これがきぬた歯科の看板
そのきぬた歯科に来た。外観がもう面白い。そして、
院長のきぬたさん。看板の人だ!
バリエーションは無限大
ーー今日はよろしくお願いします。看板を見るたびに写真を撮ってるんですが、なかなか撮りきれません。そもそも看板って全部でいくつぐらいあるんですか?
きぬた院長:340ヵ所位ですね。(2020年2月現在)。
ーーそんなに!定期的に増やしてそれぐらいの数に到達したと。
きぬた:いや、そんな戦略的にではなくて、気分で増やす。3ヶ月なにもしないときもあれば、続けて出すときもあるんです。設置場所も、高揚感が出る場所だったら設置したいですね。
ーー高揚感……。
高揚感
きぬた:そう、高揚感。うちの看板がだんだん有名になって、連日いろんなとこから看板設置のお誘いがありますよ。気軽に設置してくれると思ってるんでしょうね。確かに気軽に設置はしますけど、当然場所は選んでますよ。路地裏に置いたって仕方ないですからね。
それと面白さですよね。面白くないと意味がない。それは看板のバリエーションも同じで、あの柄はぼくが絵コンテを書いて、10社ぐらいの異なる看板業社に頼んで仕上げてもらっている。看板業者にも得意不得意があって、高速道路専門とかいろいろあるんですよ。だから、バリエーションは無限大。ぼくも把握しきれていません。
バリエーションは無限大
ーーそれは面白い(笑)集めても集めても分類できないわけだ……。
「顔」しかなかった
ーー看板の柄で思い出しましたが、いま最もよく見られる看板は、院長の顔が大きく掲載されているものですよね。でもぼくが撮った看板にはたぬきのイラストや、口内の写真が書かれているものもあります。看板の柄の変遷について教えていただけますか。
たぬきのイラスト看板に、
口内写真の看板
きぬた:八王子第2インターを降りると「ジョージ」っていうステーキ屋さんがある。その前に出したのがきぬた歯科の看板第1号ですね。それはまだ顔の看板ではありませんでした。
16号線沿線にあるハンバーグ&ステーキ「ジョージ」。この前にきぬた歯科の第1号看板があった
きぬた:顔の看板第1号は八王子の東海大学病院に向かう場所に設置していました。今では両方とも無くなってますけど。余談ですが、看板ってしょっちゅう無くなるんですよ。主に区画整理と、土地の相続が原因で。
ーーそうなんですね。看板事情に詳しい(笑)
「ジョージ」の前。看板はもうない
きぬた:顔の看板に変わったきっかけなんですが、最初は口内写真の治療前・治療後のビフォーアフターを看板に書いたんですよ。ジョージの前の看板もそうでした。そうしたら、それらの看板に対して小学校のPTAから苦情が来た。子どもが気持ち悪がるからやめてくれと。
ーー(笑)
苦情が来たビフォーアフター看板。場所によってはまだ残っている
きぬた:でもそれは、ある意味で予想通りでした。なんとなく分かっていたので、クレームがくればもちろん撤去します。
それで他にインパクトがあって文句が出ない看板はないかと考えたとき、「顔」しかなかったんですよね。それに気付いてスタイルを変えた。
ーーなんだかかっこいい。
「顔」しかなかった
きぬた:意外と顔出しの看板って日本ではなくて、ぼくがやったのが初めてぐらいでした。でも本来ここは医療機関ですから、院長は顔を出す義務があるはずです。信頼の問題にもかかわりますから。最近はたくさんの歯科医院がウチのマネをするようになりました。
きぬた歯科の看板はヌーベルバーグ
ーーそういえば、先生の顔が3つ並んでいる看板もありますよね。
きぬた:あります。あれは完全に遊んでいます。(笑)
遊んでいる
ーーそうすると、信頼はどうなるんでしょう(笑)。うさん臭いとか言われませんか?
