懐かしさの波状攻撃
玄関ポーチのゆるやかな曲線が、懐かしい。
窓口のアナログ時計が、懐かしい。
なぜか入り口にあるコピー機も、また懐かしい。
中に入るなり、懐かしさの波状攻撃が押し寄せてくる。
玄関でこれでは、先が思いやられる。「懐かしい」だけを連呼する記事になってしまう。
安易な「懐かしい」は禁句にしようと、気を引き締めて下駄箱に向かったところ、僕らの名前が記されていた。
懐かしっっっっ!!!!!
当時もこんな風に、自分の名前が貼られていた。フォントまで同じである。一泊するだけなのに、なんと粋な演出だろうか。思わずこみ上げてくるものをぐっと抑え、靴をしまう。
戸谷さんから一通りの説明を受けたが、ドーミー立川は、あれからも大規模な工事などは行われていないという。外観も内観も、ほとんど当時と同じに見えるのは、気のせいではないようだ。このままでは懐かしさで吐きそうになるので、一旦懐かしくないものを探そうと思う。
ロビーの机と椅子は、懐かしくない。新調したものらしい。入口にかかったモニターも、懐かしくない。今日の食堂のメニューとか、荷物が届いた人の部屋番号が表示されているらしい。便利だが懐かしくない。
部屋の鍵を受け取ったが、玄関の電子鍵も懐かしくない。建物の入退室が記録され、安否確認も兼ねているらしい。
当時の安否確認はもっとアナログで、壁に全員の名札プレートが貼られていた。外出時にはプレートを裏返すという決まりがあって、よく忘れて怒られたものだ。
このように、ドーミー立川の見た目は変わってないように見えて、裏側ではDXが進んでいた。DXが、早くも感傷的になりつつあった僕らを冷静にしてくれた。
すこし落ち着いてきたので、自室に向かうことにする。割り当てられた部屋は3階だった。
僕が当時3階に住んでいたからだ。どこまでもさりげなく、深い気配り。さすがはドーミーインを運営する会社である。
廊下の床は市松模様で、エレベーターの壁紙は少したわんでいる。ああだめだ、全部一緒だ。せっかく飲み込んだ「懐かしい」の言葉が、胃の底から逆流してくる。
淡緑の色をしたドアも、あの頃と同じように、鈍く光っていた。
鼓動が高鳴る。
ドアノブを下げ、ゆっくりと開くと、16年ぶりの部屋が姿を現した。
これこれこれ〜〜〜!!!
これ〜〜!!!
これよ〜〜!!!!!!
机とベッドと、小さな洗面台。正直なところ、いま見るとちょっと狭いと思う。当時はこの限られたスペースでどう過ごすか、ベッド下の引き出しを有効活用したり、クローゼットに荷物をしまったりなど、日々工夫を重ねていたものだ。
そういえば、あるとき友人が「縦になっているベッドは、ギリギリ横向きにも配置できる」という発見をした。すると途端に部屋が広く見えるではないか。「ベッドは縦」というドーミー立川の固定概念を打ち破ったコペルニクス的転回に、大いに盛り上がった。
そんな薄いエピソードを思い出していたら、ノックの音がして、返事をする前にドアが開いた。
懐かしさの臨界点へ
僕の部屋のドアを勝手に開けた友人は、食堂行くか、と言った。この無遠慮さが懐かしい。
当時はドアの鍵なんて、ほとんど閉めたことがなかったと思う。一人で寝たはずなのに、朝起きたら友人が普通にジャンプを読んでいたこともあった。今はもう大人だから、ちゃんと鍵を閉めてから、4人で食堂へ向かう。
給湯室の、なんかごちゃっとした配線。
コインランドリーの、溢れそうなカゴ。
便器の光沢。
こういった小さなパーツの質感が、いちいち刺さる。これまで脳内にしまっていた引き出しを、無理やりパカパカ開けられるような刺激がある。懐かしさとは、ディティールにこそ宿るのだと思った。
そしていよいよ、食堂に入る。
踏み行った瞬間に気づいた。この食堂には、これまでの懐かしさ総量をはるかに上回る、巨大な懐かしさが充満している。
匂い、だ。
食堂に入った僕たちの全身を、ドーミー立川の匂いが包んだ。味噌汁と壁紙と木の匂いが混ざったような、独特だが決して不快ではなく、とにかく「ドーミー立川の匂い」としか表現できない香りが、暴力的なノスタルジーとして襲いかかってきた。
僕は絶句した。これまで懐かしい、懐かしい、と散々繰り返してきたが、懐かしいと言っているうちは、まだ冷静さを保っている。本物の圧倒的な懐かしさの前には、声すら出ないのだと知った。
(ちなみにあとから戸谷さんにこの話をしたところ、「食堂の掃除に使われている独自の洗剤の匂いが影響しているかもしれない」とのことだった。その洗剤が欲しい。)
