日本一は津じゃないのか?
ネットで「日本一短い地名」を検索すると「千葉県旭市ロ1」が日本一短い地名という情報が出てくる。ちなみに、口(くち)ではなく、カタカナのロ(ろ)である。
千葉県の旭市や、八街市、香取市、匝瑳(そうさ)市などにはイロハ順で名付けられた、イロハ地名が点在している。
そのため、市名が漢字一文字の旭市にあるイロハ地名は、必然的に住所が短くなり「千葉県旭市ロ1」といったふうに、住所が極端に短くなるのだ。
では、三重県津市が日本一短い地名というのはウソなのか? というと、そういうわけでもない。
「地名」は「その場所を表す名前」であり、市名や住所も含むかなり大きな概念であるため、一番を決めようとすると、条件によってさまざまな一番がでてくる。これは「世界一大きな生き物は?」という質問によく似ている。
したがって、日本一短い市名は「津(つ)」になるし、日本一短い住所は「千葉県旭市ロ1」ということになる。市名も住所も「地名」なのだ。
そのあたりの話については先日、
日本一長い地名のレポートで書かせてもらったのでそちらをご覧いただくとして、この日本一短い地名のひとつ「千葉県旭市ロ1」が、きになるので、旭市まで実際に行って見てきた。
千葉県立旭農業高等学校
「旭市ロ1」=千葉県立旭農業高等学校だった。
どこかに地名が書かれたものはないのか? この炎天下、練習試合をしている高校球児を横目に見ながら、地名を探して歩く。
地名はねぇがー
高校の校庭から道路を挟んで向かい側の電柱に地名が! とおもってよく見るとロではなく、西足洗。「にしあしあらい」と読むらしい。
およびでない
どうやら、この高校はロの端っこに位置しているらしい。
ふらふらとしばらくさまよったあげく、高校からちょっと離れた場所にロの表示があった。
あったー、ロだ!
残念ながら「ロ1」という表記を町の中から探すことはできなかったものの、旭市ロは発見できた。
この看板、西足洗と違い、わざわざ「旭市」と市名を入れているところは、「ロ」だけだと唐突すぎて混乱するからだろうか。
旭市のイロハ地名は全部「日本一短い地名(住所)」じゃないのか疑惑
ところで、ぼくはこの「千葉県旭市ロ1」に関して、ちょっとした疑念をもっている。
それは「旭市ロ1」が日本一短いのであれば「旭市イ1」や「旭市ニ1」も日本一ではないか? という点である。
イ1、ニ1、ハ1……あるいはイ2、ニ5、ハ7といったふうに番地が一桁であれば、旭市のイロハ地名はどこでも「日本一」になりえるのではないか? (そもそも番地の数字は「地名」なのか? という疑問点もあるが、この際おいておく)
というわけで、ここは「旭市イ1」を探してみることにする。イロハ順で言えばイが一番最初で、しかも1番ということは、いの一番ということである。
さいわいにも、現地で借りたレンタカーにカーナビがついていたため、住所検索で「旭市イ1」を探してみた。
検索で出てきた!
すると、カーナビは駅のすぐ近くを指し示した。ここか、ここがいの一番。旭市イ1。ぼくが考える日本一短い地名。さっそくその場所に向かう。
ここが、イ1……。
ほどなく、カーナビの指し示す「旭市イ1」に到着……したものの、とくにかわったところのない普通の住宅地だ。とりあえず、記念写真を撮ってもらう。
写真が白くて天国っぽいのは露出の設定を間違えたまま撮影したからです
旭市ロ1が日本一であれば、この旭市イ1だって日本一のはず。さっそく地名が書かれているものを探してぼくの論拠を確固たるものにしたい。
日差しだけが強い、昼前の住宅街……イ1はない
しかし、住所を示したものはこの周辺に一切ない。いったいぜんたい、ほんとにここは旭市イ1なのか?
しかたがないので、住宅の郵便受けに書いてある住所を確認すると、いずれも1000番台。1どころではない。
「イ1」についてはなにか根本的な間違いをしているのかもしれない……。
イロハニ、コンプリート
こうなったら、地番の1番とかどうもいいので、「イ」と書いてあるものを求めて、市内を走り回っていると、あ、イ、あった!
イ!
旭市の表記のないただのイの看板。そして、ハとニも発見。
ハ!
ニ!
特に、イの看板のシュールさははすばらしい。「ここはイ」って、どうみても吉田戦車のマンガだ。
地元の人はなんと言ってるのか?
さて、このイロハ地名に関して、やはり気になるのは地元の人はなんと言っているのか? ということ。例えば……。
「どこにお住まいですか?」
「あ、イです」
「イですか、私はハなんですよ」
「あ、近くですね」
といった空中戦のような会話がされているのかどうか? である。 わかりづらくないか? いや、でも地元のひとならもう慣れっこでそっちの方がわかりやすいのかもしれない……など、おせっかいな妄想がふくらむ。実際のところどうなのか?
地元の人に話を聞くため旭駅近くで営業していたケーキ屋さんで、ケーキを買うついでに話をききだした。
観光客が物を買えてかつ話を聞きやすそうだったケーキ屋さん
つかぬことをおうかがいしますが……
――このあたりにお住まいの方は、どこに住んでるのかを尋ねられたら「イです」とか「ロです」みたいに言うんですか?
「うーん、言う時もありますけど……だいたいは地域の名前を言ったりしますね」
――地域の名前?
「このへんだと『仲町区(なかちょうく)』って言ったりしますし」
――え? ということはイロハはあまり使ってない?
