特集 2020年6月30日

存在しないことになっている水上スラムに行く

ナイジェリアの大都市ラゴスの湾岸沿いには、地図に載っていないスラムがある。

マココと呼ばれるその地域に暮らす人の数は、10万とも100万とも言われている。でも本当のところはわからない。政府が彼らの占拠を認めておらず、人口統計もないからだ。

存在しないことになっている水上スラム。

そういうところに、足を運んだ。

 

1982年生まれ。ウィーンに住んでいるのに、わざわざパレスチナやらトルクメニスタンやらに出かけます。
岡田悠さんと「旅のラジオ」更新中。

前の記事:ブードゥー教のシャーマン、エグングン祭りに集まる

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ラゴスへの道

ラゴスは1,000万人を超える大都市だ。富裕層のエリアを切り取った写真を見せられて、アフリカ大陸だとわかる人は少ないだろう。

 

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駐在員が多く住む国際都市ゆえ、生活水準も低くない。それなのに、これはまったく不可解なことだが、ベナン国境からラゴスへと通じる道路は、理想から無辺際の隔たりをみせているのだ。

陥没と隆起のはてない路上に、無数のごみがひしめいている。論理の帰結としてひどい渋滞が起こる。時速20kmでも進めば御の字だ。

ナイジェリアより貧しいトーゴやベナンの幹線道路は好ましく整備されていたのに、これはどうしたことなのか。

 

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ラディカルな車窓風景

 

検問の警官もやたらに多い。ベナンからの密輸団を取り締まるという名目らしいが(2019年には国境が封鎖されていた)、「警官への敬意を具体化した何か」を渡さないと先に進めない。

自警団のような輩もいる。ファイナルファイトというゲームに出てくるような鉄パイプをふりかざす彼らは、任意に車を停めさせて「自警団への敬意を具体化した何か」をせびる。この国では、いつでも敬意を具体化させる必要があるのだ。

 

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敬意の具体化を求められる(写真と本文は関係ありません)

 

でも私の場合は、乗合タクシーと公共バスを即興的に乗り継いでいったので、(陽が沈むとゲームオーバーになる緊張感はあったけれど)敬意の具体化は求められなかった。それは運転手さんに降りかかる責務となるのだ。

ただし、乗客も尋問の対象にはなる。私は髄膜炎の予防接種が未遂であるとして、車から引きずり降ろされそうになった。WHO発行の黄色い証明書を見せても「Meningitis」のスペリングが通じない。離れの小屋に行って処置をしろ、と指示される。

衛生状態のわからない注射針を体内に突き刺すか、それを避けるために敬意の具体化を試みるか。私は二択を迫られた。

 

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この事案については、「私は予防接種済みである」との主張から一歩も引かないことで解決をみた。敬意の具体化も回避した。

それから4時間かけてラゴスに着き、翌日に水上スラムを訪れた。

 

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ラゴスの中心部に近づくと、道路の状態がよくなった

 

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水上スラムに行く準備をする

マココはいわゆる観光地ではない。道中で知り合ったナイジェリア人が「あそこは危ないよ」と忠告する。そういう種類の場所である。

よそ者の来訪は歓迎されない。住民の感情を悪いほうに刺激すると、モブ・ジャスティス(集団私刑)の対象になるかもしれない。不幸な事件が起きたとしても、ここには警察の介入がほとんど及ばない。

ラゴス在住者への取材を経て、私に2つの選択肢が示された。

1. 国際協力NGOに同行してもらう。
2. 酋長の子孫に同行してもらう。

まず私は前者の案を検討した。しかし、時期が悪かったためだろう、マココの支援に携わるNGOからの返答は得られなかった。

そこで私は後者に賭けた。百年以上の歴史を有するスラムにおいて、その始祖となる酋長(畏敬の念を込めて、あえてこの言葉を使いたい)の子孫が、現在のマココをまとめていると聞いたからだ。

そこからいろいろな調整プロセスがあって、幸運にも初代酋長の孫に同行してもらうことになった。仲介者の言によれば、「マココにお客さんが来るのは4か月ぶり」とのことだった。

自己責任の旅がはじまろうとしていた。

 

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初代酋長の孫(写真左)

 

 

マココに足を踏み入れる

初代酋長の孫は、約束どおりに現れた。

マココには陸と海のエリアがある。どちらもスラムだが、「陸の者」と「海の者」は暗黙に区別され、自治のルールも異なるらしい。

 

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陸のスラムの細道を抜けて、船着き場まで歩いていく。

 

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どの住民も、酋長の孫を認めるとあいさつをする。

 

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そうして私の顔を、じっと見つめる。

 

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水上の世界へ

カヌーの集まる船着き場では、船頭さんが笑顔で我々を待っていた。ここが水上スラムの玄関口である。

 

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酋長の孫と同じカヌーに乗る

 

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船頭さん(写真左)に命を預ける

 

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大量のごみが浮かんでいる

 

政府の支援なきスラムには、下水道の概念がない。生活排水や汚物はそのまま海に垂れ流しとなる(ぷりぷりとうんこをする人もいる)。水面の色は救いのないどす黒さだが、不思議に悪臭はしなかった。

