そういえば長野育ちの方から、五円玉などの穴が開いた硬貨でタニシの尖った部分を折って食べるという方法を口頭で教わった。それによって稚貝や泥が詰まった部分を避けるつつ、穴が開くことで身を取り出しやすくなるらしいのだ。
だが実際に試してみたところ、どうやったら硬貨の穴で角を折ることができるのかわからなかった。どなたか知っている人がいたら、そっと教えてください。
昨年の夏、霞ケ浦の近くに住む友人の案内で、淡水に住む貝を採って食べたのだが(イケチョウガイの記事参照)、その時の話が興味深かった。
「この辺にはいろんな貝がいますけど、一番おいしいと思うのはタニシです。シジミとも違う、ひなびた味がいいんですよ。やっぱり味噌汁が最高ですね」
タニシ……。食通で有名な魯山人が愛したという話を聞いたことがあるけれど、なんだか泥臭そうで食べたことのない食材だ。いくらでも捕れるらしいので、その味を確かめさせてもらった。
タニシを採りにやってきたのは、霞ケ浦水系のとある用水路。水の流れる強さや、どこからどこへ流れる水路なのかなど、条件によって繁殖する貝類が異なるそうだ。
「タニシを捕ったり食べたりするのは、日常の延長です。泥を吐かせたり、洗ったりが面倒なので、最近は食べる人も減っていますけど、俺が一番うまい貝はタニシです」
なるべく水のきれいな水路を選んでもらい、側面にへばりついているタニシを網ですくう。
これが海で採れた貝だったら、小粒だけど味が濃いんだろうなとワクワクしただろう。しかし用水路のタニシだと、漠然とした不安が消えてくれない。
ここよりも水の汚れた埼玉の住宅地で育ったためか、タニシやフナやザリガニなど、子供の頃に身近だった生き物ほど、捕る行為と食べる行為が結びつかないのだ。
それでもこの地で生まれ育った友人がおいしいといっているのだから、試すべき価値のある食材なのだろう。泥と一緒に網へと入ったタニシの中から、大粒のものだけを選んでバケツに入れた。
持ち帰ったタニシは、毎日朝晩水を変えて泥抜きをした。
泥抜きの期間が長いほど臭みは抜けてくれそうだが、育った場所と違う環境で絶食させるため、タニシが弱ってしまうリスクも高い。亡くなりだすと、水が汚れて一気に全滅する恐れもある。
死んだ貝ほど臭いものはそうそうない。腐敗臭より泥臭さ。今回は4日ほどで調理へと移行した。
泥抜きをしたことで、タニシの殻に生えた苔が消えてくれないかなと甘いことを考えていたが、もちろんそのまま残っていた。
ざっと水洗いしてみたが、二日ほど髭を剃っていない私のアゴみたいな感じである。
別に殻を食べるわけではないのだが、殻ごと調理するのだから、このまま味噌汁にしたら絶対苔臭くなるだろう。
案内してくれたⅠさんによると、高圧洗浄機で水洗いするのがお勧めだとか。残念、持っていないよ。
しばらく考えて、洗濯ネットを使う方法を思いついた。ネットに入れて洗濯機で洗うのではなく、ネットに入れて、ネットとタニシをこすり洗いするのだ。
水を変えて何度かゴシゴシ洗うと、だんだんと苔が落ちて殻がツルツルになってきた。
仕上げに小麦粉を全体にまぶして、カラっと揚げるのではなく、この小麦粉が綺麗に落ちるまで水で洗う。殻に残る汚れを小麦粉にくっつけて流すのだ。
ここまで丁寧に洗えば、殻が苔臭いということはないだろう。中身までは洗えないけどね。最初にここまでやってから、泥抜きをさせればよかったかな。でも洗うことで殻が割れて弱っているかもしれないし。初めて扱う食材は、このような難しい判断を何度も強いられる。そこが楽しい。
Ⅰさんの情報だと、タニシはいくらでも捕れるけれど、食用を買うと高級食材になるそうだ。きっと食べられる状態にするまでの手間賃がすごいのだろう。自分で手を動かしてみれば、納得の話である。
こうして時間をかけて下処理したタニシを、水と昆布と生姜で煮て、味噌汁の出汁をとる。
ちなみにタニシはあくまで出汁用の素材であり、身は食べられるけれど、面倒なのでわざわざ食べないことが多いそうだ。このあたりはシジミ汁と似ているのかな。
しばらく煮込んで、味付けをしていない出汁を試してみると、うっすらと貝の旨味成分が溶けだしていて、そこに加わるのがゴボウのような土っぽさ。タニシの外側と内側に残る苔由来の香りなのかな。
ハマグリやシジミに近いものの、タニシでしか味わいない一味がある。朝鮮人参をじっくりと煮込んだような複雑な深みで、滋味がすごい。なんだこれ。
これがⅠさんのいう「ひなびた味」か。悪く言えば「旨味」ならぬ「沼味」だが、これが好きだというのはよくわかる。慣れることでもっと好きになる味だ。
味噌汁で飲むのもいいけれど、もう少し味を強くしたくて、味噌ラーメンに仕上げてみた。
群馬県産の中力粉に全粒粉を加えて田舎感のある中華麺を打ち、スープは唐辛子やニンニクの入った辛子味噌と酒で味をつける。薬味はミョウガとシソでどうだろう。
これが食べたことのないラーメンだった。初めて試す出汁なので当たり前だが、動物系でも海産系でもない、圧倒的な力強さ。良い意味で沼系。辛子味噌というパワフルな対戦相手があってこそ、輝くタニシスープのアイデンティティ。
