古い「暮しの手帖」約150冊をもらった
150冊では冊数的に“大量”というのはさすがに大げさか。しかしできるだけモノを持たないで暮らす私にとっては相当な物量なのだ。
祖母宅のあちらこちらのスキマから発見されては一所に集められる「暮しの手帖」(と一部「家庭画報」)この後もじゃんじゃん出てきては積まれていた
今回は特に60年代後半から80年初頭までの刊行号に着目、
1.いかにこの雑誌の「くらべ記事」がすごいか
2.くらべ記事一覧
3.くらべ記事にみる70年代の炊飯の迷走
4.くらべ方がすごい
5.泣けるくらべ記事
6.くらべ調査風景写真の異様なカッコよさ
といった流れでご紹介していきたい。
なにせ主張のある雑誌なのであまり深く食い込んでいくと紹介しきれず、あくまで上澄みを楽しくといった形である。
読んでご興味わきわきになった方は個々に古書店などにあたっていただけたら幸いであります(大雑誌について書くにあたりビビりまくってのこの文言)。
読んでも読んでも減らない幸せ(締切が近づいてきたころには焦りにかわった)
1.いかにこの雑誌の「くらべ記事」がすごいか
この雑誌、創刊から100号ごとに“世紀”という呼ばれ方で区切られている。今回あたったのは68年~82年のもの、第一世紀とよばれる号の最後のほうと第二世紀の号だ。
本当は68年以前のものも以前は十数冊あったのだが友人達にゆずっておりすでにない。内容がすごくてみんなに読んで欲しくて配っちゃったのだ。
なにがすごいかというと、やはりこの記事が象徴的だろう。
たとえば、有名なのがこれ!
食パンを4万3千枚焼く雑誌
以前当サイトの
小さなコラムでも書いたのだが、第一世紀99号に掲載された「自動トースターをテストする」が分かりやすくすさまじい。
自動トースター、いわゆるパンを縦に差し込んで焼くトースターの各メーカーごとの商品性能をテストするためにパンを4万3千枚焼いて調べたという記事である。
4万3千枚から選ばれたとおぼしき「代表的な焼け具合」10枚
今となっては商品性能の結果について(少なくとも私のような一般の主婦に)はあまり参考になるものではない。しかし調査過程のどえらさはおそらく今後100年経っても色あせることはないんじゃないか。4万3千枚て。
なにしろこれはすごいバックナンバーだぞということで祖母に断っては興味のある友人たちにぜひと勧めて配ったのだった(それでこのトースターの号もいまは手元にない)。
みどころはやはり、くらべ記事
今回譲り受けた150冊もやはり改めて読むと商品テストの内容がすごかった。
腰を折るようだが、商品テスト以外のページも飛ばしている。唐突にエッジすぎる「びんどろ人形」の作り方を伝授したり
「ババリヤ風揚げパン」(ババリヤはどうもドイツのバイエルンのことらしい)とレシピページも気になる
カナッペの創意工夫も今以上では(花に見立てたきゅうりの中央の部分はマヨネーズ)
……。
くらべ記事以外の記事を写真で軽く紹介するつもりが本気で話の腰を折ってしまった。
腰を正そう、そうだ、商品テストだ、やはり注目したいのは商品の性能をテストする記事である。
先に書いたとおり食パンを4万3千枚焼いちゃうという、テスト方法の本気度の高さといったら圧倒的であるし、もう一つすごみを感じたのがテストする対象物の幅広さだ。
2.くらべ記事一覧を作ってみた
トースターのようにこの雑誌がテストするのは家電が主軸ではある。が、食べ物の食べくらべもあるし衣類の着くらべもある。
小物の使いくらべ記事などは比較する商品の数ですごんでくる。
