少しでも元を取りたい
静狩までが弁辺村だったということが判明した。ということは小幌駅に旧県境はない。実際に現地まで赴いて、時間とお金をかけたぬか喜びを体験できた。いいぬか喜びだった。
しかし、これを無駄に終わらせたくない。まずはこうやってその経緯を記事にすることによって、少しでも取材費の元をとりたいのだ。
よろしくお願いいたします。
小幌駅に行くには、鉄道で行くのがいちばん楽だろう。ただし、小幌駅に停車する列車は長万部方面が4本。室蘭方面が2本……というかなりハードなスケジュールとなっている。
それ以外でのアクセス方法は、徒歩しか無い。歩いて行く場合は、国道37号線の礼文華トンネル付近から、谷底にある小幌駅まで降りる山道があるので、そこを30分ほどかけて下るということになる。もちろん、駅から帰る時は30分ほどかけて山道を登ることになる。
鉄道の時間に合わせて行くのもかなり面倒くさいのと、いちど秘境駅の秘境ぶりを体験はしておきたいという気持ちもあり、今回は歩いて駅に行くことにした。
函館から小幌駅のあるあたりまでは、国道5号線をひたすら北上し、長万部町で国道37号線に入り、礼文華トンネルの近くまで、約2時間半ほどかかると、グーグルマップはいう。
おそらく、実際に走ると3時間近くかかるだろう。
大沼を抜けて、噴火湾を右手に望み、長万部を目指す。
朝5時半に函館のホテルを出発し、長万部に到着したのは朝8時45分ごろだった。すでに3時間以上かかっている。
ガソリンスタンドでガソリンを入れていると、犬の散歩をしているおばちゃんに「おはようございます」と先制挨拶され「あ、はい、おはようございます」と気をのまれてしまった。
おばちゃんに挨拶されたついでに、近くになにか食事できるところはないか聞いてみた。
残念ながら、日曜日の早朝ということもあり、どこも開いてないということで、近くのコンビニを教えてもらった。
お礼を言って、立ち去ろうとしたところ、おばちゃんがなにか思い出したようで、あわてて引き返してきた。
あと少しで開店する店を思い出したといって、長万部駅前のかにめし弁当の店をおしえてくれた。
あ、長万部のかにめし弁当……たしかに桃鉄でそんな店あったわ。と、思い出した。
かにめしの販売所の横に列車の座席が設置された休憩所があり、買ったかにめし弁当をそこで食べることができるようになっている。
長万部で駅弁を食べ終わると、直ちに出発し、小幌駅に向かう。
途中、静狩湿原の中を通り抜け、30分ほど走ると、小幌駅にいちばん近い駐車場に到着する。
駐車場にバイクを停め、小幌駅前のメインストリートを下っていく。
小幌駅までは、下り坂になっているので、登山というよりかは、いきなり下山していく感じだ。
山道に慣れている人であればどうってことない道だろうが、ぼくのような登山素人にとって下り坂でもうかなりきつい。
しかも、この駅前大通りは、沢伝いに歩かなければいけないポイントが多く、腹立たしい。
靴は濡らしたくないので、苔の生えた石を踏むわけだが、絶対滑りそうなのでかなり慎重に歩く……。でも結局、ズボッと水に足を突っ込んでしまい、片足はビショビショになってしまった。
悪戦苦闘しつつ、30分ほど歩くと、やっとなにやら廃墟的なものが見えはじめた。
これが、あの「旧県境上にある」秘境駅……小幌駅だ。
最初にも書いたけれど、小幌駅は上下線合わせて一日に6回しか列車が来ない。東室蘭方面行き行きに至っては、15時と19時にそれぞれ1本、計2本来たら終わりだ。かなりヒリヒリするダイヤだが、今日は歩いてきたので、こんなヒリヒリする時刻表を気にしなくてもいいので、気が楽だ。
ただ、さっき苦労して下ってきた山道を、今度は登る方向で引き返さなければいけないのは気が重い。プラスマイナスゼロの感情が押し寄せる。
さて、旧県境はどうなっているのか。おそらく、山越郡であった長万部町と、虻田郡であった豊浦町(弁辺村)の境界が県境になるだろう。
当然、境界を示すような標識などは存在しないので、想像で補うしかないが、とにもかくにもここが境界であることは確かである。
ひとしきり、写真を撮って周りを観察し終えたぼくは、満足して帰途についた。
というわけで、ぼくはこの後室蘭に一泊し、苫小牧からフェリーに乗り、大洗からいろいろと立ち寄って東京に帰ってきた。
その後「北海道の旧県境が日本一の秘境駅・小幌駅にあった」ということを、執筆していた書籍に書くため、意気揚々とネットで情報の確認を行っていたところ、気になる情報を見つけた。
豊浦町の沿革という年表をよくみてみると、こんな事が書いてあった。
静狩を分離して、長万部町に移管した……あぁ、そう。……え? ちょっとまって、ちょっとまって、お兄さん。
大正7年までは、静狩は虻田郡の弁辺村(現・豊浦町)だったってこと?
と、いうこと、は。
明治19年までの札幌県と函館県の県境は、小幌駅のあそこじゃなくて、もっと西側の静狩湿原あたりだったってことっすかね?
なぁーにぃー、やっちまったな! どういうことか、まずは図をごらんいただきたい。
つまり、函館県、札幌県が存在した明治19年頃は、静狩までが弁辺村(現豊浦町)であったと。
だから、バイクでツーっと通り過ぎた静狩湿原あたりが、本当の旧県境だった可能性が非常に高くなった。というか、たぶんそうだったのだろう。
この……、徒労感。
「日本一の秘境駅、実は旧県境の上にある駅だった」とは言えなくなった落胆。
なんとか、弁辺村は静狩を明治元年ぐらいに長万部に譲ったことにならねえかな。と思って、国会図書館デジタルコレクションをぼんやり検索してみるものの、そんな都合のいいウソがあるわけない。
とにもかくにも、小幌駅はただの町境上の駅。という事実はわかった。
静狩までが弁辺村だったということが判明した。ということは小幌駅に旧県境はない。実際に現地まで赴いて、時間とお金をかけたぬか喜びを体験できた。いいぬか喜びだった。
しかし、これを無駄に終わらせたくない。まずはこうやってその経緯を記事にすることによって、少しでも取材費の元をとりたいのだ。
よろしくお願いいたします。
今回、旧県境上にあると思って訪れた小幌駅のこともチラッと書かれている私の書籍『地図でめぐる日本の県境100』が発売されています。
『地図でめぐる日本の県境100』
西村まさゆき著/天夢人/1760円(税込)
日本の県境92本(鹿児島沖縄県境を含む93本)から、とくに注目したい県境を100件ピックアップして紹介しております。
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よろしくお願いいたします!
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