そういえば大学時代を過ごした山形県の水辺で、かなり変わった形の硬い実を見かけた気がするなと立ち寄ってみたら、ちょっと形は違うけれどやっぱりヒシの実だった。
20年以上も前、なんだかわからなかったもの正体がようやく判明して、ちょっとすっきりした気分である。
忍者が追手から逃げるために撒く武器、マキビシ。頂点が尖った小型テトラポットみたいなるアレは、木や鉄から作る場合もあるが、そもそもは菱(ヒシ)という植物の実なのだそうだ。
菱の実を撒くから撒菱(マキビシ)。その実物を探して、食べてみたい。菱の実は武器であり、食材でもあるのだ。
昔からうっすら忍者の武器や忍法に憧れているのだが(ハットリくんの影響です)、その中でも独特なのがマキビシの存在である。撒いて踏ませて追手から逃げるという、人生で一度は使ってみたい秘密道具だ。
現代の丈夫な安全靴を履いている相手には効かないかもしれないが、わらじを履いていた時代にはとても有効だったのだろう。
マキビシのオリジナルであるヒシの実を、いつか採ってみたいなと思っていたところ、友人が自生している場所を知っているというので、10月上旬に関東某所を案内してもらった。
持参するようにと言われた持ち物は、柄の長い網と高枝切りバサミである。網が必要なのはわかるけれど、高枝切りバサミは何に使うのだろう。ついでにアケビでも採るのだろうか。
連れてきてもらったのは、流れの弱い用水路。水深は50センチ程度らしい。こんなところに忍者の武器が生えているのだろうかと水面を覗き込むと、そこにはびっしりと水草が浮かんでいた。
「ヒシは一年草の水草で、そろそろ枯れて沈んじゃうので間に合ってよかったです。ちょうど実が採りごろですよ」
この水面に浮かぶ水草が全部、目的のヒシなのだそうだ。
この水面に浮かんでいるヒシを網ですくって、そこから実をとる訳だが、ヒシは水底に根を張って、そこから風船のように紐付きでこうして浮かんでいるため、繋がっている茎を切ってあげないと収穫できない。
そこで高枝切りバサミの出番なのである。
このプカプカと浮かぶ水草に、どんな状態でマキビシとなる危険な実がなっているのかというと、これがとても意外だった。
中心部分からニュイーンと太い枝が伸びて、その先にプラモデルのパーツみたいについていたのだ。
いくつかヒシを収穫していると、網の中に脚部分がない真っ黒な実が入っていた。これは忍者の武器っぽい。
どうやら水の中で程良く腐ることで、緑色の部分は無くなり、ヒシの実にある黒くて硬い部分だけが残って、皆さんお馴染みのマキビシとなるようだ。
柔らかい皮、硬い殻、その中身というレイヤー構造は、ギンナンとかクルミと同じである。
この脚みたいな部分の役割は、種を遠くまで運ぶためのウキの役割なのかもしれない。脚の浮力でプカプカと水面を漂って、適当なところで腐り落ちて種として水中に沈んで、翌春に芽を出すのだろう。
あとこの脚の部分がないと、ヒシは自分に棘を刺しちゃうよね。
ところでこの棘、刺さるとかなり痛そうに見えるかもしれないが、その見た目以上に痛い。
棘を拡大してみると、幾層ものカエシがある大変危険な構造なのがわかる。ここに毒でも塗っておけば、致命傷を与える武器にもなるのだろう。恐るべし、マキビシ。
こうして収穫した天然のマキビシだが、武器としては致命的な欠陥がある。もうお気づきかもしれないが、地面に撒いても棘が横を向いているため、真上から踏んでも刺さらないのだ。
ヒシには種類がいくつかあって、これはおそらく普通のヒシ。マキビシに使われるのは、オニビシやヒメビシという種類で、形がちょっと違うのだ。
せっかくだからマキビシになるヒシの実も見てみたい。案内役のイグニさんによると、オニビシらしき実が流れ着いているのを見かけたこともあるそうなので、何か所か探してみることにした。
普通のヒシはいくらでも生えているのだが(詳しい人に案内してもらっているからだけど)、なかなかマキビシとして使えるヒシの実は見つからない。
降り続く雨が強くなってきたし、風邪をひく前にそろそろ諦めようか。でも諦めたくない。もう一回だけ試してみようかと沼っぽいところに高枝切りバサミを延ばしてみる。
おおおおぁ!あった!!
