本当はアラビア文字と仲よくなりたいだけなんだ
アラビア文字の使用者は、全世界で5億人以上。国連公用語の一つであるアラビア語、イランのペルシャ語、パキスタンのウルドゥー語など多言語で使用され、地理的にもアフリカ北部からユーラシア、 東南アジアまでを広くカバーするという国際性。これはもうインクルーシブでダイバーシファイドな社会を目指す成員として、「よく知らない」では済まされないだろう。
なんて大上段からカマしてみたものの、基本的にウソです。本当のところ、みんなが読めないアラビア文字が読めたらなんかカッコいいじゃないかと。そんな志の低い理由でこのたび、知識ゼロからアラビア文字について学んできました。でもなかなか面白かったから、せっかくだし皆さんにもシェアしたいな。これはそんな緩やかなトーンの記事です。
肩ひじ張った話はありませんので、どうぞ平らかな気持ちでお読みください。あなたたちの上に平安を。
プロフェッショナルに教えを乞おう
実際のところ、デザインとしてのアラビア文字はかなりかっこいいと思うのだ。
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しかしカタチの美しさに惹かれて、さらに踏み込んで文字のシステムを理解しようと思うと、一気にそっぽを向いてしまうんだ。アラビア文字というやつは。
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アラビア文字は右から左に向けて書くらしいから、試しに右端から順に視線を走らせてみよう。なるほどまずは小さく丸を書く。そこからくんくるんくるんと3回、滑らかな曲線。さてここで趣を変え、線はシャープに上向きに…えーっと、これどこまでが一文字?あとこの点々とした記号たちは?ちょっと待って。落ち着こう。ちゃんと話し合おう。
…あくまで神秘的な態度を崩さないアラビア文字に独力で向き合うのは限界があるようだ。そこでこのたびは強力なサポーターのお力を借りる。山岡幸一さん、日本アラビア書道協会 事務局長であらせられる。
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アラビア文字も”アルファベット”
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象形文字の代表選手ともいうべきこの文字。文字にしてはあまりに愛嬌がありすぎるのでネタとして消費されがちなところもあるけど、実はヒエログリフを祖先とする文字たちは、今日の世界で大活躍しまくっている。ギリシャ文字にキリル文字、そしてなんといっても我々に最もなじみ深いラテン文字(A,B,C...)さえもその子孫。すごいやつなのだ、ヒエログリフ。
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そうなります。アラビア文字※には28種類の文字があり、一文字ごとに音が決まっている。ラテン文字と基本的な文字のシステムは同じです。見てください、これがアラビア文字のアルファベット表です。
※アラビア語の場合。言語によっては発音特性に合わせて文字が追加されているケースもある
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基本的な文字の運用が”アルファベット”と同じと知って、まずはアラビア文字への心理的ハードルが一段下がった。漢字のように膨大な種類があるわけではなく、28文字をきちんと覚えることができれば、あの曲線と点々たちを読み解けるようになるわけだ。この知識はアラビア文字理解に向けた大きな第一歩だ。
続けてさらにもうひとつ嬉しい学びが。ラテン文字とアラビア文字が兄弟であることを示す痕跡を発見した。最初の二文字が「アリフ」と「バー」なのだ。
アルファベットという言葉の由来は、ギリシア文字の最初の二文字「アルファ」と「ベータ」。血のつながりは思わぬところで唐突に発現するものだ。「あんた最近、お父さんとおんなじクシャミするねえ」とこのあいだ祖母に言われたのを思い出す。
なんでこんなにニョロニョロなの
幸先の良いスタートであったが、すぐさま壁にぶつかる。
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申し訳ありませんが…ちょっとストップ。何かとんでもなく面倒なことを聞いた気がする。冷静になって整理しよう。
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まず、上のように字がつながっているカタマリは一単語とみなすことができるそうだ。アラビア文字がやたらニョロニョロと連なっているように見える理由はこれで明らかになった。それはよい。問題は下の画像だ。
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ということは。覚えなければならない文字の数は28ではなくその何倍にもなるじゃないか。28文字さえ覚えればいいとぬか喜びしていた5分前のおれ、アラビア文字はそんなに甘くないぞ!
