムで、日本で初めて高さ100mを超えたダムでもある。ダム業界内では非常に貴重な存在だけに、専門家の注目度も高いと思う。まずは下流側から見上げて大きさを味わったあと、ダムの上に移動した。

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ダムが見えてきた瞬間、みな「うおー」と声を出していた

ダムに続く道が狭いため、少し手前でバスを降りて徒歩移動。視界にダムが飛び込んできた瞬間、大の大人の男たちが口々に「うおー」と声を上げていた。思わず、

「建設会社の人でもでかいダム見ると声出ちゃうんですね」

と言ったらかなりウケた。やっぱりすごいものは誰が見てもすごいのだ。

「これよく造ったなあ」

という声も聞こえてきた。

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ホントよく造ったなあ
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写真撮って人に見せたくなる系ダム

ちなみに、職員さんからの説明で、建設工事で完成までに105名の方が亡くなった、という説明を聞いたときも

「うわーぉー」

と声が出ていた。ひとつの工事現場で100人以上亡くなる、って今だったら大事件である。当時はまだ道路事情が悪く、海沿いの延岡から山深いこの場所まで約58kmものロープウェーが敷かれ、資材が運搬されていたという。情報伝達もいまとは比べ物にならないくらい遅かったのだろう。

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時間なくて行けなかった展望台からの上椎葉ダムをどうぞ

魂込めて造った

続いては下流に向かい、岩屋戸ダムを通り過ぎてその先に設置されている塚原(つかばる)ダムへ。戦前の日本どころか東洋を代表する重力式コンクリートダムで、堤高87mは完成した1938年(昭和13年)から戦後の1954年(昭和29年)まで高さ日本一だった、由緒ある堤体である。

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九州でも指折りの名堤体

ここも職員さんの案内で、ふだんは立入禁止のダムの上を通って反対岸へ向かった。塚原ダムの外観の特徴として、ダム上の通路の壁がお城のように凹凸している。これは万里の長城をイメージした装飾とのこと。当時の技術者にとって、日本一のダムは難攻不落のお城や要塞といった意識だったのかも知れない。

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レゴブロックのお城シリーズのようでもある
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80年経ったいまでも建設時の遺構が残る

職員さんの説明でも出たけれど、塚原ダムをはじめとする耳川のダム群で忘れてはならないのが、2005年(平成17年)の台風14号である。大型で強い勢力を保ったまま、ゆっくりした速度で通過した台風の大雨によって、九州、四国、中国地方では浸水や土砂崩れが多発。耳川のダムでは最上流の上椎葉ダム以外のすべてのダムで、ダムを設計したときに想定した最大の流量を超え、川沿いの住宅だけでなく、発電所も浸水して発電不能になるなど、大きな被害が出た。

特に塚原ダムでは500mほど下流で巨大な土砂崩れが発生して川がせき止められ、そこに貯まった水で塚原ダムが水没する寸前になったという。

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ちょうど画像真ん中あたりの斜面が大規模に崩れた

反対岸まで渡ってくると、そこには巨大なレリーフが埋め込まれた和風の壁があった。これはなんと慰霊碑。塚原ダムでも建設工事で44名の方が殉職されたらしい。正直言って、各地のダムで慰霊碑は見るけれど、ここまで大規模なものは見たことがない。

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こんなに立派な慰霊碑見たことない

ちなみに、このレリーフは日本サッカー協会のシンボルマークである「八咫烏」をデザインした人が手がけたものだという。

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ものすごく巨大なレリーフ

「魂込めて造ったんだなあ」

と、ある建設会社の人が言っていたけれど、この「魂込めて」は慰霊碑だけでなく塚原ダムにも掛かっているのだと思う。

別の人が慰霊碑の名簿を覗き込んでいたら、

「あ、御社いますよ」
「え、弊社?弊社(このダム)やってたっけ?」
「ほらここに」
「あ、本当だ、大先輩だな」

というような会話も聞こえてきた。
弊社の人は名簿を確認すると、深々と祈っていた。
 

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人目につかないところにものすごいものがあるものだ

バスに戻る前、ダム入り口の門のところでこんな看板を見つけた。

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中に珍しいポケモンでも出るのだろうか

 

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大改造!ビフォーアフター

またバスに乗り込み、塚原ダムから下流にくだって山須原ダムに到着。山須原ダムは1932年(昭和7年)、耳川で2番目のダムとして完成した重力式コンクリートダムだ。しかし、僕が初めて来た2004年には既に水門の付け替え工事が終わっていて、オリジナルの姿は見られなかった。さらに、今回10年ぶりくらいに山須原ダムに来たけれど、10年前の姿とのさらなる変貌ぶりに驚いた。

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2008年の山須原ダム
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2018年の山須原ダム

塚原ダムのところで書いたように、2005年の台風14号によって甚大な被害が出た耳川流域。その中でもこの山須原ダムでは、上流からの流木などが堤体に引っかかって流れが悪くなったり、崩れた土砂が貯水池の底を上げたりして水位が大幅に上昇、川沿いの街で70戸もの浸水被害が出た。

ちなみに浸水した街は1軒を除き新築、そして土地全体を6~7mかさ上げしたという。

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台風14号のときの山須原ダムの様子(現地の説明看板より)

