自粛してますか~!(やけくそ)
緊急事態宣言が二年目になり、まだおもしろがる余地のあった一年目とはちがった変化が出てきた。そんな人も多いだろう。
筆者は飲酒習慣が深まり、ついには味のない甲類焼酎をうまいうまいと飲むようになったので飲酒をやめた。今はお菓子を食べてお茶を飲む日々だ。
失って気づいたが、お酒を飲む日々には毎日小さな楽しみがあった。あのつまみと合わせてみようとか、お茶で割ってみようとか。毎日耳かきに盛るほどの工夫とその結果があったのだ。これが全部なくなった。
すると今欲しいのはアルコールでなく工夫と結果なのである。(きっともう『100日後にそばを打つ筆者』はスタートしている)
目の前のお菓子もこれは何でできているのだろう?と気になってくる。クリームチーズと小麦粉と卵を伸ばして焼けばチーズケーキになるんじゃないの?と試してみたりする。
出来上がったものは底が焦げていた。食べてみるとそこまで悪くない。焦げがカヌレの味だ。ここに一つの仮説が生まれた。
だいたいなんでもお菓子なんじゃないの?
仮説はこうだ。小麦粉と卵と乳製品と砂糖を混ぜて火を通したものは失敗がない。なのでたくさんのお菓子が存在する。今や「粉と卵と乳に火を通したものには全て名前がある」ほどである。ここまで。
小さな教室を開くほどお菓子作りが趣味のお母さん友達の田村さんに聞いてみると「その可能性はある」と言う。まさかそんな…! お菓子をなめてた発言なのに可能性がある…!?
そこで一度本腰を入れてこの仮説を検証してみることとした。時間ならある。知り合いのお菓子作ったことないお父さん仲間の渕上さんも誘ったら乗ってきた。
考えてみれば外にも行けずこんなことばかりして一年が経った。デイリーポータルZの人はふざけたことしてていいなあと思われがちだが、世の中がこっちに寄ってきた。
素人の型破りにかける…!
固定観念にとらわれないのが素人のよさである。そのことは、話はそんなにうまくいかないことまで含めて、私達はよく知っている。
筆者はお菓子作りに興味が生まれたばかりであるし、同様にお父さん仲間である渕上さんも経験がない。これは型破りなビギナーズラックで何か生まれるかもしれない。まずは材料を適当に混ぜて焼いてみることから。
既視感との戦い
まずは小麦粉、卵、生クリーム、砂糖をかき混ぜて基本の生地を作ってみる。これ、あるある。ボウルに材料を入れた時点で「あるある」という見た目だが、かき混ぜると「あるある」と音がするほどに既視感がある。
ドーナッツ、パンケーキ、プリン…すべてがここから生まれている気がする。お菓子の泉の源、井の頭公園の池がこれである。ここから神田川が?という見た目をしている。
「卵、牛乳、粉を混ぜ合わせたもの」を検索すると「バッター液」と出る。フライもこれか。今私が抱えているこれは、人類がめちゃくちゃ大好きな何かなのだろう。
クレープらしきものができる
あるあるをフライパンで焼くとバターの香りが立ち上ってきた。これ以上いくと焦げそうなので折りたたんで上げる。見覚えのあるものができあがった。
既視感はずっと続くし意外性はどこにもない。「あるある」の生地に熱を加えると「ある」「あるな」というものになる。これが実存というものだろうか。ずいぶんとクレープっぽい形をしている。
このあと我々は材料を試しながらオリジナルお菓子作りに乗り出していき、最後にお菓子作りが趣味のお母さん仲間田村さんを迎えて品評会をやった。
まず厚いクレープが出来上がった
お菓子初心者がこんなものかな??という分量で適当に混ぜて焼くと平べったいものが出来上がった。
「あ、これはクレープだよね」と田村さん。やはり。実存ではなかった。食べてみても悪い味ではない。物がない時代ならごちそうだろう。だが今では華のない味。もっちり甘い分厚いクレープだ。
お菓子作りに慣れない人に感覚でやらせるとクレープに寄せられることが分かった。どんどんいこう。
今度は同じような生地を蒸してみた。私達の予想としてはプリンに近いものである。
蒸してみるとクラフティ
むっちりしたものができた。イメージではふわふわしたものが頭の中にあったのだが早くも思ったのとちがうものが現れはじめた。
もっちりぬっちりぬぼーっとしている。甘く生焼けのパンケーキのようなものに近いだろうか。
お菓子に詳しい人は「クラフティに近い」という。プリンに小麦粉が入ってくるとクラフティというものになるそうだ。
検索。クラフティ、フランスのお菓子でカスタードプリンに小麦粉が入ったもの、19世紀にはフランス全土に広がったという。イギリスにはファーブルトンという同様のお菓子があるのだという。
