特集 2015年8月25日

0合目(富士吉田)からの富士登山

古道の趣を残す「吉田口登山道」で富士山を登ります
古道の趣を残す「吉田口登山道」で富士山を登ります
みんな大好きわたしも大好き富士山。おそらく誰もが一生に一度くらいは登ってみたいと思うであろう、ご存じ日本の最高峰である。

そんな富士山には複数の登山道が存在する。メジャーなルートでは富士宮口(新大宮口)、御殿場口、須走口、河口湖口あたりだが、現在はいずれも五合目までバスや車で行き、そこから登り始めるのが一般的だ。

だがしかし、富士山北側の富士吉田から始まる「吉田口登山道」は一味違う。今もなお、麓から登山道が続いており、頂上まで歩き通すことができるのだ。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。

前の記事:江戸時代に名古屋城の天守を持ち上げて石垣を修理したという話

> 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter

登山道の起点は「北口本宮冨士浅間神社」

実をいうと、私は8年前にも富士山を麓から登り、デイリーの記事にしたことがある(参考記事→「海抜0mからの富士登山」)。

その時に利用した登山道は、富士山の南麓を上る「村山口登山道」であった。かつての禊の場であった田子の浦からスタートし、村山浅間神社を経由して現在の富士宮口登山道五合目に合流するルートで、富士山における最古の登山道ともいわれている。

明治時代に入ると新大宮口登山道(現在の富士宮口)が開かれ、村山口登山道は廃道となったものの、2003~2005年にかけて有志の努力により100年ぶりの復興を遂げた。前述の記事は、その蘇ったかつての古道を歩いたというものであった。
標高によって景色が変わるのが印象的だった「村山口登山道」
標高によって景色が変わるのが印象的だった「村山口登山道」
村山口登山道は東海道から富士山に登るルートであるが、今回歩く吉田口登山道は主に江戸時代中期以降、江戸方面の人々が利用していた登山道だ。

吉田口登山道は明治以降も使われ続けていたものの、昭和39年(1964年)に富士スバルラインが開通したことで五合目まで車両で行くのが普通となり、麓から五合目まで歩く人は激減してしまった。

とはいえ、富士山の麓から山頂までの登山道が残る吉田口は極めて貴重な存在だ。富士山は2013年に世界遺産になったが、この吉田口登山道もまたその全域が構成資産に含まれている。

……とまぁ、退屈な前置きはこのくらいにして、さっそく歩いてみようじゃないか。
というワケで、やってきました富士吉田
というワケで、やってきました富士吉田
吉田口登山道の起点がある富士吉田へは、JR中央本線の大月駅から富士急行線に乗り換えて行くのだが、いつの間にか駅名が「富士吉田駅」から「富士山駅」に変わっていて戸惑った。

なかなか大胆な改称だが、逆に分かりにくくなったような気がしないでもない。大雑把すぎないか、富士山駅って。

富士吉田駅もとい富士山駅に到着した私は、駅の近くにある金鳥居を目指した。町の入口に位置するこの大きな鳥居は一の鳥居にあたり、いわば富士山の玄関だ。
富士山に向かって一直線に続く、目抜き通りにそびえる金鳥居
富士山に向かって一直線に続く、目抜き通りにそびえる金鳥居
通りには歴史を感じさせるたたずまいの家屋が多い
通りには歴史を感じさせるたたずまいの家屋が多い
この上吉田は、富士山信仰である富士講の拠点として栄えた町だ。一見すると普通の町のように見えるが、通りから奥まった位置に富士講の指導役であり世話役でもあった御師(おし)の家が残っている。

富士講の人々は、江戸から三日かけてこの富士吉田にたどり着いたという。そして御師の家に宿泊し、禊ぎと祓いを終えてから出発したそうだ。

かつては100軒もの御師の家が並んでいたというが、現在も宿として営業しているのは4軒だけ。現存する御師の家はそのほとんどが個人の住居になっている。
個人宅とはいえ、普通の民家にはない独特の雰囲気が漂っている
個人宅とはいえ、普通の民家にはない独特の雰囲気が漂っている
そんな町並みを眺めながら緩やかな坂道を上っていくと、30分ほどで「北口本宮冨士浅間神社」に到着した。富士山北麓における富士山信仰の一大拠点である。
鳥居をくぐり、木々が生い茂る参道を進んで行くと――
鳥居をくぐり、木々が生い茂る参道を進んで行くと――
立派な社殿がどどーんと現れる
立派な社殿がどどーんと現れる
「吉田の火祭り」に使われるものだろう、松明が奉納されていた
「吉田の火祭り」に使われるものだろう、松明が奉納されていた
お盆の時期かつ休日だからだろうか、境内は数多くの参拝客で賑わっていた。荷物を持たない家族連れが多く、帰省ついでにお参りしにきたという感じだろうか。

拝殿で参拝を済ませた私は、そのまま社殿の背後に回った。吉田口登山道は、この神社境内の裏手から始まるのだ。
ちゃんと登山道の案内も出ていた
ちゃんと登山道の案内も出ていた
矢印が示していたその先、並木の中央に鎮座する祖霊社
矢印が示していたその先、並木の中央に鎮座する祖霊社
富士山の登頂を記念して建てられた石碑が並ぶ
富士山の登頂を記念して建てられた石碑が並ぶ
凄く良い笑顔のおっさん像も
凄く良い笑顔のおっさん像も
どうやらここが吉田口登山道の起点となるようだ。「井田浅行前開翁之像」と刻まれたおっさんの像に見送られながら、富士山に向かっていざ出陣。
境内を出ると、車道となった
境内を出ると、車道となった
路肩には石碑が並んでおり、昔ながらの道ということが分かる
路肩には石碑が並んでおり、昔ながらの道ということが分かる
北口本宮冨士浅間神社の創建伝説が残る「大塚丘」もある
北口本宮冨士浅間神社の創建伝説が残る「大塚丘」もある
なんでもこの大塚丘は、かのヤマトタケルが東征の際に通りがかり、この丘に登って富士山を眺めたそうだ。

その伝説によって丘の上に社が祀られるようになり、後の延暦7年(788年)には北東の位置に社殿が建てられ、それが北口本宮冨士浅間神社の始まりだという。

さてさて、肝心の登山道であるが、それはこの大塚丘の前で車道から森へと入る。ここから登山道は未舗装路になるのだ。
案内の看板に従い、森の中へ
案内の看板に従い、森の中へ
▽デイリーポータルZトップへ つぎへ>

デイリーポータルZを

 

▲デイリーポータルZトップへ バックナンバーいちらんへ

↓↓↓ここからまたトップページです↓↓↓