食虫植物のサファリパークへ
やってきたのは、千葉県の山武市にある成東駅。
千葉では有数のいちご狩りスポットで、訪れたことがある人もいるかもしれない。僕もその1人で、食虫植物が生えていることを知ったのはその時だ。
ここから車で10分ほどいったところに、食虫植物のサファリパーク「成東・東金(なるとう・とうがね)食虫植物群落」はある。
今回は、こちらで食虫植物の保護や案内活動を行っている「成東・東金食虫植物群落を守る会」の会長、岩瀬さんに案内をしていただいた。
※今回は特別に案内をしていただきましたが、2020年8月現在、人の密集を避けるためガイドは中止となっています(ガイドなしでの見学のみ可能)。
食虫植物は意外とかわいい
岩瀬さんのガイドのもと、さっそく食虫植物を見せていただく。
※特別に許可をいただき、ソーシャルディスタンスをとって撮影しました。
食虫植物は、時期や天気など、花が開くタイミングがなかなか難しいそうだ。この日も雨あがりだからどうだろう?とのことだったが、ラッキーなことにいくつかの花を見ることができた。
でも、どうも思ってた感じと違う。食虫植物、かわいいのだ。
食虫植物と聞いて、僕はこういうものをイメージしていた。
毒々しい色と、あきらかに凶暴そうなフォルム。そして、大きな虫も丸飲みできてしまうぐらいの大きさ。植物界の荒くれものというイメージがある。
一方で、ここまでに見た食虫植物は、どれも小花柄の服にプリントされていてもおかしくないぐらいかわいらしい。
特に気になるのはそのサイズ。
どれも背丈は10〜15センチぐらいと小さく、花は赤ちゃんの小指の先ぐらい。いったいこれでどうやって虫を食べるというのだろう?
日本の食虫植物は「粘り着け式」か「吸い込み式」
食虫植物なのに食べない。一休さんのトンチみたいな話だ。
こういうベテランの観光ガイドさんって、お客さんの興味をひくためにいろんな小噺を持ってるイメージがある。その中の1つだろうか。
どういうことなのか、詳しく聞いてみる。
日本の食虫植物は虫をパクッと食べることはしない。でもその代わりに吸い込むか粘り着ける。それはそれでおっかなそうなワードが出てきたぞ。
そういうと岩瀬さんは、状態のいいイシモチソウの写真を見せてくれた。
最初はおとなしそうに見えていた食虫植物。でもこう見ると、虫を捕まえる部分の赤さや、キラキラした粘着液など、どれも食欲をむき出しにしている感じがする。
虫にとってはこれが魅力的に見えるそうで、ついつい近よってしまう。誘惑だ。人間でいうとネオンみたいなものだろうか。
サプリメントとしての食虫
植物は本来、光合成に加えて土からも栄養をとります。でも食虫植物は、土の養分が少ない湿地などで生息するので、不足する養分をとるために代わりに虫を食べているんです。虫を食べるように進化したから、そういった土地で生息できるようになったとも言えますね。
その見た目と、虫を食べるという荒々しさから、なんとなく植物界の強者のようなイメージを持っていた食虫植物。でもそれは、生きるために他の植物が住まない場所を選んだ結果だったのだ。
食虫植物のユートピア
では、そんな食虫植物はなぜ千葉のこの場所に栄えたのだろうか?そこには、いくつかの偶然と保護の歴史があった。
群落は、九十九里浜から約6キロの位置にある。西側の山なみが、昔の海岸線を物語っている。
そうなんです。でもラッキーなことに、江戸時代まではすぐ隣を流れる作田川がよく氾らんしていて、ここはその時に堤防を補修するための土を取る場所になっていました。だから、その土取りのたびに背の高い植物は取りのぞかれて、土の養分が少ない状態も保たれたんです。
・もともと海だったので、土地に栄養が少なかった。
・川が氾らんするたびに人の手が入り、遷移が防がれた。
日本初の天然記念物
採っていっちゃう。そういう敵もいるのねと笑ってしまった。
特に、明治30年に総武本線が開通してからは、東京からも日帰りで来ることができるようになり、植物が採っていかれてしまうことが増えたのだそう。
写真もまだ一般的ではない時代。あれだけ珍しい見た目の植物が何の規制もなく目の前に生えていたら、採って帰りたくなる気持ちも分からなくはない。
なんと、食虫植物は日本で最初の天然記念物だった。これにより、法律で守られ、採ることは禁止となった。
この場所で食虫植物が栄えた理由②
・日本初の天然記念物に指定された
ちなみに、今回取材に行ったのは2020年の7月19日。行くまで全く知らなかったが、この2日前で天然記念物に指定されてちょうど100年という、ものすごくホットなタイミングでの取材になっていた。
「ありのまま」では守れない
天然記念物に指定して守ったつもりが、逆に人の手が加わらなくなったことで守れなくなる。自然保護というとありのままの状態を残すイメージがあったが、必ずしもそれが良いとは限らないようだ。
結局、その状態は戦後まで放置されてしまいましたが、食虫植物はなんとか生き延びました。そしてその後1950年ごろからは、地域の皆さんによる保護活動が行われるようになり、現在まで続いています。
この場所で食虫植物が栄えた理由③
・人の手を加えて、食虫植物にとっての良い環境を保っている
守らないと守れない
虫を粘り着けたり吸い込んだり、食虫植物は期待どおりの暴れん坊だった。
でも一方で、生きていくための環境はとても繊細で、人の手も加わって一生懸命守られているというのが面白かった。
植物や生き物を保護することは、無条件に「環境に良い」と思っていたが、特定の種を保護するというのは自然の全体からするとイレギュラーだったりもする。でも、守らないと守れない。
その辺りの、自然保護の難しさも感じられた。
【見学情報】
4月~8月(毎日)午前9時~午後4時
9月~10月(土・日・祝日)午前10時~午後3時
※5名以上で訪れる際は、要事前連絡
※グループでの見学は15名以下としてください
※人の密集を避けるため、2020年8月現在スタッフによるガイドは中止しています
【取材協力】
成東・東金食虫植物群落を守る会
山武市歴史民俗資料館(問い合わせ先)
TEL:0475-53-3023(文化財担当)
次のページでは食虫直物が虫を捕まえているところの写真を掲載しています。苦手でない方はぜひどうぞ。