1970年第二世紀4号(以下”第二世紀”を略します)「しょう油つぎいろいろ」には14種類のしょう油つぎが
80年69号「たかがワインのコルク抜きといいますが」。ワインのコルク抜き27種を使いくらべ
80年66号「三角コーナー」。28種類を比較
80年68号「トイレットペーパーホルダー」も26種
78年55号、冷凍庫でアイス作るあれ「アイスキャンデーの型いろいろ」。12種類
かき氷器もあるぞ。76年43号「氷かき器はどれがよいか」5種
79年58号は肉をミンチにするアレ、「肉ひき機を使ってみる」5種
82年80号「窓拭き用のゴムべら」8種。くらべて買おうと思ったことなかった…
くらべの過程もすごければ、くらべる対象の守備範囲もはんぱじゃない。
そこで作ったのが1968年~1980年に出た号のうち手元にあった56冊分の「くらべ記事」の一覧である。
ちまちま表に入力
一読したところで探り当てたくらべ記事は全158記事あった。せっかくなので次のページではこれを何もいわずに羅列してみたい。
「暮しの手帖」が1968年~1980年までにくらべた商品の一部
では、いきます。
全自動せんたく機、ビスケット、食器洗い機、水切りかご、浴用ブラシ、電気掃除機、アパート、電気釜、しょう油つぎ、こども下着、2ドア式電気冷蔵庫、消しゴム、安いアイス、電池かみそり、ガス天火、ホットカーラー、レトルトカレー、毛布、体温計、ごはんの缶詰、ヤカン、電器ジャー、国語辞典、樹脂加工のフライパン、ノート、扇風機、インスタントラーメン、サインペン、ジューサー・ミキサー、スパゲチ、霧吹き、二層式脱水洗濯機、鰹節削り器、小型電気掃除機、床タイル用ワックス、チョコレート、蛍光灯、石鹸、ルームクーラー、ジュース、シャープペンシル、スチームアイロン、ガスヒーター、玉子焼き機、柔軟剤、ガス湯沸器、足踏み式くず入れ、自動センタク機、乾電池、2ドア式冷凍冷蔵庫、壁付けカン切り、換気扇、スライド映写機、オーブントースター、Tシャツ、国産より安い目覚まし時計、電気ごたつ、ホットプレート、節電型電気掃除機、湯たんぽ、冷凍エビ、ガス炊飯器、合繊じゅうたん、ショッピングカーと、こどもの運動靴、大根おろし器、ゴムベラ、電子レンジ、消火用三角バケツ、スーパーのTシャツ、ごはんの缶詰、家庭用電気もちつき機、金ざる、大型電気冷蔵庫、風呂洗い専用洗剤、ランチョンミート、8ミリ映写機、60分用タイマー、野菜ジュース、洗濯のり、氷かき器、石けん、安い掃除機、タオルかけ、焼肉のタレ、トイレブラシ、石油ストーブ、ウスターソース、安い外国製万年筆、保温式電気炊飯器、石けん入れ、ステンレスのヤカン、グリルつきガステーブル、缶詰のコーンスープ、フィックスルーパーの靴、充電式電池、ひげそり石けん、ワイシャツ、掃除機、弁当、ベビーカー、補聴器、麻婆豆腐の素、ストロボ、卓上コンロをテストする、加湿器、密封陽気、スチームアイロン、大型の電気冷蔵庫、油こし器、ジュース、スーパーのとうふ、小型バカリ、アイスキャンデーの型いろいろ、ストロボ付き38ミリカメラ、オーブントースター、FF式石油温風ヒーター、靴下、ランチジャー、家庭用消火器、水晶時計、缶詰の野菜ポタージュ、肉ひき機、充電式 電気かみそり、ふかし鍋、肥後守、ズボンプレッサー、つゆの素、電気釜、ホームサイズのアイスクリーム、人工芝、三角コーナー、圧力鍋、こどもの肌着、トイレットペーパーホルダー、石油ファンヒーターをテストする、筆ペン、ワインのコルク抜き、石油温風ファンヒーター、巻尺、台ぶきん、ホットプレート、おむつカバー、水切りかご、温湿度計、冷凍コロッケ、10万円以下のフリーアーム型ミシン、洗える背広、1キロワットのヘアードライヤー、粉ふるい、氷を使わない氷枕、ねりごま、子供用の小さい便座、新型電子ジャー炊飯器、スーツケース、背負子ふうのおんぶ道具、窓拭き用のゴムべら、冷凍シュウマイ
