全市町村巡りの副産物
ほか、役所の建物も雰囲気で年代が特定できるようになったという。
「昭和50年代は茶色いタイルを使いたい感じで、60年代に入ると白くなる。バブル期に変な感じの建物がいっぱいできて、今はもう完全にストレートでビルっぽくなっています」
その観察眼、さすがである。
壮大な旅の全行程は、下記ウェブサイトで確認しよう。
1741全市町村制覇プロジェクト
https://sites.google.com/view/
旅をしていると、「47都道府県すべてに行く」という目標はわりとすぐに達成できる。でも「日本の全市町村に行く」となると? あまりの高いハードルに、目指す人さえあまりいないチャレンジである。
しかし昨年の2018年1月、「平日は会社勤めをしながら、この一年だけで全市町村を巡りきる」と宣言した方がいた。高いハードルの、そのさらに上を越える果てしない挑戦である。
あれから一年が経った。その方は、一体どんな2018年を過ごしたのだろうか。お話をうかがった。
昨年のこと。Twitterを見ていると、あるツイートが目に飛び込んできた。
明けましておめでとうございます。市町村制覇の旅、スタートします!#全市町村制覇
— 【制覇済】チャレンジ1741市町村制覇 (@challenge1741) December 31, 2017
「全市町村制覇」をされている方のツイートだった。旅好きの私も、何度か夢に見たことのある全市町村制覇。しかしその道は長く険しい。
なにせ日本の全市町村である。平成の大合併を経た後とはいえ、2018年1月時点の市町村数は1718もある(それプラス、市町村に該当する自治体のない東京特別区は「区」をカウントするならば、計1741ヶ所)。
しかもである。その方は「会社勤めをしながら、休日を使って一年間で全てを巡る」というのだ。とんでもないチャレンジだと思った。でも同時に、そんなことが本当にできるのかなあ? と半信半疑で見ている私もいた。
一年間、つまり土日は52回しかない。それに長期休暇や有給休暇を組み合わせても、相当タイトなスケジュールにしかならないだろう。しかしその方は言った、「一週間で34市町村を巡れば理論的には達成できる」と!
それから一年間、私は週末ごとに繰り広げられる「全市町村めぐり」の様子を眺めていた。
1つ目!与那国町役場! #全市町村制覇 #与那国町 #与那国島 pic.twitter.com/G50AnHecQv
— 【制覇済】チャレンジ1741市町村制覇 (@challenge1741) January 1, 2018
2018年1月1日、日本最西端の沖縄県与那国町からスタートした旅は、
500市町村目。鳴沢村役場。定礎あり。 #全市町村制覇 #鳴沢村 pic.twitter.com/wOjaN7OsAM
— 【制覇済】チャレンジ1741市町村制覇 (@challenge1741) April 28, 2018
2018年4月28日、山梨県鳴沢村で500市町村訪問を達成
1000市町村目。山田町役場。定礎あり。 #全市町村制覇 #山田町 pic.twitter.com/kWcHAleGvI
— 【制覇済】チャレンジ1741市町村制覇 (@challenge1741) August 12, 2018
2018年8月12日には、岩手県山田町でついに大台の1000市町村訪問を達成した
それにしても静かだ。ものすごい挑戦をしているというのに、淡々と、しかし着実に数をこなしていく。しかも500ヶ所、1000ヶ所を突破しても一向にペースが落ちず、文字通り「すべての休日」を使って旅をしていた。
あまりに超人離れした行いを見るにつれ、「これは本当に全市町村を制覇してしまう人の行動だ……!」という確信に変わった。
実は「一年間で全て巡る」というチャレンジ自体は失敗に終わっている。あとでも触れるが、どうしても日程が収まりきらなくなり、2018年の一年間に巡り終えたのは1693市町村。積み残した48市町村は翌2019年に入って巡りきり、予定よりも少し遅れた2019年2月18日に「全市町村制覇」を達成した。
「全市町村制覇自体は、やってる方が結構います。でも大体が5年や10年といった長期スパンで。なので、もし自分がやるなら『社会人が一年で』という限界に挑戦したいと思ってました。単純計算で土日に各20ヶ所ずつ巡れば達成できるので、まあいけるだろうと」
考える人は多いだろう。でも実際に行動し、それを一年間も継続するというのは並の精神力ではない。しかも一日も休むことなく、本当に「全休日」を旅に捧げていた。気になるのは体調面だが、大丈夫だったのだろうか。
