sponsored by 大正製薬 2018年9月5日

音沙汰なしの20年を、差し入れひとつでチャラにできるのか

20年ぶりに現れて先輩風吹かせてきました。
20年ぶりに現れて先輩風吹かせてきました。
かつて所属していた会社とか部活とか、離れて間もない頃はなにかと顔を出して懐かしがられたりしていたのに、一度足が遠のいてしまうともう行けなくなってしまうことってあるだろう。

今回は学生の頃所属していた部活に、20年ぶりに顔を出してきました。久しぶりに懐かしい集まりに顔を出す時のヒントにでもしてもらえると嬉しいです。



行く先々で「うちの会社にはいないタイプだよね」と言われるが、本人はそんなこともないと思っている。愛知県出身。むかない安藤。(動画インタビュー)

前の記事:最強のパワースポットでわらじカツ丼を食べる~投稿頼りの旅in埼玉~

> 個人サイト むかない安藤 Twitter

駅に着いた瞬間、暗雲がたちこめる

学生時代の4年間、石川県でヨット部に所属していた。

今回向かう先はそのヨット部の合宿所である。北陸新幹線が開通したいま、東京からでも3時間くらいで着いてしまうのだけれど、なにかと理由をつけて、これまで20年間来たことがなかったのだ。

今回リポビタンDの広告のため、かつて所属していた部活に差し入れを持っていくという名目で20年ぶりにヨット部の合宿所に連絡を入れてみた。正直こんなことでもない限り、あと10年でも20年でも行くことはなかったかもしれないのでありがたいタイミングである。

しかし金沢駅で在来線に乗り換えようとしたところ、ものすごい混雑しているじゃないか。
到着したとたん、駅がものすごい混雑だった。なんだこれは。みんなヨット部に行くのか。
到着したとたん、駅がものすごい混雑だった。なんだこれは。みんなヨット部に行くのか。
最近では外国人観光客が地方のいいところを巡ったりしてくれているとは聞くが、いつの間に金沢もこんなににぎわうようになったのか。いいことである。

と思ったら豪雨で電車が止まって身動きが取れなくなっていた人たちでした。
あとで聞くと歴史的な豪雨だったそうです。
あとで聞くと歴史的な豪雨だったそうです。みなさん大丈夫でしたか。
この日の雨はかなりのものだったらしく、お店の前には土嚢が積まれているところもあったくらいだ。これははたして僕の20年ぶりの訪問を歓迎しているのか妨げようとしているのか。
再開の見込みはたっていません!とのことだった。妨げようとしているねこれは。
再開の見込みはたっていません!とのことだった。妨げようとしているねこれは。
金沢は「弁当を忘れても傘忘れるな」という言い回しがあるくらい天候が急変しやすい土地なのだ。きっと今日はヨット部も安全のため海には出ていないだろう。
20年ぶりだけどちゃんと傘は忘れなかったよ。
20年ぶりだけどちゃんと傘は忘れなかったよ。
ということでまずは学生の頃にアルバイトしていた場所に差し入れを持って行ってみることにした。
金沢の台所、近江町市場。
金沢の台所、近江町市場。

アルバイト先に20年ぶりに行ってみる

僕は市場にある魚屋アルバイトをしていた。

駅の反対側にある中央卸売市場で競り落とされた魚を、このお店まで行くトラックに積み込む仕事だった。朝3時~8時まで魚を運んだあと、うまい朝ごはんを食べさせてもらって着替えてそのまま学校に行く。そんな暮らしを2年くらい続けた。
あった!
あった!
学校を卒業するとき、魚屋の上司にこのままうちで働かないか、と誘ってもらった。僕はここで食べる朝ごはんがどこの国の食べ物よりも好きだったので内心かなり嬉しかったのだけれど、運よく就職先が決まった後だったので辞退させてもらったのだ。