なかなかにスクロールしがいのある一覧ではないか。
隔月刊行で毎号平均約3つのくらべ記事を掲載していた格好である。
一番の異色は69年3号の外国と日本の集合住宅の間取り図をくらべた「狭すぎる日本のアパート」だろうか。13カ国を比較
3.くらべ記事にみる70年代の炊飯の迷走
一覧では主に70年代約10年分のくらべの歴史を垣間見たことになる。
いろいろと見えてくるところもあったが、特筆すべきは「ごはん」まわりの家電の進化だったように思う。
69年に「電気釜」、71年に「電気ジャー」、74年に「ガス炊飯器」、77年に「保温式電気炊飯器」、80年にまた「電気釜」、そして82年に「新型電子ジャー炊飯器」をテストしていた。
呼ばれ方がさまざまでパッとどういうものかが想像しにくいがどれもご飯にまつわる家電である。ご飯業界、こんなにも揺れ動きまくっていたのか。
69年3号「12年目の雪辱・電器釜をテストする」(12年ぶり2回目の電器釜のテスト。ガス釜にまけないおいしさになったとの判定)
71年10号「あたたかいばかりが能ではない・電気ジャーをテストする」あらかじめ炊けたご飯を保温するためだけの道具。電子レンジが普及する前なので需要があったらしいが、かなり辛辣
74年29号「ガス炊飯器をテストする」このとし、”電気炊飯器登場から20年、ガス炊飯器登場から10年”だったそう。電気の方が先だったのか
77年46号「保温式電気炊飯器をテストする」。保温機能がついたものが普及し出した模様。どれも「まあまあ」との判定
80年66号「電気釜をテストする」よしとされていた電気釜がこのころまたガス釜人気に食われ出したらしい
82年80号「新型電子ジャー炊飯器をテストする」。総評では「どうしても温かいごはんが食べたいなら蒸し器でむしたらいい」と保温にはまだまだ評価が厳しかった
進化というか、見方によっては迷走の歴史である。
メーカーによる製品発売時期を調べるのは簡単だ。だが当時新発売であったものが果たして便利に使うに値したのかだとか、実際に普及していったのかとかいった、その時代を経験していないと分からないようなことが見えてきておもしろい。
暖房まわり、お掃除、冷蔵庫も進化
ちなみに暖房機器や掃除機、冷蔵庫もこのころグイグイ進化を見せて取り上げられまくっていた。「ごはん」まわりを特筆したのは私がご飯大好きなだけである。
食いしん坊なばかりでは申し訳ないのでざっとそのほかの物も紹介しておこう。
スチームアイロンのテストは78年53号で6回目。ずっと満点がでず因縁の対決といった感。この号でも満点の商品は出ず
洗濯機も、全自動の初登場→まだまだ二槽式→いよいよ全自動の普及? と歴史が進んだようだった。写真は73年「自動センタク機はどれだけよくなったか」。こういうやたら雰囲気のある写真をぶつけてくるのも「暮しの手帳」的
暖房機器についてはやはりガスヒーターなどが登場しつつ石油ストーブは気を吐き続ける。68年第一世紀98号ではストーブを倒すテストも(ストーブによる火事のおそれを重視してくらべていた記事が多かった)
火事対策の流れはここへも。74年33号には消火用三角バケツのくらべ記事「消火用三角バケツで石油ストーブの火事は消せるか」。こういうバケツ、確かにむかしあった!