そして、二度と同じ被害が起きないようにするため、山須原ダムは運用しながら大幅な改造を受けることになった。具体的には、真ん中2門の水門を撤去して堤体を9m切り下げ、そこに巨大な水門を1門つけるというのだ。オリジナルがどうとか関係ないくらいの大変貌。更新した水門のうち2門は10年ちょっとでお役御免になってしまったようだ。

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かつてここまでルックスが変わったダムがあっただろうか(現地の説明看板より)

ここはいままさに工事中なので、ヘルメットを被って見学させてもらう。

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こんな仮設の橋を渡ると…
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中心に設えられた巨大な水門と放流口を目の前に見ることができた
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その先で担当の方から改造の詳細な説明を受ける
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手作りっぽい模型でビフォーアフターが分かりやすい

建設会社の方が多いだけあって、ここでは現場での工事の内容や進め方などについて、もはや僕が聞いても理解できないくらいの専門的な質問が多かった。

何がすごいかと言うと、ダムに水を貯めて発電に使う運用は止めずに改造するということ。そのために、改造する堤体の上流側に水をせき止める仮の堤体を造り、その上に仮の水門まで設置してあるのだ。

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改造中の部分(右側)を守る仮の堤体(赤い部分)と仮の水門(グレーの板)。でもいざ大雨のときは仮の水門が右側に倒れて放流する

僕が質問したのは、この仮の水門、放流したことありますか、ということ。素人感まる出し。今年は台風が多かったので5~6回放流しているとのことだった。そのたびに改造している部分を水が流れるので、足場とか機材とか撤去しなければならないだろうし、大変そうだ。

これまでも、予測した以上の洪水や渇水に見舞われ、被害を防ぎきれなかったために改造されて出直すダムをいくつも取材してきた。ダムはいちど造ったらそのまま、というわけではない。必要に応じて進化することもあるのだ、ということは多くの人に知ってもらいたい。

劇的なアフター

この日、最後に到着したのは山須原ダムのさらに下流に設置された西郷ダム。1929年(昭和4年)、耳川水系で最初に造られたダムだ。ここも山須原ダムと同じように、もともとあった水門を一部撤去し、巨大な水門に付け替える工事が今年完成したばかりである。

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14年前にはじめて見たときの西郷ダム
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14年ぶりの西郷ダム。変わり過ぎて同じ人とは思えない

あまりの変貌っぷりに驚いた。以前の西郷ダムは、堤体の上を通る橋のアーチ模様がアクセントだったけど、改造でなくなっちゃったのか…、と思ったら、よく見るとアーチ模様は引き継がれていた。

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目立たないけれどアーチ状の板が貼りつけられている

そして堤体でもっとも目立つのは、新しく据えつけられた巨大な水門…の上にぶら下がる巨大な鐘ではないだろうか。

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なぜこんなところに鐘が…

実はこの鐘のようなもの、当然鐘ではなく、巨大な水門のメンテナンスのときに使うクレーンのカバーなのだという。もちろん、鐘っぽいデザインなのはわざとだろう。その証拠に、ダムの脇には小さな休憩スペースが造られ、そこにダムの形を模した鐘が吊るされていた。

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こんなオブジェ、(発電用ダムで)見たことない!
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そもそもどうして鐘なのか、というところから聞くべきだったか

そして、休憩スペースにはベンチとテーブルも新たに設えてあるのだけど、それがすごかった。

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コンクリートを切り出した椅子とテーブル!

この椅子とテーブル、西郷ダムの切り下げた堤体部分から美しく切り出したコンクリートを使っている。なんてオシャレ!...と思う前に気になって質問したことがある。

「骨材、でかいですねー!」

骨材とはコンクリートの中に入れる石のこと。コンクリートはセメントに水、砂、そして石を混ぜて造られるけれど、石、つまり骨材の大きさや材質は強度に直結するので重要なのだ。大きすぎても小さすぎてもいけない、はず。これまで見てきたダムのコンクリートで、こんなに大きな骨材が入ったものはなかった。それでも90年間まったく問題なく、ダムとして役目を全うしたコンクリート。

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やたらでかい石が入っている

昭和初期に造られたダムだけど(だから?)、ものすごく高度な技術が使われていたということなのだ。

というわけで1日専門家とダムを見てまわって、専門家とダム好きの見るポイントの違いは分かった。だけど、専門家でもすごい場面が目に入ると思わず声を上げてカメラのシャッターを切ってしまう、というようなシーンも何度か見て、なんだかみんな同じダム好きなんだな、と当たり前のことを思ったりもした。


専門家とダム好きのツアーやりたい

ダムを建設したり管理したりしている専門家と話をすると、自分が関わったダムについては詳しいけれど、それ以外はよく知らない、ということが多い。逆に僕らダム好きは浅く広くいろいろなダムの魅力を知っている。というわけで、世界中の専門家とダム好きがお互いの知識を補完して一緒に行くイベントがあったらとても楽しいのではないか、と前から考えている。名づけて「国際ダム大好き会議(International Commission on Love Dams=ICoLD)」、いつか開催したい。

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西郷ダムのクレーンのカバー、「永遠の鐘」と名づけられていて、2台あるクレーンにそれぞれ「永」「遠」と書かれていた。矢沢永吉さんファンの聖地とかにならないだろうか

 

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