最後に、これまでの人生を振り返って自分がやり残したことはなんだろうかと考えました。
すぐに思いつきました。それは体操の後転、後ろ回りでした。体育の授業で一度もできたことがありません。つい先日、体操の内村航平さんが後転する動画を見たばかりなので、自分もできる気がします。やってみましょう。
ダメでした。
3時間の二足歩行を終えて自由に動けることがとにかく嬉しい。家事がしたい。まずは掃除機をかけたい。四つん這いで動いているときに部屋ほ隅の埃が気になったのだ。
なんでもないような家事が楽しい!
やはり二足歩行は理にかなっているということが分かった。流行るわけだよ。そりゃみんな二足歩行するよな。
充実した時間はあっという間に過ぎていくもので、気づけば二足歩行の残り時間があと1時間ちょっとしかない。
老いへの恐怖が実感を伴ってのしかかってくる。時計を見るのがおそろしい。今はなんでもできるのに、もうすぐ自由がきかなくなる。
元気なうちにしかできないことをやっておこう。普段は絶対にやらないけど楽器の練習とかどうだ。そうしよう。焦燥感。
あんまり音は鳴らなかったけどおもしろかった。
「若いんだからなんでもできるじゃん」という言葉の意味が今なら分かる。身体が動くうちは本当になんでもできるのだ。なんでもやっておいたほうがいい。
14時。老齢期に入る。
これからの3時間は杖をついて歩かなければならない。
ついでに、コンタクトを外してボヤけた視界で過ごすという縛りも設けた。老後の生活に寄せられるだけ寄せたい。
老齢期の生活をどう想像するのも自由で、孫やひ孫に囲まれている自分にだってなれるのに、僕は孤独な老人になることを選択したらしい。顔を見ると完全にそれだ。
おじいさんと言えば歩いて買い物に行くイメージがあるので、近所の店に行くことにしよう。
ハイハイも大変だったが、視界がボヤけた状態で杖をついて歩くのも相当しんどい。不安な気持ちになって自然とゆったりとした動きになってしまう。
すべてのお年寄りを敬うべきだ。
「暗から明へ」と評される交響曲がある。読んで字のごとく、暗く静かに始まるが最後には明るく賑やかな大団円を迎えるような構成をとる音楽のことだ。有名なところではベートーヴェンの5番やブラームスの1番などがそうだろう。
今やっていることはそれとは真逆である。朝の四つん這い時代は明るい未来に期待を膨らませ、なんでもできる昼の青春時代があっという間に過ぎ、気づけば終わりを待つだけの夕方になっているのだから。まさに「明から暗へ」。
人間という生き物がそういうふうにできているというのなら、暗から明の芸術が求められるのは当然のことかもしれない。そう思いながらとぼとぼ歩いた。
……役に入り込みすぎている。戻ってこられるのか。
結局、いつもなら数分で終わる買い物に1時間近くかかってしまった。これが毎日となればえらいことだ。
家に帰ってきて、残りの時間はじっとして過ごした。
そして気づいたら17時を過ぎていた。3本足の生活ももう終わりだ。やりきった。
そういうわけで「朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足」の生活がおわった。
字面で見るとなんでもないことだが、実際に体験すると人間の逃れられない宿命みたいなものが重くのしかかってくることが分かった。そんなこと分かるつもりじゃなかった。
自分はただ、なぞなぞの正しい答えになりたかっただけなのに。
最後に、これまでの人生を振り返って自分がやり残したことはなんだろうかと考えました。
すぐに思いつきました。それは体操の後転、後ろ回りでした。体育の授業で一度もできたことがありません。つい先日、体操の内村航平さんが後転する動画を見たばかりなので、自分もできる気がします。やってみましょう。
ダメでした。
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