特集 2024年3月7日

16年前に住んでいた学生寮に泊まる

大学生の頃に住んでいた学生寮「ドーミー立川」。

ひょんなことから、特別に一泊させてもらえることになった。

当時の寮仲間たちと一緒に、思い出の部屋へ帰る一日の話。

かなり大きい観葉植物が部屋に2つあり、どちらも枯れている。「旅のラジオ」を毎週更新中。著書に『1歳の君とバナナへ』(小学館)、『0メートルの旅』(ダイヤモンド社)、『10年間飲みかけの午後の紅茶に別れを告げたい』(河出書房新社)。

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思い出の寮「ドーミー立川」

18年前。大学にいくため上京して、学生寮に住んだ。いろんな大学の学生や社会人も住んでるような、民間企業の運営する寮だった。東京都立川市にあるその寮の名を、「ドーミー立川」という。
ドーミー、と聞くとホテル「ドーミーイン」を思い浮かべる方が多いかもしれない。事実、この寮はドーミーインに深く関係しており、それについては後ほど触れたい。

ドーミー立川の部屋は、6畳一間。はじめての自分の城としては、個室があるだけで十分だった。トイレと風呂は共用で、掃除の手間が省けて良い。風呂は大浴場で、サウナまでついていた。さらに食堂で朝晩のご飯が提供されるのだから、恵まれた生活をしていたと思う。

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唯一残っていた、部屋での僕の写真(20歳)。なぜか駄菓子(ココアシガレット)を持っている

上京して、ドーミー立川に引っ越した初日、食堂で入寮手続きがあった。他の参加者たちも、同じ日に入寮した面々のようだった。僕は恐る恐る、彼らに話しかけた。

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「このあと昼飯、食べに行きます?」

この会話により、東京で初めての友人ができた。地域の名物だという「伝説のすた丼屋」で山盛りのすた丼を頬張りながら、僕らはすぐに意気投合した。みんな大学は違うけど、地方から出てきたという点では一致していた。

地元を離れた寂しさを埋め合うように、僕らは毎日を共に過ごした。帰宅したら自分の部屋ではなく、まず友人の部屋に向かう。ドアをノックして、あるいはノックもせず部屋に入って、断りもなく誰かの漫画を読んだり、ゲーム機を起動したりした。

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部屋で遊んでいた当時の写真。なぜかミニ四駆を作っている

友人の部屋で深夜まで遊んで、そのまま寝てしまうこともあった。特に友人Iの枕は異常に寝心地が良く、枕の争奪戦が繰り広げられた。枕をとられた当の本人は、床で少年ジャンプを枕にして眠っていた。

いま思えば、狭い部屋でぎゅうぎゅう詰めになって、むさ苦しい光景だったと思う。不衛生ですらある。でも当時は、気にもならなかった。なんも考えずに生きていたからだろう。
別に何をするでもなく、ただ飯を一緒に食って、一緒に風呂に入って、夜更けまで『桃鉄』を100年モードでプレイする。

そんな時間を、何年間も過ごした。生産性のない時間だった。かけがえのない時間だった。

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大学3年時の寮の飲み会。テーブル奥左から2番目が僕。手前右端が寝心地のいい枕の持ち主I
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ドーミーは「ドーミーイン」の先輩

ドーミー立川を出てから、16年が経った。友人らは大学を卒業したのち、みんな地元に帰ってしまった。ただ交流はその後も続いていて、たまに集まっては、当時の話に花を咲かせた。何十回同じエピソードを話したって、毎回腹を抱えて笑ってしまう。
でもここ数年はコロナ禍があったり、みんな家庭を持ったりで、会うのがすこし難しくなっていた。なんも考えずに生きていた当時のことを、よく考えるようになった。

そんな折、まったく別の場所で、偶然にもドーミー立川の話をする機会があった。デイリーポータルZで運営されていたPodcast「旅のラジオ(現 超旅ラジオ)」で、ビジネスホテル「ドーミーイン」の話が出たのだ。

ドーミーインといえば、夜に提供される「夜鳴きそば」でもお馴染みの、最強のビジネスホテルである。豪華な朝食に、広い大浴場。出張者に絶大な人気を博しており、僕も国内旅行をする際は、まずその地域にドーミーインがあるか確かめる。