先程はあるあるだったのに知らんにつぐ知らん、である。だが味は「凡庸」の一言。ジャンルについても「クラフティ」に回収されてしまった。
硬くしてみると皮
つづいて硬めに作られたもの。小麦粉多めでベーキングパウダーが入っている。砂糖は入れ忘れられているがバターや卵の香りはする。
「うわ~、これなんだろう!」「食ったことあるのに!」と記憶の扉が次々と開く。
「たいやきの皮かな」「匂いはフレンチクルーラーに近い」「シューの皮に近いんだと思う」「皮だね」「なにかしらの皮」「皮」「皮かな」
皮だそうだ。パンケーキやせんべいになるのかなと思ったが「皮」になってしまった。小麦粉を使って何かを包むものは世の中に多く「皮」がその一つとして独立している。
菓子よ、そんな「部分」に回収されるパターンがあるのか。
今度はゆるめにしてみる
硬めのあとはゆるめのパターン。小麦粉をできるだけ減らして生クリームたっぷりと卵一個で焼いた。砂糖が多いからか下が焦げてきた。パタンパタンと折っていく。折った瞬間に卵焼きのことが頭をよぎり「ああ、あれか…」とテンションが下がる
なぜかここで当たりを引き当ててしまいました
ゆるいのでまたクレープ状になりパタパタ折っていくと卵焼きに近くなってしまった。
「焦げ目があるね。おいしい!」とお菓子マニアの田村さんが言う。「ほんとだ、おいしい!」と渕上さん。その後もおいしい、おいしい、と合唱する時間がつづく。
焦げ目のカラメル風味が印象的なのでプリンが近い味なのだが、それにしてはもっちりめの食感。このカラメル部分が先程までの凡庸さと一線を画す「華やかさ」を出している。
田村さんの口ぶりによると、焦げ目があるというのはどうやらお菓子界において高評価ポイントのようだ。
調べると糖は165℃でカラメル化し、くわえて小麦粉の持つアミノ酸と砂糖の糖が180℃でメイラード反応というのを起こして香ばしい良い香りを出すそう。
メイラード反応というのは焦げ目がついたお肉がおいしいねというのと同じ話らしい。へー、お菓子でも。検索するとメイラード反応は「クッキーやパンのおいしさの秘密」と書いてあったり。たしかに、これは100℃までしか上がらない「蒸し」では得られないので、お菓子界に「蒸し」が少ない理由でもありそうだ。
ということでラッキーパンチが出ましたが、田村さんこれは名前あるんでしょうか?
「ないと思う。ふつうプリンってカップに入ってないといけないけど
これだと棒にさして売れるからいいよね。おいしい…!」
ということでできてしまった。原宿で歩きながら食べられる棒プリンが。
念のためTwitterでこれがすでにあるのか募集したところ「伊達巻、卵焼き、ファーブルトン、蒸しパン」などでした。ポイントは「焦げ」部分なのでちょっとずつ違いそう。暫定、オリジナル商品。原宿で売り歩く記事でもいずれ書きます。
商品開発が停滞する…
先ほどの同じ記事を蒸した。硬めは「膨らまなかった蒸しパンだね」でありゆるめは「プリンかな」であった。
この辺りで私達は早くも行き詰まりを見せていた。プリンやクレープ的なものから全く逃れられないのだ。これは「素人が自由な発想で絵を描く」というのに近い。
おそらく今はメソポタミア文明の人がお菓子づくりやってる感じに近いのだと思う。技術的なバリエーションがない。
しかしここまでは習作。今までの生地の理屈をふまえ、どうにか一品ずつ完全オリジナルなものを作ろうとしたのがこちらである。
だいたい全部もっちりする
渕上さんによる渾身のオリジナル作品。
生クリームをホイップさせてその上に卵白と粉とバターを混ぜたものを載せ…そして蒸す。
この企画、担当編集の安藤氏に相談したところ「だいたいスコーンが出来上がるよね」という話だった。しかし出来上がるのはだいたいもっちりしたプリン(ファーブルトン)であった。
渕上「予想通りの味だな…」
田村「タイ料理屋さんで出てきたような気がする」
大北「ああーありうる」
渕上「東南アジアの山奥にありそうだね」
大北「東南アジアのおもてなしの味がするなあ、持ってるものを全部出してくれたような」
オリジナルかどうかに関しては「名前はちょっとわからない」ということだった。おお。だが「名前をつける必要がない」「積極的に食べたいとは思わない」だった。一番近いのは「乳製品の匂いがするういろう」だと思う。
煮たところで「もっちり」
「焼く」と「蒸す」ができたので「煮る」を使って甘いパスタのお菓子ができた。その独特な形状から「スリッパ」を意味する日本語である「スリッパ」という名前にした。
そして食べてみる…が、もっちり、また! 知ってる!!