その後卒業しても、旅行なんかで金沢に来るたびにこのお店で買い物していた。あれから20年である。さすがにもう知っている人はいないかもしれない。
働き始めて半年くらいで制服をもらえた時には嬉しかったのを覚えている。それまでは雨カッパ着てた。
働き始めて半年くらいで制服をもらえた時には嬉しかったのを覚えている。それまでは雨カッパ着てた。
そう思ってお店になるべく長くいる人を紹介してもらったら、ばっちり知ってる顔じゃないの。
すみません、お名前は失念してしまいましたが、確かにお顔は覚えています。その節はたいへんお世話になりました。
すみません、お名前は失念してしまいましたが、確かにお顔は覚えています。その節はたいへんお世話になりました。
僕もこの方も、20年経ってすっかり名前は忘れてしまっていたが、なんとなく面影は覚えていた。事情を話し、リポビタンDを差し入れると喜んで受け取ってくれた。

こういう時には会話のきっかけとして差し入れを持っていくと、おたがい気持ちよく再会できるのだ。いいことを知った。
そのあと近江町市場で食べた金沢おでんが
そのあと近江町市場で食べた金沢おでんが
最高に美味かったです(持ち上げているのは車麩)。
最高に美味かったです(持ち上げているのは車麩。うまい)。
というわけで差し入れの効果に自信をつけたので、このあといよいよ20年ぶりの部活に顔をだそうと思います。


若い部員たちには差し入れが効くのだろうか。

いったん広告です

一緒に行ってくれる後輩を探す

最初にも書いたが、僕は大学の4年間ヨット部に所属していた。

週末は合宿、長期休みもほぼ合宿と遠征で、僕たち部員は文字通り学校以外のすべての時間を共に過ごした。いびきの音で誰だかわかるほどだった。

太宰治は大人になるというのは秘密を持つことだ、と言ったが、僕たち部員には当時互いに秘密なんてなかったように思う。

卒業して大人になり、物理的に距離が離れてしまったこともあるけれど、それだけ濃くかかわっていると、離れた後には逆に顔を出しにくくなってしまうものなのだ。濃い集団にはつながりが濃いうちでないと入り込みにくい。

今回は一人で行くにはちょっと自信がなさすぎたので、今でも連絡を取り合っている年の近い後輩をなかば強引に呼び出した。
こういう無茶なお願いについてきてくれる後輩が僕の宝である。
こういう無茶なお願いについてきてくれる後輩が僕の宝である。
ところで、我らがヨット部には食事に行った時には後輩には一円も払わせない、という伝統があった。今でもあるのかどうかはわからないけれど、僕たちの頃はそうだった。

そのため後輩は必死で先輩についていき、先輩は陰で必死になってアルバイトをしたものだ。僕が魚屋で朝からでかいブリを担いでいたのもこのためである。
もちろん僕たちの間では今でもその文化は続いている。
もちろん僕たちの間では今でもその文化は続いている。
先輩のおごりは悪しき伝統と言えなくもないが、好きな後輩におごるのって実はものすごく気分がいいものなのだ。こういうお金の使い方も僕はヨット部で習った。

後輩たちと思い出話をしているうちに、合宿所に着いてしまった。
ここがヨット部の合宿所。僕の4年間の大きな部分を占めていた場所です。
ここがヨット部の合宿所。僕の4年間の大きな部分を占めていた場所です。
合宿所は艇庫(ていこ)と呼ばれていて、金沢のアパートから2時間くらいかけて通っていた。金曜の夜に着いて、日曜の夜までここで過ごす。

20年経ったら合宿所も変わって、もしかしたらホテルみたいな快適な施設ができているんじゃないかと思ってやってきたのだけれど、来てみたらどこもかしこも20年前と変わっていなくて笑った。