「体調は全然問題なかったですね。風邪を一回ひいたくらいで、自分でもすごいと思ってしまいます」
そんな超人・渋沢さんに話をうかがいながら、旅の軌跡を振り返っていきたい。
渋沢さんは旅の記録として、役所の周辺で「4点セット」を撮影するようにしていた。
「証拠がないと、本当に行ってるのかどうか分かんないですからね。ただ4つ揃うことはあまりなくて、その場合はあるものだけを撮ります」
役所に着いたら、自分がそこに降り立ったという確かな記録を残す。それが唯一の目的であり、それ以外は特に何もしない。もっとも、土日は役所も閉まっているため、他にできることもないという。周囲に誰もいない方が記録しやすいため、役所前で朝市などのイベントが「ない」ことをあらかじめ確認してから行くという念の入れようだ。
「計画をして、その通り行動して現地に着いて、建物を見たとき『あー、着いたー』って思うんです。到着の喜びというか。そう実感する瞬間が一番面白くて」
私も「全国のJRを全て乗る(JR全線完乗)」というチャレンジをしていたので共感できるのだが、特定の対象を巡る趣味を持っている人って、自分の内から喜びを生み出すことに長けている。
つまり、自分が幸福になるためのルールを自ら設定し、それに従って自分で計画し、自分で遂行する。その一連のサイクルが楽しいのだ。最高の内燃機関だと思う。
余談だが、渋沢さんも実はJR全線ほぼ完乗(災害による長期運休区間以外)しているらしい。強者すぎる……。
全市町村制覇の旅は、あらかじめ立案しておいた行程をたどるように進められた。とにかく時間が最優先のため、旅のスタート地点へは飛行機や新幹線など、一番早く現地へ到着できる手段を使用。
現地へ着いたら矢継ぎ早にレンタカーを借りて、いそいそと行動を開始。
「あとはカーナビの案内に従って、日が暮れるまでひたすら回るだけです。一番早いルートを通るので有料道路も使います。かかるお金よりも、とにかく時間が命なので」
もちろん観光地に寄り道などしない。昼食も基本はコンビニで食べる。日が暮れるとそそくさと宿に入り、翌日の運転にそなえてしっかりと休む。何度も言うが、巡ることが最優先事項であり、そのため現地ではすべての無駄が排除されていた。いさぎよい、というかやはり相当なストイックさである。
でもその行程って、どうやって決めたのだろうか。
「休日は全部出かけていて、平日は仕事をしながら動画編集をやってます。あとは週末の旅行準備をしていたら、あっという間に一週間なんて終わっちゃうんで。なので行程は、2017年(前年)のうちにすべて決めていました」
2018年の全市町村巡りにそなえ、行程を作り始めたのが2017年7月頃。そこから実に半年の時間をかけて、効率的に巡るためのルートを手探りで立案したという。
渋沢さん曰く、「2018年は予定に従って動いただけ。このチャレンジの成果は、やはり2017年のルート策定にすべて集約される」のだそうだ。じゃあ実際にどうやったのか、おそるおそる詳細を聞いてみた。
「一年で全部を巡るルートは前例がないので、参考にできる情報は世の中に存在しないんですね。自分で一からやるしかない」
「まず前提として、主要駅や空港からスタートする必要があります。そのあとは帰宅のことを考えて、やはり主要駅や空港に戻ってこないといけない。そういう制約があるので、大体はこんな風に周回するルートになります」
いったん地区ごとにおおまかな区切りを付け、2日間で回りきれる距離の一筆書きルートを作っていく。北と南からそれぞれ攻めていくと、必ずルートから漏れる場所が出てくる。次はそこを拾うようにルートを微修正する。そうすると距離が伸びて2日で回れなくなるので、また周辺のルートを変更する……という気の遠くなる作業を、半年間ずっとやっていたのだという。
そう言ってボロボロになった一冊のノートを取り出す渋沢さん。
先ほどの地図で大まかなルートを策定し終わると、その情報をすべてGoogleマップに打ち込む。するとナビ機能によって、各役所間の移動予測時間が出てくる。それをまずは手でノートに書き写していたのだそう。本当に2日間で回りきれるのかを検算していくのだ。
「滞在時間を見ていただくと、各役所で20分とってるんですよ」
「実際には20分も滞在しないので、どんどん前倒しになって余裕が出てきます。やはり渋滞とかいろんな不確定要素はあるので、バッファがないとキツいなぁと思って」
こうして所要時間を可視化すると、やはり現実的には行動不可能なルートが出てくる。するとまた最初に戻って、地図上でルートを引き直す作業に戻るそうだ。
