「旅券用提出写真についてのお知らせ」とは何か
まずは、外務省が発行している「旅券用提出写真についてのお知らせ」を見てもらいたい。目にしたことがある人も多いだろうが、よく見るとこんなに面白いのかと思うに違いない。
スーツを着た女の人が次々に不適当な格好の餌食に。
この他にも全部で30種類の不適当な例が掲載されている。それぞれの例が面白く、よくこれだけ集めたなと思う。見るだけでも面白いので、パスポートセンターに行った際にはぜひご覧いただきたい。
しかしこうした規則は一体どのように決められるのか。そしてこのポスターはどのように作られているのだろうか。気になる。この謎を探るにはポスターの発行者である外務省旅券課に行くしかない。
インタビュー決行
というわけで来た。
外務省だ。インタビューの許可が降りたのである。
正門にはガードマンが立ち、物々しい雰囲気が漂っている。金属探知機のゲートをくぐり、受付で用件を伝えると、中から一人の男性がやってきた。ピシッとスーツを着ている。なんだか非常に場違いな気分になる。
この男性が今回インタビューを担当してくださる外務省旅券課の小林さんだ。
「今はちょうどパスポートの柄が変わる時期で、その取材が多いんですよ」
小林さんはインタビューの部屋へ向かいながらそうおっしゃった。私はそのことについて無知だった。パスポートの取材をするにもかかわらず、だ。場違いな雰囲気と相まって私はますます居づらくなる。
インタビューには、小林さん以外にもう一人、上薗さんという外務省旅券課首席事務官の方が対応してくださった。真面目さがインフレしている。しかもインタビュー早々、「撮影と録音はNGで」と言われてしまった。緊張感が走る。
とはいえ、インタビュー自体は大変スムーズに進み、パスポート写真の規則の詳細がかなり分かってきた。以下、いくつかの項目に分けて、パスポート写真の謎について見ていこう。
パスポート写真の規格は国際基準
そもそもなぜあんなにパスポート写真の規定が細かいかといえば、ICAO(国際民間航空機関)という国際機関が、世界共通のパスポート写真規定について文書で定めているからだという。その名も「Document 9303」。
パスポート写真の規定は、この文書を基本に、各国が独自に決めているという。考えてみればそりゃそうである。基本的にパスポートは国をまたいで使うもの。国内独自の規定だけでは対応できないだろう。
「Document9303」で写真についての詳細な規定が生まれたのが意外に新しく2006年から。
2001年の同時多発テロをきっかけにパスポートの偽造防止が重要課題になり、その中の議論でパスポートにI Cチップを内蔵することが議論された。パスポートに顔写真のデータを格納して入国時に使えるようにするわけだ。そこに格納する顔写真の規格が議論されるうち、入国時に顔認証を行える規格にしてしまおうということで、結果として顔写真の厳密化が図られたのだ。
海外旅行に行ったことがある人なら、出国する前、鏡のような機械にパスポートをかざしてゲートを通ったことがあるだろう。そこでは顔認証が行われており、そのときに重要になるのがこのパスポートの写真なのだ。
パスポート写真で最も大事なのは「目」
「Document9303」で細かく定められている事項に「目」がある。眼鏡のフレームのような異物で目が隠れてはいけない 、赤目になってはいけないなど、圧倒的に「目」に関する取り決めが多い。
これにも、先ほども書いた顔認証が大きく影響している。機械が顔を認証するとき、最も重要なのが目なのだ。
目が写真と違っていたり、その周りに何か異物があれば、機械が写真の人物と実際の人物を同じだと見なせなくなってしまうらしい。そういえば日本の例でもメガネやカラーコンタクトに関する規定が多かったが、それはこういうわけだ。
パスポート写真規則にもお国柄がある
このようにパスポート写真は世界共通でその基準が定められているが、それは最低限のルールである。
実際にはこの基準を元に、各国でいくつかのバリエーションが施されている。各国の規定はインターネット上で公開されており、小林さんにそれをまとめたものをいただいた。
日本の場合、各都道府県から実際に報告された規則違反、あるいはグレーゾーンの写真の例が報告書にまとめられ、それを元に規定が作られているという。これは私が考えたことなのだが、例えばウィッグなどの規定が実例と共に掲載されているのは日本独特で、それはコスプレ文化の隆盛とも関係があるかもしれない。
ウィッグを付けた写真でパスポート写真を申請した者がいたのかもしれない。ダメだと思う。
またインドではターバンの巻き具合・サイズを指定するもの、そして中東の国々ではヒジャブ(イスラム教徒の女性が頭に巻く布のこと)の付け方が指定されている。宗教上の理由によるものだが、国の特徴を反映しているといえるだろう。