「ああ~」と一同残念な声。クリームチーズの風味がするがトータルとしてはこれはもう何度も食べた「もっちり」の凡庸なあれ。先程から何をやってももっちりもっちり…お菓子の1つ目の壁はここだ。
ところで同じ生地を焼いたものもあり…こっちのほうがあきらかに好評だった。
そもそもお菓子は焼くとうまい
同じ生地を焼いたものはクリームチーズ風味のあるクッキー(スコーン)のようだった。よくある食感だったが、おいしいのは明らかにこっちで、手が伸びるのもこちらの方だった。
渕上「食感が変わってくるね。なんでだろうね…こっちはサクサクしてるのに」
田村「ゆでだと100℃以上ならないからかな」
ここで結論、もっちりは人気がない。考えてみればもっちりとしたお菓子はかなり少ない。蒸したりゆでたりするお菓子が少ないのもそのせいだ。
いったん我々のお菓子作りは頭打ちとなったのでここで趣味でお菓子教室もやる田村さんのお菓子を食べることにした。
もっちりしてない…お菓子の革命に立ち会う
田村さんが同じ条件で家で作ってきたというお菓子を食べる。シュークリームの皮を作るような生地を作ってきてから、揚げたものと薄く焼いたものだそうだ。
おいしさは言わずもがなだがなにより安心感がちがう…そして驚くべきもっちりとしてなさ。渕上さんは「食感がある!」という意味のわからない驚きの声を上げた。だがわかる。我々があれだけとらわれたもっちりさがここにはない。中がもう、スッカスカなのである!!
「ポップオーバーというお菓子がアメリカにあって、ジャムか何かつけるの、それに近いと思う(※ポップオーバーも同じくシューの皮のようだが揚げずに焼く)」
というので似たようなものがすでにあるようだが…我々の興味はそれがオリジナルかどうかより、もっちりしてない!という驚きに完全にシフトしてしまった。これはメソポタミアの人々がシュークリームを食べたときのそれだ!
渕上「我々のは全部みっちりしてた、お菓子の中に空間ができるってめちゃめちゃ重要なんだね」
大北「さっきのホイップ使ったのがふわっとしなかったのは?」
田村「グルテンを発生させないとふわっとした空気を保てないから、練りが必要だね」
大北「薄い方も層になってるのはなんで?」
田村「うすーく伸ばすけどそこに入ってた空気がふくらむのかな」
渕上「空間作って食感をデザインしてるんだ、すげ~」
みっちりは和菓子、洋菓子はふわっと
渕上「うまい…軽やかみがある」
大北「なんでこんなに安心感がちがうんだろう
田村「洋菓子="ふわっとした"っていう印象があるから安心感があるのかも。みっちりだと和菓子っぽい印象になるんだよね」
渕上「たしかにそうだわ、和菓子ってみっちりだわ」
大北「うわ~、なるほど~」
渕上「我々の作ってきたもの、全く空間がないものね、みっちりしかない」
ちょうど今回の企画の少し前に渕上さんとドラゴンポテトを食べながらおもしろいお菓子だねと話しながらインタビューを読んでいた。するとそこに「私はスナックに大切なのは空間だと思ってまして」という文言があっておもしろいことを言うな~と盛り上がっていた。(こちらのページ)
だが今や完全に理解した。お菓子は空間だ。それがオリジナルかどうかなんてどうでもいい。スッカスカのお菓子を食べたいのだ。そのために練りまくってグルテン出すし、腕がちぎれるほどホイップするのだ…
お菓子の真髄ではなく入り口が見つかる
小麦粉、卵、乳製品、砂糖を混ぜて火を入れたものは全てに名前があるわけではない。みっちりもっちりしたものはまだまだブルーオーシャンが広がっている。ただしかなり野暮ったい海である。
カラメルとメイラード反応、お菓子には空間…オリジナルのお菓子作りに挑んだところ、お菓子の真髄ではなく入り口の壁に次々ぶち当たった。あ~お菓子作りってこういうことだったのか…!!
飲酒習慣をなくしてからはこういう小さな「こういうことだったのか…!」をくり返している。そば打ちをする日まではあと99日である。