きぬた:言われます。ある人に「うさん臭く思われて、病院の信頼なくなるよ」って言われました。ぼくの考えでは、うさん臭いと思ってもらえることも重要で、なんでもかんでもクリーンだと面白くないんですよ。
ハリウッド映画って勧善懲悪でクリーンにハッピーエンドを迎えるじゃないですか。でもあれ、半年後には内容をほとんど忘れている。インパクトがない。それは中身がないこととイコールなんだけど、それに比べるとフランスのヌーベルバーグの映画って悲しい終わり方をするじゃないですか。クリーンだけじゃない、そういうのが好きなんです。だから、ぼくが看板でやろうとしていることはヌーベルバーグみたいなもんです。
ヌーベルバーグ
ーーきぬた歯科の看板はヌーベルバーグ……。すごい、あの看板にそんな思想があっただなんて。
看板は6年前から一気に出した
きぬた:そうそう。だから看板のデザインだって原色で品がないとかうさん臭いとか言われますが、それは狙ってやっている。なんだよこれって感じでインパクトがあるじゃないですか。
ーーインパクトがあることをずっとやり続けられているのはすごいことですよね。
きぬた:いや、ずっとと言ってもまだ看板を出し始めて5~6年ぐらいです。
ーーええっ!そんなに新しいのか!
インタビューに同行した林さんもびっくり
ーーなんだかもうずっとあの看板が道路に置いてあるものだと思ってました。正直な話、そんな長期間看板を置き続けるお金はどうしているんだろうとか……。
きぬた:お金のことはよく言われます。なにかの闇資金でバックに誰かいるんじゃないかとかね。でもうちって一軒しかないから、ランニングコストもかからなくて、お金が貯まりやすい。それで貯めて貯めて貯めて……ドーン!と看板につぎ込んだ。
ーー(笑)
きぬた:歯科医になってから16~7年分貯めたお金をここ6年で一気に看板につぎ込んでる。
ーーそんな人生があるとは(笑)インパクトあり過ぎですよ。
原価が見える
ーーとはいえ、維持費はそれなりにかかるんじゃないですか?
きぬた:看板の設置費用は安いところから高いところまでまちまちですね。年間3万円のところもあれば、年間数100万する場所もある。ただ、実はずっと看板に関わっていると、見えてくる。なにが見えるか。それは原価です。つまり看板業者がビルのオーナーに払っている金額が見える。
この目には、看板の原価が見えている
ーーなるほど鑑定団のような鑑識眼が。
きぬた:そう。
ーーたくさん看板を設置しているから、原価が見えるようになったと。とはいえ原価が見えていても、看板の設置費用はそこから業者にも利益が出る額を支払うわけですよね。
きぬた:もちろん向こうも商売ですから。でも結果としては元々の値段より安く看板を設置できているはず。あと、そういう能力によって高速道路の看板の値段って結構ぼくが決めている(笑)
ーー本職が歯科医なのかわからなくなってきました。
顔しかない看板
ーー16~7年貯めたお金を一気に投入してるってことは、ある意味で看板に人生かけてますよね。きぬたさんの中では看板が本来の広告という機能を超えている気がします。ちなみに看板以外にも広告はやられているんですか。
きぬた:いっぱいやってます。チラシとかCM、あとは新聞折り込みや地元のタウン誌に掲載してもらったりと、草の根的な広告活動もやっている。
きぬた歯科のテレビCM
ーーということは、本来ならそれで広報は十分ですよね。しかし看板にこだわりがあると。看板の設置範囲はどれぐらいまで広がっているんですか?