4.くらべ方がすごい
くらべ記事のバリエーションに驚き家電の進化に純粋にフムフムとなったところで、驚きの矛先をまたくらべる方法のすごみ「食パンを4万3千枚」! みたいなところに戻そう。
くらべ記事ではトースターのテストのように「耐久力」を調べようとなったときの爆発力がすごい。
うおーと思ったのが74年の合繊じゅうたんのテストだ。
74年「純毛のじゅんたんは合繊より丈夫というのは本当か」
絨毯を3年かけて「使って」テスト
おおむねのテスト記事では、機械で行うような耐久テスト(機械で商品を○万回動かしてテストするようなもの)は信じない、いろんな人が動きのくせをもってして使ってテストしてこそ耐久テストである、というのが姿勢のようだ。とことん普通に使ってテストする。
絨毯はなんと研究所内に敷いて3年かけて40万歩以上実際にその上を歩いてテストしていた。
その3年間に新しいタイプの絨毯製品が生まれなくてよかったと勝手にほっとしてしまった。
このころは純毛か合繊かでちょうど業界もユーザも迷い中という時代だったらしく、70年9号には毛布の使いくらべの記事「純毛の時代はすぎゆく~最近の毛布をテストする」も(合繊のよさが認められていた)
同じ号では買物車を50km引くテスト
えっ、と思ったのは絨毯の使いくらべの記事と同じ号に「買物車 shopping cart をテストする」としてショッピングカート11種類を2台づつ、10kgの荷物を載せて50km引くという記事が掲載されていたことだ。
ものすごい手間が雑誌1冊で読めちゃうお得感。なにか身に余る思いである。
買物車を引く調査員のみなさん。「雨の日も風の日も耐久力のテストはつづけられた」とある
77年50号にはベビーカーのテスト「赤ちゃんのためにも お母さんのためにも」も。重りを乗せたベビーカーを男女複数名が300km押して調査する記事。300km!?
まっすぐ押して曲がるかどうかもテスト
絨毯に並ぶのは80年66号の人工芝のテスト「人工芝とはどんな芝か」。それもテストするか! というチョイス。10万回歩くなかで週1回すみずみまで掃除機もかけるというもの
調査期間でいうと72年17号「蛍光灯をテストする」もすごい。4社のものを16本取り付け機械で1日5回つけたりけしたりして2年6ヶ月目で結果を記事に
70年9号では体温計4銘柄を合計100本調達して正確かどうかを確かめる記事「体温計は百本に6本が狂っている」が(タイトル通り結構な狂い率)。
71年11号では樹脂加工のフライパンを350回煎り卵を作って、500回ホットケーキを作ってテスト。
ミシンは2km、アイロンは20km、掃除機は数度にわたり取り上げているにもかかわらずおおむね100kmはかけてテスト。トイレブラシはトイレを1万5千回こすっていた。
敬意を表して叫びたい。
なんなの!
72年21号「玉子焼ききをテストする」は7種類で玉子焼きを50回ずつを焼いてテスト。ここまでくると50回くらいなら自分でもできるんじゃないかと思ってしまう。とんでもない
73年26号「オーブントースターをテストする」。トースト以外の料理もためしつつもちろんトーストは数を焼く。1800枚。
79年58号、水晶時計のテスト「水晶時計は正確です」。4銘柄8台を調査開始日に写真撮影、そのまま放っておいて366日後に撮影し誤差を調査。私だったら絶対企画の存在忘れてる
5.泣けるくらべ記事
もうほとんど圧倒しかされず、ただその本気度の高さにアウアウと口をあけるばかりだ。物を買う、物を選ぶということにここまでガチになる。誇り高き消費者の姿があまりにもまぶしい。
そんななか、だた驚かされるだけではなくさらに泣かされた記事があった。わたし、本当に泣いてしまった。
74年32号「こどもの運動靴を考える」だ。こどもの運動靴を履きくらべた記事である。
どうでしょう、
早くも泣かされそうな気配がしませんか
こども300人がぼろぼろになるまで靴を履き倒す
こども靴の履きくらべ。こども用なので調査するのもこどもだ。その記録を母親がとるという調査方法である。
小学5年生の男女300人に当時こどもの運動靴として主流だった前ゴムの靴と布の靴を履いてもらいその様子をお母さんが日々つぶさに記録。
6ヶ月経ったところで一度雑誌側が回収しチェック、履きつぶれてダメになった靴については調査を中止しつつさらに4ヶ月。