 

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子どもたちが「ヤーボ、ヤーボ!」と声をかけてきた。

ヤーボとは、エグン族のエグン語で「白人」の意味。私はまごうことなき黄色人種だが、よそ者を細かく分類しないのだろう。

「ヤーボ!」の響きには好意があった。その好意は、動物園でゴリラを見た子どもが「ゴリラだ!」と叫ぶときの好意であった。

類人猿の代表である私は、胸に手を当てて呼びかけに応えた。

 

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カヌーは一家に一艘の必需品

 

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家畜とおぼしき豚がいた

 

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子どもが一寸法師みたいなお椀を漕いでいた

 

「マココは漁業で有名なんだ」と、酋長の孫が語りはじめた。エビ、カニ、ナマズ、海貝などが採れるらしい。水質の悪化に強そうなのが多いな、と私は思った。ここは生態系ごとタフな世界なのだ。

水上にはキリスト教会もある。酋長の孫曰く、マココ内に20堂ある。日曜日には皆がお祈りに行く。そしてイスラム教のモスクもあるし、偶像崇拝(Idol Worship)もなされている。

「偶像崇拝?」と私は聞き返した。

「そのとおり。この世界にはいろいろな神さまがいる。たとえば海の神さまがいて、月の神さまがいる。これが偶像崇拝だ」

「私が生まれた日本にも、山や海の神さまがいます」と私は応じた。酋長の孫は微笑んだが、あまり興味はないらしかった。たぶんマココと日本は遠すぎるのだ。

 

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水上の教会

 

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水上の美容院

 

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類人猿の代表

 

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エグン族のかなしみ

「マココの住民はエグン族が多いのでしょうか?」と、私は思い切って尋ねてみた。アフリカは民族を重視する文化である。出自に関する質問は、それほど気軽に発せられるものではない。

「そうだよ」と、酋長の孫が誇らしく笑った。「ベナンの国境近くのあたりから移り住んできたんだ。おれのお祖父さんもそうだった」

エグン族は流浪の民である。かつてはダホメ王国などに暮らしたが、戦乱や奴隷狩りのために住処を追われた。その集団の一部が、のちにマココと呼ばれる干潟に辿り着いた。

マココの住民は、いまでもベナンとナイジェリアを行き来する。ナイジェリアの検問では「私はナイジェリア人だ」と言って、ベナンでは「私はベナン人だ」と主張する。そのようにして、警察にパスポートを見せずに国境を越えてしまうのだ。

これはおもしろい逸話だけれど、やがてかなしき逸話である。どの国でもマイノリティとして生きざるを得ない人たちの逸話である。

 

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エグン族はしばしばヨルバ族と衝突を起こしている。ヨルバ族もまたベナンとナイジェリアに住む者で、毎年1月にエグングンと称されるブードゥー教のお祭りをする。人口はエグン族よりもずっと多い。

ここで民族対立の仔細を並べるつもりはない。ただひとつ、私に思い浮かぶのは、国境線からの道路がまるで整備されていなかったこと、ベナンからの密輸団を防ぐという名目の検問が多かったこと、そしてマココの存在が政府に認められていないこと、これらすべての事象にはつながりがあるのではないか、という根拠なき仮説だけである。

 

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笑い話ですむトラブルと、笑い話ですまないトラブル

マココ滞在中には小さなトラブルが2件あった。笑い話ですむものがひとつと、笑い話ですまないものがひとつ。

そのひとつは、カヌー漕ぎの少年が我々の舟とぶつかって、漆黒の海に落ちたことだ。すぐに酋長の孫がひっぱり上げて、濡れ鼠になった少年がはにかんで、船頭さんも少年も両成敗。笑い話ですむ小事故だった。

もうひとつのトラブルは、対岸から舟に乗ってアプローチしてきた。興奮した中年男が我々の舟端を握りしめ、激しく罵倒してきたのだ。

私はエグン語を解さないが、その内容は察せられた。

どうしてよそ者を連れてきた。ふざけるな。おれたちを侮辱しているのか。こいつらをいますぐ叩き出せ。さもないと…

ここには警察の介入が及ばない、という事実が思い出された。

酋長の孫も負けじと怒鳴り返す。周りの住民が集まってくる。やがて「酋長の孫の叔父」が現れ、両者の仲裁に入ったが、彼こそは誰よりも血の気が多い人物であった。状況はますます悪化した。

舌戦は20分ほど続いたが、暴力沙汰にはならなかった。酋長の孫は、おそらく絶対に引けない立場を背負っているのだろう、筋骨隆々たる中年男の怒声にもひるまなかった。

酋長の孫が何を叫んでいたのかはわからなかった。エグン語の必死の抗弁のなかで「ビジネス」「ビジネス」と繰り返されて、それだけが私の耳に留まる単語であった。

 

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別れ

我々は陸のマココに戻ってきた。ここでツアーは終わりとなるのだ。

私は自らの意思に基づいて、酋長の孫に「敬意を具体化したもの」を手渡した。

エグン族の運命を受け継いだ男は、私に小さく微笑んだ。

そうして一度も振り返らずに、スラムの雑踏に消えていった。

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