川で泳ぐということ
大満足だった。世界的に知られている川で泳げたのだ。私のひとかき、ひとけりが、川の流れに勢いをつけたはずだ。流れを作っているのだ。それが川で泳ぐということの醍醐味なのだ。次はどの川で泳ごうか、そういうワクワクで生きているのだ。
人生において大切にしていることがある。それは人によって異なり、仕事という人もいれば、家庭という人もいるだろうし、信頼かもしれないし、愛かもしれない。人それぞれ大切にしていることがあるのだ。
そんなことの中に、「川で泳ぐ」というものがある。仕事でもない、家庭でもない、信頼でも愛でもない。川で泳ぐなのだ。いろんな川で泳ぎたいのだ。人生で大切なことはどれだけ多くの川で泳いだか、なのだ。
小学校だか、中学校だかで「世界四大文明」を習った。メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明の4つだ。この4つの文明の共通点は文明の成り立ちに「川」が大きく関わっていることだ。
メソポタミア文明ならばチグリス川とユーフラテス川、エジプト文明はナイル川、インダス文明はインダス川、黄河文明は黄河ということになる。我々は川なくして栄えることはできなかった。人類は川と共にあるのだ。
夏になれば海水浴に行こう、となる。あまり「川水浴」は聞かない。今も上流域ではキャニオニングなどが存在するが、昔は夏になれば川に櫓が作られ、人々が川で泳ぐという地域は下流域でも存在した。ただ最近は聞かない。
私は川で泳ぐということを人生の大切なポジションに置いている。子供の頃から鹿児島の木之下川で泳いできた。下流域だったけれど泳いでいた。そこから私の川で泳ぐ人生は始まったのだろう。今でも川で泳ぎたいと思っている。
いま住んでいる近所を多摩川が流れている。何かと泳いでいる。もちろん安全に気をつけてだ。危ないので気軽に泳いではいけない。万全の準備をして泳ぐ必要がある。そういうことをして、私は川で泳いできたのだ。
日本だけではなく、海外でも泳いでいる。ブランコとネグロと呼ばれる二つの流れが混じり合った栄養たっぷりのアマゾン川で泳いだこともある。この時も、必ず泳ぐと決めてアマゾンへと旅立ち、泳いだのだ。
黄河にも泳ぎに行った。夢があって四大文明のすべての川で泳ぐというものだ。ただ私が行った黄河では遊泳が禁止されていた。近所の住民に聞いたところ、入るだけならいい、ということで、黄河文明を代表する肥沃な土を触ることができた。
そした、新たなるターゲットが決まった。それはドナウ川だ。ヨーロッパで2番目に長い川であり、その全長は2900キロ弱。日本で一番長い川が信濃川で370キロ弱なので、ドナウ川の長さがいかにすごいかがわかる。
今回はブルガリアの首都からドナウ川を目指す。300キロほど移動しなければならない。移動方法はバスだ。これが大変だった。ブルガリアはブルガリア語なので言葉が通じ、バスのチケットさえ買えないこともあった。
カウンターでチケットは売ってない、運転手から直接買え、と言われた気がしたけれど、バス停で待っていたらみんなチケットを持っていて、座席は満席で、どうにか乗れないか、とお願いしたら通路に座っていいよ、と言われた。地獄だった。
バスは峠を攻めているようだけれど、揺れがすごい。衝撃を全く吸収しないで、ダイレクトに私に伝えた。さらに右に左にと揺れるので酔う。地獄だった。これで数時間くらい続いた。すべてはドナウ川で泳ぐためだ。
どうにかドナウ川に到着した。ドナウ川を挟んでブルガリアとルーマニアとなる。とても大切な川なのだ。ドナウ川沿岸には4つの世界遺産があり、ヨシフ・イヴァノヴィチ作曲の「ドナウ河のさざ波」は近鉄名古屋駅で発車メロディにも使われている。
ドナウ川はいろいろな使われ方をしているようだ。上記の写真のような人もいれば、撮りそびれたけれど、泳いでいる人もいた。釣りをしている人もいる。言葉がよくわからなかったけれど、チョウザメが釣れるらしい。
私はただ泳げばいいという安易な考えを持っていない。それは安全管理だけの話ではない。その川が人類にとってどうなのか、を知りたいのだ。よく多摩川で泳いでいるけれど、その源流域に行ったこともある。というか、源流域の村、山梨県小菅村の観光大使ですらあるのだ。すべてを知って泳ぎたいのだ。
ドナウ川の歴史などを展示してある博物館に足を運んだ。遺跡やドナウ川を利用した古い時代の街づくりなどを知ることができるらしい。「らしい」の理由はブルガリア語がわからないからだ。英語があるものもあったけれど、安心してほしい。私は英語もわからない。
大切なことは知ろうとする好奇心。雰囲気でいいじゃない。世界は今日も回っているじゃない。結果ではない。心意気だけを大切にしている。勉強しようとしたんです、ということだけでいいのだ。そういう風に考えるようにしている。
さぁ、すべての準備は整った。いざ、ドナウ川で泳ごうではないか。釣り人に泳いでいいか聞いたら、「いいよ」と言っていた。周りへの気遣いも重要だ。まずは水質を確かめたいと思う。
水はあまり綺麗ではないようだ。また砂地ではなく岩のようである。水から出ている岩もあるが、水の中も岩。足を切らないようにしなければならない。貝はでかい。とてもでかい。それはわかった。あとは泳ぐだけだ。
水は温かった。夏だからだろう。朝晩は冷え込むけれど、水は冷えにくいので、日中の30度後半の気温が水を緩くしている。温水プールとまではいかないけれど、唇を紫色にするようなことはない。流れもゆるいので泳ぎやすい。
川で泳ぐことを大切にしている私としては大満足。これでドナウ川を制覇したことになる。2900キロ弱ある川だけれど、ほんの一部でも泳げば制覇というルールにしているのだ。国境となる川で泳ぐ。素晴らしいことではないか。
泳いだことに満足してはいけない。大切なことはおそらく水を飲んでいる、と認めることだ。気をつけていても口に水は入るので、十分にケアしとかなければならない。いろいろな川で泳いできたからこそ、わかることだ。
大満足だった。世界的に知られている川で泳げたのだ。私のひとかき、ひとけりが、川の流れに勢いをつけたはずだ。流れを作っているのだ。それが川で泳ぐということの醍醐味なのだ。次はどの川で泳ごうか、そういうワクワクで生きているのだ。
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