なんか変な声が出た。おそらくこれはマキビシとなるオニビシだ。正面から見たシルエットこそ普通のヒシと同じだけれど、中央部分の前後にはっきりと盛り上がりができている。
そうか、こういう違いなのかと超納得だ。がんばって探してよかった。
脚の部分は腐るのを待たなくても、曲げればポキっと簡単に折れてくれるので、さっそく取り外して地面に撒いてみよう。
普通のヒシの実は平べったいので棘が真横を向いていたが、これは前後に伸びた突起が支えとなって、かなりの確率で棘が上を向いてくれる。これは危ない。
これぞ忍者の武器、マキビシである。竹筒かタッパーにでも入れて持ち歩き、いつかこれを撒いて追手から逃げてみたいところである。現実問題としては誰かに追われるような状況は勘弁なのだが、自分が中学二年生だったら、きっと持ち歩いていたと思う。
こうして集めた天然のマキビシだが、ありがたいことに今のところ足止めすべき追手はいない。そこでこのヒシの実を食べてみることにした。兵器の平和的利用である。
これは別に奇をてらった振る舞いをしているのではない。日本ではあまり食べられる機会のないヒシの実だけれど、台湾では屋台で売られているほどメジャーな食材なのだ。ちょっと種類は違うけどね。
このように実の大きさ、物理的な安全性は、台湾で食べたトウビシに劣るものの、その辺で収穫したヒシとオニビシだって、味では負けないかもしれない。レッツ試食だ!
収穫してきたヒシの実は、水でよく洗って、不要な茎部分を折り取って、乾かして保存可能なマキビシ状態にしてから、食べる分だけ茹でて試食してみた。
それにしても危ない食べ物だ。どの作業をするにしても棘が刺さりそうになるので、最初に棘を全部カットしてしまうのが安全かもしれない。あるいは食べようとしないのが正解だ。
台湾の屋台では蒸していたが、今回は簡単な塩茹でにしてみよう。
茹で加減がまったくわからないけれど、10分くらいでどうだろう。
こうして密教に伝わる伝統の道具みたいなものができあがった。孔雀王でみた武器っぽさ。あるいはロードウォリアーズが入場時に装着する鎧。忍者の道具としては、このおどろおどろしい感じも大切なのかもしれない。
ええと、本当に食べられるのか、これ。
茹でてもヒシの実の殻は、ドングリよりも、ピスタチオよりも硬い。胡桃よりちょっと柔らかいくらいの防御力だろうか。
ラチェット式の丈夫なハサミを取り出して、棘に気を付けながら割ってみる。果たして可食部分はあるのだろうか。
硬い殻の中には、乳白色の胚乳がしっかりと詰まっていた。ピーナツ一個分くらいの可食部分だろうか。
小型のカニ用スプーンで丁寧にほじくり出して食べてみると、甘味はほぼ無くてサックリとした歯ごたえ。渋みやアクは意外と無い。豆のような、芋のような、栗のような、レンコンのような、落花生のような、百合根のような、蓮の実のような。知っている食材で近いものはたくさんあるけれど、あくまでオンリーワンという不思議なニュアンスの味と食感だ。うまい。
塩茹でにしたことで、塩気が適度に染みている。晩酌の友に良さそうだ。でも過去最高レベルで食べづらい。食べたい速度と食べられる速度がカニ以上に噛み合わない。
食べれば食べるほどお腹が空く魔法の食材。あれだけ自生しているのに、あの地域に食べる文化がない訳である。
オニビシも同じように食べてみたが、味の違いはわからなかった。どっちもうまい。ドングリでいったらマテバシイやスダジイくらいハイレベルだ。
中央の突起部分は食べられないので、武器としてはオニビシが優秀だが、食材としての優劣はなさそうである。気にせず食べよう。面倒だけどね。
忍者の武器であるマキビシは、身近なところで収穫できて、食べようと思えば食べられるということが実感できてよかった。また採って食べるかといわれると正直微妙ではあるが、フィールドワークで知識を増やすという体験はやっぱり楽しい。
小腹が空いた忍者のたまご達が、武器として集めておいたマキビシをこっそりと食べてしまって、上官に怒られるというシーンが頭をよぎった。
そういえば大学時代を過ごした山形県の水辺で、かなり変わった形の硬い実を見かけた気がするなと立ち寄ってみたら、ちょっと形は違うけれどやっぱりヒシの実だった。
20年以上も前、なんだかわからなかったもの正体がようやく判明して、ちょっとすっきりした気分である。
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