差し入れは20年のご無沙汰をチャラにできるのか

どうもー、先輩でーす。
どうもー、先輩でーす。
慣れた顔して食堂へと上がる。すると初めて会う部員たちがにこにこ顔で迎えてくれるではないか。

こ、こんばんは。20年ぶりですが卒業生です。

「こんばんは!自分は2年生、スナイプ(というヨット)に乗っている**です!」

一応マネージャーさんには行くことは伝えてあったが、知らされていない後輩にとっては急に現れた知らない人である。警戒されたらどうしようと思ったが杞憂だった。部員たちは食事中だったにもかかわらず順に出てきて大声であいさつと自己紹介をしてくれた。
両側の二人はともに卒業生です。3年目(左)と17年目(右)、そして20年目(センター)。
両側の二人はともに卒業生です。3年目(左)と17年目(右)、そして20年目(センター)。
このあと2階で今日の練習の反省会を行うとのことだったので、せっかくならばと全員に向けて差し入れを贈ることにした。
僕が2階までリポビタンDを持っていこうとすると女子部員が「先輩にそんなことはさせられません!」とばかりに奪い取って運んでくれた。重いのにすみません。
僕が2階までリポビタンDを持っていこうとすると女子部員が「先輩にそんなことはさせられません!」とばかりに奪い取って運んでくれた。重いのにすみません。
女子部員に重い差し入れを持たせるのも申し訳ないな、と思ったのだけれど、そういえばヨット部はこういうところだった。

いまでこそ社会的にも男女平等が当然になっているが、大学のヨット競技にはもともと男女の区別がないのだ。同じ海で同じレースに出る。

なので女子だから重いものを持たせないとか、男子だから席譲れとか、そういう雰囲気は当時から全くなかった。同じものを食べて同じ船に乗り、同じ合宿所で生活するのだ。レースではムキムキの男子部員がほっそりした女子部員に平気で負けたりした。

思い出にひたっているうちに反省会の準備が整った。20年ぶりにやってきた先輩が座ると、部員たちが一斉にこちらを向く。
張り詰める空気が見えるだろうか。
張り詰める空気が見えるだろうか。
緊張を打ち破り、上級生が大声をあげる。

「安藤さん、お願いします!」
「(全員で)お願いします!」

いま現役部員の全視線が僕に集中している。そういえば僕たちもこうやって激励に来てくれた上の人の言葉を頂戴したものである。部員たちは先輩の言葉をひとつも聞き逃さないぞとでも言わんばかりに必死にノートにメモったものだ。
この壁には代々の部員たちの名前が掲げられている。僕はこの代の主将でした。
この壁には代々の部員たちの名前が掲げられている。僕はこの代の主将でした。

差し入れをどうぞ

20年前の卒業生として、文字にするには恥ずかしいような熱い言葉を述べたあと、差し入れのリポビタンDを進呈した。ちなみにこの「闘志」と書かれた熱いパッケージはWeb限定で買うことができるので、どうせならこっちの方がいいと思います。

リポビタンDの担当者からは「ファイト、ハイターツ」といって渡してください、とお願いされていたが、すみません、先輩風を吹かせたかったので全くふざけられませんでした。
ファイト、ハイターツ!(いちおう書いておきました)
ファイト、ハイターツ!(いちおう書いておきました)
スイカもハイターツ!(スイカは後輩が持ってきたやつだけどな)
スイカもハイターツ!(スイカは後輩が持ってきたやつだけどな)
現役部員に自分は1998年に卒業したのだと言うと、「自分はその年に生まれました!」と言われた。そうか、あの年に生まれた子どもがこうして後輩として合宿に参加しているんだ。20年という年月の長さがようやく実感を伴ってきた。
歴代の栄光の数々(僕らの代では勝てなかったけど)。
歴代の栄光の数々(僕らの代では勝てなかったけど)。
合宿所は僕たちの頃からすでに古かったのだが、20年経ってもほぼそのままの状態で使われていた。漂流教室だろうか。僕たちが現役だったころに床板を突き破ってタケノコが生えてきたことがあるのだが、その床だけはさすがに張り替えられていた。
この男湯の看板は僕が20年前に書いた気がする。シャワーは1か所しかないので看板をひっくり返すと女湯になります。
この男湯の看板は僕が20年前に書いた気がする。シャワーは1か所しかないので看板をひっくり返すと女湯になります。
せっかく来たのだ。翌日は練習の様子を見させてもらうことにした。