どのメーカーの靴はどこが痛みやすいか、洗濯で縮むのはどれか、色あせするのはどれかが白日の下に
通して10ヶ月である。こどももお母さんも続けるのは大変な調査だ。
子や親が病気になる、引っ越し等多忙のため調査続行が難しくなる、靴がきつくなる、盗難されるといった諸事情をかいくぐって最後まで調査に参加したこどもは300名中じつに221名いたそうだ。
「きっと、ほかのひとみんなの役にたつね」
結果のグラフにあわせ、最後に雑誌側の総括のページが入るのがくらべ記事の恒例である。
この回の総括の見出しは「ほかの人に役に立ったという誇り」。
すりきれてボロボロになった靴だが調査のために履き続けなければならない。こんなのいやだとこどもはいう。母が「大切なテストだから」と説得し続行、テストが終わった日にはそのこどもが「がまんしてはいたから、ほかの人の役に立つね」といったという。
泣いた。
この顛末で映画1本らくに撮れるんじゃないか。
おっちゃんたちも着たおし調査
ちなみに同じ着くらべでいくと、男性用の衣料品がスーツ、靴下、下着、ワイシャツなどとよく取り上げられていた。
73年26号、2年かけて13人で39着をテストした「Tシャツを80日着てみたらなにが起こったか」。●はスソののび、■はほころび、▲は穴、◆はエリの擦り切れで着られなくなったというマーク
77年78号では「千円前後のワイシャツの着心地と三千円前後のとをくらべてみた」と題したワイシャツのテスト記事が。
男性12人で30日着て洗いを繰り返し、と、これで終わりではなくその後洗っては乾かしを(着ずに)90回繰り返してテストしている。
82年78号「洗えるセビロを着てみる」10回洗濯しても問題なかったとある
テストだからとのびた下着を着る、穴の開いた靴下をはく。ざぶざぶと水洗いしてはスーツを着る。
泣こうと思えば…いやこれはどっちかというと楽しそうでもあるな。
6.くらべ調査風景写真の異様なカッコよさ
もう語りたいことが山ほどあってどこから手をつけたらいいかという具合で進めているのだが、きりがないのでトピックとしてはこれをラストにしたい。
私が大人になってから祖母の「暮しの手帖」バックナンバーに出会ったとき、まず心ひかれたのはくらべ記事の内容ではなくその調査風景写真であった。
ここまでの写真にもちょいちょい入ってきているのですでにお気づきかとも思うが、迫力のひとことだ。
この迫力、いる? とすら思ってしまうほどなのである。
77年49号「じゅうたん用そうじきをふつううの掃除機とくらべる」
78年53号「スチームアイロンをテストする」
76年45号「石油ストーブをテストする」
72年16号「小型の電気掃除機をテストする」
76年43号「8ミリ映写機をテストする」
暗がりのなかで神妙にほこりを撒いて掃除機で吸い、アイロンをかけ、ストーブをつけたりけしたりし、また掃除機をかけ、8ミリ映写機の投影画像を見る査員のみなさま。
かっこよすぎる。
古い「暮しの手帳」を読むときの楽しみのひとつとしてこの調査員の方々の写真を1日ながめるというのはまずあると思う。
これで飲み会10回はできる
まだだ、まだまだ語りたいことはあるのだ。古い「暮しの手帳」飲み会の開催が必要だ。重ね重ね、興味のある方はぜひ本誌をごらんになってみてください。
譲ってくれた祖母に本当に感謝しつつ、合わせて買ってきた最新号の「暮しの手帳」も合わせてまた読みに戻ります。
調査写真もそうだが、記事の冒頭写真もぐっとくる。72年20号「スチームアイロンをテストする」。ダフトパンクか
鉛筆けずりがなにかまがまがしい。68年第一世紀94号「鉛筆けずり器」をテストする
かっこいい。68年第一世紀97号「補聴器をテストする」。だめだ、もうきりがないです
納豆を一万回混ぜたのはこの影響か
2005年に「
納豆を1万回まぜる」という記事を書いた。たくさん混ぜるとよいといわれる納豆を、ならば1万回というぶっとんだ回数まぜてみようという企画だ。
これ、気づかないところで「暮しの手帖」から影響を受けていたんじゃないか。○万回、○kg、○kmといったくらべ記事の数字の大きさに触発されて、そして私は納豆を混ぜていたのかもしれない。運命が数奇だ。
創刊者で編集長の花森安治が亡くなったのが78年。亡くなった1月を境に表紙が花森安治作品から藤城清治作品に代わっていて、一見の私にもここまできたら感慨深い