きっかけはこの石蔵
私が都心に残る蔵を探してみたいと思ったきっかけは、ある一つの蔵を見つけたことだ。場所は豊島区の南池袋、都電荒川線の都電雑司ヶ谷駅程近く。
道路工事の現場にぽつんと、一棟の石蔵がたたずんでいた。
なんと孤独な蔵なのだろうか。
道路を貫通させるために周囲の家々が取り壊され、この蔵だけが残された。いずれかはこの蔵も、他の家と同じように取り壊されてしまうのかもしれない。
大衆の利便のためなのだから仕方のないこととはいえ、好きなものが消えていく現状を前に、心境は複雑だ。
この南池袋の石蔵を見て、私は改めて東京都心の蔵が置かれている現状を知らされた。東京都心の蔵は、今まさに崖っぷち。現在進行形で絶滅しつつある。
無くなりゆくものに情を感じるのは人の常。他にもこのような都心に生きる蔵は無いものか、ちょっと探してみたくなった。
都心という言葉は若干あいまいだが、ここでは、そう、山手線沿線およびその内部の地域と定義しよう。この範囲内において、蔵を探してみようと思う。
西新宿にも蔵はあった
蔵探しを始めた私は、日頃から意識的に路地へと目を配らせるようになった。細い路地の奥など、蔵のありそうなところをいちいち眺めながら、町を歩くようになった。
そんなある日、西新宿で自転車を走らせていると建物の隙間に灰色の古い建造物が見えた。もしやと思って引き返してみると、やっぱりそれは蔵だった。
凄い。西新宿のビル街のすぐ側、青梅街道を挟んだだけというそんな場所に、まさか蔵が残っていたとは。これにはかなり驚かされた。
この蔵はお寺の敷地内にあるようで、墓地に隣接するように建てられている。
最初遠目で見たときは石蔵かと思ったが、よくよく見るとどうやらそうではないらしい。石っぽく切れ目を付けた、モルタル塗りだろうか。となると建てられたのは昭和初期ぐらいか。
こちらは先ほどの蔵に比べ、見学の難易度がなかなか高い。
蔵というものは敷地の隅にちょこんと建っているものが多いのだが、その場合は道路側にあると見学しやすくてありがたい。しかしこの蔵はそうではない。あ、いや、寺の敷地的には端なのかもしれないが、それでも道路からは少し離れている。
それに、ソテツで妻側が隠されてしまっている。オマケに逆光。ふんだりけったり。ただ、平側に見られる傷は良い。何か物語を感じさせてくれる。この蔵にはかつて建物が接続されていたのだろう。その建物は何らかの事情で取り壊され、こうしてその跡だけが残った。言わば蔵の歩みを示すシワである。