つぎはいよいよ20年ぶりに海にでます。

いったん広告です

20年ぶりに練習を指導する

前日の大雨がうそのように、この日はスカッと晴れた。ヨットにはちょうど良い強さの乾いた風が吹いている。

朝いちばんで合宿所に着くと、部員たちはすでに出艇準備を整えていた。
4年間見てきた朝の景色である。
4年間見てきた朝の景色である。
ヨット部の朝は早い。6時に起床して体操、船を整備して食事してミーティング、8時か8時半には海に出ていく。
いい風吹いてますわ。
いい風吹いてますわ。
合宿所を出てスロープに降りると、部員たちが整備の手を止めて挨拶をしてくれた。

「おはようございます!」

若者だけど「ちいーす」とかではないのだ。こんな輪郭のくっきりとした挨拶は20年間聞いたことがなかった。
いい天気になりました。
いい天気になりました。
驚いたことに僕たちが乗っていたヨットは20年経ってもまだ現役だった。しかも年を取ってボロくなっているわけではなく、当時のままか、それどころかかえってきれいに整備されているように見えた。これはちょっと驚異的なことだと思う。
僕が乗っていた時とまったく変わっていないのがすごい。
僕が乗っていた時とまったく変わっていないのがすごい。
この傷なんて昔からあった気がするぞ。
この傷なんて昔からあった気がするぞ。
あとで説明するが、ヨット競技は想像よりも激しいスポーツである。そして海に出るからには常に危険も伴う。道具の整備はなによりも慎重に行われるのだ。壊れたり傷んだりした部品はすぐに修理、交換される。考えてみればそうやって慎重に整備しながら使っていれば古くなることもないのかもしれない。
自分たちが乗っていたヨットを見て20年前の記憶が一気にフラッシュバックした。頭がくらくらする。
自分たちが乗っていたヨットを見て20年前の記憶が一気にフラッシュバックした。頭がくらくらする。
準備ができたらミーティングである。ここでも現役部員は卒業生からの言葉を待つ。
「安藤さん、お願いします!」「お願いします!」
「安藤さん、お願いします!」「お願いします!」
すでに緊張の対面は昨日済ませているので、集中して安全に、と、今日は手短に先輩風吹かさせてもらった。

勝手に思っているだけかもしれないけれど、現役部員たちの顔を見ると「同じ釜の飯を食べている仲間」という濃いつながりすら感じる。20年という長さはわりと一瞬で超えられちゃうものなのだ。
出艇前には円陣を組むのも伝統。さすがに卒業生は円陣には入れてもらえないですかね。
出艇前には円陣を組むのも伝統。さすがに卒業生は円陣には入れてもらえないですかね。
入れてくれました。
入れてくれました。
「出艇!」

キャプテンの声がかかると部員たちが駆け足でヨットを海へと下ろしていく。
「出艇!」何度やったかわからないけど、何度やっても気持ちいい瞬間です。
「出艇!」何度やったかわからないけど、何度やっても気持ちいい瞬間です。
僕はヨットではなくエンジン付きの運営艇に乗せてもらった。
行ってきまーす。
行ってきまーす。
そういえばヨットってどんな競技なのか、この後説明しますね。


ヨット競技の厳しさをちょっとだけご紹介。

いったん広告です

ヨット競技とは

そもそもヨット競技とはどんなものなのか。ふつうに暮らしていると知ることはないと思うし、知らなくてもそれこそ一切問題ないだろう。でもこれも何かの縁である、ちょっとだけ説明させてください。