「郵便物の宛先とか、住所を正確に言う時は『ロ897』(お店の住所)って書きますよ、でも、ふだんは地域名を使うことが多いですね」
確かにお店の住所にはロ-897としか書いてない
普段使いの住所と正確な住所を使い分ける……りょ、両刀使いだ。しかも、地元民しかしらない地域名なんて謎が深すぎる。
「イ1」はない
――地域名って、もしかして字(小字)のことですか? こちらに来るとき、交差点名に「袋西」とか「袋東」って書いてあったのをみたんですが……もしかしてそれも?
あやしいと思って撮影しておいた袋東の交差点名
「おそらくそうだと思いますよ、袋区ってたしかにありますね」
やはり。このイロハ地名、小字を廃して大字をイロハに変更したものがそのまま残っているのだ。大字と小字については後ほど述べたいと思う。
――ネットでは「日本一短い地名」として「千葉県旭市ロ1」が一番短いっていう情報が出てくるんですけど、どうしてロ1が一番短いってことになるんでしょう? 「イ1」も短いのではって思うんですが……。
「イ1ってないんじゃないかな?」
イ1、ないのか!
イ1はない
住所の下に付く番号の「地番」は不動産登記で、土地一筆(ひとまとまり)にふられる番号のことだ。
この地番は、土地を分筆(分けて)売買したときに、枝番と呼ばれる番号が新たについたり、合筆(合わさって)されて番号が無くなって変わってしまうこともあり、番号が飛び飛びになっていたり、順番に並んでなかったりする場合がある。
「○○何丁目」といった住居表示がなされていない地域では、その地番を住所の代わりに使っているのだが、この旭市もそうだ。
カーナビは「イ」に1番地がないから、1000番台の地番を気を利かせて表示してくれたのかもしれないが、とんだ食わせ者だった。
大字のイロハと小字の地域名
さて、先ほど少し述べた大字と小字の件についてすこし述べたい。
旭駅の案内地図。よく見ると「イロハ」に混じって新町や塚前などの字名らしき地名が書いてある
よく住所の中にある「大字」というのは、ざっくりいうと江戸時代の藩政村(農村の単位)の名残りだ。明治時代の改革で、藩政村が合併して町や村になるさい、◯◯町大字◯◯として存続されたのが今でも残っているのだ。(例外はたくさんあります)
旭市でいうと、イ、ロ、ハ、ニの部分がそうなるわけだけど、江戸時代からイ、ロ、ハ、ニだったわけではない。
『角川日本地名大辞典』(角川書店)によると、明治22年までは、イ=網戸(あじと)村、ロ=成田村、ハ=十日市場村、ニ=太田村だった。
明治22年、これら4つの村が合併して町制を施行するさい、なぜか旭町(現旭市)は大字を「イ、ロ、ハ、ニ」にしてしまった。
一般的に開墾地に「イロハ」と名前をふっていくのは、よくあることなのだが、もともと村の名前があったところをわざわざ「イロハ」に変更した理由は原因がはっきりしていない。
地元の人の話によると、ロは口(くち)みたいだし、ハは八(はち)みたいだし、ニは二(に)みたいで間違えやすくてちょっと困ることもあるらしい
ただ、地元の人の話を総合すると、4つの村が合併して新しく町制施行するさい、町の名前をどうするかでもめ、けっきょく地元にゆかりのある木曽義昌(朝日将軍とよばれた木曽義仲の末裔)にちなんで町名を「旭町」とし、もともとあった村名はイ、ロ、ハ、ニにしてしまった、という兄弟げんかの雑な仲裁みたいな言い伝えがあるらしい。
したがって、開墾順に「い、ろ、は」と名前を振っていった八街市などのイロハ地名とは成立の経緯が全く違うようだ。
なぜ小字を廃止できたのか?
明治22年に町制施行された旭町は、大字をイロハニにしてしまっただけでなく、小字も廃止してしまった。
なぜあっさり廃止することができたのか? それは地番が大字ごとに通し番号でふられていたからだ。
みんな興味ないかな? ついてきてる?
上の図のように、大字ごとに地番が通し番号であれば字を言わなくても場所が特定できる。
しかし、これが字ごとに番号が起番されていた場合、字をなくしてしまうと、番号が被ってしまうので字が廃止できないのだ。
ややこしい話はもうすぐおわるでー
旭市は、たまたま大字ごとに地番の番号をふっていたので、字名を使わずに場所を特定できた。
日本一短い地名「千葉県旭市ロ1」は、こんな奇跡的な偶然の重なりによってできた、宇宙船地球号みたいな地名である。
ただ、ケーキ屋さんの話にもあったように、地元の人はイロハ地名は郵便物や住所を書くときにしか使わず、もっぱら「成田」とか「十日市場」といった大字名や、「仲町」や「袋」といった小字名もあい変わらず使い続けているらしい。
実際、ドラッグストアでもらった紙をみると、わざわざ小字名を表記している例もあった。
旭市ロ「谷近」という小字名をつかっている
さらに旭市にあるマツモトキヨシは「千葉県旭市二字宮前1614」あるらしいのだが、航空写真で見てみると、本当に宮(神社)の前だった。
このように、小字名はその土地の特徴をそのまま書き表したものも多いので、侮れないし気が抜けない。
消されてもなお生き残る地名の力強さ
以上、旭市の日本一短い地名について調べてみた。
旭市の極端に短い住所にかんして、地元の人はあまり使っておらず、もっぱら旧大字名や小字名をつかう機会が多いということがわかったのは収穫だった。
ただ、いったいなぜ「千葉県旭市ロ1」だけが日本一短いと言われるようになったのかは謎のままだ。
旭警察署のある「千葉県旭市ニ1」や、イやハだって日本一短い地名と言えなくもない気はする。