くらくらしながらお盆をとって、茶碗に米をよそい、味噌汁を入れる。一連の所作を、やはり身体が覚えている。そのせいで大小が選べる茶碗も迷うことなく大を選択してしまったが、今日の胃袋はいくらでも膨らむので問題ない。
おかずは食堂のおばちゃんたちが渡してくれる。カレーだよ!とか、今日は遅いね!とか、いつも声をかけてくれて、その度に帰宅したなあ、とホッとしたものだ。
そういえばホテルドーミーインの名物「夜鳴きそば」も、手渡しにこだわりがあると聞いたことがある。暖かい飯を、人が渡してくれるだけで、心は結構満たされるものだ。
今日の晩飯はサンマの蒲焼に、鶏肉の炒め物、根菜の煮物。こんな飯を毎日食べていたなんて、やはり贅沢な生活だった。
戸谷さんによると、ドーミーの食事メニューの開発は、ホテルドーミーインと同じ部署が担当しているらしい。もちろんメニューは異なるが、世間で大人気のドーミーインの食事が、我らが食堂の血を引いているという事実に、どこか誇らしい気分になる。
食堂のご飯を久しぶりに食べて驚いたのは、白米の美味さだ。粒がしっかり立っていて、それでいて口の中で甘く溶けていく。業務用の釜で、大量に炊いているからこそ、出せる味なのだろうか。思わずまた大茶碗でおかわりしてしまった。昼にすた丼を食べたというのに。懐かしさは人を油断させ、そして太らせるのかもしれない。
俺たちの大浴場
さて、食事のあとは、いよいよ風呂の時間である。早い時間帯だからか、脱衣所にはまだ誰もいなかった。
ホテルと寮を比較した時、総じてホテルドーミーインは「寮のサービスをさらに豪華にした場所」のような印象がある。料金を考えれば当たり前だが、しかし大浴場は、寮も負けていない。
最強のビジネスホテルの源流が、しっかりとこの風呂にも流れている。
写真では伝わりづらいが、かなり広い。
石造りの浴槽では、何人もが足を伸ばせる。ドーミーインと同様、大浴場を使わない人向けのシャワー室もある。さらにスチームサウナまで備え付けられている。サウナブームのはるか前から、先見の明がありすぎる。
サウナでかいた汗をシャワーで流し、湯に浸かった。思ったよりちょっと熱い。言葉にならないうめき声が響く。肩まで浸かって、息を吐く。気持ちいい。これが自分の家の風呂だなんて、どうかしている。
ああ、いつもこうやって並んで風呂に入ったものだ。いまのみんなの腹はちょっと重力に負けそうで、残酷な時の流れを感じるけど、心はあの頃のままである。湯に浸かりながら繰り広げられる、「桃鉄は何年設定にする?」「ジャンプの巻頭なんだった?」といった会話が、その証拠だ。成長していないとも言える。
そして懐かしさの向こう側へ
いよいよこの旅もクライマックスだ。風呂を出て、自販機でビールを買った。ドーミーの自販機には、ホテルドーミーインの自販機と同様、アルコール飲料も売られているのだ。社会人も住んでいるからだろう。おかげで「思ったより2ブロック遠い」道のりを歩かなくても、すぐに飲み会を開催できる。
ビールを抱えて部屋に集まり、さあゲームの時間だと勇んだものの、ここで勘違いが2つ発覚した。
ひとつ目の勘違いは、ビックカメラで買ったケーブルが繋がらなかったこと。mini HDMIとマイクロHDMIを間違えていたのだ。
このままではゲームができないので、結局2ブロック遠い道を歩いて、再びビッグカメラに行った。さすがにまた歩いて帰る元気はなかったので、帰りはタクシーに乗った。そういえば寮までタクシーを使ったのは、これが始めてだ。当時はどれだけ疲れていても、歩いて帰ったのだなあと思うと、若さとは帰宅方法に現れるのかもしれない。
そしてケーブルを買い直したのちに、もう一つの勘違いに気づいた。プレステだと思って買った機器は、「プレイステーションクラシック」なる復刻版の商品であり、内蔵されている20種類のゲームしか遊べないのだ。これではウイイレや桃鉄をプレイできない。ゲームを買う、というアイデアに興奮しすぎて、ろくに確認していなかった。
仕方がないから、当時やっていたゲームとは違うけれど、収録されている20タイトルを順番にプレイしていく。
鉄拳。バイオハザード。アーマードコア。
本来ならどれも随分と懐かしいタイトルだが、懐かしいという言葉は出てこない。懐かしさの過剰摂取に陥った僕たちは、懐かしさに麻痺しており、もうこの程度の懐かしさには反応しない。
「お!」
「え?」
「あ〜」
一文字で会話しながら、ビール片手に、ゲームに興じる。何年も同じ釜の飯を食ってきた仲においては、あ行さえあればコミュニケーションがとれる。
