小津は見せたいものがあった
そもそものツイートはこれでその後解説記事まで出たようだ。
2018年に名監督・小津安二郎の“狂気”がバズった理由 | 文春オンライン
記事を読むと小津の構図と小道具のこだわりのすごさからコップ内の飲み物の高さを揃えても不思議ではないこと、そして揃えたことの効果が書かれている。
どうやらこのコップの一件に関しては、その揃えた高さのライン上にくるもの(結婚指輪をはめた手)を強調させる効果があったらしい。
見せたいものを見せられる構図を実践する
ということはやはりコップは重要ではなかった。一本の線をつくることが重要だったのだ。小津はただのコップ揃えおじさんじゃなかった、見せたいものがあったのだ。
見せたいものといえば我々もそうだ。見せたいものを強調することができるならWebの記事においてもありがたい。ここからは小津の理論を実践して検証してみよう。
はたして本当に小津のラインの構図によって見せたいものが伝わるのか検証してみよう。デイリーポータルZ編集部の安藤さんに被写体となってもらった。
線を意図的に作ろう
名監督小津はコップの高さという誰にも気づかれないような線をつくった。粋だからだ。しかし粋でない我々はもっと露骨に線を作ってもいいのではないか。
たとえばTシャツに線を引いてみよう。そのライン上に見せたいものを置けばいいのではないか。
効果がある(ような気がする)
牛丼のレポート記事だとして牛丼を線上に持ってもらった。どう見えたのかという主観でしかないのだがこれは効果があったのではないか。牛丼に目がいきやすいように思う。
しかしどうしてこの人は線を引いた服を着て柱と一体化してるのかという疑問もある。街と同化してる人の説得力のなさというか。
それでは他のケースも見てみよう
粋でありつつ伝えてくる構図マジック
伝わりやすさと野暮は隣り合わせで今は伝わりやすさが求められる時代だ。だが小津は構図のちからで粋でありつつ伝えてきた。コップ揃えおじさんの力は偉大だった。
私達に求められているのはこのような小津の構図のちからではないか。そう確信したところはあるのだが、実践してみるとなにかが足を引っ張っているようにも思えた。どちらかというとこれは小津というよりもコップ揃えおじさんの方じゃないのか、というような。
人は人権を失ってまで構図にならなくてもいい。人権デーは毎年12月10日、人権週間はその一週間前から始まるそうだ。
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