「日の出、日の入り時刻が季節によって違いますよね。なので、時間が足りないルートは夏に回して乗り切るという技もあります。ただその時間も東と西で違ってくるので、国立天文台のサイトで逐次確認していました」
ルート策定にはとにかくパラメータが多い。渋沢さんの場合は首都圏からの出発だったが、例えば大阪発だと全く違うルートになるだろう。現地への移動手段や、道中の休憩時間、どこで宿泊するかなどなど、他にも考えないといけないことが無数にある。
たとえそれをクリアできたとしても、避けようのない事態に直面することもある。例えば2018年は、「西日本豪雨」や「大阪北部地震」など、交通機関が麻痺する大災害がいくつも発生した。そのたびに渋沢さんは日程を入れ替えたりしながら、なんとか一年で終えられるように頭をフル回転させていたのである。
「富山は面白いんですよ。市町村役場が全て海沿いにあるんですね。これのおかげで、かなり効率的に回ることができたんです」
そんなこと考えもしなかった。地形によるところも大きいが、たしかに富山は役所巡りに適している。全市町村制覇を志した者だけが気付く神様のいたずらである。
ルート策定は、正解のないパズルみたいなものだ。淡々と巡っていた行動の裏には、長い時間をかけてパズルのピースを試行錯誤で当てはめていく地道な作業があった。逆にここまでしないと、一年ではとても回りきれないということだろう。
日本は思いのほか広い。自分が暮らす日常は、その果てしない世界のほんの一部分でしかないのだ。次に聞いた話は、まさにそんな「日本の広さ」を実感するものであった。
島国の日本には、離島に置かれている役所もたくさんある。苦労して行程を作ったとしても、フェリーの欠航などに見まわれ、延期を余儀なくされることも何度かあったという。
「離島はいっぺんに行かないと効率が悪いんです。たとえば沖縄は離島がいっぱいあるので、なるべく一度に回り終えないと、残った離島のためだけにまた沖縄まで行くハメになってしまいます」
渋沢さんは旅の一番はじめ、2018年の一週目(正月休み)に8日かけて沖縄の離島を巡っている。しかしその際、座間味村など4村だけを巡り残してしまう。それが後を引き、チャレンジが一年で終えられない原因の一つとなった。
「小笠原村へはフェリーで丸1日、しかも通常は小笠原で2日停泊してから、また丸1日かけて東京に戻るんです。なので最低でも4日かかる。でも長期連休中などは、4時間半だけ停泊したらすぐに引き返します。それを狙ってゴールデンウィークに行きました」
小笠原村を攻略する裏技を聞いてしまった。早く帰るためには長期連休に行けばいいのだ。なるほど。この情報は誰かの役に立つのだろうか。
「本当にありがたいことに、付いてきてくれたんですね。でも滞在は4時間半です。さすがに申し訳なかったので、役場へ行ったあとは後輩のやりたいことを聞いて、結局ウミガメに餌をやってました」
それで4時間半後に、また24時間かかるフェリーに乗って東京へ帰ってきたという。往復2日かけて滞在4時間半というのもすごいが、この旅に付いてきてくれる後輩もすごい。全市町村制覇は、こういう行為の積み重ねの上に成り立っている。
「北大東もキツかったですね。飛行機も1往復しかないので」
北大東島への飛行機は、那覇→南大東→北大東→那覇という経由便が一日1便しかない。ちなみにこの南大東→北大東間は、日本一距離の短い航空路線として知られている。
「船も3、4日に一回しか来ないので、行程を決めるのがすごく大変なんです。肉眼で南大東から見えるくせに、到達するための難易度がとにかく高い」
そして当然のように、苦労して行った北大東島での滞在は3時間だった。
交通機関の予約そのものが困難な島もある。伊豆諸島・八丈島の南にある青ヶ島村だ。
「青ヶ島はヘリの予約が全く取れないんですよ。9席しかなくて、やっぱり地元民が優先なんです。もう全然取れなくて」
八丈島からのフェリー航路もあるが、フェリーもヘリも一日一往復しかない。そのうえフェリーは欠航率も高い。確実に行って帰ってくるには、行きをヘリ、帰りをフェリー(もちろん日帰り)にする必要がある。
渋沢さんは一回目、奇跡的にゴールデンウィークのヘリ予約が取れた。しかし帰りに乗る予定だったフェリーに欠航情報が出ており、泣く泣く出発を断念。それ以降、ヘリの予約が取れる日を虎視眈々と狙っていたのだ。
「ヘリの予約は最優先なんですよ。そうしたら10月の平日、水曜日に突然予約が取れた。この機会を逃したら次はないなと思って、有給を取って往復しました」