中でも「XI [sái]」というゲームには何時間も熱中した。
サイコロを転がして目を揃える、というパズルゲームなのだが、相手のサイコロを横取りするという駆け引き要素が、競争心を駆り立てる。
コントローラーを持った二人は「!」「!」と、もはや文字さえ交えない感嘆符で会話しながら、あとの二人はジャンプを読みつつ野次を飛ばす。2024年にここまで「XI [sái]」に盛り上がっている人間がいるだろうか。桃鉄はできなかったが、これはまさに当時の光景である。
白熱し続けて、深夜3時。いい加減眠くなってきた。こんなに遅くまで起きているのは、いつぶりだろう。
でもまだこの時間を終えたくない。もうちょっとだけ楽しみたい。目覚ましも兼ねて、僕はトイレに行くことにした。
用を足したあと、目覚ましに顔を洗う。
黒い便所サンダルを脱ぐ。
薄暗い廊下を歩く。
非常灯が光っている。
足音がカーペットに吸収される。
酔いと眠気で、すこしふらふらする。
意識が過去と今を、行ったり来たりする。
思い出話で盛り上がる大人たちを、昔はどこか軽蔑していた。過去の話をするのは、今に満足していないから。懐かしさに浸るのは逃避行動であり、自分はそうなるまい、と考えていた。
部屋の前に立つ。
ドアに耳を当てる。
火照った耳に、ステンレスがひんやり冷たい。
友人たちの歓声が、小さく響いてくる。
16年経った僕は、すっかり思い出話大好き人間になってしまった。現に今日は「懐かしい!」ばっかり言ってる。
まあ、でも、別にいいか。
ドアに耳を当てながら、僕は同時にそう思った。
面白い映画は、何度だって観たい。面白い過去は、何度だって過ごしたい。過去に浸るのは、何度も観たい時間を、過ごせたということでもある。そんなコレクションを大事に抱えて暮らしていくのも、悪くない。
耳を当てたまま、扉に体重をかけた。少し開いた隙間から、眩い光が漏れた。友人たちのシルエットが、逆光に浮かび上がった。
その瞬間、0.5秒くらいだけ、不思議な体験をした。
16年前に戻ったのだ。
漫画などで、「過去の情景が一瞬フラッシュバックして、目を擦ると元に戻る」みたいな表現がある。あれと同じことが起こった。いま自分は16年前にいる、と強い錯覚を起こしたのだ。
深夜に部屋でゲームをして、トイレに行って、また暗い廊下を戻ってくる。僕はこの動作を、何百回と繰り返したことが、たしかにある。
懐かしさを超え、絶句するような香りのノスタルジーをも超え、郷愁の極みに達すると.......そしてそこに眠気と酩酊がトッピングされると、人は過去に戻ってしまうのだ。
ただし持続時間は、0.5秒だけ。目が眩しさに慣れると、部屋にいたのは大学生ではなく、中年男性たちだった。僕がドアを開けたことにも気づかず、みんなサイコロに釘付けである。と思ったらひとりは座ったまま眠っている。
先ほどの奇妙な感覚を胸の内にしまって、僕はその輪に入った。
また朝がくる
翌朝、チェックアウト時刻の10分前に跳ね起き、慌てて荷物をかき集め、ロビーに降りた。みんな絶望的に眠そうな顔をしている。何時に寝たのか覚えていない。気絶するまでゲームをしていた。戸谷さんにお礼を言って、ドーミー立川をあとにする。
重たい身体を引きずりながら、駅への「思ったより2ブロック遠い」道のりを歩く。
しばらく無言が続いたが、誰かがポツリと、夢みたいな時間だった、と言った。そうだね、と誰かが頷いた。そしてまた無言に戻った。僕が一瞬ドアの隙間から見た光景も、また夢だったのだろうか。いや、たぶん酔っていただけだ。
そういえば以前の打ち合わせで、戸谷さんから耳寄りな情報を得ていた。共立メンテナンスでは、寮事業の「ドーミー」とビジネスホテル事業の「ドーミーイン」に加え、「ドーミーシニア」という老人ホームも運営しているらしい。
老後は一緒に、ドーミーシニアに住もうか。
そんな冗談を、寝不足の低すぎるテンションで静かに交わしながら、僕らは立川駅のホームで別れた。
昨日の雪はすっかりやんで、朝日が銀色の車両に反射していた。
中央線に揺られながら、僕はちょっとだけ、冗談でなければいいのに、と思った。
今回の一日については、本日公開のPodcast「超旅ラジオ」でも話しています。共立メンテナンスの戸谷さんも、ゲストで来ていただいています。
また、ドーミーのオウンドメディア「Dormy Labo」でもこの日を密着取材いただきました。こちらも併せてぜひ。
ご協力いただいたドーミー立川のみなさま、ありがとうございました。