学生が乗るヨットは二人乗りのものが多く、前に乗っているのがクルー、後ろがスキッパーと呼ばれている。主にクルーが周囲を見ながら前のセールを担当し、スキッパーが後ろのセールと舵を担当する。
斜め横から風を受けるため、選手は体をほぼ外に出してヨットが倒れないように耐えます(これが推進力になる)。
斜め横から風を受けるため、選手は体をほぼ外に出してヨットが倒れないように耐えます(これが推進力になる)。
ヨットは後ろから風を受けて走るだけと思われがちだけれど、実は斜め前から受けて風上に向かって走っていくこともできる。この辺の原理については説明しだすと長いので省くけれど、これによって風向きにかかわらず行きたい方向に向かって走ることができるのだ。
足だけひっかけて上半身はほぼずっと船の外に出ています。腹筋!
足だけひっかけて上半身はほぼずっと船の外に出ています。腹筋!
レースは海面に設置されたブイを決められた順に周ってゴールまでのタイムを競う。大勢が一斉にスタートするので風の強さや方向に合わせてレースを組み立てていく必要があるのだ。体力はもちろんのこと、かなりの心理戦でもある。
そしてヨットは簡単にひっくり返る。ひっくり返ることを「沈(ちん)」と言います。
そしてヨットは簡単にひっくり返る。ひっくり返ることを「沈(ちん)」と言います。
二人乗りのヨットは二人の息が合わないと簡単にひっくり返る。この日は上級生が一年生を乗せていて、何度も操作ミスでひっくり返っていた。今は夏だからいいけど、真冬の海で沈するとそのあとの練習はずっと震えながら続けることになり、かなりダメージが大きい。
ひっくり返った船は自力で起こします。この状態を半沈、完全に船底が上になる状態を完沈と言います。
ひっくり返った船は自力で起こします。この状態を半沈、完全に船底が上になる状態を完沈と言います。

20年ぶりに飛び込むか!

運営艇にはだいたい「飛び込み要員」が乗っている。強風だったり高波だったり技術的に無理だったりして、ひっくり返ったヨットを部員が起こせないとなると飛び込んで助けに行く役だ。たいてい経験のある上級生が飛び込むのだけれど、今回の運営艇は運転手を除きすべて1年生だったので、きっと何かあったら僕が飛び込み要員なのだろう。いいよ、おれ飛び込むよ。
沈した船は自力で起こせないとそのまま流されて座礁してしまうこともある。そうなるとケガしたり船が壊れたり海上保安庁に叱られたりと、いろいろ問題があるのでその前になんとかしなくてはいけないのだ(結局飛び込まなくても復帰しました)。
沈した船は自力で起こせないとそのまま流されて座礁してしまうこともある。そうなるとケガしたり船が壊れたり海上保安庁に叱られたりと、いろいろ問題があるのでその前になんとかしなくてはいけないのだ(結局飛び込まなくても復帰しました)。

競技ヨットはぜんぜん優雅じゃない

運営艇はヨットを後ろから見て、セール(帆)の形や速度、乗組員の動きを客観的に観察する。気になるところがあれば大声で選手に伝える。

「セール外にあと3センチです!」
「ヒール(船の傾き)大きいです、フラットにしてください!」
スマホでビデオに撮って後から選手に伝える。20年前はビデオカメラだった。
スマホでビデオに撮って後から選手に伝える。20年前はビデオカメラだった。
マリンスポーツというと優雅なイメージを抱きがちだけれど、ヨットに関して言うと、はっきりいって優雅さはかけらもない。乗組員は互いに数種類のロープを常に調整しながらヨットをコントロールしているため、暇な時間なんて一瞬もないのだ。気を抜くとひっくりかえるし。僕も入部したての頃は、思い描いていたイメージとあまりにかけ離れていて驚いたのを覚えている。
そして運営艇はずぶぬれになるのも忘れていた。風でくだけた波が常に降り注ぐからだ。
そして運営艇はずぶぬれになるのも忘れていた。風でくだけた波が常に降り注ぐからだ。
今回運営艇を運転してくれたのは2年生の部員だったのだけれど、練習中は上級生にも大声でアドバイスをしていた。陸上では礼儀作法を徹底的に重んじるのだけれど、うまくなるためには気づいたことを言い合うことが大切なのだろう。

