スタート地点は駒橋発電所
水力発電の基本的な仕組みは、 高いところから水を落として水車発電機を回し、電気を作るというもの。
ということは、当然ながらその落とす為の水が必要となるのだが、 八ツ沢発電所は上流にある駒橋発電所から水をいただいている。駒橋発電所で発電に使った水を、水路を通して八ツ沢発電所にまで引っ張っていき、そこで再び発電に利用しているのだ。
つまり、八ツ沢発電所へ水を引く導水路の始点は、駒橋発電所ということになるのである。では、まずはその駒橋発電所から見ていくとしよう。
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実は、この駒橋発電所の運用開始は明治40年。明治45年の八ツ沢発電所よりも古い発電所だったりする。ちなみに、この駒橋発電所の建設には、あの日立製作所の創業者も関わっていたらしい。
また、現在駒橋発電所の水圧管路は二本であるが、昔は八本もあったそうだ。作った電気は東京へ送り、早稲田変電所を経由して麹町辺りのあかりを灯したという。
う~ん、そう聞くだけでもロマンを感じずにはいられない。
次に続くは石積みの取水口施設
さぁ、いよいよ八ツ沢発電所の導水路の始まりだ。その全長は約14kmと半端無い。重要文化財としても最大級。日本で最も巨大な文化財と言っていいだろう。
さてさて、駒橋発電所から流れてきた水だが、まずは水門から新たに取り入れた桂川の水と混ぜられる。こうすることによって、八ツ沢発電所に送る水の量を調節するのだ。
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しかし、川の水は砂や泥などが混ざっているので、これをそのまま水路に流したら後々まずいことになってしまう。
なので、水路に流す前に、流れの緩い沈砂池(ちんさち)という池を通す工程が必要になる。そうすることで、困りものの不純物は底へと沈み、上澄みの綺麗な水だけを利用することができるのだ。
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それにしても、この取水施設のなんと美しいことか。石積みの堤防を基調とし、石とレンガの水門、コンクリートの構造物がアクセントとして添えられる。
このバランス具合がとても良い。そして、積まれた石が作り出す模様には、何とも言えない色っぽさがある。あぁ、たまらん。
隧道、開渠、水路橋。ひたすら続く水の道
さて、水路はしばらく隧道(すいどう)に入る。隧道とはトンネルのこと。トンネルとは言っても、ここでは地下水路のようなものであるが。
再び水路が地上に現れるのは、沈砂池から東へ1kmほど行ったところ。桂川沿いにある団地のすぐ側にひょっこり顔を出す。それが、第一号開渠(かいきょ)。
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開渠とは、まぁ、開けた水路のようなもの。転落防止の為か、フェンスが張り巡らされており、中が非常に見えにくくなってしまっているのがちょっと残念。
だが、よくよく目を凝らしてみると、中で水が流れているのが分かる。レンガで造られたアーチ状の構造物も見て取れる。フェンスの中のチラリズム。最初から丸見えであるより、こちらの方がより興奮する……か?
開渠はすぐ終わり、水路は再び地下に潜る。次に地上に現れるのはそこから250mぐらい先。桂川が最も狭まり、渓谷になっているその場所に、なんと水路橋として再登場。
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実はこの第一号水路橋、なんと鉄筋コンクリートでできている。鉄筋コンクリートなんて今でこそ当たり前のように使われているが、これが作られたのは鉄筋コンクリート黎明期の明治45年。まだまだ鉄筋コンクリートが珍しかった、そんな時代に作られた貴重な橋だ。
今や鉄筋コンクリートの建築なんて20年とか30年とかで壊されてしまうというのに、それが100年も持っているなんて。しかも現役の水路だなんて。いやはや、凄い!
再度隧道に入った水路はそのままさらに東へ進み、そしてまた開渠として地上に姿を見せた。
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