なかなか入ることのできなかった「かき広」
数か月前のある夜、用があって久々に淀屋橋へ行った。用事を済ませて地下鉄の駅から帰ろうとしたところ、「かき広」のネオンが光っていた。
それを見て、「え、この店って営業しているのか」と驚いた。近くを歩くたびに気になっていたが、その年季の入り具合からして、失礼ながら「もう廃業してしまっているのかも」と勝手に決めつけていたのである。ネオンが光っているということは、営業しているんだろう。
しかし、その日は急いで帰宅せねばならず、後ろ髪を引かれつつ駅へと急いだ。今度こそ行ってみようと次の週末の日中に行ってみると、閉まっていた。
昼間はやっていないようだな……と、別の日の夜に行ってみると、今度はネオンが光っていたが、中は明るいのに引き戸に鍵がかかっていたりした。
と、そんな風に、タイミングが合わないのか、なかなか私は「かき広」に入ることができないのだった。それでもあきらめきれず、曜日や時間を変えて何度か淀屋橋まで行ってみて、ある日、ついにお店に入ることができたのだ。
とうとうお店の中に入ることができた
と、その話の前に、まず「かき広」がどんな店かをしっかりお伝えしておきたい。こんな風に、大阪市北区中之島を流れる土佐堀川沿いにある店である。中之島には大阪市役所があったり、大手銀行があったり、周辺は巨大なオフィス街になっていて、人通りが常に多いエリアだ。
ご覧いただくとわかる通り、写真向かって右手にちょっと高くなっている建物があって、そっちはしっかりとした柱で支えられている。そして、左手には船のようなものが川に浮かんでいる。この両方ともが「かき広」なのである。右手の建物には厨房スペースとカウンター席があって、左手の船の方にはいくつかの個室がある。
もともと、広島から大阪まで牡蠣を運んできて売る「かき船」と呼ばれる船が江戸時代から存在し、ただ牡蠣を売るだけでなく、船の上で調理して客に食べさせるようなスタイルが増えていった。時代の変化でそれが減り、今はここ一軒だけになった。このあたりにもかつては同様のスタイルの船がたくさんあったらしい。
後でわかったところによると、予約制の個室席では牡蠣料理や懐石料理のコースが食べられるのだが、この店は店主が一人で切り盛りしており、予約があったらそっちにかかりっきりになる。で、予約が入っていない時や手があいている時に限り、カウンター席の方を開けて、そっちで軽く飲むこともできると、そういう仕組みらしいのだ。なるほど、ネオンが光っているのに鍵がかかっていて入れなった時はつまり、個室席の対応で忙しかったのだな。
そして私がついに初めてお店に入れたのは、コースのお客さんに料理を出し終え、店主の手がちょうど空いた時だったらしいのであった。
店内に入るとご常連さんが一人座っていて、いきなり「よくここに入れたね」というようなことを言われた。物語が始まりそうな、いいセリフだった。
瓶ビールをもらって飲み、落ち着いて見渡すと、前述の通りこっちは川の真上だとはいえ、柱に支えられた建物なので、カウンターだけのコンパクトな居酒屋のようでもある。
店内にはテレビもあって、その時はちょうどWBCの日本代表の試合が中継されていた。店主も常連さんもそれを見ながら飲んでいたらしかった。
入る時は緊張したが、店主が冗談好きな気さくな人だとわかってホッとした。「何か食べる?ただし、面倒くさくないやつな(笑)」みたいに一見の私に聞いてくるような、そんな感じの人である。
野球の終わった後に聞いたところによると、牡蠣の旬である冬季は個室席の予約が連日のように入っているが、この店で牡蠣のコースを出すのは3月いっぱいまでで、それ以降はカウンター席をメインに割とのんびり営業しているそうだった。
「まあ4月からでも事前に予算を言って予約してくれれば用意するけどね」と店主。「えっ!じゃあ今度改めて個室の方で飲ませてもらってもいいですか?」と私は即座に言った。