正直僕らの頃は異常に怖い先輩がいたりして、口挟んだら噛まれるんじゃないかと思っていたこともあったのだが、健全な方向に進んでいるようでよかった。
彼女は2年生。ヨットを見る目は常に厳しい。
彼女は2年生。ヨットを見る目は常に厳しい。
夢中で練習を見ていたら遠くの空が暗くなってきていた。
夢中で練習を見ていたら遠くの空が暗くなってきていた。

トラブルも含めての海

そして海では天候が簡単に急変することも忘れていた。朝はあんなに気持ちよく晴れていたのに、急にこれである。
そうそう、急に土砂降りになったりするんだよねー。
そうそう、急に土砂降りになったりするんだよねー。
黒い雲が近づいてきたなと思ったら次の瞬間には土砂降りである。海の上では天気はころころと変わるのだ。これを読むのもヨット乗りの技術である。

同乗していた1年生が合宿所と連絡を取り合っているのだけれど、豪雨と防風でほぼ何言ってんのか聞こえないようだった。
「こちらレスキュー、もう一度お願いします!え?聞こえません!」
「こちらレスキュー、もう一度お願いします!え?聞こえません!」
大丈夫だろうか。そして急にエンジンが止まったりもする。
外洋でやったら死ぬやつである。この件についてついては合宿所に戻ってからコーチにさんざん叱られていた。
外洋でやったら死ぬやつである。この件についてついては合宿所に戻ってからコーチにさんざん叱られていた。

20年間変わらないのは昼ごはん

午前中の練習を終えると一度合宿所に戻ってお昼ごはんである。
昼ごはんの前にさっきのエンジントラブルについてコーチにこっぴどく叱られている様子。
昼ごはんの前にさっきのエンジントラブルについてコーチにこっぴどく叱られている様子。
20年も経つとさすがに技術的なことはわからないかと思っていたが、練習を見ているうちに徐々に思い出してきた。そりゃあ4年間も乗っていた船である、忘れようにも体が忘れてくれないのだろう。
ところでこれがなんだかわかるだろうか。
ところでこれがなんだかわかるだろうか。
卒業生にだけ座ることが許される椅子である。現役部員たちは地べただ。
卒業生にだけ座ることが許される椅子である。現役部員たちは地べただ。
お昼ごはんが20年前とまったく変わっていなかったのにも泣けた。
これ、現役時代も食べていたやつだ。
これ、現役時代も食べていたやつだ。
味もまったく同じである。たぶん20年後も同じなんだろう。
味もまったく同じである。たぶん20年後も同じなんだろう。
どう映るかわからないが、僕は20年経った今でも、練習の後の合宿所のごはんよりもうまいものを食べた記憶がない。

帰るときにも全員が集合して僕のことを見送ってくれた。もはや完全に仲間である。いままで20年もこの場所を離れていたのが信じられない思いだった。また来ることを自分にも部員たちにも約束して帰ってきました。
思い切って来てみてよかったです。
思い切って来てみてよかったです。

差し入れ持って行ってみよう

今回は差し入れを持っていく、というミッションがあったからこそバイト先にも部活にも顔を出すことができたんだと思う。

気にはなっているけど、一度できてしまった距離を縮められないでいるみなさん、差し入れ持って勇気を出して行ってみるといいですよ。距離なんてわりとすぐに埋まるから。
もう一軒、アルバイトしていたコンビニに差し入れを持っていったら携帯ショップに変わっていました。遅かった。
もう一軒、アルバイトしていたコンビニに差し入れを持っていったら携帯ショップに変わっていました。遅かった。


久しぶりの場所には差し入れを持って行こう。

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