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アラビア文字が「右から左」なのはたまたま?
次は、個人的に一番気になっていた質問をぶつけてみた。ラテン文字と兄弟だという割に全然違うのは、文字を書く向きだ。なぜアラビア文字は右から左に記述するようになったのか。
ここには何かアラビア文字の精神性を象徴するような、重大な秘密があるのではないか。ねえ、どうなんでしょう、先生!
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期待に反して、事もなげにあっさり「たまたま」と言われてしまった。やや落胆気味のおれを置いておいて「ただし」と先生は続ける。
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昔は石を彫って文字を記録することが多かったと思いますが、職人が左手にノミ、右手にツチを持って彫る場合は右から左に進む方が楽だったからという説もあります。古いギリシャ文字で右から左に書かれているものも見つかっており、昔は文字の向きにはあまり厳格でなかったようです。
そういうことなので、祖先であるヒエログリフは右向きも左向きもOKだったけど、たまたまラテン文字は左から始まるスタイルを、たまたまアラビア文字は右から始まるスタイルを選択したというところじゃないでしょうか。
これを聞いたときは、まさに膝を打つという感じであった。たまたまといっても、論拠のあるたまたまなのだ。はっきりとしたことはわからなくても、歴史的事実に基づいて推論できる先生がかっこいい。
天ぷら蕎麦は”tmprsb”だ
ここまでのところ、アラビア文字に対する心証はいかがでしょう。「たしかに変わり者だが、意外と話のワカルやつだな」と思っていただける方もおられるのではないでしょうか。少なくともおれはこのとき、そう思ったんだ。そこで満を持して、アラビア文字のクールな特徴を紹介です。アラビア文字はほぼぜんぶ「子音」。
ためしに下の単語を読んでみましょう。
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おれはまず、この続け字がどんな文字から構成されているかを知らなければならない。先生がくれたアルファベット表とにらめっこすること3分。ふうふう言いながら、以下の3つの文字であることを突き止めた。
よっしゃ、これは「shms」と書いてあるわけだ。なんだかんだと言っても、”アルファベット”がわかれば単語くらいはすぐに読めるようになるのだ、アラビア文字おそるるに足らず!とすぐに調子に乗ってしまう。しかし問題はこのあと。さて「shms」はなんと読むんだ?
アラビア語の母音は「ア・イ・ウ」の3種類なので、右端の(sh)の文字は「シャ・シ・シュ」のどれかの音になるはず。同様に(m)はマ・ミ・ムのどれか。末尾の(s)はサ・シ・スのどれか。
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それで。残念なことに、もう他にはヒントはない。シュミスもありうるしシャムスかもしれないしシマサの可能性もある。以上である。
え…?どういうこと?という声が聞こえてきたので、むりやり日本語で例えてみよう。おれが蕎麦屋にいってお品書きを開くとする。「tmprsb 900円」というメニューを見つける。ははあ、これは「天ぷら蕎麦」じゃないかと察しが付く。
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つまりアラビア語話者が「shms」をシャムスと読めるのは、元々シャムスという単語を知っているおかげということになる。どうやら、こういうルールでアラビア文字※は運用されているのだ。
※子どもや学習者向けに、母音を補助記号的につけてある場合もある
マジか、どうしよう。多分おれ、「pzmrgrt 1300円」ってメニューがあっても察しつかないな(ふつう蕎麦屋にピッツァマルゲリータはないから)。ちょっとこれ、初心者には難しすぎません…?