芯まで体が温まるラーメンだけど今は8月。暑いよ。そういえばⅠさん、タニシの旬は冬だといっていたっけ。もう少し辛くして、寒い日に食べたら最高だろうな。
出汁をとったあとのタニシがもったいなかったので、醤油を絡めて一煮立ちさせてみた。
出入り口にある扉みたいな薄い殻を外し、爪楊枝で突いて身を取り出す。途中で切れて肝が残ってしまったが、深追いしないほうがいい気もする。
食べてみると、これが反射的に力こぶができる系の味だった。身の全体が肝みたいな濃さ。長野の伊那地方で食べられているザザムシと同じ力強さを感じる。
出汁の残りがここまで強い味だとは。何かに効くんだろうなと思わせる漢方っぽさがある。さっきのスープ、もっと煮込んで成分を完全に溶かしきればよかったか。しかし煮込みすぎると苔臭さが強くなってしまうかも。
地方の食文化がどんどんと平均化されていく中で、タニシを食べる機会が減ってきたのもわかるし、これを懐かしむ人がいるというのもわかる。逆に苦手だという人もいるだろう。
ぜひ冬にまた旬のタニシを捕って、旬を味わってみたいと思う。
ここで終わっても良かったのが、この話はまだまだ続く。
タニシを食べるのは日本人だけではない。タニシのひなびた独特の味をより理解するために、海外のタニシ料理を試してみようと、東京の新大久保にあるタニシラーメンを出す某店へとやってきた。
中国南西部の広西チワン族自治区に伝わる、正宗柳州螺蛳粉である。ざっくりいえば、タニシのスープで味わう米麺だ。
丼の中にはタニシは入っていないので、あくまで出汁としてタニシの味を楽しむタイプの料理なのだろう。
まずスープを飲んでみると、しっかりと辛く、スパイス感があり、その上でザーサイなどの発酵食品による酸味を含んだ濃厚な旨味がしっかりと味わえる。
そして全体を支配している独特の泥臭さ、いや、ひなびた香りはもちろんあの巻き貝だ。タニシは姿を見せずに、その丼を支配したのだ。
おそらくタニシの味をまったく知らずにこれを食べていたら、この複雑な良さを全く理解できていなかったかもしれない。
しかし、もう階段は登っている。この方向性に対する理解の受け皿がある今であれば、好きな味だと言い切れる。それが嬉しい。
タニシの出汁には、水産物というよりも大地の風味が感じられた。
スパイスや辛さとタニシが合うというのはなんとなく理解できるが、ザーサイなどの発酵食品が加わることで、さらに味が深くなっているのが興味深い。
前にタニシを味噌ラーメンにしたら美味しかったのは、味噌という発酵食品との相性の良さだったのかもしれない。
ブリンブリンの弾力で味を吸収しない米麺が、風味の強いスープと合う。この麺でこそのタニシスープだ。
もう一軒、ベトナム料理の店でも「タニシのブン(米麺)」という麺料理を頼んでみたのだが、こちらはどうも海の巻貝が使われているようだった。サザエ、アカニシ、ツブガイなどと思われる。
タニシはベトナムでは身近な安い食材なのかもしれないが、日本では高級品になってしまうので、気軽には使えないのかもしれない。
それでもなんとかタニシの麺料理を出したいという、熱い気持ちがあるのだろう。
食後に新大久保駅周辺の輸入食材店を確認したら、さっきの麺にタニシとして入っていたと思われる貝が冷凍であった。
日本食を海外で作るのが大変なように、東京でベトナムの味をそのまま再現するのも難しいようだ。
そんな経験を踏まえて、今年の1月中旬にまた霞ケ浦水系の用水路まで、旬を迎えたタニシを採りにいってきた。
たまたま通りがかった地元のご婦人にちょっと話を聞いたところ、昔はタニシを食べたけれど、やはりもう食卓にあがることはないそうだ。
寒い時期なので、苔のないツルピカタニシが捕れるのではと期待したのだが、そんなことは全然なかった。それでも泥の匂いは少し弱い気がする。
この時期はエサをあまり食べないだろうし、水温が上がってタニシが弱る心配も少ないので、かなり長めに2週間ほど泥抜きをさせてみた。
まずは基本に返って、味噌汁で冬のタニシを試してみよう。
水と昆布と生姜、そこに酒を少々入れてタニシを弱火でしっかり煮て、味噌を溶かしてネギを散らしたら完成。
お椀の中にタニシが転がっていることに、違和感ではなく期待感しかない自分がいる。
熱いうちに飲んでみると、これがすごくうまい。ガツンとくるような強い出汁ではないのだが、知らないで育ったけど懐かしい風味を感じる。
これこそがⅠさんの愛する、タニシのひなびた味なのだろう。なるほど、わかってくれそうな人に勧めたくなる食材だ。
このタニシならばと身も食べなければと爪楊枝で剥いてみたところ、渦巻きの先まできれいに出てきた。
この部分は食べても大丈夫なのかと迷ったが、少しぐらいなら平気だろうと口に入れる。
やはり泥臭さは感じるが、初夏に食べる天然アユの塩焼きにも通じる、淡水育ち独特の好ましさに収まる範疇だ。酒が欲しくなる味噌汁の具。
こうして冬のタニシを味噌汁で食べると、やっぱり夏のタニシは沼感というか苔っぽさが強すぎたかも。前回はどこかで強がってタニシの違和感を封印していたことに気づかされる。やはりタニシの旬は冬だ。
なんてパクパク食べていたら、奥歯にガリっときやがった。
ヒー!