このようにI C A Oの規定を元にオリジナルな規定を作る国もあれば、一方でI C A Oの規定ををそのまま使用する国もあるという。規則の程度も国によってさまざまなのだ。
テクノロジーの進化と共にNG写真も変わってきた
2006年にICAOが細かい写真の規定を公表してから、日本では平成18年・平成23年・平成28年の5年おきに写真の規定が変更され、その度に技術の進歩に合わせたマイナーチェンジが繰り返されている。
例えば、平成18年の規定には、写真の品質に関する事項が追加された。
デジタルカメラが一般に普及し、自撮りで証明写真を撮る人が増えて以降、パスポート写真の規定には「ボケている写真」「ノイズが入っている写真」など、いかにも一般人が撮った写真にありがちなミスを規制する項目が増えた。誰かが自宅で撮影した不鮮明な写真をパスポート審査に持って行ったのだ。
証明写真代を節約したかったのかもしれない。
更にその後、平成23年からは「目や顔の加工」を禁じる項目も登場した。
スマホで簡単に顔を加工できるようになった昨今、デカ目の写真をパスポートに使用したい人も多いらしい。分からないでもないが、やはりやめたほうがいいだろう。技術の進歩に歩調を合わせて、パスポート写真の規制も徐々にバージョンアップされているのだ。
こう考えていくと、いろいろな人がいろいろな写真を持っていってはパスポートを取得するときに却下されたトライアンドエラーの歴史が見えてくる。先人のチャレンジの積み重ねが、この一枚には詰め込まれているのだ。
グレーゾーンを尋ねてみる
さて、パスポート写真についての情報もかなり分かってきたところで、私にはある衝動が襲ってきていた。
実はこのインタビュー前、私はこうした禁止事項を潜り抜けるグレーソーンの写真があるのでは、と思い、自分でそれを考えて撮影していたのだ。
これらの写真で果たしてパスポートは作れるのか 。それを聞きたい衝動に駆られたのだ。しかしやはりどうにも場違いで、手元にある写真を出せそうにない。
そこで私は恐る恐る外務省の方に聴いてみた。
「例えば全身ビチャビチャの写真やごはんつぶが顔に付いている写真は、受理されるんですかね?」
一瞬、外務省の人の顔が曇る。一気に緊張感が増し、私は冷や汗が出てきて、写真のようにビチョビチョになりそう。
冷静な返答が返ってくる。
「写真を拝見してみないと断言できませんが、通常の顔と著しく齟齬が無ければ、規則上は写真として受理されるはずです。しかし、やはりみなさん自身が恥ずかしくなく海外に行くためにも、しっかり撮影された方が良いかと思います」
なんて丁寧な回答。冷静に諭された。
他の写真についても質問をしてみたが、最終的には同様の返答。あくまでもパスポートは他の国の人々に対して、自分がどこの国に所属し、いかなる人物であるかを証明するものだから、やはりそこでふざけたものを撮影するのは望ましくないし、そもそも私たちが恥ずかしい。
インタビュー後、取材に同行してくださったデイリーポータルZの林さんと話していて気付いたのだが、そもそもパスポートは国に所有権があって、それを個人が預かっているもの。
もともと国の持ち物なのだ。そりゃ国の方だって変なパスポート写真を提出されたら困るだろうよ。自分が国だったら怒る。
というわけで結論としては、「規則に禁止と明記されていないけれども、パスポートの性質上望ましくない」とのこと。そうですよね、としか言いようがない。
ちなみに後で知ったことだが、パスポート写真の判定は最終的に外務省で行うものの、基本的には『旅券提出用写真についてのお知らせ』に基づいて各都道府県が行うらしい。インタビューのときに聞いても外務省の人を困らせるだけだっただろう。やはり写真は見せなくて
良かったと思う。
不適当な写真に、人間の営みを見る
パスポート写真のNG例はICAOの規則に則っている。ただ先ほども書いたように、それらは最低限の規則として守られつつ、時代や国・地域によって絶えず変化している。
逆に言えば不適当な写真には、その時代や国の人々の営みが刻み込まれているのではないか。禁止になった、ということはそれでパスポートの写真を撮った者がいたということである。雨が大量に降る国だったら、写真規定に「ビチャビチャ禁止」というのも追加されるかもしれない。いや、されないか。
現在公開されている「旅券用提出写真についてのお知らせ」は肖像権の関係でいずれ改訂される予定だ。そうなるとこの掲示は一般公開されなくなる。まさに現代の日本の営みが期間限定でここに掲載されているとはいえないだろうか。
パスポート写真を発行・更新するときにこの掲示を見かけたら、その裏にある人間の営みに思いを馳せてみるのも一興かもしれない。