きぬた:えっと、北は栃木県足利市で南は大磯、小田原辺りかな。大磯、小田原辺りは東海道新幹線の沿線に設置していて、有名な「727 cosmetics」の看板の隣にあります。それは新幹線のスピードに合わせて、看板に顔しか載せなかった(笑)。文字を書いても見えないし、隣の「727 cosmetics」の看板に負けてしまうので。
「727 cosmetics」の隣に立つ顔だけのきぬた看板
壮観だ
ーー異様な光景だ(笑)。でも東海道新幹線に乗っている人で、きぬた歯科に行こうと思う人はなかなかいないですよね。
きぬた:もちろん、大磯の人は誰も来ないですよ。広告として機能していないといえばそうなるのですが。
ーーということは、看板に広告効果以上の思い入れがあると。
看板は儚いもの
ーーどうしてそこまで看板にこだわりがあるのでしょう。
きぬた:ぼくは栃木の足利にある高校を卒業したんですが、大学受験に失敗して大きな挫折を味わった。とはいえなんとか歯医者にはなれて、はじめに東京の葛西にある歯医者に勤めたんですよ。20代半ばのころですね。
そしたら勤務初日、そこの院長に「六本木のパーティーに連れて行ってやるよ」って言われた。高校も大学も地方だったので、パーティーへ行くためにレインボーブリッジを渡ったとき、「こんなのがあるのか、東京すげえな」って思った。
こういう風景(photo by Gussisaurio)
きぬた:そしてその中で高速道路沿いに看板がバーっと光って並んでた。いや、すげーなと思って。あの威風堂々とした、ライトに照らされた感じを見て高揚したんですよ。
ーー高揚感がふたたび……!
きぬた:それで自分でもやりたいと思った。でもしょせんは歯医者だし、と思って最初は諦めてたんですが、それが自分の事業がうまく好転し出して、じゃあやってみようと。
ーーその原体験があって、6年前に看板だ、となった。
きぬた:そうです。看板を出してみてわかったんですが高速道路の看板を出す人ってそこそこ成功した人なんですよね。大きく成功した人はやらない。なぜなら次のステージに行けるから。
そこそこの人が看板を出すと、等身大よりも大きく見えるんですよ。俺って社会的にこんな成功したんだ、みたいな。だからよく見ればわかると思うんですが、看板に出てる企業の半分ぐらいはそこまで有名ではない企業。大企業もありますけどね。
いろんな看板たち。顔出し看板もちらほら
きぬた:それが面白いのは、そうした企業って例外なく消えていくこと。みんな、消えた。まさに盛者必衰、春の夜の夢の如しで消滅していく。あれがいい。ぼくはいま、その儚さに乗っている。ぼくが死んだら終わりですしね。それであの看板も消えていく。それでいいんですよ。それが美しい。
ーーかっこいい……。そういえば、看板は頻繁に撤去されるというお話もありましたね。
きぬた:そうです。高速道路に看板を出していたような中小企業は時代と共にみんな消えました。最初はタバコの看板が多かったんですが、それが法律で設置できなくなり、その後は不動産ベンチャーが不動産バブルで看板を出し始めた。でも不動産バブルも消えてその後にはITバブルが来た。それでITベンチャーの看板が見え始めたんだけど、それもみんな消えていった。
そして今はいろんな職種が混在している。ブームがなくなったんですね。かろうじていえば老化現象。骨董品や墓石、葬儀場それからインプラント。日本が少しずつ衰退しているのがなんとなく分かる。高速の看板ってめちゃめちゃ時代を反映するんです。
看板は時代を反映する
ーーなるほど、その時代の流れに今、きぬたさんも乗っていると。
きぬた:そうです。
看板は人生のハイライト
きぬた:それと看板でないといけないもう一つの理由があるんですよ。それが人生のハイライト感です。例えば、ビルを建てるとか、財産を残すというような方法だと、人生のハイライト感がないんですよね。
ーー人生のハイライト感?