限られた日数で離島を巡るのは、相当難易度が高い。たとえ机上でうまく行程を作れたとしても、天候や予約の取れなさに予定が左右されてしまう。
なかでも「現地付近まで行ったけど、島には結局到達できなかった」というのが一番避けなければならない事態である。なにせ52回しかない限られた週末である。途中まで行って引き返すと、それだけで1週分をロスしてしまう。
そのため渋沢さんは欠航情報に常に気を配ったり、フェリーよりも欠航率の低い飛行機やヘリを取れるまで粘るなど、一時も気を緩めることはなかった。
――というか、聞けば聞くほど「一年で全市町村制覇」はヤバいゲームである。一年間決して音を上げない強靱な体力、パズルのように複雑な経路問題を解きほぐす知能、ひたすら予約や運行情報を確認しつづける忍耐力……。人生に必要なものは、すべて全市町村制覇にあると言っていい。
こんな感じでひたすら一年間(そう、一年間も)市町村巡りを続けた渋沢さん。しかし離島などに足を引っ張られ、残り48市町村を残した状態で2018年を終えることになってしまう。
「本当は12月31日に江東区役所で終える予定だったんです。終わったあとは、そのままビックサイトへ……という予定で」
一年で終えるという目標は惜しくも達成できなかったが、その後も淡々と残りの訪問を続ける。残すところあと2ヶ所となった2019年2月16日、その日は1740市町村目の北海道・奥尻島を訪れていた。
最後に残ったのは、伊豆諸島にある離島「利島(としま)」。ここも青ヶ島と同じように、フェリーかヘリで到達できる島だ。しかし多分にもれず、冬場はフェリーの欠航率が相当高いという難関である。
「もちろん運航状況は毎日チェックしてました。そしたら奥尻島から帰る日の気候条件がかなり良くて。ヘリの予約も取れてしまったので、これはもう行くしかないと思い、奥尻島から利島に向かいました」
ここ1ヶ月ほど毎日東海汽船のページを見ていますが、条件なし運航はかなりレアです。ほぼ確実に着けると思われます。 pic.twitter.com/3wn4kiX3Uz
— 【制覇済】チャレンジ1741市町村制覇 (@challenge1741) February 17, 2019
そのときのツイート。好条件がそろっており、高確率で利島を往復できそうだ。行け―
気象庁のページも調べ尽くし、間違いなく利島村へ行けると確信した渋沢さん。奥尻島から新幹線経由で一度自宅へ戻り、数時間後には東京の竹芝ターミナル発・利島行きフェリーに乗っていた。
「帰りの時間まで特に行くところもないので、役場の隣にあった資料館に行きました。そこの人といろいろ話をしていて、『全市町村へ行った』って言うと、『色紙書いてよ!』と頼まれまして……」
「そのノリで『村長と会えませんですかねえ』って言ったら、なんと話をつけてくれて」
最後の奥尻島からの展開は、話を聞いていて胸が熱くなってきた。マンガみたいな最終回。でもちゃんと最初から最後まで、すべて自分の足で築いた最終回である。本当にお疲れさまでした。
全市町村を巡り終えた渋沢さん。それ以降はゆっくりしているのかと思いきや、訪問後に建て変わった新庁舎を再訪しているという。旅はまだ終わらない……。
「いま市町村役場って、ちょうど建て替えの時期に入ってるんです。合併特例債の交付期限の影響で、それに合わせて全国各地で建て替えラッシュが起こっていて」
全市町村を巡っていくなかで、「いくらなんでも建て替わりすぎだろう」と気付いたという。それで調べてみると、くだんの特例債に行き当たった。たくさん観察すると見えてくるものがある。
次に何をするのかはまだ検討中とのこと。ひとまず直近では、今回のチャレンジをまとめた本を夏コミ(8月のコミックマーケット)で出す予定だという。気になる旅費についても計算している途中とのことで、コミケに受かればその辺がつまびらかになるかも?
みなさんにとっての2018年はどんな年だっただろう。いろんな出来事があったと思うけど、その裏で全ての休日を捧げ、日本全国を駆けずり回っていた渋沢さんがいたことを覚えておいて欲しい。やらんでもいいことに心血を注ぐ精神、本当の豊かさとはこういうことかもしれない。
ほか、役所の建物も雰囲気で年代が特定できるようになったという。
「昭和50年代は茶色いタイルを使いたい感じで、60年代に入ると白くなる。バブル期に変な感じの建物がいっぱいできて、今はもう完全にストレートでビルっぽくなっています」
その観察眼、さすがである。
壮大な旅の全行程は、下記ウェブサイトで確認しよう。
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