吉村の一振り
あれは1990年頃、私が小学校4、5年生の時の野球教室だった。その年来てくれた選手の中に、吉村禎章選手(以下、敬称略)がいた。今考えると札幌円山球場での大怪我から復帰した直後だったのではないかと思う。

吉村はマイク片手にスウィングの解説などをしてくれた後、バッターボックスに立った。
我々のリーグを代表する6年生のピッチャーが選ばれ渾身のストレートを投げると、なんと吉村のバットは空を切った。球場を埋め尽くす人々からどよめきが起こる。
「プロが空振りしたぞ。やっぱりあのピッチャーは凄いんだな」
私達がそう思いかけた瞬間、吉村が言った。
う、嘘だろ?空振りしたのが恥ずかしくて、ムキになってるのか?ピッチャーは言われるまま2mほど前進し、再び剛速球を投げ込んだ。
「スコーン!」
初めて聞く甲高い快音と共にボールは美しい放物線を描き、軽々とライトフェンスを越えていく。


一瞬の静寂ののち、球場は大歓声に包まれた。(凄い、凄すぎる...)。私は魂が震えるほどの衝撃を覚えた。
あれから35年
あれを上回るホームランをいまだに見たことがない。嘘ではなく44歳になった今でも定期的に夢に出てくるくらいだ。思い返すたびに脳内飛距離は伸びていき、今では200mくらい飛んだイメージになっている。
昨年、ニュースで大谷選手の特大ホームランを見ていて、ふと「あの時、実際にはどれくらい飛んだんだろう?」という興味が湧いてきた。20歳で南砂からは引っ越したが、Googleマップで調べてみると球場は現存しているようだ。
私はすぐにロードメジャーを購入した。

若干迷いもあったが不意に湧いた衝動を抑えきれず、私は妻を誘い久しぶりに南砂に向かった。
町は大きく変化していた
東西線の南砂町駅に到着してみると、見覚えのない景色が広がっていた。

気になって思い出の地を色々巡ってみると、変わったのは駅前だけではなかった。




休日だったこともあり、楽しそうな家族連れで賑わうイオン。しかし、初めて食べた時あまりの美味さに悶絶したサーティーワンも、放課後時間を潰していたメダルのじゃんけんゲームもそこにはない。
肝心の野球場も例外ではなかった。

我々の頃は休日ともなれば朝から夕方まで常に試合が行われていた。やはり少子化やサッカー人気で少年野球は廃れてしまったのか?


なんだか不安になってきた。ひょっとして「夢にまで出てくるホームラン」は「夢の中にしか存在していないホームラン」なのか?あんな出来事、本当はなかったんじゃないか?

実測開始
落ち着け。今は記憶の中にあるホームランの弾道を追うのだ。球場には入れないので、高等数学を駆使しておおよその飛距離を求めることにする。


久しぶりに訪れた故郷でロードメジャーをコロコロする気持ちを考えてみて欲しい。


まさかの展開
すると、前方に大勢のユニフォームを着た少年たちが見えた。やっぱり試合あるのか!グラウンド整備のためか、球場内に少年野球チームのコーチが歩いていたので計測をやめフェンス越しに話しかけてみた。
筆者: |
ええええっ!なんと、たまたま話しかけたこの方も、あの吉村のホームランの目撃者だったのである!やっぱり、あれは夢じゃなかったんだ!
一気に興奮状態に陥った私は、あのホームランがずっと忘れられなかったこと、今回その距離を計測してネット記事にしたいこと、などを早口で捲し立てた。
男性: 「そういうことだったら、どうぞ球場に入って直接測ってください。今球場を開ける準備してるんで、少し後で来てください」 |
高等数学を用いずとも、直接測れることになってしまった。