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僕の好きな「ドーミーイン長崎新地中華街」(ドーミーイン公式サイトより)

玄関と寝室の間に扉を一枚挟んだレイアウトとか、冷蔵庫に入っているゼリーとか、朝に脱衣所で飲める乳酸菌飲料とか。痒いところまで手の届く快適さは、泊まれば泊まるほど癖になる。

さてこのドーミーイン、実は僕の住んでいた寮「ドーミー立川」と同じ会社が運営している。名前も似てるし、前からなんとなく知っていたけど、「ホテルをやってるから、ついでに寮事業もやってるのかな」くらいに思っていた。

だが実際の順序は、逆だった。

運営会社である共立メンテナンスは、まず寮事業「ドーミー」を始めた。そしてその13年後にようやく、ビジネスホテル事業「ドーミーイン」がスタートしたらしい。
寮事業の方がだいぶ先輩だ。そもそも「ドーミー」という名前も、寮を意味する「dormitory」から来ているという。

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だからホテルドーミーインには、寮運営からの学びが随所に反映されている。例えばドーミーインは「大浴場のあるビジネスホテル」の先駆けだが、寮にもともと大浴場があったことを考えれば、自然な発想だったのだろう。他にも朝食の種類豊富な小鉢とか、石造りの大浴場とか、思えばドーミーインには、僕の住んだ寮に重なる部分がたくさんある。

「ドーミーインのキャッチコピーは【住むホテル】だけど、実際に住む寮から始まってるから、快適なんですねえ。」
「それにしても、こんなところでドーミー立川が繋がっていたとは。」
「懐かしいなあ。何か企画をやりたい。もし関係者の方が聞いていたら、連絡ください!」

……なんてことを調子に乗ってPodcastで話したところ、後日、本当に関係者から連絡が来てしまった。なんでも言ってみるものである。差出人は、ドーミーの運営会社である共立メンテナンス。「戸谷さん」という寮事業の担当者の方からだった。問い合わせには、こう書かれていた。

「もし宜しければ、一度企画のお打ち合わせも兼ねて、お話させて頂く機会を頂けましたら大変うれしく思います。」

大変うれしく思うのは、こちらである。早速一週間後、共立メンテナンスの本社にお邪魔し、打ち合わせをさせてもらった。

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本社に行ってきました

戸谷さんとの打ち合わせでは、ドーミー立川での思い出話やら、ドーミーインの素晴らしさやらで、とにかく話題が尽きなかった。ぜひなにか一緒に企画をやりましょう、ということになって、戸谷さんにPodcastに出演してもらったり、ドーミーインを泊まり比べたりなど、いろんな案が出た。

だが僕には、本命の企画がひとつあった。

「ドーミー立川に、泊まらせてもらえませんか?」

実は5年ほど前、個人的にドーミー立川へ問い合わせたことがあった。宿泊は可能かどうか、ダメもとで聞いてみたのだ。寮の友人たちと、「一日でいいから、寮の生活に戻ってみたい」という話をいつもしていた。当時に強い郷愁を抱いているのはみんな同じで、今でも寮の最終日の夢を見る、という友人までいた。
ただ、その時ドーミー立川からいただいた返信は、「残念ながら宿泊は難しい」ということだった。ドーミー立川はホテルではなく寮なので、当然である。

……だから今回の企画は、千載一遇のチャンスだった。この機を逃せば、もう一生ドーミー立川に泊まれないだろう。

僕の提案に対し、共立メンテナンスの戸谷さんは少し考えたあと、

「確認が必要ですが、たぶんいけると思います」

と言った。

興奮した。当時の友人たちと、当時の寮に泊まる。僕は旅行が趣味だが、これほど魅力的な旅は、ほかに思い当たらない。

数日後、戸谷さんから連絡が来た。いま空いている部屋のいくつかに、特別に一泊させてもらえることになったらしい。大浴場にも入れるし、食堂で晩御飯も食べられるという。最高だ。最高すぎる。

地方に住む友人たちと日程調整し、五ヶ月後に僕含め4名が参加することになった。
 

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