きぬた:ぼくの人生を振り返ったとき、なにが一番輝いていたかというと、中学生のとき、地元の栃木県足利市の剣道大会で優勝したことなんですよね。それがぼくの人生のハイライト。そのあとの県大会で一回戦負けするぐらいの実力だったけど、それが一番輝いていた。それからは別にハイライトと言えるようなことがなにもない。
熱くなってくるきぬた院長
ーーでも歯科医として独立されたじゃないですか。
きぬた:いや、そんなのは歯学部に行けば誰だってなれるんですよ。ぼくにとってはハイライトではないんです。
ーーなるほど。それに、ある一瞬輝いているのが「ハイライト」って感じもしますよね。先ほどの話と合わせれば、すぐ無くなっていく看板の儚さは人生のハイライトにぴったりなのかもしれません。そういう意味で、ビルとか銅像ではなく看板だと。
きぬた:そう。そうして中学生のときにハイライトを迎えたままで人生終えていくのかなっていうとき、もう一度人生のハイライトを見たかった。
ーーそれで看板を出し始めたと?
きぬた:そうです。そして看板を出してからの6年ぐらいで、そのハイライトがやってきている。中学のときを超える状況になってきた。
ーー看板が人生のハイライトに……!
人生のハイライト
きぬた:そうです。その意味ではぼくはいま、人生の一瞬一瞬を真剣に生きているんだと思う。真剣に遊んでいるというか(笑)
人間は正常性バイアスという感覚を持っていて、明日も明後日も生き続けると思ってる。でももしかしたら今日この後死んでしまうかもしれないわけですよ。だからいつもそうして「死」を感じつつ一瞬一瞬を生きてますね。
仕事あっての看板
ーーでも人って、そういう風に考えたら遊びつくしそうな気もするのですが。その点、きぬたさんはインタビューでもそうでしたが、医療機関としての責任を考えられているというか、かなりまじめな部分もありますよね。そのバランス感覚がすごいなと。
きぬた:仕事あっての看板だと思うんですよ。だから調子に乗って成り上がっちゃいけない。
仕事あっての看板
きぬた:ぼくのところにはたまに芸能人の誰々と港区や渋谷区の飲食店やカラオケに行きませんか、とかお誘いがくる。その集まりに行ってそれをネットにアップするのも確かに面白いかもしれない。
でも面白いだけで終わっちゃう。だから自分の人生をまっとうするというか、ストイックに進んでいかないとダメな気がする。有名人が西八王子に来てくれるなら喜んで参加しますけどね(笑)
ーーなるほど(笑)仕事にはストイックであると。きぬた歯科のお休みはいつですか?
きぬた:祝・祭日ですね。それ以外の日には6時半に起きますよ。それをずっと繰り返す。かなりストイックです。毎日14時から14時半まで必ず昼寝をするんですがあるとき起きた時に頭がおかしくなりそうになった。
その繰り返しに嫌気が差していたんですよね。なんかもっと違う人生があるんじゃないかって。でもそれにも慣れました。
ーーそうした生活スタイルが人生のハイライトである看板を可能にした、と。純粋に看板を出し続けるためには、必然的にそういう生活になるのかもしれません。
なんだか「人生のハイライトとしての看板」という言葉できぬたさんの様々な要素がつながった気がしました。今日は長い間ありがとうございました。
私は海外にいたので、リモートでインタビューしていた。きぬた院長、ありがとうございました
看板に純粋だった
とにかく話の全てが面白かった。
看板はふつう、広告のための手段だ。しかしきぬた院長にとっては看板そのものが目的なのであって、まさに純粋に看板を設置し続けている。それがきぬた院長の「人生のハイライト」なのである。そこに邪念は、ない。
純粋さを突き詰めると、一見純粋とは思えないような、ふざけていてうさん臭い、いわば、普通ではないものが生まれるのも面白い。
看板は儚いもの。だから「きぬた歯科の看板よ、永遠なれ」とは言えない。でも、「きぬた歯科」的な「純粋すぎて普通ではないもの」は今後も街の中でずっと見続けたいと思った。
インタビュー時にもらった「きぬた歯科」のMA-1。ありがとうございました