最後にもう一品、せっかくなので新大久保で食べたタニシスープの米麺を、できる限り再現してみたいと思う。
ヒントは実際に私が食べた感想や店にあった説明文、そしてネットで見かけた中国の動画など。
タニシは海のない山間部で珍重される食材だと思うので、海産物は使用しないことにした。
これがスープのベースとなるのだが、この時点のタニシがうまいのではと、味見をしてみることにした。
うわ、苔の味!!!
……でも好き。
煮詰まったタニシの味、強烈だ。アサリなんかだと含んでいた海水の塩分で味がかなりつくけれど、淡水のタニシだとそれがない。そこで醤油を一滴垂らすと、一気に食べやすくなった。
程良いコリコリ感があり、普通なら避けたい沼苔系の味なんだけど、嫌なクセとは感じない。これぞ良質の沼味。
この小さな殻の中には、たっぷりと滋味が溢れているのだ。たまに稚貝も入っているけど。
タニシの味身はこれくらいにして麺の調理を続行する。
中華鍋の中身を、三合炊き用の炊飯土鍋へと移し、骨付きの豚肉をドーンと加える。自分が食べる料理を気合入れて作る時は、材料費を計算しないのがコツだ。
さらに八角、月桂樹、丁子、肉桂、ネギなど、家にあるそれっぽいものを適当に入れて、タニシ味噌汁の残りと水を加えて、じっくりと加熱する。
おっと海産物を使わないとか自分で決めておいて、味噌汁の昆布が入っちゃったけど、まあいいか。
弱火で2時間煮込んでフタを開ける。
あらあらあら、出汁用だと割り切って入れた骨付きの豚肉が、それはもう柔らかくう煮えているじゃないですか。
これは賄い料理として食べるべきだろうな。
タニシのエキスが染みまくり、ホロホロと崩れる豚肉のうまいこと。麺のスープを作っているのではなくて、こういう豚肉料理が目的だったんじゃないかという気がしてきた。
これだ、求めていたのはこの深み。唐辛子の辛さ、花椒の痺れ、スパイス類の奥行き、タニシの沼。あと足りないのは発酵食品の旨味と新鮮な野菜の存在か。
それがこれから加わって完成する、米麺が楽しみで仕方がない。
半年に及ぶタニシをおいしく食べようプロジェクトも、とうとう最後の仕上げである。
麺は自家製だとあの感じは出せないので、ベトナム産のそれっぽい米麺を使用する。断面が丸いのが特徴だ。
スープはちょっと濃すぎたので、水で3倍くらいに薄めてから、ザーサイ、白菜漬け、自家製の塩漬けタケノコ、パクチーの根を入れて軽く煮込む。
この料理は発酵食品をたくさん入れることがコツだと思うんだ。
スープに塩と醤油で味を塩分を加えて、茹でた米麺、仕上げの野菜を入れたら完成。
丼に盛り付けて、ラー油を二回ししていただくと、麺がものすごく熱くてびっくりしつつ、その味に鳥肌が立った。
なんだこれ、すごくうまい。タニシが入っていなくても成立しそうな料理だけど、入っていないと絶対に物足りないだろう。
ちゃんと手間と時間と交通費と材料費を掛けただけの味がしてくれて嬉しい。
お店で食べたものに比べるとスパイス類が少なかったのか、全体的に刺激成分が大人しいが、だからこそタニシ出汁がはっきりと味わえる。
豚肉を減らして、もっとタニシの量や発酵食品の種類を増やしてもいいな。歯ごたえが足りないので、やっぱり揚げた湯葉やピーナッツも用意すべきだったか。キノコやゴボウを入れても絶対うまい。
冬はタニシだ。一気に食べるのがもったいなくて、鍋に残りのスープを冷凍するために、清潔なペットボトルが欲しくてコンビニまで水を買いに行ってしまった。
そういえば長野育ちの方から、五円玉などの穴が開いた硬貨でタニシの尖った部分を折って食べるという方法を口頭で教わった。それによって稚貝や泥が詰まった部分を避けるつつ、穴が開くことで身を取り出しやすくなるらしいのだ。
だが実際に試してみたところ、どうやったら硬貨の穴で角を折ることができるのかわからなかった。どなたか知っている人がいたら、そっと教えてください。
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