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アラビア文字を書いてみよう
知識のほうはもうこのへんでいいだろう。皆さんがお腹いっぱいになっているのは薄々わかっている。ここからは気分を変えて、手を動かしながらアラビア文字に迫ってみたい。山岡さんが講師を務めるアラビア書道教室に場所を移す。
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ご紹介がずいぶん遅くなってしまったが「アラビア文字を書く」という行為こそ、山岡さんの専門とするところなのだ。先生はアラビア書道歴が30年以上。全国17か所の教室を忙しく飛び回りながら、現在は約300人の生徒さんを指導している。この日も教室には10人ほどが集まった。上品なご年配の方が多く、ひとり浮くおれ。
アラビア書道というのはその名の通り、アラビア文字を芸術的に表現したもの。紙に書くだけではなく、モスクの壁や天井にも描かれることがあり、もちろん宗教的な意味合いも大きい。
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はじめに、道具が配られて驚いたのは筆だ。筆と言ってもふさふさとした毛筆ではなく、硬い葦(アシ)の茎でできている。筆先は蛍光ペンのように斜めにカットされているのが重要なポイントだ。
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つるつるの紙の上をズズズと筆がすべり、滑らかな曲線を描いていく。日本の書道だとリズムというか、ある種の思い切りが必要な場面もあるが、山岡さんの筆運びは本当にゆっくりと着実に。確信をもって1本ずつ線を引いていく。文字を書くというよりは彫刻でもしているような雰囲気だ。
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「さあそれでは」と先生に促されて、緊張しながら人生で初めて挑戦したアラビア書道の作品(?)がこちら。
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いかがだろう。だいたいお手本と同じように書けてるじゃん、と思うだろうか。遠目にはそうかもしれないが、これがクローズアップすると全然違うのだ。
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おっ、ここで大発見。このきれいなひし形。アラビア文字の活字でよく登場する点々と同じだ。
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アラビア文字の点々を活字で表現するときに●でも■でもいいはずなのに、なぜ◆なんだろうと引っかかっていた。アラビア世界の独自の美意識がそうさせるのかと漠然と考えていたが、もともと幅のある硬い筆で書かれていたからこういう表現になるんだ。アラビア文字のかっこよさは滑らかな曲線と硬質な直線と思っていたけど、あれは筆記具の特徴によるものだったんだなあ。これは文字を書いてこその発見だ。
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しかしやはり見とれるのは先生の筆の動きだ。よく見ると筆先の角度を微妙に変えながら、徐々に線の太さを変えていて、それが絶妙なプロポーションを生んでいる。そのとき、
(あ、二度書き…)
山岡さん:アラビア書道では、二度書きOKなんです。筆にインクをたくさん含むことができず、どうしても長い線は最後まで書ききることができないので。
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実はスペースの都合で上の字は「ポータルZ」らしいのだけど、そんなことはどうでもよくなるくらいかっこいい。額装。これは帰って額装だ。
ちなみにこちらは山岡さんにお願いして、文字の構成要素を丁寧に分解いただいたもの。
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アラビアの美しい書体たち
残り時間はひたすら「ポータルZ」の模写に努めた。数字を一つずつ書くのとは違い、文字の連なりや、全体的なバランスなどを見る必要があり、格段に難しい。
一方で、未知の道具を使って、書いたことのない線をつむいでいくという行為に新鮮な楽しさを見つけた。難しいのは間違いないけど、何回か線を引くと思いのほかいい線を引けてしまう瞬間もあり、趣味としてはまる人がいるのもわかる気がする。
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今日の学びをおさらい
① アラビア文字も28文字からなる”アルファベット”で。
② アラビア文字の”アルファベット”は「アリフバー」。
③ アラビア文字の一単語は続け字で書くのが基本。
④ アラビア文字は、単語中の位置で文字のカタチが変わる。
⑤ アラビア文字は右から左に筆記する。
⑥ アラビア文字は、ほぼ全部子音。
⑦ アラビア書道は焦らずゆっくりと筆を運ぶ。
⑧ アラビア文字は植物の茎で筆記されてきた。
⑨ アラビア書道は二度書きOK!
⑩ アラビア文字には美しい書体がたくさんある。
アラビア文字を理解した、などとはもちろん思っていないけど、知識ゼロの状態からは確実にステップアップできたように思う。アラビア文字ってどんな文字?と聞かれたら、古く奥ゆかしく、難解だけど書いてみると楽しい文字!と自信を持って答えたい。
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アラビア文字・アラビア語・アラビア書道への興味が湧いたかたはこちら!
日本アラビア書道協会(JACA)https://www.jaca2006.org/